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呼吸も瞬きも忘れた。店員は口を閉めるのも忘れている。
やっと息を吸って、浅井が言った。
「……つまり、……」
「つまり僕は男です。別に構わないけどね。間違えられるのは慣れてるから」
少女、ではなく少年が、浅井の声に被せるように言った。
まだ信じられずに、浅井はその姿を凝視する。
伏せた睫毛は恐ろしく長いのに、そしてその声はとても高いのに、
「スカートはいてるわけでも、化粧してるわけでもないのに、間違えられる」
赤い唇で笑みを作り、彼は続けた。ただその目は笑っていない。
そうか、笑い事じゃない。私は彼を傷つけたのだ。悪気なんかなんにもなくても、彼は傷ついたのだ。
「ご、ごめんなさいね、私ほら、メガネ割ったから見えなかったし、ね、」
「あはは。そっか。それ結局僕のせいか!」
彼の本当の笑顔になった。まるで花が咲いたように店内が明るくなる。
だからといって彼を傷つけたことに変わりはない。彼が傷ついていることに変わりはない。
「ごめんなさい、私本当にそそっかしくて、」
申し訳なくて浅井は謝り続けていた。
それを聞きながら、笑顔の少年は目をくるりと回して、浅井に提案した。
「じゃ、お詫びにこの後僕におごらせて」
何?と浅井が目を上げた。
「だってコンタクトだって弁償できなかったし、僕の立場がないよこれじゃ」
少年は笑顔を一瞬で崩して唇を尖らせた。そしてその顔もこの上なく可愛らしい。
思わず浅井も微笑んでしまった。そしてそれが了承の合図になったらしい。
少年はキャメルのダッフルコートのポケットに両手を突っ込み、また花が咲くような笑顔を見せた。
「じゃ、どこに行こうか!晩ご飯はもう食べたの?」
少年がさっそく扉を開いて外に出ようとするので、白衣の店員が慌てて浅井にレンズの箱を入れた袋を渡した。
「本日初めての装着ですので、なるべく長時間はなさらないようにしてください」
あ、はい、と答えようとする浅井と同時に少年が言った。
「お酒は大丈夫?お酒がいいね!どこにいこうか!」
えっ?!と浅井が少年に顔を向けると、続けて少年が言った。
「言っておくけど、僕もう成人だからね。とっくに二十歳なんだ。二十歳のベテランなんだからね」
そうは見えない、という言葉を押さえつける強調。
「四月に二十歳になったのに誰もお酒に誘ってくれないんだ。ね。お酒の店、どこか知ってる?」
くるりと回って笑顔で訊ねてきた。やはり浅井も笑顔になってしまう。
二十歳に見えないことを本人も知っているのだ。
だからと言って、ねぇ。お酒を飲む権利はもう持ってるんだもんね。
しかしお酒の店ってまた大雑把なリクエストだわ。
そう考えて笑っていた浅井の顔が固まったのはその直後だ。
正面から、課長が浅井に向かって歩いてきていた。