姑
凍てつくような寒さがいくらか和らいだ日曜の午後。私は、夫の両親と同居する形で新築した二世帯住宅のささやかな庭で、花壇の手入れをしている。
「ふう」
何もしていなければ、寒くていられない外の空気も、庭弄りをして体温が上がっているとそれ程苦にならない。むしろ、やや冷たい風が、紅潮した頬に心地良いくらいだ。一息吐こうと立ち上がり、家の方に歩き出す。
「あ、こんなところにいたのか」
我が夫が居間の掃き出し窓を開けて言った。
「お袋の姿が見えないんだけど、どこに行ったか知らないか」
このマザコン。心の中で軽く罵る。夫は一流企業のサラリーマンで、真面目で仕事もできて私にも優しい。只一点、母親に過剰なまでに頼っている事を除けば、何も問題はない。
「どこに行ったんだろう」
私が知らないと答えると、夫はソワソワした様子で奥へと歩いて行く。忘れているのだろうか。義母は昨日から二泊三日で旅行に出かける事になっているのを。忘れているなら、その方がいい。私は教えるつもりはないし。
夫のマザコンが酷くなったのは、義父が亡くなってからだった。義父が存命中は、義母は義父と仲睦まじい夫婦で、どこへ行くのも一緒だった。私はそんな二人を見て、私達もああなりたいと思った。しかし、夫が二人を見る目は違っていた。その目は、嫉妬に燃える者の目だった。私はおぞましい事を想像してしまった。夫は義母に親子以上の愛情を感じているのではないかと。
やがて義父の身体に癌が見つかり、病院に入院した。義母は毎日のように病院に行き、身の回りの世話をした。夫が、
「完全看護の病院だから、そんなに行く必要はないよ」
と嫉妬心剥き出しで言っても、義母は通い続けた。
しかし、義母の献身も虚しく、義父は他界した。それが今から三年前。始めの数ヶ月は、魂の抜け殻のような状態だった義母も、夫の優しい慰めの言葉に癒されたのか、少しずつ明るさを取り戻して来た。そこまでは微笑ましかったのだが、二人の親密さはそれで止まらなかった。私に隠れて、二人きりで温泉旅行に行ったり、買い物に出かけたりしていたのだ。私は別に嫉妬はしなかった。只、夫と義母の関係が気持ち悪かった。
「おかしいな。親戚の家にも友人の家にもいないんだ。本当に知らないのか」
夫はあちこちに連絡したらしい。恥ずかしいとは思わないのだろうか。呆れ顔になる。
「お前、ちょっと冷たくないか」
私の態度にムッとしたのか、夫はそう捨て台詞のような言葉を吐き、また奥へと消える。以前の私なら慌てて夫を追いかけ、謝罪したろうが、今はそんな事はしない。その必要はないから。大きく伸びをして、もう一度庭弄りを始める。春には奇麗な花が咲く。楽しみだ。
「交番に行って来る。何かあったのかも知れないから」
血相を変えた夫が、玄関から飛び出して来て、コートの袖を片方だけ通した状態で私に言った。ほんの少しだけドキッとした。交番に行くんだ。大袈裟ね。でも、大丈夫。警察が来れば、はっきりするから。お義母様は、旅行中だと。しかも、携帯電話を部屋に忘れたままでね。
「フフ」
思わず笑みが零れる。私は悪い女だろうか。花壇の土を入れ替えながら、ふとそんな事を考える。
しばらくすると、夫が息を切らせて戻って来た。
「お袋が行方不明だっていうのに、呑気に庭弄りなんかしてるなよ。お前も一緒に来てくれ」
夫の言葉に心拍数が上がる。只、話が訊きたいだけよ。何かわかるはずなんてないわ。自分を落ち着かせる。
「早くしろよ。警察も忙しいんだ。待たせちゃ悪いだろ」
夫は私が軍手をはずし、靴を履き替えるのをイライラして、見ている。私は別にわざとのろのろ動いているのではない。動揺。何か知られているのではないかという思い。そんなはずはないのだが、否定し切れない弱い自分。心の中の葛藤が、身体を強張らせる。
「そのままでいいよ。行こう」
業を煮やした夫が私に歩み寄り、右手を掴む。私は思わずその手を払いのけた。
「何だ、どうしたんだ、お前」
夫は不思議そうに私の顔を覗き込んだ。わたしの顔は紅潮していた。様々な思考が交錯して。
「外で汗掻いて、風邪引いたのか。顔が赤いぞ」
突然優しい言葉をかけられた。夫は私を気遣うように肩を抱いてくれた。
「怒鳴ったりして悪かったな。交番へは行かなくていいよ。部屋で寝ていろ」
その言葉に思わず安堵したが、悟られないようにしないといけない。
夫は私を掃き出し窓まで連れて行ってくれた。そして交番へと走り出した。大丈夫だろうか? 母親の姿が見えなくなっただけであの取り乱しよう。あんな男と今後も暮らしていけるのかしら? 心配だわ。でもね。いくら探してもらっても誰に尋ねても、貴方の大好きなお母さんは見つからないよ。お母さんは今は、春に咲く花のために眠っているのだから。
ごめんね。
心の中で夫に詫びた。