32話 白い異形2
そこに着いた時、美沙は歯噛みをしてしまう。また、異形同士が戦っていた。片方は昨日の白い異形、もう片方は焦げ茶の体毛を持つ獣に似た異形だった。そして、場所は繁華街を少しだけ外れた人通りの多い交差点だった。
初めは映画の撮影だと思ったのだろう。不用意に近付いた者は命を失い骸となって路面に転がっていた。乗用車の何台もひしゃげている。慌てて逃げ出した人達の物が、路面のあっちこっちに散らばっていた。
すでに辺りは散々たる有様だったが、遠巻きに危険が及ばないような距離を空けて野次馬が大勢いた。警察の封鎖は完成していなく、このまま出て行くわけには行かなくなっていた。
動きかけた翔を美沙が止める。
「だめだ。まだ行くな」
「なぜ?」
「姉さん達を待つ。幸い人の被害は、これ以上広がらないようだからな」
「…………」
「少しぐらいは待て」
先に着いたのは悠馬と四郎の二人。少し送れて長谷川と美緒と優香の三人が現れた。
「また、なの」
思わずといったように美緒が呟いた。その間に、長谷川は二十ミリ対戦車ライフルを取り出して射撃の準備をはじめ、優香はカメラとビデオの準備を始めていた。
白い異形の動きを追っていた美沙は確信してしまう。それは信じがたがったが、認めないわけにはいかない事だった。無意識の内に両手の拳を握り込んでいた。
同じように白い異形の動きを追っていた美緒が首を傾げている。
「あれ?」
「どうしたの、美緒」
聞いたのは優香だった。
「白い異形なんだけど、あの動きは見た事があるような……ねぇ、美沙は?」
「ある」
姉の言葉に美沙は頷く。
「あれは……紫村の武術だ」
短く断言した美沙に、翔以外の者が顔を向けてきた。驚いたように長谷川は聞いていた。
「紫村の……では、味方か?」
「いや、それは判らない」
美沙は首を振っていた。
「敵だ」
真っ直ぐに異形同士の戦いを見ていた翔が断言する。
「敵?」
「ああ。異形は破滅のちからだ。こんなものは無い方が良い」
「すると、おまえも敵か?」
美沙が翔を見上げていた。その瞳に輝きが宿り始めた。
「そうだ。俺も倒すべき敵だ」
翔が答えた瞬間、光刃が翔の喉下に突きつけられている。
「俺が、人で無くなった時……」
ゆっくりと翔は美沙の瞳を覗くように見る。
「……おまえが俺を討てばいい……」
美沙の顔に笑みが浮かび、光刃を離しながら言う。
「そうしよう」
同じような笑みが翔の顔に浮かんだ。そして、一瞬だけ身体が沈んで消えた。
紅の異形の咆哮が響き渡る。
「美沙!」
声に振り返った美沙だった。呼んでいたのは優香である。美沙に近付いて、手に持つ深紅の帯を顔に巻きつけた。
「なにを」
「素のまま行くんじゃない。少しぐらいは顔を隠す事。彼は判らないけど、美沙が誰かと判るのは止めた方がいいわ。マスコミを甘く見ない事よ」
言いながら優香は、美沙の顔の下半分を隠すように深紅の帯を巻き止めていた。そして、笑顔で言う。
「独占インタビューは、私がするんだからね」
美沙は優香を睨みつけていたが、優香はどこ吹く風と気にしたふうでもない。
「さあ、いいわ。行きなさい」
その言葉とともに、美沙は振り返っていた。
「長谷川さん。白い奴を牽制してくれ。北川さん!」
美沙は左手に持っていた一メートル程の棒状の物を悠馬に投げ渡す。
「ヴァンジェラ実剣だ。術で強化してある」
言い捨てて美沙は、焦げ茶の異形へと駆け出した。
「って、おい!」
その背に悠馬は問い掛けるが、答えは返ってはこない。この時、悠馬も長谷川も気がつかなかった。紫堂ライと紫倉アキトの二人がいない事に。
「これで、どうしろと?」
手にした実剣を見ながら、悠馬は途方に暮れたように呟いてしまった。
「んじゃ。乗ってください」
答えが返ってくるとは思わなかった悠馬は、思わず振り向いてしまった。そこに、バイクを寄せてきた四郎の姿があった。
「やっぱり、そういう事か……」
溜め息を付いてしまった悠馬だった。
「ずいぶんと見込まれたものですね、俺達……」
諦めの滲んでいる四郎の声である。
「命懸けの野次馬……言ってしまったからな」
四郎のバイクの後ろにまたがった悠馬は、長谷川を見て実剣を掲げて見せた。
「援護、よろしく」
「おい、ちょっと待て!」
長谷川の静止を無視して四郎のバイクは、美沙の後を追って焦げ茶の異形の元に向かって行った。すでに美沙と焦げ茶の異形の戦いは始まっている。
「ああ、もう。くそバカが!」
悪態をついて長谷川は、美沙達を援護すべく片膝を着いて射撃姿勢を取り、二〇身の対戦車ライフルのスコープを覗き込んだ。
動きを止める事が先。そして、接近させないようにする。接近戦をする者が動きやすいように援護する事。一対一の状況を作り出す事が大事だ。それは、射撃戦をする自分のやる事。長谷川は自分の役目を正確に理解していた。
白い異形は紅の異形と対峙したまま動きを止めている。ならば、焦げ茶の異形を先に倒す方がいい。そう考えた長谷川は、照準を焦げ茶の異形に合わせる。
長谷川の正確な射撃は、確実に焦げ茶の異形の足を止めた。そこに光刃が薙いで来る。半身をずらして光刃をかわした焦げ茶の異形は、そのまま回し蹴りを繰り出してきた。受け止めようと美沙が光刃を立てにする。が、受け止めたのは、悠馬の実剣だった。
「へー、折れないんだ」
折れる事も曲がる事もなかった実剣に、悠馬は感心したような呟きを漏らす。だが、悠馬は気が付いてはいなかった。自分の受けた衝撃で弾き飛ばされなかった事に、手に残る感覚が大したものではなかった事に、それを不思議に思わなかった自分だった事に。
そして、四郎のバイクが突撃してきた。焦げ茶の異形の腹に後輪をぶつけると、アクセルを開ける。唸りを上げてエンジンが咆哮し、焦げ茶の異形の体勢がわずかに崩れた。
好機を見逃す美沙ではない。光刃で焦げ茶の異形の軸足を払い、焦げ茶の異形の片足を浮かせた。さらに体勢を崩した焦げ茶の異形に、今度は長谷川の銃撃が飛んでくる。
銃弾が焦げ茶の異形の頭部に当たり、のけぞりが大きくなった時、悠馬の鋭い突きが焦げ茶の異形の喉元に突き刺さった。
完全に体勢を崩した焦げ茶の異形が大地に転がると、三人は大きく飛び下がって間合いを開ける。
一撃離脱。三人はそれを理解している。足止めをして翔に、紅の異形に決定打を撃たせるための好機を作る事。それが人の身である者の役目。
「小僧。邪魔をするな」
「なっ……」
白い異形が、言葉を話したことに驚いた。それ以上に、言った言葉の内容が、翔に衝撃を与える。
「シロートは、引っ込んでいろ」
強気の言葉を吐く白い異形に、紅の異形は対峙していた。
「あんた、わかっているのか」
白い異形の物言いに、いやでも一人の男を思い出してしまう。
「小僧、わかっていない。おまえの戦い方は無様だ。本物の戦い方を見せてやろう」
言った途端に、白い異形の姿が霞んで消えた。
「なっ……」
瞬間的に振り返った紅の異形に、焦げ茶の異形が吹き飛ぶのが見える。
美沙達が、棒立ちになってしまった。
「何が……」
地面に叩きつけられた焦げ茶の異形の上に、白い異形が降ってくる。その衝撃で、焦げ茶の異形は、さらに地面にめり込んだ。
起き上がった焦げ茶の異形が、白い異形に蹴り上げられて空に浮く。地面に落ちる前に、白い異形はさらに高みから、蹴りを焦げ茶の異形に落とした。
アスファルトが飛び散り、地面に三メートルほどの穴が開く。穴のふちで白い異形が、哄笑を上げながら美沙達を振り返った。
「小僧は要らない。俺がいるからな」
言い放つ白い異形に、三人は凍りついたように動きを止めている。紅の異形が、ゆっくりと三人の前に出た。
「おまえは弱い」
言い捨てて、白い異形の姿が消える。
「喋ったのか……異形が……」
呆然としたように、悠馬は呟いていた。
「あれは……やはり、紫村の武だ……」
唇を噛み締める美沙である。バイクに跨ったまま四郎は、呆気にとられて何も言えなかった。
そして、美緒達も互いに顔を見合わせている。途中から、紅の異形や美沙達の動きがおかしくなった事に、彼らは一様にいぶかしんでいた。
ほどなく、四人が引き上げてくる。穴の中は、見なくても判っていた。そして、周りから野次馬がいなくなっている。いつの間にか、警察による封鎖が出来上がっていたのに、気がついた。
長谷川は、対戦車ライフルを降ろし、携帯を取り出して北川に連絡を入れていた。
事後処理をするためであったが、ため息が出そうになるのを、止められなかった。そんな長谷川を気にすることもなく、北川が陣頭に立って事後処理を始めるのを、電話で聞いてしまう。
美緒達の元に戻って来た、四人の顔付きは変わっていた。翔は無表情に、美沙は唇を噛み締め、怒りを押さえ込んでいるように見える。悠馬と四郎に至っては、呆れたような顔をしていた。
「何があったの?」
翔も美沙も答えない。優香は、あっさりと問いかける相手を替えた。
「悠馬!」
「白い奴は、言葉を話した」
「えっ?」
「今までの奴は、耳障りな音を出していたが白い奴は違った。自分の意思で、自分の考えを話した」
「まさか……」
信じられないような顔の優香に、悠馬は首を振ってしまう。
「おまえが言ったんだ。人が異形に変貌するんじゃない。人が異形の姿を纏うんだと。それなら、言葉を話しても不思議じゃない」
「それにしても……」
「優香。異形の姿になっても、言葉を話す奴もいる。その事を俺達は忘れていた。あまりにも身近すぎてな」
そう言って、悠馬は翔を見た。そして、少し首を傾げてしまう。
「そうね。後輩君は、紅の異形の姿になっても、話していたわね」
「そうだ。翔だけが特別。そう言う事ではないだろう」
悠馬と優香が話している間も、翔と美沙の歩みは止まらなかった。二人とも、無言である。それを不審に思った長谷川が声をかけた。
「桂木君、美沙君。どこに行くんだ」
何も答えずに翔が、停めてあったバイクに跨る。当然のように、美沙がその後ろに乗っていた。
「待て! 二人とも!」
何か変だと感じた長谷川が二人を止める。そろって顔を向けた翔と美沙に、思わず身を引いてしまった。
「四郎! 翔を止めろ!」
悠馬が叫ぶ。反射的に四郎は、バイクを発進させて、翔のバイクの前に横付けた。そして、悠馬を振り返っている。
「何をするつもりだ?」
翔は無言で、悠馬を見ているだけだった。答えたのは、美沙である。
「翔に家まで送ってもらうの。寄り道するから、遅くなっても心配しないで」
そう言いながら、美沙は翔の背にもたれかかった。
ギョッとした美緒である。長谷川は呆気に取られ、悠馬と優香は、ゆっくりと二人に近付いた。四郎はため息をついて、そっぽを向いしまう。
「四郎!」
叱咤の声が四郎の耳に届いた。顔を戻した四郎に悠馬が叫んでいる。
「行かせるな! 白い奴が、何者か知っている!」
思わず四郎が二人を見た。二人の態度とは裏腹に、危険な気配が二人を包み込んでいる。
「おまえら、なにをするつもりだ」
「チッ」
美沙の舌打ちが聞こえた。
「なぜ、判る?」
「判らないとでも思っているの?」
傍まで近づいた優香が、固い顔のまま聞き返している。同意したのは悠馬だった。
「短い付き合いでも、そのくらいはわかる」
「だから、なぜだ?」
「気がついていないの?」
少し呆れた声になに優香である。
「美沙の言葉遣いよ」
「言葉遣い?」
「そう、似合わない言葉遣いをする時は、不機嫌な時だけ。だから、美沙が変な言葉遣いをしたから判った」
ため息が翔の口から出た。
「スマホを持ってきた時の事を憶えているか?」
「ああ」
「あの時と一緒の言葉遣いだったからな」
「そうだったか?」
「おまえは、不機嫌だと言葉遣いが女になる」
「そうなのか?」
頷いた美沙が憮然となる。
「ちょっと待て、わたしは女だ」
「おまえの言葉遣いは、俺や四郎と同じだ。普段はな」
「翔。説明しろ。おまえ達だけで、何をする気だった」
固い顔のまま悠馬は、翔を問いつめた。か、答えたのは、またも美沙である。
「白い異形は、紫村の者に間違いない。一族の始末は、わたしがつける」
「異形相手にか?」
「異形相手でもだ」
「無茶な事を言うな」
「そうでもない。白い異形が紫村の者なら、わたしは動きがわかる。それに、奴は翔を弱いと言った。思い違いを判らせないといけない。翔は、弱くない」
「そんな事はどうでもいい。紫村の者に、異形となる者がいるのなら……」
「どうでも良くないぞ」
途端に、美沙が翔に言った。
「おまえを、弱いと言うような奴は、叩きのめす」
「紫村。俺は強くはない。強ければ、あいつも瑞紀も死なずにすんだ」
「翔。おまえは、その強さを求めているのか?」
少し辛そうな顔になる悠馬と、同じような顔になっている優香である。
「いいえ。俺は弱いままです。力が強さでも、思いが強さでもない。その事を俺に教えてくれた人達がいます。だから、俺は弱いままでも、いいと思っています」
それを聞いた悠馬の顔が、少し安心したように変わった。
「その通りだ、翔」
「悠馬。やっぱり、あんたは昔の自分を見ているようだったわけね」
「俺も、ここまでとは思っていなかった」
「わたしは納得しないぞ」
憮然とする美沙に、翔は苦笑する。そこに、口を挟んだ長谷川だった。
「紫村家の一帯を封鎖するように頼んだ。それでいいんだな、美沙君」
「手数をかけました」
軽く長谷川に頭を下げた美沙は、翔の頭を軽く叩く。
「おまえは弱くない。わたしは知っているからな」
「好きにしろ」
美沙に答えて翔は、美緒を振り返った。
「芳賀を呼び出してくれませんか」
「芳賀君を?」
「ええ。出来れば、他の者はいない方がいい」
「その芳賀と言うのが、白い奴か?」
翔に聞き返したのは、悠馬だった。
「間違いないと思います。あの物言いは、紫村の者の中では、あの男しかいません」
「だったら、味方に出来るわ」
そう言ったのは、美緒である。対して、翔の言葉は冷たかった。
「無駄です、美緒さん」
「どうして?」
「異形は、俺を含めて全て倒すべき敵です」
「ましてや、思い違いしている者など最低だ。そんな奴は必要ない」
切り捨てる翔と美沙に、美緒の顔がポカンとなる。
「行くぞ、翔」
「ああ」
答えた翔は、ヘルメットを被ってバイクを発進させた。それを見送った四郎が、悠馬に顔を向ける。
「どうします?」
「二人だけに、するわけにはいかないだろう。後を追う」
「んじゃ、先に行きます」
「対策すら考えずに、白い異形と対戦するつもりか。あの二人は」
呆れた声を出しながらも、長谷川は対戦車ライフルを担いで、止めてある車に向かった。途中で美緒を振り返って言う。
「美緒さん。案内してください」
「判ったわ」
頷いた美緒が、長谷川の車へと駆けて行った。ため息をついた悠馬が、優香を見る。
「おまえは、どうする?」
「乗っていく?」
「はいよ」
実にあっさりとした優香だった。
「あんたの後輩も難儀だねえ。あんたが放っておけないのが、よく判るわ」
しみじみと言う優香に、思わず悠馬の顔に苦笑が浮かぶ。
「戦う事はできても、それだけだとね……あの娘、後輩君に捨てられるわよ」
「おいおい、前にも言ったがあの二人は、付き合ってはいないぞ」
「えっ?」
車のドアを開けかけた優香が、そのままの格好で止まった。
「異形と戦うけど、恋人同士じゃない」
「うそ……いや、だって……」
「本当だ。本人同志が否定している」
「あれで、付き合っていないと言うの?」
信じられないような優香である。
「じゃあ、料理とかも、後輩君に食べさせた事もない?」
「ああ、その通りだ。そういやぁ、おまえは上手かったな。また、作ってくれるか」
「時間があればね」
「期待しよう」
そう答えていても悠馬は、この異形騒ぎか終わるまでは、無理だろうと思っていた。
事実、その通りになるのだが、それは、もう少し先の事になる。
優香は微笑んでしまった。昔の事なのに、覚えていてくれたのが嬉しく思う。昔よりも、レパートリーも増え、少しは自信も出てきた。いつかまた、悠馬に作って上げられるのなら、それもいいなと思う。




