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箱庭の遊戯  作者: 柚木
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<オレリア>

 わたくしは美しい。誰よりも。かの天使ティーランも嫉妬する美しさだと称えたのは、いったいどの男だったか……


「オレリア、君の美しさには劣るがこれが僕の気持ちだ」

 年にわずかしか咲かないという薔薇を花束にして贈ってきた男もいた。

「オレリア、君のために特別に作らせたよ」

 王族ですら滅多に手に入れられないハルプス産真珠のネックレスを贈ってきた男もいた。


「オレリア」

「オレリア」

「オレリア」


 灯火に群がる虫のように男たちはわたくしを求めた。わたくしは中流貴族、それも落ち目の家の次女であったがそれを嘲笑うのは女たちだけだった。彼女たちは可哀想なことに醜いから、そんなふうにして自分たちを慰めているのだ。

 男たちは皆わたくしの虜になる。そしてその中でも財力政治力がありわたくしに劣らない外観を持つ男だけが、わたくしの周りにいることを許されるのだ。ああ、ただ、一人だけ例外がいるが……


「――オレリアさん、貴女はまた本をこんなふうに扱って」

 ページを開いたまま裏返しにして机に置いといた本をほっそりした手が持ち上げる。そのまま断りなく本棚に戻した青年が眉をひそめてわたくしを見た。睨んだ、ではなく見た。相変わらずの根性無しである。


 昼過ぎの柔らかな風に誘われ、居間のソファーで微睡んでいたわたくしは重たい目蓋を持ち上げて見返してやった。この悩ましい視線一つのために男たちは金と愛の言葉を積み上げているのに、この男ときたら。

「そんな不機嫌そうにしてもだめですよ。さあ、旦那さまがお呼びです。まったく淑女がこんなところで昼寝など……」

「ここはわたくしの家よ。何処で何をしようがわたくしの自由ですわ」

「何を子供みたいな屁理屈を」

 少し唇を尖らせても呆れた態度しか返ってこない。本当、つまらない男。

「ねえ寒いわ」

「こんなところで何も羽織らず寝ているからですよ」

 素っ気なく言いながらあらかじめ持ってあったストールを肩にかけてくる。半端に甘いのだ、この書生は。だからいつまでも書生止まりなのだ。


 この世話係のような青年は数年前に兄が拾ってきた。以来この家に住み込みで働いている。そして気づいたら書生という肩書を持っていた。どういうわけか父も兄も青年を気に入ったらしく、ゆくゆくは兄の秘書に就かせるつもりだと聞いた。母も息子のように甲斐甲斐しく世話を焼いている。神経質そうで薄っぺらな顔の、こんな男の何がいいのか。


「シューバル、お父さまは何のご用ですって?」

「オレリアさん、僕はスバルです、昴」

「シューバル」

「昴」

 だからそう呼んでいるではないか。何が違うというのか。

「……シェンバル」

「…………嫌がらせですか」

「失礼ですわよ」

 発音一つでここまで言うほうが嫌がらせだろう。話が進まない。

「それで、お父さまは何て?」

「ダーグ卿からの花見の招待だと思いますよ。そろそろそんな時期でしょう」

「ああ、そうね」

 姉の嫁ぎ先の従兄、という近いのか遠いのか分からないダーグ卿は毎年春先に大きな花見会を開く。何年か前からわたくしは毎年招待されていた。他に招かれるのは一定以上の地位を持つ未婚の男女が多く、その意図は明らかで、まあ、わたくしはどちらかと言うと男性招待客を釣る餌なわけだ。疑似餌。生き餌でもよいけれど。



 予想通り今年も花見会に招かれたわけで、耳の早い男たちが早速エスコート役を名乗り上げた。わたくしはその中から以前真珠のネックレスを贈ってきた資産家の男を選び、花見用のドレスを新調したいと言った。相手は笑顔で了承し有名なデザイナーを呼んだ。やはり男はこのようでなくては。



 そうして迎えた花見当日。最高級のドレスと男、二つを携えてわたくしは馬車に乗り花見に向かっていた。今では蒸気自動車が普及しつつあり、馬車は貴族が特別な時に利用するものとされている。一昔前はむしろ自動車を保有していることがステータスだったというから、時代の流れは面白い。

 そんなことをつらつらと考えながら一生懸命話しかけてくる男の言葉を耳に入れていた。そんな時、わたくしの人生を滅茶苦茶にするあの忌まわしい出来事が起こったのだ。


 馬のいななきと外の従者の怒声が聞こえた。そして暴力的な音とともに襲ってきた衝撃。


 何をと思う間もなかった。馬車は傾き、激しくドアに叩きつけられたわたくしの身体はそのまま外に放り出されてしまった。地面に着地した時にはもう意識はなかったと思う。記憶にない。意識が明瞭に戻るまでで覚えているのは、ひどい吐き気と暗闇の中響く声。それから、柔らかく灯る赤銅の光――


 ――ああ、オレリア、なんてことだ。

 ――そんな、『これ』がオレリアなのか……?

 ――せっかく祝福を受けても、これでは……


 光が消えた。代わりに何だろう、声が聞こえる。そうして意識を浮上させたわたくしを待っていたのはおぞましい現実だった。


 最初に飛び込んできたのは真っ白い天井。病院だ、わたくし事故に遭ったんだわと分かった。痛みは感じなかったが、経験したこともない気持ち悪さに頭を抱えたくなった。無意識に手を頭へと伸ばしたところで、首から上だけやけに大げさに包帯やら何かごつごつしたものに覆われていることに気付いた。それからこちらを見る、家族や医者の視線も。


 …………何。


 彼らの視線には目覚めたわたくしに対する好意的な感情などひとかけらも含まれていなかった。被害妄想でなければ穢らわしいモノでも見るような。

「オレリアさん、ご自分が誰か分かりますか」

 医者が事務的に近寄り声をかけてくる。その目線は本来注がれるべきわたくしの顔ではなく手の書類に向けられていた。

「オレリア=ベルリオーズ」

「貴女は事故に遭ってここに運ばれてきました。覚えていますか」

「えっと、馬車に乗っていて……」

「気分は」

「とても気持ち悪いわ。吐き気は、少し残っていますけどさっきよりは楽になりました」

 なんとなく医者の態度に反感を抱く。医者であるからというより、そもそも男からこんなぞんざいに接されたことがない。この医者だけではない。その後ろに控えている家族の様子も変だ。わたくしを溺愛している父ですら少しも嬉しそうではなかった。

 一通り確認を終えた医者はさっさと出て行ってしまった。残されたわたくしたちの間に沈黙が落ちる。わたくしはまだ頭が混乱していて、事故の前後もよく思い出せなかったし周囲の態度も態度だったから何も言えなかった。兄は「仕事を放り出したままだから」と出ていき、父も本当にゴミでも見るように一瞥しただけで帰ってしまった。母だけは痛ましそうな顔をしてわたくしを眺めていたが、しばらく入院することになった旨を告げると父の後を追った。

 何がどうなったのか、まったく分からないままわたくしは置き去りにされてしまった。


 しかし翌朝の朝食時に理由が分かった。朝食の世話をする看護師に、その前に顔を洗いたいと言った。昨夜は気持ち悪さに思い浮かびもしなかったが身を清めていない。髪も触っただけでもかなりバサバサしていて耐えられなかった。 

 するとはっとした看護師は、少し迷う素振りを見せてからわたくしにポケットに入れてあった手鏡を見せてくれた。首が動かないわたくしはそのまま鏡の中に映っているであろう美しい顔を見た、つもりだった。


 ――爛れたような傷に覆われた頬。奇妙な形の鼻。腫れて潰れたみたいな左目。目元から口元にかけてざっくりと走る大きな切り傷。


 化け物じみた何かが、わたくしを見返していた。


「………………だ、れ」

 これは誰……いいえ。これは、何?

「あなたは馬車の外に投げ出された後、馬車の後輪に踏まれたのですよ。本当は生きているのが奇跡なくらいの大怪我でした。私たちも諦めかけていたのですが、その、御使いが」

「は?」


 ――話を聞くに、運び込まれたわたくしは本当に手の施しようがないほどだったらしい。そして生死の境を彷徨うわたくしを前に、神の御使いたる調律者(バランサー)の青年が現れてわたくしに祝福を授けたのだと言う。

 信じられないが、今わたくしが生きていることを考えると真実なのだろう。馬車に撥ねられて生きていられるとは思えない。

「それで、その御使いは今どこに?」

「ええっと、分かりません。その後すぐに消えてしまって」

「そう……いいわ、もう出ていってちょうだい」

「え、でもまだお食事が」

「いいから出て行けと言っているのよ!」

 わたくしの剣幕に怯えてか逃げるように出ていった。いや、違うか。この醜くおぞましい顔に恐れたのだろう。

 絶望が胸に巣食う。家族の反応にもようやく合点がいった。どうして、こんな。



 事故と聞いてわたくしのもとには次々に見舞客が訪れた。けれどわたくしの変わり果てた顔を見るとすぐに帰って行った。二度目の見舞をする者はいない。家族も、最低限の生活品を使用人に届けさせただけで一度も来なかった。誰もがわたくしの美貌が失われたことを嘆いた。一週間もすると、もう誰も来なくなった。見舞の品すら届かない。わたくしもこの顔を見せたくなかった。


 そして退院日にわたくしを迎えに来たのはあの書生だった。彼とは事故以降会っていなかったが、少し痩せたようだ。普段も細くて白いくせに一層元気を失くした風だった。が、わたくしを見ると笑った。そう、笑ったのだ。わたくしの顔を見て。

「ああよかった! 本当にご無事だったのですね。旦那さまたちは何も話してくださらず、見舞に行ける身でもなかったので」

 よかった? よかったですって? 今、この男はよかったと言ったのか。皆嘆いてくれたのに、そんなことを言って喜んだのはこの男だけだ。何て人だろう、ここまでわたくしを嫌っていたのか。

 わたくしは頼んでおいた大きなつばのついた帽子をかぶり、書生と顔を合わせず、声に応じることもなく病院を出て待っていた車に乗り込んだ。家に着いて自室に入るまで顔をあげなかった。幸いなことに書生以外はわたくしを避けてあいさつすらしなかったので、わたくしもそのまま通り過ぎることができた。



 それからの日々も、病室にいたころと何も変わらない。訪れる者はなく、使用人もなるべくこちらを見ないようにして黙々と世話をする。山のように積まれる贈り物も絶えた。時折書生だけが気分転換と称して茶菓子を差し入れたり、外に連れ出そうとしたりして鬱陶しかったが。

 そんな死人のような毎日を送っているわたくしのもとに、『彼』は来た。


「――よう、オレリア=ベルリオーズ。気分はどうだ?」


 ぼんやりと自室から外を眺めていたら、いつ入ってきたのか赤銅の髪を持つ青年が声をかけてきた。手に持つ大きな杖が不格好だったが、かなり整った顔立ちをしている。

「どなたかしら」

 今のわたくしを見て気分を訊ねるなどいい神経をしている。聞かなくても分かるだろうと言外に伝えると赤銅の青年は薄く笑った。

「俺は調律者ジルベルトだ。あの日お前に祝福を与えたのは俺だよ」

「どうして!」

 調律者と聞いて思わず叫んでいた。心の中で燻っていたモノが瞬く間に再熱し内側を燃やしていく。

「どうして、どうしてわたくしを殺してくれなかったの! こんな顔になって……わたくしは死にたかったのに!」

 本当、どうして放っておいてくれなかったのだ。美しくないわたくしになど用はない。醜くなってまで生きたくなどなかった。

 そんなわたくしを見て、青年はあっさり言った。

「んじゃあ綺麗な顔だったら生きたいのか?」

「え?」

「元のお前の顔に戻ったら嬉しいのかって聞いてんだ」

「それは、もちろん」

 青年の飄々とした態度に怒りの矛先を見失う。青年はそのまま、軽い口調でじゃあ治すかぁと言うと杖を一振りした。その先端から溢れた、青年の髪と同じ色の光がわたくしの顔を包み込む。

 そしていまいち事態が把握できていないわたくしなどお構いなしに、青年はわたくしの顔を見て頷くと「じゃあなー」とにこやかに消えた。文字通りその場から消えたのだ。

 青年が去った部屋で一人ぼうっとしていたが、青年の言動を反芻し、まさかと祈る気持ちでわたくしは引き出しにしまってある手鏡を取り出す。化粧台についた大きな鏡は、とっくに割っていた。

 恐る恐る鏡を覗く。

「…………治っている」

 そこにいたのは見慣れた、かつての美しいわたくしだった。傷跡も、曲がってしまった鼻も元通りでそこに事故の面影はない。

 こみ上げてくる感情を抑えきれなくて、わたくしは部屋を飛び出し居間に向かった。ちょうど夕餉時だ。はしたないと分かっていても走る足を止めることはできなかった。


「お父さま、お母さま!」

「オレリア!?」

「まあ、あなた顔が!」


 誰もがわたくしの元通りの美貌を見て驚いた。けれど上がる声はどれも喜びに満ちたものだった。事情も聞かずに皆わたくしを受け入れてくれた。

 わたくしの顔が元通りになったことはすぐに広まった。そして再び贈り物と男たちに囲まれる生活が戻ってきた。誰もがわたくしに跪き、わたくしの美しさを称える。そう、これよ。これこそが在るべきカタチ、わたくしの幸せ。


 けれどそんな満たされた心地は長く続かなかった。以前よりも頻繁にお茶会などに招待されるようになったわたくしはその日も外に出かけていた。野外パーティーだったのだが少し風が強く、風に飛ばされてきた葉が一瞬、頬を掠めた。


 その瞬間背中を走った恐怖は言葉にして表現できない。


 忘れていた。外はわたくしの美貌を脅かす可能性に溢れているのだ。またあんな醜い顔になったら? そんなことは考えたくもなかった。

 すぐさまわたくしは家に帰り、自室に引きこもった。だめだ、部屋にある化粧道具や装飾品も肌を傷つけるかもしれない。全て捨てさせた。窓から差し込む光も気になった。最近の研究で肌によくない何かが光には含まれていると判明したのではなかったか? カーテン……いいえ、足りない。外から窓を突き破って何かが投げ込まれるかもしれない。急いで窓を木張りにして塞がせた。そして顔は仮面で隠し、自分以外の人間を部屋から追い出した。

 周りには何もなく、静かで真っ暗な空間だけがわたくしを取り囲む。そこでようやく安心できた。ああ完璧、これで大丈夫。わたくしは、ずっと綺麗でいられるわ――



***


「ただいまー……って、何やってんの二人とも」


「あ、ジル! ねえ見て見てリゼルちゃん可愛いでしょう~」


「あ? ……ああ、リゼル髪型変えたのか」


「マリアさんが勝手にやっただけ。こんな面倒なこと私はしない」


「だってリゼルちゃん、こんないい素材なのに化粧もしないし飾りの一つもつけないし、髪だっていっつも一つ縛りで勿体ないじゃない」


「素材って」


「ほら、ジル!」


「はい?」


「はい、じゃなくて何か言うことないの?」


「え? あー……うん、似合っている。可愛いよ」


「心がこもってないわ」


「いやあ男にそういうの求められても。つかやっぱり女って、そういう着飾るの好きなんだな。綺麗でなくても幸せになる道はたくさんあるのにさ」


「あら、当り前じゃない。女の子は出来るだけ綺麗になりたいものよ。特に好きな人の前では」


「いや私は別に」


「あ、リゼルがお洒落してるです!」


「アランちゃんもいらっしゃいな、髪飾りつけてあげる」


「えへ、こういうの初めてです」


「おー! アランその髪飾り似合ってんじゃねえか」


「そうですか? ジルありがとうです」


「…………リゼルちゃんには薄い反応でアランちゃんにはこの絶賛ぶり」


「マリアさん、世の中には『そういう』趣味の男も少なからずいますよ」


「いや、俺はただアランが可愛いと思ったから褒めたんだけど」


「……変態」


「変態だわねえ」


「変態です」


「え、いや、ちょ、誤解……待ってマリアさんそれ俺の夕食ですよね何で片づけてんですか本当誤解だから他意はねえですから!」


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