34話 風
「悠馬、大丈夫なの?」
心配そうな優香に、悠馬は苦笑してしまう。
「強がりだったか……な」
「無茶は止めてくださいよ」
ホッとしたように四郎は、肩を落として悠馬を見ていた。
「ワルかったな。だが……」
「北川!」
鋭い長谷川の声に、悠馬が振り返る。
「何か変だ。芳賀の動きがおかしい」
「なに?」
「ここぞぞぞうううう、おおおままままえ――がぁあああああ―――」
妙に間延びした声が悠馬達の耳に届いた。
異変は突然だった。
それまで、紫村の武を用いて紅の異形と、攻防を繰り返していた白い異形が、上体を揺らし、不規則な動きを始める。はっきりと話していた言葉が、間延びするようになった。
「いいいななぁああああ―――」
突然、声が途切れる。
「何だ?」
「長谷川!」
首を傾げる悠馬に、美沙の叫ぶ声が聞こえた。
声の質に、長谷川はほとんど反射的に、対戦車ライフルのトリガーを引き絞っている。
銃声と同時に、白い異形の姿が消えた。そして、次の瞬間には紅の異形が、突き飛ばされたように、前に飛んでいく。
美沙が棒立ちになったのは一瞬だけ、それでも白い異形の影は視界の隅に映った。
「くそ!」
歯噛みした美沙は、一度、美緒たちの元まで後退する事にした。
その間にも、紅の異形は右に左に、前後にと弾き飛ばされて地を転がる。
「ぐっ……」
いるのも来るのも判った。ただ身体の動きが追いついていけないだけ。
あっちこっちに、転がる紅の異形を美緒達は、ただ見ているしか出来なかった。
「この前より早くない?」
呆れたような優香に、唇を噛み締めて見るしかない悠馬である。
「これでは、射撃は無理だ」
スコープを覗く長谷川の言葉だった。
「眼で追うのがやっとだ。ついていけないぞ」
悔しそうなのは、戻ってきた美沙だった。
「美沙、判るの?」
恐る恐るといった感じで美緒は美沙を見てしまう。
「動きはな。何とか追える。だが、それだけだ。それでは意味はない」
美沙は焦りを感じていた。
自宅の庭とはいえ、白い異形が飛び回るには、十分な広さがある。速度のある異形相手に、速度の活かせない地形に、おびき出す方が有利である事を知っていた。が、この近辺には、屋内戦に持ち込めるだけの場所がない。
現時点で、一番効果の有りそうなのは、長谷川の対戦車ライフルだけだった。
「長谷川さん。白い奴を眼で追えないか?」
「追う事は何とかできるが……」
「なら、追って射撃を……」
「無茶を言うな。精密射撃は、スコープを覗かないと当らない。スコープを覗くなら、眼で追うことは無理だ」
立ち上がって長谷川は美沙を見る。
転がる紅の異形に眼を戻して、美沙は何か方法はないのかと考えていた。知らず知らずのうちに、光刃を握る手に力が入っている。
弾かれながらも紅の異形は、防御をして受けるダメージを最小限に抑えていた。そして、このままではジリ貧になる事も判っている。
(くそ! 同速で動けなければ、なんともしようがない。このままでは攻撃おろか、防御もままならなくなる。防御を固めてカウンターを狙うか……いや……待つのは嫌だ……)
どうすると悩む翔に、内なる声が響いた。
《我を呼べ》
炎と言った声とは違う柔らかい声。
(おまえは……)
《我は風》
(風……だと)
信じられない思いだった。だが、その声も確かに、自分の内にある事を感じる。
《我は要らぬか》
躊躇する必要はどこにもなかった。一度受け入れた『炎』と言う異形の力、二つ目が現れたからといって拒否する理由にはならない。
だから、翔は願った。
(風、力を貸せ)
突然、紅の異形の周りに風が渦巻く。
「なんだ?」
見ていた美沙が目を細めた。
白い異形が、渦巻く風に弾かれ、姿を鮮明に見せる。警戒したように、動きを止めた白い異形に、長谷川の銃撃が飛んだ。
一歩、二歩と白い異形が後退する。
その間に、紅の異形の周りに渦巻いていた風が、紅の異形を包み込み、風が白銀の光となって纏わりついていった。
「あれは……」
その変貌を眼にした美沙は驚いてしまう。
翔が初めて紅の異形に変貌した時と、同じ事が起きていると感じた。
そして、紅の異形は白銀の異形へと変貌する。
「やっぱり、色が変わるのか……」
細部は違うが、基本的なシルエットは、紅の異形も白銀の異形も変わらない事が見て取れた。
「どうして……なにが……」
呆然としたような声が美緒の口から出てくる。
なにがどうなったかは、美沙にも判らないが、翔が新たな力を得た事は理解した。微笑が浮かんでくるのが自分でも判った。
「まったく、翔は変な奴だ」
それで済ませるのか。そんな顔をする四郎だった。
悠馬と優香は苦笑するしかない。美沙の性格を少しだけ判っていたからだった。
白銀の異形は白い異形を認めると、その姿が霞んで消える。同時に白い異形の姿も霞んで消えた。
瞬間、手前の地面が爆ぜる。と思った時には、一〇メートル先の樹木が破砕した。
その度に、白銀の異形か白い異形のどちらかが、一瞬だけ姿を見せている。二体の異形の動きは、人の眼に追いつけないほど高速になっていた。
あまりにも桁外れな戦いに、美沙がため息をついてしまう。
「これでは、援護も何も無いな……さて、どうするか……」
「どうするかって……おまえ、なにを考えている?」
四郎は、美沙の呟きを聞き取って、呆れそうになった。
「援護の方法だ」
「援護?」
「翔だけに任せておくのは、負い目を感じるからな。人の身の辛いところだ」
「そういう問題じゃないだろう。あんな速度に、人が対応できるわけがない!」
それは、その場の美沙以外の者の代弁である。ところが、美沙は首を振って振り返った。
その瞳が輝き始め、口元には笑みさえ浮かんでくる。
「なぜ、簡単に諦める? 翔なら諦めない。何か手はあるはずだ。わたしが諦めたら、翔の戦いは孤独になる。それは嫌だ。わたしは、翔とともに戦いたい。いつでも、どんな時でも」
「キミの考えはわかった」
長谷川が、対戦車ライフルを片手に美沙に近づいた。
「だが、どう援護する? あの速度では射撃は無理だ。仮に射撃をしたとしても、まったく当らないか、桂木君に当るかどちらかになる」
「そんな運任せはだめだ」
「当たり前だ。私もそんなギャンブルをやる気はない。白い異形が来る場所がわかれば、何とかなる。いや、何とかできる」
断言する長谷川に、悠馬が問いかけた。
「それは、つまり狙点。白い異形が来る場所がわかれば、翔には当らないんだな」
「これでも射撃には自信がある。あまり見くびらないでくれ」
「狙点か……」
悠馬は翔が戦っているらしい所を、眼で追いながら考える。
(奴が絶対に通る所……それは、どこだ……通る……?……違う。作ればいいんだ。奴が向かってくる場所を……それは…点)
乾いた笑いが悠馬の顔に浮かんだ。
「長谷川……」
悠馬は静かな声で呼ぶ。
「俺の眼の前が狙点だ」
「なに?」
「いいな。全ては一瞬だ」
言うなり歩き始めた悠馬の腕を、長谷川はつかんでいた。
「なにを……やるつもりだ」
「わかっていないのか?」
振り返った悠馬に、長谷川は首を振っている。悠馬が思いついた事は、長谷川も思いついていた。だから、首を振っていたのである。
「私がやる事だ」
「接近戦は俺の領分、射撃戦はおまえの領分。白い異形にダメージを与えられるとしたら、おまえの対戦車ライフルだけだ。だから、これは俺の役目だ」
「死ぬぞ」
「それがどうした」
その言葉が虚勢である事は、長谷川にも判っていた。それでも、長谷川は悠馬の腕を放せない。
「だが……」
「死ぬつもりはない。だが無傷とはいかないだろう」
「判っていても、か?」
「気力が萎える事を言うんじゃねえ。まあ、手足の一本や二本ぐらいは、な……」
引きつった笑いが悠馬の顔に浮かんでいた。その顔を見た時、長谷川は手を離すしかなくなる。長谷川の顔も引きつっていた。
悠馬と長谷川が、何をしようとしているのか、理解した美沙達が驚く。
「わたしが行くべきじゃないのか」
「キミでは意味が無い。私か北川でないと奴は無視をする」
「翔と戦う合間に、俺を潰すのはわけないからな」
「やめて! 死に行くようなものだわ!」
悲鳴じみた声を美緒が上げた。その隣の優香は真剣な目で悠馬を見ている。
「悠馬……」
「優香も止めて!」
美緒が優香の腕を取っていた。ため息をついた優香は悠馬に言う。
「とりあえず、生き残りなさい。手足の一本や二本は無くなってもいいから」
「優香!」
美緒は非難めいた声を上げていた。
「止めないのか?」
少し驚いた顔の悠馬に、優香は首を振る。
「前は止めなくて、取り返しのつかない事をしたわ。でも、今は止める方が取り返しがつかなくなる気がするの。あの時とは、逆のような感じがするわ」
そして、再び優香はため息をついていた。
「本当は止めたいけどね」
悠馬は微笑んでしまう。
「しばらく見ない内に、いい女になったな」
「あんたもいい男になったわよ。だから、生き残りなさい」
「ああ。そう簡単には死ぬ気はないからな。長谷川」
ああと答えて長谷川は、美緒を振り返っていた。
「S弾を渡してください」
「テストもしていないのよ」
「構いません。今、やれば良い事です」
それでも渋る美緒に、長谷川は手を差し出して言う。
「北川を死なせないためです」
「二発よ」
美緒がポケットからケースを取り出して長谷川に渡した。
「十分です。必要なのは一発だけです。失敗すれば、それで終わり」
ケースから一発だけS弾を取り出して、対戦車ライフルに装填すると、長谷川は悠馬に頷いて片膝立ちになる。
「いつでも」
実剣を担いだ悠馬が歩き出した。その背に、優香はそっと呟く。
「行ってらっしゃい、悠馬」
聞こえない呟きを、聞き止めてしまった美沙が動きかける。
「キミの出る幕ではない」
高揚もなく静かな声で、長谷川が美沙の動きを封じ込めた。
肩に実剣を担いだまま悠馬は、翔が戦っていると思える辺りまで来ると、視界に動く影が見える。
影を追うことはせずに、実剣を構えながら静かに眼を閉じた。 周りでは破砕音が弾け、ジャリが飛んでくる。それを気にした風でもなく、悠馬は呼吸を整えた。
(音に惑わされるな。集中しろ。流れを感じるんだ、俺に必要なのは……)
正眼に構えていた実剣が、ゆるりと動く。
(剣道じゃない……相手を打倒す剣技だ……)
左半身の構えに身体が開いて行き、腰が少し落ちた。実剣が肩の高さまで持ち上がる。
(振り払う必要はない。電光石火の突き……この一撃に集中しろ……)
剣道ではなく剣技と呼ばれる技を、悠馬がものにした瞬間だった。
長谷川も対戦車ライフルを、構えたままピクリと動かずに、悠馬の後姿を見ている。
悠馬が動く時、どう動くのかが手に取るように分かった。いや、見えたと感じる。
その動きの隙間から、銃撃をおこなうと決めた。弾丸が悠馬の身体に沿って、通り抜けて行く事になるが、長谷川は悠馬に当る事はないと確信が持てる。
二人の後姿は、近寄りがたい空気を纏っていた。見ていた美沙は、思わず感嘆の呟きをもらす。
「凄い。なんて男達だ」
「よく見てなさい。本気の男の強さを」
優香は、誇らしげの声になっていた。その声に美沙が、優香を見上げて息を呑む。
口元がわずかに綻んでいた。この状況で微笑むことなど、出来るものではない。現に、姉の美緒は蒼い顔のまま、口元を引き締めていた。
悠馬と長谷川の動きは、白銀の異形にも見えている。
(何をするつもりです。悠馬さん……)
白い異形の動きをカウンターで、止めようしていると思ってもいない白銀の異形は、二人を視界に収めたまま、白い異形と渡り合っていた。
白い異形が、二人に気がついて軌道を変える。
(くそ。させてたまるか)
白銀の異形も軌道を変えた。
来る。感じた瞬間、悠馬と長谷川は同時に動いていた。
「せぇぃや――!」
悠馬の烈魄の声と銃声が同時に聞こえる。
銃弾が飛翔していくのが、白銀の異形に見えた。射線上には白い異形がいる。白い異形が、銃弾を避けようともしない事に、白銀の異形は焦りを感じていた。そのまま吹き飛ばす気なのはよく判っている。
そうはさせないと、白銀の異形も行動していたのだが、それでも一瞬だけ遅れているのが分かってしまった。
(まにあえ――)
銃弾と実剣が、同時に白い異形に迫る。わずかな差ながら銃弾の方が、実剣よりも早く白い異形と接触した。実剣が銃弾に、吸い寄せられるように軌道を変える。
それは、正確に銃弾が命中した箇所に向かった。
この間、ほんの一瞬の事。
過ぎてしまえば、白い異形が右胸に、実剣を突き差したまま立っており、白銀の異形が、その前に立っていた。
悠馬は、二体の異形の風圧で吹き飛ばされて、五メートルほど横で倒れている。
「北川!」
長谷川が対戦車ライフルを、投げ捨てて駆け出した。一泊遅れて美緒達も、駆け出している。
「北川さん!」
「悠馬!」
その声に悠馬は、左手を挙げて答えた。
「右腕一本とは、ありがたいな……」
そんな呟きを、悠馬は漏らしている。
「大丈夫か?」
長谷川が問いかけとともに、右手を差し出していた。その手を取って悠馬は立ち上がる。
「よく判ったな。あのタイミングが」
「動くと感じたら、撃っていた。ほとんど無意識だった。私は引き金を引いた覚えがない」
「悠馬、あんた……」
悠馬の右腕を見た優香が、言葉を飲み込んでいた。
「おう。とりあえず、生き残ったぞ」
笑みを浮かべる悠馬に、優香は大きく息を吐き出してしまう。
「これですんだのは、幸運すぎかな」
「痛くないかですか?」
恐る恐る聞いたのは四郎だった。途端に、悠馬は顔をしかめる。
「言うな。痛くなる」
「奴は?」
悠馬の傷が、たいした事はないと見て取った美沙が、白い異形を振り返った。そこに、人の姿に戻った翔がいる。
白い異形の姿が、潮が引くように消えて人の姿が現れた。信じられないような顔で、自分の右胸を貫いている実剣を見る。
「……なぜだ……なぜ……」
「言っただろ。おまえには負けないと」
悠馬が、芳賀の呟き聞き止めて近付いた。
「人が……どうして……この力は……」
「おまえが弱いからだ」
「それさえ、理解できないだろう」
悠馬と長谷川は、芳賀を哀れむような瞳を向けている。
「ばか……な……」
何を言われているか、理解できない顔で、首を振りながら崩れ落ちていった。
「バカヤロウが……」
悠馬は、やりきれない思いとともに呟く。
それは長谷川にしか聞こえなかったが、その言葉に滲む苦々しさは理解できた。自分も同じ思いを抱いていたからである。
振り向いた悠馬と長谷川に、何とも言えない顔をした美緒達が映った。
「どうして…」
美緒はそれだけしか言えない。その美緒に悠馬と長谷川は、ゆっくりと首を振っただけで何も言わなかった。
「姉さん……」
芳賀を見下ろしていた美沙が、顔を上げて美緒を見る。
「二人には分かっているんだ」
「何を?」
「芳賀が弱かった事。弱くなければ、立場は逆になっていた事」
「どうして? 芳賀君は紫村の者の中でも、あなたに次ぐ実力はあったはずよ」
美緒の答えを聞いた優香が、美緒の肩に手を置いて、首を振っていた。
「そうじゃないのよ、美緒」
かつて自分も、同じ間違いをした事がある。それが悠馬と別れた理由の一つだった。だから、優香にも分かる。
「悠馬も長谷川さんも、武器や力が強さとは思ってはいないわ。ただの手段と思っているはずよ」
そして、優香は翔を振り返って聞いていた。
「後輩君も、異形の力は手段と思っているのでしょ」
「その通りです。こんな力がなくても、人は強いはずです」
驚きを隠して翔は答える。なぜか、悠馬と話す時のようになってしまっていた。
「おまえなら、そう言うと思った」
ニッコリと、笑顔を浮かべて美沙は翔を見る。
「だから、おまえは強いんだ」
「強いか……」
「自信を持て、わたしが保証する」
美沙の言葉に、翔は苦笑していた。
「とりあえず、長谷川さんに後を任せるわ。みんなは家にきて」
いつまでも、こうしていても意味はない。事後処理を始めなければならないし、外の警察も、いつまでも封鎖状態に、しておくわけには行かないからだ。美緒の言葉で、長谷川は北川へ連絡を取る。翔達は美沙に連れられて、家の中へ入っていった。
悠馬の手当ては応急的ではあるが、紫村の家でも出来るし、必要な物はそろっている。




