十一月の記念日
*活動報告欄からの、派生短編小説になります。
女という生き物は、何かと『記念日』にうるさい。
付き合って何ヶ月だの、初めて手を繋いだだの……。正直、男からして見れば『何でそんなに覚えていられるんだよ』としか言い様がない。
面倒だと思っていた。
なぜ、そんなにもこだわりをもつのか、理解出来なかった。
つい最近までの俺は、確かにそう感じていたのだ。
「……だったら、なんで」
俺は洒落た袋を手に、彼女のアパート前で寒さに震えているのだろう。
時刻は夜八時。
最近の報道番組ではよく見かけるようになったストーカーよろしく、俺は古びたアパートの前で右往左往していた。十一月の空気は頬を刺すくらいに寒く、夜空に浮かぶ三日月でさえ冷凍されてしまったのではないかと思うくらい寒い。……ダメだ、寒過ぎて『寒い』という単語以外、頭に浮かばなくなってきた。末期だな、俺。
シンプルな紺色のマフラーを巻き直して、アパート二階、一番奥の扉を見つめる。彼女がいるであろうその部屋の窓からは、まだ明かりが漏れていた。それに対して、ホッと安堵の溜め息をつく自分に寒気を感じ、首を激しく横に振る。柄じゃねぇくせにやめろ。これじゃあ、まるで本当にストーカーみたいじゃねぇか。
「……帰ろ」
誰に告げた訳でもなく、白い吐息と共にこぼれた一言が宙に溶ける。言い聞かせるような自分の言い方に嫌気を感じるも、背を向けて足を進めようとする。が、ふと立ち止まって右手に持つ紙袋を見つめた。
なんで、こんなもの買ったんだっけ。
今更ながらに思った疑問は、俺の心中でムクムクと広がっていく。
女ばっかりの店で恥ずかしかったくせに、なんで俺は買ったんだ?
貧乏な大学生の俺が、大金はたいて買うくらいの品物なのか?
なぜ?
彼女が本当は欲しがってたのに、口にはしなかったことを知っていたから?
喜ぶ姿が見たいとか、そんなかっこいいことしてみたかったから?
……違う、違うだろ。
向けていた足を戻し、すぐ目の前のアパートへ食らいつくかのように、駆け出す。
『記念日』なんて、馬鹿らしいと思っていた。
なんで、そんなものを作る必要があるのか、よく分からなかった。
けど今なら、何となくだけど分かるような気がするんだ。
アパートの入口を潜り抜ける。
初デートで水族館に行く予定だったのに、俺が電車間違えて動物園に着いたとき、君は『面白いね』って、笑って許してくれた。
……結果的に、二人で最初に見たものは超凶暴なアライグマだったけど。
大学のレポートが終わらなくて、君の見たかった映画を見に行く予定ドタキャンしたときは、わざわざ家まで来てくれて一日中二人で過ごしたこともあった。
……結局、レポートは終わらずに俺は倍の課題をやるハメになったけど。
二階へ通じる階段を駆け上がる。
俺にとっては毎日が『記念日』なんだ。
君と過ごしたすべての日々や出来事、笑ったり泣いたり、喧嘩して仲直りしたり。
全部全部、大事な『記念日』。
扉の前で息を整える。
目を閉じて深呼吸……落ち着け、大丈夫だ。
女々しいかもしれないけど、
ゆっくりと目を見開く。
柄じゃないかもしれないけど、
手袋を家に忘れて、寒さでかじかんだ指先を震わせながら、インターホンを押す。
毎日、君がくれる『記念日』の節目として今日だけは『特別な日』にさせてください。
部屋の中から返事が聞こえて、鍵を閉めていた扉が開かれる。
感謝の気持ちを、伝えさせてください。
小さく息を吐くと、真っ白い霧が眼前をユラユラ漂う。
不思議そうな表情をする彼女の前へ、右手の紙袋を押し付けるかのように掲げた。……素直になれないガキか、俺は。
かっこわりぃ、と自分でもそう感じる。
「……記念日、おめでとう」
ぶっきらぼうな俺の言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに、幸せそうに笑った。