16話 異形から人へ
紅と黒の異形の戦いは続いていた。
紅の異形の攻撃を黒い異形が受けとめる。すかさず、足を振り上げて身体を廻すが、それさえも止められてしまった。
「チッ」
舌打ちをして紅の異形が一歩離れると、眼の前を黒い異形の足が通過していった。身体を反転させて、今度は一歩踏み込んで肘を黒い異形の背に叩きつける。
ぐらりと前かがみになったところを、左足を軸に右足を振りぬいた。
瞬間、黒い異形は身体を捻って、紅の異形の足を避ける。そのまま黒い異形は、回転させた身体を使って蹴りを放っていた。
咄嗟に、紅の異形は腕を交差させて、黒い異形の蹴りを防ぐ。衝撃で紅の異形は跳ね飛ばされたが、すぐに起き上がって黒い異形へと向かって言った。
紅の異形と黒の異形の攻防は、空手の組み手を思わせる動きになっている。
たった三週間であったが、その効果は確実に現れていた。紅の異形の動きに無駄をなくさせ、最小の動きで最大の効果を発揮させる。
紅の異形は、一点に力を集中させて一気に撃ち込めば、黒い異形を倒せる事は判っていたが、そのキッカケがつかめなかった。
それを撃ち込むためには、一瞬でも黒い異形の動きを止める必要がある。今のまま撃ち込んだとしても、受け止められるか、避けられるかのどちらかになる事は判っていた。
そして、黒い異形の動きを止める事も難しい事も判っている。
(――このままでは前と同じ事になる。逃げられれば意味は無い。どうする? どうやって止める……)
戦いながらも考えていた。黒い異形を一瞬でも止められる武器が欲しかった。
それをもたらしたのは、三台のバイク。
接近するエンジン音に紅の異形は迷った。
誰が?
思った時、黒い影が右側から突っ込んで来る。反射的に紅の異形が飛び離れた。影が通り過ぎた後、銃声とともに黒い異形が後ろに倒れる。
状況がつかめずに紅の異形が棒立ちになった。
「止まるな!」
引きつった怒鳴り声が紅の異形の耳に届く。
振り返った紅の異形の眼に、二人乗りのバイクが映った。ザイバーから覗く眼が少し引き攣っている。後ろにはヴァンジェラを持つ美沙がいた。
(……四郎なのか? なぜ?)
そんな思いが湧き上がる。バイクで突っ込んでくるとは思ってもいなかった。
と、美沙がバイクから降りて紅の異形に駆け寄ってくる。
その間に、四郎の操縦するバイクが走り出して、先に黒い異形に向かった二台のバイクを追って行った。
「やめろ!」
紅の異形が怒鳴る。
「このバカ! 何を考えていた!」
肩をつかまれて引き戻されて怒鳴られた。
「それは、こっちのセリフだ!」
眼を吊り上げる美沙に、紅の異形が怒鳴り返す。
「その姿でもいいが、取り合えず人の姿に戻れ!」
イラついたように美沙が言った。
「何だとぉ?」
戦いの最中に人の姿に戻るのは危険である。まして、紅の異形の姿は黒い異形に対抗するための姿だ。
「おまえをぶん殴る。紅の姿だと手が痛いんだ!」
そんな問題かと思う。
「ふざけるな!」
「時間が無い! さっさとしろ!」
爛々と輝く意志の光を宿し始めた瞳を、紅の異形に見せながら美沙は言った。その瞳を紅の異形は知っている。それは、もう亡くしてしまったと思っていた瞳だった。
(…ラン……瑞紀……)
途端に紅の異形の姿が人の姿に戻る。
「よし!」
美沙は頷くと、宣言通りに翔を殴り飛ばしていた。
「てめぇ!」
怒鳴る翔の胸倉を美沙はつかみ上げる。
「ふざけるな! さっきの言葉はどういう意味だ!」
「てめぇ、こそ! まだ死ぬ気か! 無茶にもほどがあるぞ!」
「おまえが言うな! 全部! 何もかも捨ててしまう気か! 無責任すぎるぞ!」
「むっ、無責任だぁ!」
翔の瞳に怒りが浮かんだ。
恐れを知らぬように、美沙は翔の瞳を覗き込んでいる。
「いいか、よく聞け! おまえはおまえだ。人以外にはなれない。全てを捨てさせる事なんかさせはしない!」
「おまえは!」
「おまえが!」
声が重なる。
「全てを捨てる気でも、そんな事はさせない! わたしが一生関わってやる! いいか、必ず関るからな!」
胸倉をつかみ上げたまま真っ直ぐに言い放つ美沙に、翔は不思議なものを感じていたが、それとこれとは別だ。
「てめぇ、いいかげ……」
翔の言葉が止まる。
正確には、美沙が翔の唇に自分の唇を重ねていた。思わず硬直した翔に美沙は、唇を離して美沙は静かに言う。
「おまえは、他の誰でもない。桂木翔だ」
美沙は翔に背を向けた。
「後は、全部かたずいてからだ。まずは、黒い異形を倒すぞ」
言い捨てた美沙が、ヴァンジェラから光刃を出現させて、黒い異形に向かって駆け出す。
(おまえか? おまえなのか? 俺を生かす者は……)
駆けて行く美沙の背を見つめながら、翔は笑いがこみ上げてくるのを感じた。
(いいだろう。おまえが俺を生かす者なら……)
激しく優しい女だと思う。
(俺の命をくれてやる)
そして、再び紅の異形となった翔が咆哮をあげる。