1
「ところで浅井さんのお母さんは今日はこちらにお泊りになるのでしたら、ホテルは私の方で用意しますし、浅井さんの治療費も私が支払いますので請求してください」
佐々木社長が続けて言ったので、浅井の母が慌てて断った。
「いえ、娘も軽傷のようですし、私は戻って家族にそのように報告しようと思いますので」
「ここまでは車で?」
「いえ、電車でしたから戻りもそう遅くはならないかと思います」
「では駅まで車でお送りしますよ。私もこれから県警に行こうと思ってまして」
「それも大丈夫です、タクシーでも近かったですし電車の時間に合わせてゆっくり帰ります」
「ああ、そうですか……。それじゃ浅井さんの支払いだけでも。領収書ありますか?」
佐々木社長に尋ねられて、浅井はその手続きや自分の荷物などがどうなっているのか一切わからないことに気付いた。
「いえ、一度ERに戻って訊いてみないと……」
急に不安になったのですぐにでも確かめに行こうと一度全員を見回した。
「また戻ってきます。ER飛び出してきたからあちらでも困ってるかも知れないですし」
「あ、それなら私も一緒に下りるわ」
浅井の母が言った。
やはり浅井は少し嫌な気持ちになる。そういう自分が嫌だとも思う。
「では失礼いたします。今後とも娘をよろしくお願いいたします」
そう深々と頭を下げて、母が浅井の後についてきた。
ずっと無言だった。
エレベーターで一階に下りても、無言だった。
エレベーターの箱から足を踏み出した時に、母が話し出した。
「あんな若い男と……。どうする気なの?」
浅井は母の方も向かずにため息をついた。
「あんたの好きにすればいいけどね」
母が続けた。
「こっちの出口からタクシーで帰るわ。お父さんとお兄ちゃんに言うことないの?」
急に言われて浅井が戸惑った。
「別に……。元気でやってるからって言って」
母が頷いて踵を返した。
そしてすぐ、振り向いて言った。
「あんた、その髪型の方が似合うわ。ずっとそうしなさい」
浅井は顔を顰めたまま、曖昧に頷いた。
しばらく浅井は母の後姿を見送った。10年分年を取った後姿。自分も10年分年を取った姿のはずだ。
その時に初めて気付いた。
誰もが気付かなかった、正確には大沢以外の誰もが一目では浅井と認めなかった姿に、母は驚きもせずにいきなり怒鳴った。
この姿の自分を、母は一目で娘だと認めた。
浅井はやはり顔を顰めてため息をついた。
10年で母は丸くなったのかも知れない。
10年顔を見なくても一目で娘を見分けるのは母ならではなのかも知れない。
しかし、許さない。浅井は首を振った。
それはあの苦しかった10年を否定することだ。
それに先輩を侮辱したことを忘れられる日が来るとは思えない。
悔いてたってあの言葉が私の頭から消えることなんかない。
浅井は踵を返して、ERに向かった。