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課長と浅井しかいなくなった事務所に外線電話の音が響いた。
『おぅ、加藤だけど今現場終わりました』
電話を取った浅井が驚いた。
「もう?!まだ7時前ですよ!」
『おお、意外に道も空いてたし客がさ、設置手伝ってくれたからな』
「うわ、そんなことしてもらっちゃったんですか」
『そらそうだろ。本来明日の予定で契約書にも印鑑ついてんの確認させたからな』
「うわ、そんなことまでしちゃったんですか……」
『あったりまえだろ。悪いけどよ、こっちだってわざわざ行ってやった立場でだよ?いきなり喧嘩越しで命令しやがってよ』
「はぁ……」
『いくらお客様でもだな、謝るべきところは謝るのが筋ってもんやろが!って怒鳴ってやったよ。契約書持ってきて納入期日を確認してみろや!ってな。ははっ。青くなってたよ。笑うなぁ』
「笑ったんですかぁ……」
『そらそうやろ。いきなり空気抜けたみたいに萎んじゃってよぅ。ま、こき使ってやったから勘弁してやるさ』
「……加藤社長、やっぱりそんな立場じゃない気がしますけど……」
『そんなん知らんよ。後はあんたの仕事やろ。じゃ、そういうことで。お疲れさ~ん』
嘘~~~~~。お客様をこき使ったんですかぁ~~~~……。
浅井は顔を右手で覆った。
確かに、契約は明日搬入になっている。勘違いしたのはお客様だ。お客様なのだ。こういう対応が一番難しい……。
お客様は神様だ。勘違いしたとしても神様だ。謝らせるのが筋ではないのが商売なのだ。
悩んでいてもしょうがない。とっとと自分の仕事を終えよう。
浅井は、千種区の大森の番号を呼び出した。
「お世話になっております。星川商事の浅井と申しますが、」
そこまで言う前に、大森が電話を落としたかお手玉したかで雑音が入った。
『あっ、あ、星川さんね、あの~、契約ね、明日だったみたいで申し訳なかったね、』
「いえ、今日は準備はしてありましたのでそうおっしゃっていただなかくても大丈夫だったんですよ。こちらも確認を怠ってしまって失礼いたしました。こちらのミスでしたので無事設置できて安心いたしました。また何かご縁があればその時はよろしくお願いいたします」
『あ、ま、そう言ってもらえると助かるわ。ほんと、悪かったですね。次何かあったらほんと、声掛けますんで』
「ありがとうございます。設置のお手伝いもしていただいたようで恐縮です。ありがとうございました」
『いやいや、当たり前だし』
「明日のオープン頑張ってくださいね。おめでとうございます」
『ああ、ありがとう。千種区ですから、もしよかったらうちもご贔屓に』
「あら。ビューティーサロン・フォレストインですね。機会がありましたら」
『ほんとにね。お待ちしてます』
「はい。今日は遅くまでご苦労様でした」
『ああ、あなたもお気をつけてお帰りください』
「ありがとうございます。失礼します」
また浅井は、だ~っと机に突っ伏した。疲れた。
逆ギレするタイプのお客様じゃなくてよかった。ほっとした。というか、同じく商売人なのだ。最後は宣伝までして。
くすっと笑って起き上がった。千種区のビューティーサロン・フォレストイン。行かないだろう。
ふぅとためいきをつき、課長に仕事を終えた報告をし、更衣室で着替えて会社を出た。
寒い。襟元を合わせる。もう12月なのだ。