12
また鍵を掛けずに部屋を出て、浅井はバーテンの後ろを歩きながら、今の出来事に満足していた。
コンビニで説得よりもむしろ効果的だったわ。自宅に押し掛けて恩を着せるなんて考えてもいなかった。
全部バーテン君のおかげね。バーテン君と君島君が知り合いだった偶然のおかげだわ。
でもどんな知り合いなのかしら……?と、浅井は黄色いヘルメットに目を落とした。
「あ、そうか。あなたと君島君って、バイク仲間なの?」
「え?いや、あいつはバイクどころか何の免許も持ってませんよ」
バーテンが振り向いて答えた。
「だってこのヘルメットは……?」
「俺のバイクに乗るために買ったらしいですけどね」
「じゃ、やっぱり仲いいんじゃないの?」
「いや、一回も乗せたことないです。ああ、昨日初めて乗せた」
階段を下りたので、浅井がバーテンを見上げて言った。
「昨日……?君島君酔いつぶれてたって」
「はい。電話が途中で切れたから死んだのかと思って死体を見に行ったら生きて転がってたんです」
浅井は、吹き出した。
「行かなきゃよかった」
「でも、」
浅井が笑いながらフォローした。
「でもおかげで今日は1万2千円稼げたじゃない」
「ああ、そういう考えもあるか」
浅井はさらに笑った。そしてポケットから財布を出して札を差し出した。
「本当に助かった!ありがとう」
バーテンが、一万円札を見下ろして、受け取ると同時に言った。
「領収書要りますか?」
おかしな子だ、と浅井は笑い続けていたが、
「あ、そうか。それは君島君の弱味の証拠になるわよね。うん。頂戴」
と答えた。
多分これっきりの、バーテンのタンデムとかいうツーリングの記念だし、君島のための散財の証拠なのだから君島に会えるフリーチケットのようにも思えた。
楽しくて浅井は笑顔でバーテンを見上げると、バーテンは顔をしかめていた。
言ってはみたものの、紙もペンもないのだな?と推測してさらに楽しくなった。
「今度会うときに頂戴。またここで会うかも知れないし、バーで会うかも知れないしね」
バーテンがさらに眉間のしわを深くして顔を背けた。
それを見て浅井はさらに愉快になってしまった。
「浩一って名前なのね。苗字は?」
バーテンは答えずにヘルメットを被りバイクにまたがった。そして浅井が乗り込むのを待っている。
浅井も君島の黄色のヘルメットを被って、最初よりは上手くタンデムシートに座った。
そしてバーテンも、帰りは来る時よりも穏やかな走行になっていた。
会社に到着してヘルメットを脱いで渡しバーテンにお礼を言ったが、バイクのエンジンも切らずヘルメットも脱がないバーテンには聞こえていないようだ。
だから大声で言った。
「苗字教えてくれないと私も浩一って呼ぶわよ!」
バーテンは眉間をシワシワにしたまま、はっきりと「原田」と答えた。
「ありがと!原田君!またね!領収書忘れないでね!」
原田は返事もせずに動き出した。
あっという間に交差点をUターンして走り去ったが、浅井はその姿が視界から消えるまで見送った。
エレベーターから降りて浅井が事務所に入ろうとした時に、廊下で田村に呼び止められた。困ったような怒ったような顔をしている。
「さっきのあれ、……大沢にその、あいつこの前のことでただでさえ落ち込んでるってのにさ、今度別の男のバイクに乗るって、」
ぐだぐだとはっきりしない田村にいらついて、浅井がはっきり言った。
「この前のことも今日のことも、大沢君のせいよ」
田村が絶句する。
「全部大沢君が悪いの。文句言ってるのならそんなこともわからないのって伝えておいて」
言い捨てて浅井が踵を返した。
田村には何がなんだかわからないが、始まったばかりのこの二人が早くも危機だということは分かった。
さぁ、どうしようか。と跳ねるように階段を下りて自分の車に向かった。