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大沢が昨夜戻ってきたのは遅かった。朝方と言ってもいい。
栗尾に聞いた浅井の話のせいでその後全く酔えなくなり、何をどれだけ飲んだかも覚えていないほど飲んだ。
栗尾は話し終わってすぐに酔い潰れ、またタクシーで自宅まで送り届け、大沢はその後店を変えて一人で飲み続けたが、まるで酔えなかった。
その事故は覚えていた。
当時かなり話題になった有名な事故だ。
大沢は中学生だった。
峠道のガードレールを突き破り、10mの崖下に転げ落ちた車両が発見された。
悲惨な車体の潰れ様に、生存者はいないだろうと警察も救急隊員も一目で思った。
もし命があっても相当な重体に違いない。
まず確認に降りた警官が発見したのは、運転席の大柄な男性の遺体。
ただ横転して転げ落ちているためか、まるで運転席から立ち上がったようにその位置が動いている。
あるいはシートベルトが機能しなかったのか、助手席に覆い被さるように体を伸ばしている。
そして車体はそのまま潰れているのだ。遺体も潰れている。
助手席に逃げようとしたのだろうか。
体力的時間的にこれだけ余裕があったのなら、
むしろ体勢を低くしてシートの下に潜るなどで衝撃に備えていたらあるいは、
そんな不可解とも言えない程度の男性の遺体状況の理由を、反対側に回った警官が叫んだ。
「助手席に!もう一人います!シートベルトが伸びてる!」
慌てて集まり、手持ちの道具でドアを開け、潰れた男性の下からなんとか引っ張り出したのは
髪の長い若い女性だった。
意識はないが呼吸がある。奇跡だ。
救急隊員も降りてきて、女性をタンカに乗せて吊り上げた。
男性の遺体は完全に挟まり潰れていて、車体を切断しなければ出せない。
「こんなになっても」
救急隊員がそこで言葉を詰まらせた。
誰もが唇を噛み締めた。
両腕で彼女の両肩を押したまま、彼は息絶えていたのだ。
その、助けられた若い女性が、浅井。
「まだ18・9でそんなことになったのよね。忘れられないと思うわ」
世間の涙と感動を呼んだ事故だった。
「意識が戻った時には彼のお葬式、終わってたんですって。可哀想ね」
誰もが自分を犠牲にした男を称え、悲しんだ。
「だから浅井さん、学校やめて会社に入って、実家に戻らずにここに残ったのね」
俺に内緒にしてたのは、そんな男のことだった。
大沢は打ちのめされていた。
「でもそんなこと、言わなくてもわかっちゃうことじゃない。
そうよ。そういえばおじさん、ずいぶん同情してたもの。可哀想な事故だって」
今の大沢にはどうでもいい言葉だが、唐突なので引っかかった。
「そうか。きっと可哀想だから採用したんだわ」
大沢の視線に気付いて、栗尾が微笑んだ。
「そう!うちの会社の社長ってね、私の伯父さんなの!」