第百六十四話 青天の霹靂
《おい、起きろタロス!》
「ホエ⋯⋯?」
カガリス様に起こされて目が覚めたオレっちは、真上にある天井に違和感を覚えた。
⋯⋯天窓なんてオレっちの部屋にあったっけ?──あっ、そうだ!昨夜は、そのままフブル姐さんの隠れ家に泊まったんだ!そんでもって、ゲストルームに入った途端、ベッドに倒れ込んだんだっけ!
とにかく、体も頭も極限まで疲れて、お腹も空かないぐらいフラフラだったんだよ〜⋯⋯
と、思った途端に、グウウウゥ〜と腹から大きな音が鳴った。ぐっすり眠ったら、食欲が復活してきた!
《オラ、さっさと顔を洗って、末姫様にご挨拶しろ!》
「あー⋯⋯ハイハイ」
《シャキッとしろ、シャキッと!》
「イエ〜ス、マ〜イ・ゴ〜ッド!」
「おはようございます、カリスさん!」
⋯⋯カリスさん??
昨夜、ニナベルタ様から説明を受けた食堂へと行くと、オレっちと同じくらいの歳の加護人の女の子がいた。
黄銅色の髪に、アクアマリンのような澄んだ藍緑色のお目々⋯⋯髪で左目を隠しちゃってるから右目だけしか見えてないけど⋯⋯この子、誰?どこの子?
「アタクシは、ミルトレーカ!よろしくね!これでも、一応、アメジオスの賢者の一人だったのよ!」
「キュ!?」
完全に目が覚めた。この幼い少女が、賢者!?
あれ、でも──この国の賢者は、カトラジナさんとイブリエルさん、そんで残りは男性賢者で、最後の一人は、カトラジナさんの──
「アタクシは、アメジオスの筆頭賢者、カトラジナの娘なのよ!」
ディープインパクト──ッ!!
あのデ⋯⋯いや、ドスコイ体型のカトラジナさんの娘とな!?
でも、よーく見たら⋯⋯あの人が痩せて、もっと幼かったら──こんな感じの美少女だったかも!?
「ん?でも確か娘さんは、ペナルシーに⋯⋯」
どこかに連れて行かれて行方不明だったハズ。死亡説も濃厚で、ペナルシーに怒りを覚えた記憶がある。
「フブル様に〜助けられたんだって〜」
先に食堂にいたエイベルが、オレっちの方へと近づいてきた。その両手には、青々とした葉野菜が山盛りになってる大皿が。どうやら、朝ごはんの支度を手伝っているらしい。
「その辺のことは、食事の後にしましょ!アタクシも、お手伝ってくるから〜!」
そう言うと、賢者⋯いや、ミルトレーカさ⋯ちゃん?は、食堂の左隣の部屋へと続く扉を開けて、そのまま部屋から出ていってしまった。
はっ!オレっちも、何かお手伝いを──
しかし、食堂のテーブルの上を見ると、すでに食器類のセッティングは終わっており、エイベルも大皿──サラダをテーブルの上に置くと、次に何をすべきなのかわからないようでソワソワしていた。
「⋯⋯とりあえず、席に座ろうか、エイベル」
「うん〜。そうだね〜⋯⋯」
お茶は──まだ淹れるには早いか。
う~む⋯⋯もしかしてオレっちたち、フブル姐さんたちよりも早く起きて朝食を作るべきだったのでは?
神と半神と賢者というメンバーの中では、神の憑依体とはいえ、オレっちたちが一番の下っぱだもんね。
うん。今朝は出遅れたが、これからするであろう洗濯や掃除なんかは、オレっちとエイベルでさせてもらおう。
「なぁエイベル、朝ご飯が終わったら──」
「お待たせ!簡単な朝食で悪いんだけど、コレで我慢してちょうだいね」
扉を大きく開けて、ニナベルタ様が二段式のトローリーを押してきた。そのプレートの一段目と二段目には、目玉焼きとベーコンをセットで入れた皿が五枚──人数分置いてある。
「パンは市販のモノだけど、それなりに美味しいから」
続いて現れたフブル姐さんの両手には、何種類かのパンがたくさん入った籠が。その後ろには、銀色のお盆を持ったミルトレーカちゃんがいた。
お盆の上には、バターにハチミツ、塩やドレッシングの他にも、いろんな調味料が置いてあった。
「おはようございますっ!フブル姐さん、ニナさん!!」
慌てて、椅子を引いて立ち上がる。こうなったら、せめて挨拶だけは丁寧にしておこう。
「おはよう、タロス君」
「おはよう、タロスと──カガリス」
《おはようございます、末姫様!タロスのヤツがなかなか起きなくて⋯⋯出遅れてしまいました!申し訳ございません!!》
「もう少し寝かせてあげたらよかったのに。憑依の負荷を考えれば、疲れて当然だろうからな」
《いえ。そうするとタロスは、昼まで寝ているでしょう!甘やかしてはなりません!!》
反論できない。実際、カガリス様がいなければ、間違いなくそうだったろうから。
《逆にエイベルは、緊張して夜明け前には目が覚めちゃったんだよね》
ヴァチュラー様がそう言うと、エイベルがはにかみながら、コクコクと頷いた。
「でも〜夢も見ないくらい短時間で熟睡してたから〜眠くはないです〜」
「そう?だったらいいけど」
「後で、フルーツもお出ししますね。まずはお茶を──紅茶にコーヒー、緑茶にココナッツミルク⋯何でもありますよ」
──しまった!せめてお茶ぐらい淹れようと思ったのに!!
結局、皿一枚出せず飲み食いするだけのオレっち。イカンなぁ⋯⋯。
◇◇◇◇◇
ワイワイと賑やかに食卓を囲み、食後の雑談で、ニナベルタさんのことは、ニナさん。ミルトレーカちゃんの事は、ミルトちゃんと呼ぶことになった。
「ペナルシーがね。アタクシみたいな賢者でも、普通に学校に通える国があるって言ったの。それで、短期留学してみないかって誘われて⋯⋯」
ミルトちゃんが、少し恥ずかしげに俯いた。彼女的に黒歴史になったんだろうな、きっと。
「でも、ミルトが連れて行かれた先は、リベルタニアだったんだ。ちょうどその頃、私はあちら側にいて、憑依神たちの活動の邪魔をしてたんだ。その際、一柱だけだが元の体の持ち主の魂を残していてね。その憑依神の神魂を封印して、元に戻したんだ」
姐さん、サラッと神魂を封印したって言ったな。それってスゴいことだと思うけど。なるほど、ペナルシーたちが震え上がってたワケだ。
「ミルトは憑依された時、無意識のうちに神力で魂を護っていたんだろう。とは言っても、あの状態ではさほど保たなかっただろうが。間に合ってよかった」
「はい、姫姉様。⋯⋯アタクシ、賢者なのに憑依された時、何もできなかった。圧倒的な神力の前では、今の賢者なんて他の加護種たちと変わりないって、思い知りました」
いや〜、それでもフツーの加護種よりは強いと思いますけど?
「あの~ミルトちゃんは〜カトラジナ様のところに〜どうして戻らなかったんですか〜?」
「エイベル。カトラジナ様のとこには、ペナルシーのヤツがいただろ?」
「あ〜そうだった〜!でも〜今だったら帰れるかも〜?」
ふむ。そうだな。ペナルシーは逃げたし、カトラジナ様は用済みだと言われていたし。
「それはできないの。アタクシは、もう姫姉様の眷属だから。お母様と同じ加護種では無くなっちゃったもの」
言葉の内容の割には明るい声で、ミルトちゃんはそう言った。
姐さんの眷属⋯⋯?それって、加護契約の変更だよね!?でも、なんで!?
《末姫様!け、眷属にしたのですか!その小娘をっ!!》
カガリス様がめっさ慌ててる。小娘って⋯⋯そりゃあ神様からしたら、賢者だってただの小娘か。それにしても、この慌てぶりは何だろう?
「それしか方法が無かったんだ。憑依から解放されても魂は相当なダメージを受けて、自我が消去寸前だったから。ミルトには悪いことをしたが」
「いいえ、姫姉様。あの時、それでも生きたいと願ったのは、アタクシですから」
《⋯⋯⋯》
あ。カガリス様黙っちゃった。う〜ん⋯⋯姐さんの眷属になると、何か問題でもあるんだろうか?
◇◇◇◇◇
☆ ミルトレーカ視点 ☆
アタクシの名は、ミルトレーカ。少し前まではヴァルパティという加護種だったけれど、今はもう違う。
母は、アメジオスの賢者の一人、カトラジナ。そして、アタクシも生まれたその時から賢者としての称号を与えられていた。
父は、母の後宮に入っていた夫の一人で、とある元老の親戚筋の者だったらしい。らしいとは、アタクシはお父様と一度もお会いしたことが──ううん。その記憶がまったく無いからだ。
お父様は、アタクシが物心ついた頃には、南部の領地を管理するという名目で、母賢者とは別居していた。
女官たちの噂では、そちらで複数の愛人を作り、好き勝手やっているらしい。
それを聞いても特に思うところがなかったのは、母賢者がお父様の存在自体を忘れていたからだ。
だってアタクシがお父様の事を訊いた時、名前もうろ覚えで、顔もハッキリ憶えていないくらいだったもの。
お母様もかなりのお歳だし、ほぼ義務的な子作りだったからそんなものなんだろうけど、なんとなく残念ではある。
だって、お母様のお父様──お祖父様のような子煩悩な方ではなかったんだもの。
お祖父様は、最期までお母様とご一緒で、とても仲の良い親子だったと聞く。アタクシの名前もお祖父様が命名したというしね。
けれど、アタクシが産まれて半年も経たないうちに亡くなられて⋯⋯だからだろうか。お祖父様の死から立ち直れないお母様とあまり接する機会がなかったのは。
それでもアタクシは、さほど淋しいとも、お父様の所に行きたいとも思わなかった。
女官長や女官たち、護衛の者──母賢者が無関心であっても、彼らがアタクシに尽くしてくれたから。
特に、乳母の娘で女官になったばかりのセラニアは、自身が本好きだった事からアタクシに多くの物語本を読み聞かせてくれた。
最初は定番の絵本だったけれど、歳が上がるにつれ、様々な種類の本を薦めてきて──でも、途中から変愛小説に偏ってきたけどね。
彼女が薦めてきた恋愛小説の中でも、パールアリアから出版させていた本は、特に面白かった。
『ある真実の愛の物語』──身分の低い女性が身分の高い王子と結ばれる⋯という話だが、それを邪魔する令嬢やその取り巻きの嫌がらせが妙にリアルで、主人公に同情しながら共感し、とても面白かった。最後に数々の障害を乗り越えて二人が結ばれた時には、涙したものだ。
この話の元ネタとなったのは、マリアベル王国の王室らしい。最初は、王だとか貴族だとかが威張っていたり、ここまで身分を盾にイジメ抜くという設定がよくわからなかった。
でも、セラニアはその辺りの解説がとても上手く、『アメジオスで言えば王子は賢者様、悪役令嬢は上位元老の娘ってところでしょうか?それに、人間の国では王子や王女に幼い頃から婚約者をつけるらしくて、それ以外だと受け入れ難いみたいですよ。さらに、身分制度がガッチリし過ぎて、え~と確か、上から王族、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵⋯でしたっけ?でも、そもそもマリアベル王国の王室って詐欺師から始まってますから、私たちから見れば、本当に理解し難い制度なんですけどねぇ』
それは、アタクシも思う。だって、マリアベル王国の初代の王って、賢者ですらないただの人間だもの。
竜の神々の半神血族──竜賢者の夫だったという最初の王は、竜賢者に寵愛されてその意志を受け継いだと彼の国では伝えられている。
けれど実際は、竜賢者が死にかけた段階で後宮入りした男が、周囲の神輿に担がれて成り立った地位だと、マリアベル王国以外の国々では周知されていた。
ちなみに、そのよく解らない人間の国は、このアメジオスの隣国でもあるのだ。
まあ、それはともかく、アタクシは特に不満も無く日々を過ごしていたワケだが──違うわね。不満はあったのよ。それは、『学校』!アタクシも入学してみたかったっっ!!
女官たち⋯ううん、あの元老たちでさえ入学して卒業しているのに。
確かにアタクシには専属の教師たちがいたが、彼らは勉強を教えてくれるだけの存在で、学校のように昨今の面白い話を共有できる者たちではない。そう、友達ではないのだ。
そんな時だ。母賢者の新しい夫となったペナルシーと会ったのは。
『ボクの郷なら賢者でもフツーに学校に通えるよ〜?なんせ、この国から思いっきり遠く離れた場所にあるからねー。行きたいのなら、ボクが連れて行ってあげるよ☆』
ペナルシーは、とても変わった男だった。賢者であるアタクシや母を前にしても気安いし、時にはアタクシをからかうような言動もあった。
実際、最初の頃は女官長に注意を受けていたが、それでもヘラっとしていたし。
なんというか⋯⋯それまでにはないタイプの夫だったからなのか、母賢者には寵愛されていたようだ。
『カトラジナがねー、行ってもいいって!手配はコッチでしておくから、楽しみにしててねー☆』
思えば、そこからの記憶が曖昧で、ようやく頭がハッキリしたのは、恐ろしいほどの神力で圧し潰れそうな感覚を感じた時だった。
重いっ!嫌!潰されるのは嫌ッ──!!
体全体に重い石が乗っているような拷問を、長い長い時間、耐えた。必死だった。だって、消えたくなかったから──
《ここで生きながらえても、貴女の肉体も魂も元には戻れない。⋯⋯それでも生きたい?》
誰かの声が聴こえた時、重い圧は無くなったけれど、まだ思考が上手く働かなかった。あまりにも神力と魔力を限界まで消費した為に、自我さえも弱まっていたのだ。だから、本能のみでその問いに返す事になった。
どんな形でもいいから生きたい──と。
《私の眷属となる事は、輪廻の輪から外れるという事。貴女の魂は次へと転生できず、私の一部となってしまう⋯⋯それでもいいと?》
⋯⋯この方の一部となるのなら、それでもいいかも。だって、この方の神気は暖かくて懐かしくて──そう、何だか懐かしい。アタクシはまだ12歳なのに懐かしく思うなんて⋯⋯不思議だけど、全く怖くないし、安心する。
迷いは無かった。
魂は何度でも使い回され、やがて塵となって滅する──誰かがそう言ってたような気がする。どうせ最後に消滅するなら、この方の神力となって消えるのも悪くない。
──こうしてアタクシは新たな加護を得て、生まれ変わった。
「わあ♪」
すごく体の調子がいい。体がとっても軽いわ!神力の質が変わったのがよく解る。
あら、でも⋯⋯左の目が変だわ。元の薄い藍緑色から、黄色、赤に紫と変化して──色彩が安定しない。そうか。これがきっとアタクシが姫姉様の眷属になったという証なのね!
神力も以前とは比べ物にならないほど多いし──少しはお役に立てるかしら?
それからの一年は、新たな神力の使い方を学ぶ日々だった。
そして、つい先日、エルフの長の妹──半神たるニナベルタ様が姫姉様に連れられて、ここにいらした。
そのすぐ後には、古き神々の憑依体の方々が⋯⋯って、あら、カワイイっ!カリスとチュラーの動くヌイグルミ⋯じゃなく、子供だわ!!
小獣人図鑑はアタクシのお気に入りの本だったから、加護種名はバッチリよ!大人の小獣人は何度か見たことはあるけれど、子供は初めて。白と黒のモフモフ!やっぱりカワイイっっ!
あら?白い毛のカリスの子──タロスって呼ぼれてた子が目玉焼きに醤油を──エッ、醤油!?塩じゃないの!?
『う〜む。醤油だと濃いな。目玉焼きには、やっぱ、ポン酢が一番だなっ!』
ポン酢??これが⋯⋯小獣国との食文化の違いというものなの!?せ、青天の霹靂──っ!!




