13話 美緒の考査
「何か判りましたか?」
部屋に入ってくるなり長谷川は聞いていた。
ここ二週間ですっかりお馴染みとなった美緒の執務室である。デスクに片肘を付いた美緒が溜め息をついて首を振っていた。
「何も、と言うほうが早いわね」
「と言うと、少しは何か判ったんですね」
「まあ、まるっきりとは言わないわ」
デスクに放り出していた報告書に目をやって言う。それを手にしようとした長谷川を美緒は止めた。
「見るより言ったほうが早いわ」
美緒は長谷川を見上げる。
「まず、黒い方は生物ではないと言う事。地球上に現存する生物に、これと同様な生き物はいない」
「生物ではない?」
「簡単に言うと、どんな生物にも系統というものがあるわ。爬虫類にしても、昆虫にしても、哺乳類にしても、どこかしら同じ面がある」
「すみません。良く解らないんですが……」
頭をかいて詫びる長谷川に、美緒はハァと溜め息を付いた。
「いい、生物の骨格は同系列だと似ているの。動物は動物の、魚類は魚類の、昆虫は昆虫の、種類は違うけど、似たような外見と骨格を持つ事になる。その事から言うと、この黒い者は外骨格の部類に入るのよ」
「えっと、外骨格と言うのは?」
思わず美緒はこめかみを抑える。
「人間や動物は骨格の外側に身が付いているわよね」
長谷川は頷いた。
「それが内骨格。で、外骨格と言うのは……」
うーんと美緒は天井を見上げてから、長谷川に視線を戻す。
「そうね。解りやすく言うと、カニね」
「カニ?」
両手をチョキにして長谷川は首を傾げた。
「そう。甲羅や硬い外殻に被われた中に身が入っているでしょう」
「ああ、そう言う事ですか」
納得したように頷く長谷川に、美緒は頭痛を覚える。
「で、二足歩行をして、人の姿に近い外骨格の生物は、地球上のどんな生物にも当てはまらない。よって、生物ではありえない訳なのよ」
「地球外生命体ですか?」
やけに瞳を輝かせる長谷川に、美緒は頭痛が酷くなるのを感じた。しかも、そっち系かとまで思ってしまう。
「それはないでしょう。もし、地球外生命体と言うのなら、地球上で活動している方がおかしいわ」
「どうしてです?」
「大気成分、重力、温度、湿度、放射線量、そう言った物がまったく同じと言う事はありえないから。地球と似た星があり、そこから来たと言うのなら、こんな姿にはならないわ」
「良く、解らないんですが……」
「あのね。地球と同じ条件で生物が発生していたら、人類と酷似した生物が活動しているはずなの。大気成分が違ったり、重力が違っていたりすると、人類ではない何かが活動しているはずよ」
「とりあえず、それ、おいときません?」
理解できないらしく長谷川は、両手を揃えて横に動かしていた。溜め息を付くしかない美緒だったが、気を取り直して続ける。
「ようは、人の姿をして二足歩行をする外骨格の生物は、地球上にはいないと言う事。だから、これは生物ではなりえない」
「そうなんですか」
「では、これはいったい何なのかと言われても、現状では正体不明としか言いようが無い訳よ」
結局、何も判ってはいないと言う事なのかなと長谷川は思った。
「で、まあ。正体不明は良いのだけど……」
「良いんですか?」
「突き止められないから、これ以上は先に進めないわ。それに、先に進めるとしても、どうやれば良いのか解らないしね。それよりも、拳銃弾の効かない相手をどうするかが先よ」
「それは、そうですが……」
「まあ、二十ミリ対戦車ライフルなら、ある程度の打撃力があるから拳銃よりはマシでしょう。実際は撃って見ない事には何とも言えないけど、正直言ってあまり自身は無いわ」
「でも、やらないよりはマシでしょう」
「そう言う事なのよね」
美緒は、ハフッと溜め息をついてしまう。
長谷川は話題を変えようとして、墓穴を掘ってしまった。
「それで……もう一人。えっと、桂木翔でしたっけ。彼が変貌したと言う紅の方は、どうなんですか? 黒いのと一緒だと、彼は人ではないと言う事になりますが」
「それがね。どう言えば……」
少しだけ美緒は言い淀んでしまう。
「まさか、黒いのと一緒だと?」
「いいえ。彼の身体を調べてみたけど、彼は紛れも無い人間よ。そして、その紅の姿は、やはり生物とは言えないわ」
「人であって生物ではない?」
意味が解らずに長谷川は首を傾げた。その様子に美緒は、苦笑を浮かべて肩を竦めるしかない。
「姿からすると、甲虫を無理やり人の形にしたように感じるのよ。黒い方に比べると人の姿に近いから。どうしてこうなるのか解らないから、こんな言い方になってしまうのだけどね」
「彼が紅の姿の時に身体を調べれば良いのでは?」
「その可能性は、現時点ではほとんど無いでしょう。それにの身体が、ここまで変わる事自体ありえないわ。紅の姿は鎧を纏った騎士と言う方が、まだ信憑性があるわよ」
「鎧を纏った騎士……ですか……」
「その言った方が、何だかしっくりと来るのよね……」
美緒は長谷川の撮った写真を眺める。
「……この写真を見る限り……」
「いったい彼は何者なんですかね」
「いたって普通の人よ」
「はぁ?」
何か信じられない事を聞いたいような顔をする長谷川に、美緒は再び苦笑を浮かべてしまった。
確かに、普通とは言いがたいのだが、桂木翔の言動を見ている限り、どこにでもいる大学生しか見えない。
長谷川が、そう言いたくなる気持ちは十分理解できた。そして、次に言う言葉も想像ができた。
「その姿になるのに、いたって普通ですか?」
その通りである。本当に解るわと言いたいところだが、それは言えない。
「そう。私の妹は異形と戦うために、幼い頃から訓練を積んできた。だから、戦う事に対して抵抗は無いわ。反面、坂原瑞紀と言う女性がいなければ、普通の人と関わりを持てないくらい不器用になっていたと思う」
美緒は自分の妹が、特殊な環境で育った事を理解していた。
普通ではありえない生き方をしてきた事も判っている。それに比べると、桂木翔はそんな体験は無いはずだ。
「桂木君は、その姿にこそ変わるけど、その考え方は普通の大学生と同じ。その変にいる同年代の男たちと変わらな……い?」
桂木翔の言動は、たしかに普通の大学生に見える。が、何か違和感があった。
「……いいえ、違うわ」
「違う?」
普通と言っておいて、それを否定する美緒に長谷川は首を傾げる。
「どう言えば良いのかしら。どうも違うような気がするのよ」
「何がです?」
「初めは、彼があの姿になっても自分でいられる自信が、人に戻れなくなると言う不安が、彼を異形の姿にさせないと思っていた……」
何が言いたいのか、長谷川には判らなかった。だから、黙って続きを待つ。
「でも、いま思うとそれは変なのよ。普通だったら、まして男だったら、そんな反応をする?」
後半は長谷川に問いかけていた。
「そんな反応と言われても……」
「ああ、ごめんなさい。ようは長谷川さんが、あの異形の力を持っていたら、どうする?と言う事よ」
「どうって、そりゃあ……」
少し考えてから答える。
「……奴と戦いますよ」
「何のために?」
切り返す美緒の言葉を、長谷川は理解できなかった。首を傾げる長谷川を見て美緒は頷いていた。
「そうなのよね。長谷川さんは警察官だから戦えると言える。でも何のためにと聞かれると答えられない。もしくは、市民の安全を守るのが警察官の仕事と思っているから、そんな答えになると思う」
美緒の言葉に長谷川は頷くしかない。
「でも、そんな力を持っていたら、普通は試したくなるはずだし、その力を誇示したいと思うわ。隠す必要なんてないわ……」
「それが、いったい……」
「彼、桂木翔は怖いと言ったわ。判る? 戦う事が怖いと言ったのよ」
「いや、でも、普通はそうでしょう」
「違うわ。そんな意味ではないわ。それに、こんな力は無い方がいい、この力は周りを不幸にする。そこまで言い切ったわ……でも、どうして?」
考え込みながら美緒は、翔との会話を思い出していた。
普通の反応と思っていたが、今は微妙に違うように思えてならない。あの時、そんなには気にしなかったが、確かに違和感はあった事を思い出した。
自分がと言っていたが、それは本当に『自分』を差しているのか疑問に思ってしまう。美緒の中に漠然とした不安が広がった。とてもいやな予感がしてならない。
「彼は……普通の人?……」
口にすると、それはとても違和感のある言葉に聞こえた。疑問符をつけたほうが、しっくりと来るのはどう言う訳だろう。
(彼の言動におかしなところは無かったのか? どこがおかしいと思ったのか? 彼はもともと異形の力を持っていた。持っていて知らなかった。そして、あの時に発動した。その力に狂喜した……だから……自分が怖い……まさか……)
「自分の持つ力が怖かった……」
声にすると、とても納得できるように聞こえてしまった。
「まさか、異形の力に溺れてしまうのを怖れた。とでも言うの? 信じられない。そんな事は経験しなければ判らない事なのに……」
「何かが信じられないんです?」
くるりと美緒は振り向く。
「長谷川さん。普通の人が特別な力を持っていたとしたら、どうなると思う?」
「さあ?」
肩を竦める長谷川に美緒は頷いていた。
「そう、普通は判らないのよ。ただ、話では聞くと思うけど、その力に溺れて自滅するか、その力を振りまわして敵に廻るか、そのどちらかになる。どちらにもならないのは、奇跡に近い」
「経験があるような言い方ですね」
「あるわ……」
後悔が滲む美緒の声である。
判っていたのに、防げなかった。防ぐ方法も知らなかった。今でもどうすれば良いのか判ってはいない。
「彼は、桂木翔は紅の異形の力を怖れている」
「どうしてです?」
「判らないわ。でも、そう考える方が彼の態度がしっくり来るのよ。それに、今のままでは彼は遠からず自滅する」
「自滅って?」
「死ぬわ」
「死ぬって、簡単に言わないで下さい。防ぐ方法もあるのでしょう?」
「ないわ」
短く美緒は言った。
「ないって……どうしてですか?」
「他人が、どうこう出来る問題ではないのよ。彼自身の問題だから。その答えを自分で見つけない限り無理よ」
「我々が、その手助けをすればいい」
どうですかと長谷川は美緒を見た。
反対に美緒は、呆れたような顔で溜め息をついている。
「どう言って彼に納得させるの?」
「そうですね。その力を持つ者の運命とか、宿命とかでは。どうでしょう?」
「無理ね」
一言の元に否定した。
「どうしてです?」
「あのねぇ、長谷川さん。あなたは、今ここで自殺するのが運命だ。と言われて納得して自殺できる?」
「出来る訳ないじゃないですか!」
「それと一緒よ。そんな言葉は、他人が他人を納得させるための言葉よ」
「では、皆の為に。では?」
「もっと無理よ。さっきの例えじゃないけど。皆の為に死んでくれと言われて納得するような人はいないわよ。そんな言葉はで納得するのは、自殺志願者ぐらいよ」
「どうすればいいんです?」
「だから、他人がどんな言葉で言い繕っても無駄なの。彼自身が戦う心を持たない限り。そして、それは彼自身が決める事だわ」
その時、デスクの電話が鳴る。
「はい、紫村です……あ、美沙なの……えっ?……で、場所は?……畑山オートコースね」
受話器を置いて美緒は、内線につなげた。。
「二十ミリ対戦車ライフルとB弾を用意して、正面玄関へ持ってきなさい。急いで」
「車を廻します」
扉を開けながら長谷川は言う。美緒は頷いてデスクを廻り長谷川の後を追った。
言葉は要らない。異形が出たと判っていた。
被害を少なくするためには、話す事よりも行動する事が先である。
美緒が正面玄関くに出た時に、大きなトランクを台車に乗せた男性所員が駆けつけた。
「十発しかありません」
「十分よ。連射する訳ではないから。その車に乗せて」
話している間に長谷川が車を玄関先に着けている。美緒が助手席に乗る間に、男性所員がトランクを後部座席に押し込んでいた。
「畑山まで、三十分ぐらいです」
言葉よりも先に車は動き出している。長谷川はポケットからスマートホンを取り出して、美緒に渡していた。
「北川課長に連絡を入れて下さい」
長谷川は、解ったと頷く美緒を横目で見てから、赤色灯とサイレンのスイッチを入れる。けたたましいサイレンを鳴らしながら車は加速していった。
「間に合いますか?」
「判らないわ。妹も簡単に足止めが出来るとは思ってはいないでしょう。だけど、無理はしないでくれるといいんだけど……」
「無理?」
「あの娘、前の時も、あの黒い異形に向かって行ったのよ。勝てないと判っていたのに」
その事は長谷川もあの時に見ていた。
信じられないように、彼女を見ていたのを思い出す。自分は何をしているのだろうと情けなく思ったものだ。
「正義感が強い妹さんですね」
「違うわよ。あの娘は、たぶん復讐心から向かって行ったのでしょうね。死んでも良いと思っていたのかも知れないわ」
「復讐?」
「私達の兄が、黒い異形に殺されたわ。それに、あの娘も重傷を負った。言うなれば、敵討ちのつもりだったのかも知れない」
「それで、あれに向かって行った?」
「そう。まあ、そのおかげかどうかは判らないけど、結果的には紅の異形が現れ、命拾いをした訳よ」
「で、その紅の異形の彼は、どこに?」
「判らないわ」
美緒は首を振る。
「妹と一緒なら、状況は変わると思うけどね」
「また、紅の異形になると?」
「そう思うわ。妹は一人でも向かって行くでしょうし、彼はそれを黙って見ているような人ではないわ」
「そうでしょうか?」
懐疑的な長谷川に、美緒は笑っていた。
「どんな力を持っていたとしても、桂木翔と言う人は、呆れるほど男の子よ」
「よく判らないんですが?」
「妹を眼の前で死なせるような事は出来ない人よ。まして、今は紅の異形の力を持っているから。まあ、長谷川さんも私の眼の前に黒い異形が現れたら、助けてくれるのでしょう?」
「当たり前です」
「彼も同じよ。その意味では、長谷川さんも男の子よ」
美緒の言葉に、長谷川は顔を歪める。
「二六の男を捕まえて、男の子は無いでしょう。子供でもあるまいし」
吹き出した美緒だった。そんな美緒の姿に長谷川は憮然とする。
「ごめん。決して悪い意味ではないの。あなたは良い男よ」
ボッと音がしそうなほど、瞬間的に長谷川の顔が朱に染まった。
「かっ、からかわないでください」
顔を染めたまま言う長谷川を、美緒は本当に良い男よね。と思うのであった。