第百七十話 敵地へと向かう準備
ミルトちゃんは、チルドナの真ん前に立った。
「あの時は、本当に苦しかった。それでも、消えたくないって一心で、ギリギリまで堪えたわ」
ミルトちゃんはチルドナに向かって大きな声で言ったが、それは責めるような口調ではなかった。
「⋯⋯ハイ。その思念は伝わっていました。でも⋯⋯どうしようもなくて」
チルドナもわかってたんだ。それもまた地獄。
「そうだな⋯⋯普通は、憑依定着した時点で元の肉体の持ち主の魂は潰されるが、ミルトの場合は、なまじ神力による抵抗する時間があったから、長く苦しんだんだ」
フブル姐さんが、ミルトちゃんに同調した。
「ハイ。本当に申し訳なく思っております⋯⋯」
「今更よね。でも、もうそれは過ぎた事だからいいの。それよりも、これからの強制憑依を止めさせる事の方が重要よ!」
ミルトちゃん!その歳でそのセリフが言えるとは⋯⋯!
恐れ入りました!さすがは、小賢者様!!
やっぱオレっちたち庶民とは、考え方が違うんだなぁ。常に未来思考、感情よりも実を取るってことが咄嗟にできるんだ。
「ミルトの言う通りだ。⋯⋯しかし、ここにきて少し困った事がある。あちらの大陸へと渡った加護種の大半は、憑依用ではなく純粋な労働力として働いているんだ」
《その者たちは、見つけしだい強制送還すれば良いのでは?》
『カガリス様。それだと、また自分で出稼ぎ志願して戻っちゃいますよ!』
「タロスの言う通りだ。好待遇の職場が多いようだし、戻る可能性が高い」
『それに、アッチは良かった!⋯な〜んて周りに言いふらされるのも困りますし!』
口コミで、今以上に志願者が増えたら困るやん!
『でも、なんで好待遇なんですか?』
オレっちの前世の某国のように、安い労働力を求めて⋯とかじゃないの?
「一番の理由は、こちらの加護種や人間たちが持っているスキルだな。あちらの人間たちは魔力が少ない上に、スキルが身体系のものばかりに偏っているんだ」
「それはそうですよー。だってあそこの連中は、竜神の加護が無くなった後、竜体化できない上に魔力が低くなった状態で樹海の固有魔獣や魔海の海魔獣の脅威に晒されて、とんでもなく身体能力が跳ね上がったそうですからー」
チルドナはサラッと言ったけど、それって、やべー環境で仕方なくそうなったってことだよね!?
「どれくらいスゴいの?」
ミルトちゃんが、興味津々といった感じで訊いてきた。
「魔法無しで魔法を使った場合と同じくらいの運動神経⋯⋯ですかね〜?」
それって、強化人間とか忍者のたぐいなのでは?そんな人間たちばかりの国って──アカンやん!(汗)
⋯⋯ん?待てよ。
『だったら、そっちの人間に憑依した方がいいんじゃないの?』
ただの人間の方が、加護をリセットする手間も省けるしな。
「もちろんしてますよー。でも、あちらの人口は、かなり⋯ものすご〜く少ないんです。そもそも大陸と言っても、ほとんどが樹海だから人が住める場所が限られてるし、竜人だった頃から入植者もさほど多くはなかったようですしねー」
そうなんだ。だから、憑依体も労働力も自国だけでは足りないのか。
『でも、だからってこっちの人たちを犠牲にするのは⋯⋯それならいっそのこと、大規模転移の装置を破壊したらいいのでは!?』
というか、最初からそうすればよかったんだよな。⋯⋯あ、しまった!アレって、スゴく頑丈だった!!
「⋯⋯確かに、私なら破壊できるが⋯⋯しかし、できることなら破壊したくないんだ」
姐さんなら破壊できるんだ!⋯って、え?
『えーと、それは、何か困ることがあるということですか?』
「向こう側の大規模転移装置は、ウルドラム大陸内の複数の装置と連動している。つまりそれは、あちらの大陸とこちらの大陸を結ぶ唯一の移動手段だということでもある」
姐さんは、オレっちを見つめた。正確には、カガリス様の中にいるオレっちを視ているのだろうが。
「⋯⋯私は、ザドキエルや憑依神のことさえなければ、向こうの大陸の人間との交流はありだと思っている。⋯⋯というよりも、あんな場所でしか生きられない彼らを、このウルドラム大陸へ移住させ──いや、元の故郷であるこの大陸に戻した方がいいと考えているんだ。そして、もし、その機会が訪れた時には、あの大規模転移装置は絶対に必要なものとなる」
⋯⋯。そうか。姐さんは、あの大陸の民のことまで考えて──
オレっちって、ホントに単純思考。フブル姐さんの言った通り、いろんな可能性を考えておく必要があるんだ。
《では、あの書き換えられた装置の術式は、元に戻した方が良いのでは?──そうだ!元に戻すよりも、私のオリジナルの術式に換えてしまいましょう!!》
《そうか!ヴァチュのオリジナルなら、奴らの出稼ぎには使えねぇが、俺たちならそれが必要となった時に使える!》
おお、その手があったか!さすがはヴァチュラー様!神プログラマー!!
《奴らの術式は前に見た時に解析済みだから、問題は、転移装置がウルドラム大陸のアチコチにある事と、アチラ側の装置も書き換えなきゃならない手間なんだけど⋯⋯いや、連動してるなら、それはこちら側からでも可能かな?》
ヴァチュラー様が、何やらブツブツと独り言を呟き始めた。
「あの⋯⋯とりあえず、ウルドラム大陸のシステムの方は、ブルタルニアとアメジオス⋯⋯そして、ネーヴァだけでいいのではないでしょうか?」
それまで控えめに話を聞いていたニナさんが、ヴァチュラー様に提案した。
『ネーヴァ⋯⋯ですか?』
なしてネーヴァ?オレっちは、首を傾げた。
人間の国の中で大規模転移装置があるとしたら、国土が一番広いパールアリアだと思っていたからだ。
「私の記憶では、確か人間の国の地に現存している大規模転移装置は、ネーヴァの地に残る物だけの筈です。もともと大陸中央と現在の人間の国々は、竜の神々が多く定住していた地で、そこにあった古き神々の遺物のほとんどは破壊されています。ネーヴァの地は、昔から寂れた山岳地帯だったので、そのまま放置されていたのでしょう」
つまり、ド田舎のとこだけ残されてたのか!
「ブルタルニアの大規模移転装置は、私たちエルフが保存しておりました。アメジオスの装置は埋められて、その上に建造物を建てられたようですが」
『あー、カジノの地下にあったやつですね!』
元は大昔の竜人の屋敷だったんだっけ?多分、わざとそこに建てたんだろうな。竜の神々ならともかく、竜人にアレの破壊は無理だから。
「よし。ブルタルニアとアメジオス──まずはこの二国内の装置の書き換えだな。ネーヴァは一番最後に⋯⋯いや、あちらの大陸へと転移する時に換えよう。頼むぞ、ヴァチュラー」
《はい、末姫様!お任せを!!》
「ちなみに転移先は、ザドキエルの城の中になるのだが⋯⋯」
《敵地のど真ん中ですか!?なんとも大胆な⋯⋯さすがは末姫様!!》
「いや──」
カガリス様の言葉を、姐さんは否定した。
「いや、どちらかと言うと姑息だ。外からザドキエルの城に入り込むと即バレして警戒されるからな。ネーヴァから送り込まれる者たちに成りすましての潜入──まさか、この私がそのような姑息な手段を使うとは、奴らは夢にも思うまい」
《⋯⋯》
カガリス様、撃沈!
「だが、仮に潜入に成功したとしても、肝心の憑依装置の場所とその製作神の居場所が、はっきりと掴めていない」
姐さん⋯⋯まさかの、行き当たりばったりですか!?
「チルドナ」
姐さんがその名を呼ぶと、皆の視線が一斉にチルドナに集まった。
「⋯⋯」
視線を向けられたチルドナは、しゃがんで砂浜に人差し指を突っ込み、何やら絵を描き始めた。どうやら、現実逃避したいらしい。
「消滅するか案内するか⋯⋯選んでいいぞ」
フブル姐さんは特に凄むこともなく、淡々とチルドナにそう言った。逆に怖いがな。
「それ、二択じゃなくて、実質一択でしょ〜?でも、わたス、ホントに役に立たないですよ?あの城の内部なんてずぇんずぇん知らないし。⋯⋯あっ、そうだ!憑依装置より、加護契約一括破棄の術式装置を破壊した方がいいですよ〜!ちょっと前に聞いた話だと、そろそろ準備が整うって言ってたしっっ!!」
加護契約一括破棄⋯⋯それって、まさか!?
《──次の海の呪いか!!》
キュ!そうだよ、海の呪いだよ!その第三弾だっっ!!




