みにくい王子とみえにくい令嬢
ブルーリッジ伯爵家の長女ベルフィービーは生まれつき視力が悪かった。
色はわかるが物の形は見分けられない。
家族の顔もはっきりとはわからない。
そこに目をつけたのが王家だ。
次期国王たる王子、ヒューバート。
能力にも人格にも問題はないが、唯一つ大きな欠点があった。
容貌が奇怪だったのだ。
何故あの麗しい国王夫妻からこんな子が生まれてしまったのか、何かの呪いではないかと疑われたくらいに不気味な容貌であった。
呪いではなく、遺伝の妙、神の悪戯の類だったのだが。
とにかく、顔があまりにも酷いので、ほぼ全ての貴族家に婚約の打診を断られた。
実の親でも直視をためらう顔なのだ。
多感な令嬢たちに無理強いは良くない。
だが。
相手の顔がはっきり見えない令嬢だったら良いのでは?
顔さえ見なければ、王子は優良物件だ。
背が高いし、体型は引き締まっているし、髪はサラサラだし、声だって美声だし、頭脳明晰、温厚篤実。
本当に顔さえ見なければ。
そんなわけで二人の婚約が成立した。
誰もが良縁だと安心した。
唯一つ予想外だったのは、王子は皆が思うより優秀で、献身的だったのである。
王子ヒューバートは考えた。
無邪気な可愛いベルフィービー、こんな自分を慕ってくれる可憐な美少女。
視力さえまともなら、もっと良い縁に恵まれただろうに。
そう、視力さえまともなら。
まともになれるのだ、治してあげれば。
治せるのだ、自分なら。
容姿に悩み、呪いなら解けないものかと模索した結果、ヒューバートは呪いにとても詳しくなっていた。
残念ながら自分の顔は呪いとは無関係だったけれど。
ベルフィービーの目は呪いのせいだと彼は見抜いていた。
なんなら解き方もわかってしまった。
けれど解呪してしまったら、この醜い顔を彼女がはっきりと見ることになる。
見えてしまえば恐ろしいだろう、慕わしさなど吹き飛んでしまうだろう。
他の令嬢たちのように悲鳴を挙げて逃げ出すかもしれない。
泣き出すかも。
失神するかも。
そうなったら自分は耐えられるだろうか?
ヒューバートは愛しい婚約者を見つめた。
彼女の代わりはどこにもいない。
このまま何も知らせず、何も変わらずにいた方が…。
人の顔などわからずとも。
輪郭のない色彩だけの美しくて優しい世界を見ていれば…。
庭園の花に触れて香りを嗅いでいる彼女にヒューバートは優しく話しかける。
「ベル、もうそろそろ帰らなくては。西の空が夕焼けに染まり始めたよ」
「まあ本当。綺麗なオレンジ色ですわ。楽しい時間はすぐに過ぎてしまいますのね」
ベルフィービーはふと空を見上げた。
「夜になるとお空に星が光るのですってね。私にも見えたらいいのに」
彼女の無邪気な瞳がヒューバートを貫いた。
一月後、ヒューバートは婚約者の呪いを解いた。
ベルフィービー・ブルーリッジは家族に慈しまれて育った伯爵令嬢だ。
しかし小さな頃から微かな違和感を抱いていた。
「私の可愛いベルフィービー」
お母様が優しく語りかけてくる。
そのお姿はぼやけた大きな緑色(ドレスの色?)の上に白っぽい黄色(お肌の色?)と赤(お髪の色?)。
「いい子にしていたかい?」
少し低い声のお父様。
そのお姿は大きなダークブルー(服?)の上に褐色(顔?)と黒(髪?)。
輪郭のぼやけた楕円形の集合体。
人も物も全部そう。
本来なら目鼻口などが見えるはず。
人の顔がどんな風に見えるものなのか、ベルフィービーは知っていた。
なんなら人物イラストの描き方も知っていた。
手元が見えないから描けないけれど。
家族の顔を触って確かめると、その形をありありと思い描く事もできた。
眉毛やまつ毛の長さまで想像できる。
表情だって映像として思い描けるのだ。
愛情に満ちた顔、心配そうな顔、困った顔。
人の目には白目と黒目がある事も知っている。
黒目には瞳孔と虹彩があるという事も知っている。
瞳孔は明るいところでは小さくなり、暗いところでは大きくなるということも知っている。
そんな人の顔の細部など生まれてから一度も見たことがないのに、なぜか知っているのだ。
知るはずのない事をたくさん知っているベルフィービー。
それらを家族に伝えると、
「あなたはきっと生まれる前の神様の国にいた時の事を覚えているのね」
「神様の祝福だと思うよ」
と言われた。
そうか、祝福なのか、とベルフィービーは納得した。
それを踏まえて。
ヒューバート殿下、素敵な婚約者様が醜い怪物のような顔だと言われているのが納得いかない。
触らせてもらえば目鼻口がわかる。
家族の顔と比べてみても、ヒューバートが醜いとは思えない。
鼻が高すぎるとか低すぎるとかでもなく、口が大きすぎるとか小さ過ぎるとかでもなく。
むしろ整っているのでは?
傷痕などもないようだし、触った感じお肌はスベスベである。
どこがどう醜いのか。
何回触ってもわからない。
ある日、侍女に尋ねてみた。
「殿下のお顔はどんなお顔なの?」
「申し訳ございません、私からはただ恐ろしいとしか…」
メイドにも同じ質問をしてみた。
「人間じゃないみたいな感じです! なんていうか、悪魔がいるとしたらあんな感じかと」
メイドはメイド長に引きずられて行った。
口の悪さを叱られるのだろう。
それはそれとして、納得いかない。
悪魔だなんて、殿下には角も牙もないのに。
人間じゃないみたいな顔ってどんな顔?
そう考え始めると、小さな頃からの違和感がムクムクと頭を持ち上げてくる。
皆の方が変なのでは?
細かいところは見えないけれど、なんだかおかしいと感じる事が度々あった。
何か違う、と。
殿下と向かい合っている時はそんな違和感を感じない。
神様の国の記憶のせいか、懐かしいような、安らぎさえ感じられる。
もしかしたら、殿下のお顔は神様のお顔に似てるんじゃないかしら。
だから人間じゃないみたいって言われるのよ、きっとそう。
ベルフィービーは自分の中でそう決めた。
そんなベルフィービーとヒューバートの何気ないデートから一月後、ベルフィービーの目が治った。
呪いが解かれて、目を開けたベルフィービーが見た物は細部までくっきりとした人の顔だった。
心配そうな、どこか悲しげな人。
思い描いた通りの顔、大好きな人。
やっぱりあなたは綺麗だわ。
どうして悲しそうなのかしら?
殿下、と声をかけようとした時、目の前に何者かが割り込んだ。
「ベルフィービー、見えるか? お父様だよ!」
「お、お父様?」
父親のその顔面はアミメニシキヘビみたいな網目模様に覆われていた。
更にもう一人割り込んでくる。
「お母様よ、見える?」
「お母様っ!?」
その顔一面に豹柄の模様があった。
蛇人間と豹人間に囲まれて、ずいっと顔を近づけられたベルフィービー。
怖い。
彼女はパニックに陥った。
助けを求めて見回すと、壁際に立つ人、人、人。
侍女の顔はゼブラ模様だった。
シマウマ人間ね、怖い、とベルフィービーは思った。
メイドは目の周りが斜め楕円形に黒かった。
パンダ人間だわ、怖い、とベルフィービーは思った。
きっと耳も黒いに違いない。
メイド長の顔は白と黒の市松模様だった。
動物柄以外の模様もあるのね、とベルフィービーは少し落ち着いた。
人の顔が市松模様なのはおかしいが、蛇人間や豹人間よりは怖くない。
「殿下にはなんとお礼を申し上げたら良いのでしょう」
母が涙ぐんでいる。
よく見ると美人。
だが顔面豹柄。
怖い。
「今日は最高の日だ」
さあ飛び込んでおいでと腕を広げる父。
よく見るとカッコいい。
だが蛇柄。
怖い。
「ベル」
王子は模様がない、無地だ。
人の顔を無地と呼んで良ければだが。
「殿下!」
思わずしがみついたベルフィービーは悪くない。
腕を広げたままの父親が固まっているけど。
神様の国の記憶が『アミメニシキヘビは怖い』と言っているから仕方ない。
この世界の人は皆、生まれた時から顔に顔紋と呼ばれる模様がある。
小さな図がポツンとあるより、大きな図が広い範囲にある方が美しいとされている。
王妃は赤い薔薇の花模様。
国王は孔雀の羽根模様。
絢爛豪華なカップルである。
さすがロイヤル。
庶民はハチワレだったりトラジマだったり。
水玉模様や格子縞も多い。
まあ大体、庶民の顔模様はシンプルで小さくなりやすく、貴族の方が複雑で、絵柄が大きく、色彩も華やかになりやすい。
騎士団長の息子の顔にはドラゴンの図柄、宰相の息子の顔には蜘蛛の巣の図柄、商人の息子でさえダイヤの図柄が頬にあるのに。
ヒューバート王子だけ何もなかった。
あるべき物がそこにないわけで。
例えて言うなら真っ白な仮面のような、不気味で、恐ろしい顔ということになる。
尚、ベルフィービーが恐る恐る鏡で確かめた彼女の顔には、ピンク色のハート模様が散りばめられていた。
とても可愛らしく美しい。
この世界の基準では。
本人は『なんか思ってたのと違う』と肩を落としていたが。
顔紋を持たない王子と呪いが解かれた令嬢はめでたく結ばれ、夫婦となった。
二人は終生仲睦まじく暮らしたという。
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