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「それで、この前のはどういうこと?」
この後予定があって食事をするほど時間がないという君島に、まず一番訊きたいことを切り出した。
「あの追いかけてきたおじさんは?」
君島はコーヒーカップに口をつけたまま、浅井を見上げた。
可愛い顔してブラックなのか、と浅井は首を傾げてシュガーポットを開けた。
「教えないよ。内緒」
カップを置いて君島が答えた。
「内緒って。あのおじさん、真剣に走ってたわよ」
「僕も真剣に走ったよ」
砂糖もミルクも入れてかきまわしながら、顔を上げた。
「あの感じだと、あなた、あのおばさんの浮気相手とか?」
冗談のつもりで笑いながら言った。
君島は、何の反応もせずに、ただ浅井を見つめた。
「それと、間違われたとか……?」
君島は、にやりと笑った。
「何?その笑いは?」
「うん。まぁ、あれじゃごまかしようがないよね。正解」
浅井が絶句した。
「だから内緒って言ったのにな」
君島はやはり笑っていた。
「なっ、なんで、人の奥さんなんか、あ、あの、出会うのが遅かったってやつ?」
思わず顔を近づけて小さな声で訊いた。
君島はフフフと笑う。目を伏せると長い睫毛がお人形のようだ。
こんな可愛らしい子が、不倫?!
あの時のおばさんはどんな顔だっただろう。思い出せない。思い出せないくらい凡庸な外見だった。
どうしてそんなおばさんとこの天使のような子が、
浅井が顔を顰めて考えていると、君島が軽く答えた。
「そんなんじゃないよ。
それに相手はあの人だけじゃないしね」
浅井は、絶句の上に息も止めてしまった。
「気にしないで。僕も相手も本気じゃないんだし」
君島は笑って手をひらひらと振った。
「お互い便利に使ってるだけなんだ」
浅井が首を振った。
「どうして、そんな、」
「うん。楽だから」
「楽、だなんて、そんなはずないじゃない」
「ううん」
君島が一息ついて答えた。
「誰も束縛しないから、楽なんだ」
その言葉を少し考えた。束縛しないから楽。しかしすぐ考えるのを止めた。
「楽でもなんでも、そんなことなんにもいいことなんかないんだから、絶対やめなさい!」
君島はまた天使のように微笑んだ。
「僕のことなんか心配してるヒマないでしょ?もうすぐクリスマスなのに」
「ごまかす気なの?」
「だって僕、クリスマスの予定がないんだよ。浅井さんはあの彼氏と?」
「え、そうだけど」
「いいね。その袋は何かプレゼントなの?」
あっさりと話題を逸らされた。
そして君島が浅井の買った文庫本に興味を示したので、
どうせマフラーを編み終わるまで読まないので貸すことにした。
それを少し離れたテーブルで、事務員が聞き耳を立てていた。
さすがに内容までは聞き取れず、二人でコーヒーを飲んでいたことを確認できただけだ。
そしてそれはその夜には栗尾に報告されていた。
夜に、大沢から浅井に電話が入る。
会うようになってから、つまり先週の土曜日から、毎晩定時に電話が入るようになった。
明日は忘年会ですね。
そうね、そっちはみなさん参加?
うん。社長も。本社は社長参加?
社長は確か出張じゃなかったかなぁ。
そうなんだ。俺本社の社長ってみたことないかも。
そうね。私も何ヶ月も見てない気がする。
いや、そんな忘年会よりさ、クリスマスですよ。
え?
え?忘れてんの?
忘れてないけど、そういえば詳しい予定は決めてないじゃない?
ああ、大丈夫です。俺が決めてます。
へぇ。どんなの?
内緒です。
内緒?
あ、でもそんなに期待しないでください。
毎晩電話で会話しながら、避けている話題があった。
大沢はあのバイクの男。浅井は君島のこと。