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薔薇の香りのお湯が排水口に全て吸い込まれるまで、浅井は髪を拭きながらじっと見ていた。
もう充分年月が経ち、先輩の思い出とも折り合いがついている。風呂から出るコツは掴んでいた。
実体がなくても、いつも同じセリフでも、自分を大切にしてくれた先輩の記憶を抱いて暖かく眠りにつく。
ぽかぽかした体で寝室に入り、こたつの上の編みかけのマフラーに気付いた。
……もういらないね、これ。
編み物は好きだから編んでいる時は楽しかった。
でももう解いてしまおう。
もう、いらないものだ。
そういえば先輩にも一枚だけセーターを編んだ。マフラーも一本。二つだけ。
冬が二度しか来なかったから。
え?これ、編んだの?浅井さんが編んだの?本当に?すごいな!すげ~嬉しい!
思い出して、浅井は笑った。
笑いながら、もう思い出したくない、と思った。
思い出すたび、色が薄れていく。先輩が遠くなる。
先輩なしで生きていけるとは思わなかった。
先輩のことを思わない日がくるとは思えなかった。
それでも月日が流れて自分は生きている。
生きていることが先輩の望みだと分かっていても、それを裏切りだと感じる自分の気持ちも消えない。
生きているだけで、時間が経つだけで、先輩が薄れていく。
こんな日がくるとは思わなかった。
そう思っていたことすら忘れている。
それは裏切りでしかないと浅井は思う。
自分は毎日、先輩を裏切って生きている。
編みかけの赤いマフラーを握って、そんな自責の思いに俯いてため息をつくと、部屋のチャイムが鳴った。