35話 求めたもの
2章エピローグです
悠馬の手当てが終わった頃には、長谷川も美緒達がいる客間へ姿を現した。
「とりあえず、課長には分かっている事だけは、報告しておきました。後で報告書を出すように言われていますので、美緒さん、協力してください」
「分かったわ。今までの事をまとめた、報告書を出しましょう」
「それと、良くない知らせがあります」
「何です?」
「昨日の事と今日の事で、マスコミに今回の事を知られたようです。警察としても、隠し通すことが出来なくなりました。ある程度の事は、公表しなければならなくなりました」
「それは……仕方がないわ……」
ため息を付いた美緒である。
「私も、隠しておく事は無理だし思うわよ。この二日間で、どれだけの目撃者が出たと思う。マスコミは、独自の調査と取材を始めるわ」
長谷川に同意する優香に、美緒は眼をやって言った。
「じゃ、優香。公表は、お願いするわ」
「へっ?」
間の抜けた返事をしてしまう優香に、美緒は笑顔を向ける。
「事実と嘘を半々ぐらいで、お願いするわ」
「本気なの?」
疑わしそうな優香に、美緒はもちろんと頷いていた。
「全てを嘘で固めても意味はないし、全てを事実で固めても信憑性がないわ。嘘の中に真実を入れる、事実の中に嘘を入れる。そのほうが信用性は上がるわ」
「…………」
「ただ、これだけは伏せて欲しいの。桂木君の事と、異形が人に戻ると言う事。この二つは、どうあっても隠さないといけない。それ以外は、あなたがいいと思うようにして」
優香が翔を見る。
「それでいいの?」
「俺の事を伏せてくれると、助かります」
肩を竦める翔だった。
「ヒーローなのに?」
「俺はヒーローじゃないですよ。俺も倒されるべき異形の者です」
今度は、苦笑が浮かぶ。
「それを言うのなら、悠馬さんと長谷川さんの二人です。白い異形を倒したのは、間違いなく、悠馬さん達ですから」
「私は当然の事をしたまでだ」
「優香。おまえは俺を、ヒーローにしたいのか?」
何を言うんだと言うような顔で、悠馬と長谷川の二人は言う。二人を見て、優香はため息をついてしまった。
「わかったわ。美緒、公表する内容を相談したいから、後で付き合って」
「もちんよ」
笑顔で請け負う美緒である。
その時、優香のケイタイが鳴った。
「はい。竹沢……局長?」
『おまえ、今まで何をしていた!』
反射的に優香は、顔をしかめている。怒鳴り声が、ケイタイを通して美緒達にも聞こえてきた。
「何って……」
『もう、そんな事はどうでもいい! それより、写真はどうした!』
「写真? 何のですか?」
『この前、俺に見せた奴だ! バケモノが写っていただろ!』
瞬間、冷気が客間を覆う。
「あれは、データごと破棄しました。誰も信じませんでしたから」
『バカヤロウ! スクープを捨てる奴があるか! おまえ、それでも記者か!』
「スクープにならないって、局長が言いましたが」
『バカが! あの時と今のでは、状況がまったく違う。おまえが撮った、バケモノの写真が必要なんだ。他社でも、バケモノの写真を、手に入れようとしている。あそこまで鮮明に写っているのは、おまえが撮った物だけだ』
「状況が違う? どう言う事ですか」
「おまえ、この二日間のニュースをチェックしていないのか!」
電話の向こうの相手の声が、呆れたようになった。
『昨日は峰山公園に現れ、今日は繁華街近くに現れたバケモノの事だ。各局、各社ともに、大々的に報道している』
「警察の公表も待たずに。ですか?」
『バカか、おまえ。何年記者をやっている! 警察の発表の前に、報道するからスクープらなるんだ! いちいち待ってどうする』
「峰山と繁華街近くの事は知っています。その場にいましたから」
『でかした! すぐに写真を送れ! 局長賞ものだ!』
弾んだ声が聞こえてくる。反対に客間の空気は、より一層冷たいものに変わっていた。
ああ、そうか。と優香は思った。
真実を報道する事が正義ではない。真実をどう報道するかが正義なんだ。自分の思い違いに、優香は気がつく。自分の信じていた正義が、どういう意味だったのかと言う事に。
気がつけば、優香は笑っていた。
正義は人の数だけある。何を正義とするのか、その人しだいだ。信じていた事が崩れ去った時、人は自棄になって、とんでもない事をしでかす。
しかし、優香はあっさりと、実にあっさりと信じていた物を捨て去っていた。目の前の美緒達の味方に付く事に決める。
「これから病院に行く所なんです。今、二時ですから……そうですね。六時ぐらいになります」
『バカ者! そんな事よりも、こっちの方が大事だ! さっさと写真を送れ!』
「無理です。ケガ人がいるんです。ほっぽいては行けません」
『周りに人がいるだろう。そいつ等に任せれば良い事だ!』
「自分の男なのに? できませんよ、そんな事は」
『おまえ、男とスクープと、どっちが大事だ!』
「決まっているじゃないですか、男です」
そう言って優香は、スマートホンを切って、電源まで落とした。
「まったく。人をバカにして」
「おい、優香」
「なに」
顔を上げた優香は、呆れたような顔が並んでいるのを眼にする。
「いいのか?」
「いいのよ。この年になって、もう一度同じ事を経験するとは、思ってもいなかったわ。あんたの責いよ、悠馬」
優香に睨みつけられた悠馬が、不思議そうな顔になった。
「俺の責いなのか?」
「そうよ。責任取ってとは言わないわ。そんな時間はないし、私にもやらないといけない事があるから。で」
優香は美緒を見る。
「一緒に来て。どう公表するかを相談しましょう。男供は邪魔なだけだし、時間を無駄にしたくないわ」
「ええ、そうね。二時間ほどで仕上げましょう。それなら大丈夫よね」
「ありがとう」
美緒と優香は連れ立って、客間を出て行った。
やれやれと首を振ったのは悠馬である。そして、長谷川を見て言う。
「ワルイが、病院まで連れて行ってくれ。美沙の腕を信用しないわけじゃないが、念のためにな」
「ああ、わかった」
「あっ、じゃ、俺も帰ります。ブルムヘルムに寄って行きますよ。バイクでコケて、怪我をしたと、香織ちゃんに言ときます」
「そうだな。入院するようだったら連絡する」
悠馬と長谷川、そして四郎も客間から出て行った。残った二人は、どちらからともなく、ため息をついてしまう。
「やりにくくなるな……」
「遅かれ早かれ判る事だ。仕方がない」
「そうは言うが、異形が出ればマスコミも出てくるぞ」
「大丈夫だろ。そのあたりは、警察が何とかするさ」
「それでも警察の目を盗んで、近付く奴が出てくる」
「自分の命と引き変えにするのなら、俺達が気にする事じゃない。ところで、あの二人はどうした?」
翔が誰の事を言っているのか美沙はすぐに気がついた。
「消えた……」
「消えた?」
「ああ。二日前の退魔行の最中に崖から落ちたが、見つかっていない」
「死んだのか?」
「わからない。死体が見つからなかった。消えたとしか言いようが無いんだ」
「そうか……」
「それでもな……」
再び、ため息をついた美沙が、首を振って立ち上がった。
「ちょっと、待ってろ」
そう言って客間を出て行く。翔は、ソファーに深く身体を沈めてしまった。
(炎に風……か……)
内なる二つの声。だが、それだけではないような気がしている。
小説などに出てくるのは、二つではなく四つだった。あと二つ。それが何であるか予想は出来るが、それを引き出せるかはわからない。風の力も自分で引き出した、異形の力ではない事は理解していた。
「どうした?」
物思いに耽っていた翔は、美沙が戻ってきた事に気が付かなかった。顔を上げた翔に、お盆を持っている美沙が写る。
「それ。まさか、あれじゃないだろうな」
「コーヒーだが?」
安心した翔だったが、首を傾げてしまった。
「おまえが淹れたのか?」
「わたしでも、コーヒーぐらいは淹れられる」
少し憮然とした美沙である。翔の前にコーヒーを置くと、向かい側に腰を降ろした。
「さっき、色が変わった。紅から白銀に」
「そうなのか? 自分じゃ、分からなかったが?」
カップを持ち上げながら、翔は美沙に答えている。
「まあ、自分の身体を見下ろしたわけじゃないから、気がつかなかったのだろう。白銀の異形に変貌した途端、白い異形と同速になって、眼で追う事がやっとだった」
「なるほどな。だから、白い異形がはっきりと見えたんだ」
「それはそうだな。同速で動けるなら、はっきりと見えるだろう。それにしても……」
「それにしても?」
「紅の異形は力で、白銀の異形は速度か。つくづくおまえは変わった奴だな」
半分、呆れているような言い方の美沙に、翔は苦笑が洩れる。
「あと必要なものは何だ?」
「必要なものとは?」
意味が判らないように、美沙は首を傾げて聞き返した。
翔は試すつもりで言う。
「力と速度。あとは何がある?」
「力と速度……あとは……耐久か? それとも器用さか? ああ、知力と言うものもあるな」
異形の力に知力は、さすがにないだろうと、思った翔は笑っていた。
「何がおかしい。聞いたのはおまえだぞ」
「ああ、そうだな。聞いたのは俺だ。しかし、おまえも面白い奴だな」
何とも嫌そうな顔になる美沙である。
「前から聞いているが、わたしのどこが面白いんだ」
これには笑うだけで、翔は答えなかった。
「ところで。おまえは、わたしをいつまで、紫村と呼ぶんだ」
「?」
意味が判らずに翔が首をかしげる。
「そろそろ、名前で呼んで欲しいのだがな」
「紫村は紫村だろ」
「わたしが、名前で呼んでもらいたいんだ」
力を込めて言う美沙。おまけに、とてもニッコリとした笑顔つきである。
ゴクリとコーヒーを飲み込んで、翔は反射的に頷いていた。




