第百六十三話 エル・ハデス
「そうか⋯⋯タルタロスへの追放は、神界でもかなり昔の話だったから、加護種たちにはその名さえ知られていなかったね。タルタロスは、高次元、低次元──あらゆる世界の集積情報が最後に行き着く場所だと伝えられているんだ。だが、それは噂だけで、本当のところは私でも解らない」
え。特殊な神様⋯⋯フブル姐さんでも解らないの!?
《そもそもタルタロスは、その名も存在も、いつの間にか神界に広まっていた噂で、誰かが実在を確認した世界じゃなかった。けれどその昔、とある神界の変神⋯もとい、頭の作りが特殊過ぎる神が、その存在を数々の情報から計算し、確定した。そして、実際にそこへの入り口を開けるための神術まで作ったんだ》
『へぇー⋯⋯』
人の世界にもそうした凡人には理解不能な理論や物を作り出す天才がいたが、神界でもそうなんだ。
ん?そういえば──いたな!ダンジョンやステータス画面を作成した神が!!
「だけど、入り口は開けることができても、そこからの検証はできない。タルタロスは一度入ってしまうと、あちら側からは出ることができないという話だったから。でも今現在、過去にタルタロスへと追放された神々が、次々にこちらへと渡っている。尤も、さすがに本体は捨てているようだが」
キュ!?体を捨ててる!?
《やはり、そのやり方で──いえ、それしか方法が無かったのでしょうね》
「そうだよ、ヴァチュラー。彼らは、神魂のみの召喚で、タルタロスから脱出しているんだ」
『⋯⋯』
え~と⋯⋯召喚って、マンガとかゲームでよく出てくるアレですよね。
確かに神や悪魔を召喚するのは定番演出だったけど、それはそん時だけで終わる術で、喚び出して憑依させ、そのままずっーと使役するのは、ちょっとズルくねぇ?特に敵側でそれをやられると、絶望的なんですけどぉ?
◇◇◇◇◇
☆ 忘れさられた女神、カーリリス視点 ☆
「なーんであのタイミングで、あの女が出てくるのかなー?」
「そうよね。それに、なんであの崩壊した部屋に、ひょっこり現れたワケ?」
「⋯⋯それも気になるが、お前たち──いい加減に、俺から離れろ」
「「あー、ゴメンー!」」
ペナルシーとハモりながら、ゾルボルトから離れた。慌てて転移したから、つい忘れてたわ。
あの女──神滅の闘神、フブニールから逃げ、拠点であるエル・ハデスにある主神殿の屋上へと転移したアタシたちは、今になってようやく、あの状況の不自然さに気がついた。
「俺が、あのエルフを殺す事を事前に知っていた?いや、それなら殺る前に現れる筈だが⋯⋯」
「あの毛玉神たちの神力を感じてだとしてもー、なーんか変なんだよね。不意打ちで攻撃してこなかったしー」
「そうよね。加勢するタイミングなんて、幾らでもあったのに」
アタシは、ゾルボルトとペナルシーの言葉に同意した。こうしてアタシたちの意見が一致するのは、ものスゴク珍しい。
なんせ、ゾルボルトは融通が利かないし、ペナルシーは情報共有しようとしない。真面目で柔軟な思考を持つワタシとは意見が合わない連中だからね。
「それより、ザドキエル様と──我が王に御報告だ。古き神々とやらの憑依体による介入、及び、エルフの長の妹の処理、そして──神殺しの姫神のな」
ゾルボルトはそれ以上の会話は無駄だと言わんばかりに、姿を消した。
せっかちな男よね。まあ、率先して報告してくれるのはありがたいけど。アタシ、あの方々の前だと、柄にもなく緊張しちゃうからな〜。
「でも、アレがフブニールかぁ。あの姫神ー、せっかくボクが連れてきたあの子を、アッサリ殺しちゃったらしいんだよねー」
「何の話よ?」
「言ってなかったっけー?去年、アメジオスの賢者の娘をザド様に献上したんだけどさー、仲間の憑依後に、あの女が殺しちゃったんだ」
「ふ~ん。つまり、点数稼ぎの貢ぎ物を無駄にされたってワケね。そういえば、去年、そんな騒ぎがあったらしいわね。アタシは、アッチの大陸にいたから知らなかったけど」
「ボクもアッチにいたから、後で聞いた話なんだー。その時に、あの子以外の憑依体の何人かも殺られたけど、大半はギリでザドキエル様が助けたらしいよー」
「⋯⋯元の神力の半分も出せないアタシらじゃ、フルパワーの闘神の相手なんてできないもんね。やっぱ怖いわ、あの女。こうなったら、人海戦術ならぬ神海戦術で圧したいとこだけど、それもなかなか難しいしねぇ」
タルタロスからこの世界への召喚は、術の複雑さと大量の神力消費がネックとなり、思うように数を増やせていない。
アタシがここに召喚された時も、一柱だけだっけ。ふと、あの日の事を思い出す。
『ようこそ、古の女神よ。こんな形での召喚は申し訳ないが、これしか方法が無かったのでね』
華やかな顔の、それでいて凪いだ眼をした男神が視えた。召喚直後の神魂だけが喚び出された状態のアタシに向かって、穏やかに微笑んでいる。
昔のアタシなら、いかにも胡散臭い笑みだと警戒しただろう。でも、タルタロスに永く閉じ込められていたせいか、自分でも驚くほど素直にそれを受け止められた。
『私の名は、ザドキエル。貴女の名は?』
『⋯⋯?名前?名前⋯は⋯カー⋯⋯カーリ?違う。え~と⋯⋯カーリリ、ス?そう、カーリリス、カーリリスよ!』
ザドキエル様から名を訊かれたアタシは、ようやく自分の名前を思い出した。
あの世界は、神力を削ぐだけでなく記憶まで奪いつつあったのだ。アタシは、自我の根幹たる名ですら忘れかけて──そう思った時、ゾッとした。
そうか。あの閉ざされた界は、そうやって神魂を消滅させていたんだ──
それでも思い出せたのは、我が君のお陰だろう。タルタロスの中に棄てられたアタシたちをまとめ、その強大な神力で限界まで護って下さった、偉大なお方の。
そもそも、我が君とザドキエル様の思念のやりとりがなければ、あの地獄からは出られなかった。まあ、御二方の思惑は、それぞれ別だったかもしれないが。
「あー、雨だ!じゃ、ボクも行くから!」
慌てた様子のペナルシーが、そう言って姿を消した。
「雨って⋯⋯小雨じゃない」
どうやらペナルシーは、雨が苦手らしい。こんな水滴、神力で弾けばいいだけなのに。
ここから見る景色──小雨の中で見下ろすエル・ハデスは、主神殿と神王殿の周囲にこそ他の建築物は見当たらないが、それ以外の場所は、高層の建物が密集している。
この街は、ウルドラム大陸にある各国の首都と比べると、やや狭い。
それもそのはず。北、西、東の三方は樹海に囲まれ、南は海という環境の地だからだ。それでも、樹海を少しづつ開拓し、昔と比べるとだいぶ広くはなったそうだが。
アッチの──ウルドラム大陸の連中は、ここを、暗黒大陸だとかリベルタニアだとかと呼んでいたわね。
でもアタシたちにとっては、それは過去の話。今現在の大陸名は『ウルガイア』。そして、この国の国民は、人間。そう。かつての竜人たちの子孫たちだ。
『ウルドラム大陸の者たちは、私たちがこの過酷な地で生き残っているとは思いもしなかったでしょうね』
「だと思うわ。忘れられた大陸って言ってた者もいたぐらいだから、とっくに全滅したと思ってるでしょ」
『ふふっ』
アタシの中にいる、この身体の本来の持ち主──エアが、笑った。
エアは、このウルガイアの人間の一人で、自らアタシたちの憑依体として志願してきた者だ。当然、彼女は死を覚悟していた。
でも、彼女の自我は──魂はアタシと共に存在し続けた。他の憑依体とは違い、アタシはエアの魂を圧し潰さなかったのだ。
特に意識した訳ではないが、たまたま同調率──相性が良く、共存することができたらしい。
特殊な神器を使わずここまで自然に同調し続けているのは大変珍しく、しかも、憑依のマイナス面──負荷による老化を全く起こさなかった。
強引な憑依は、乗っ取った人間の肉体をあっという間に老いさせるだけでなく、最期には塩へと変えてしまう。特に波長が合わない者だと、一ヶ月も保たない。
まあ老化と言っても皺だらけになるとかじゃなくて、身体のアチコチが痛むだとか、手足が動かなくなるとか──そういう老化なんだけど。
目が霞むだとか体の一部が動かなくなる症状が出始めると、一年以内には塩化してしまう。
アタシも一度それを見たけど、ホントにサラサラの塩になって、あっという間に崩れてしまった。
そうなると神魂は、一度、魔神石──魂を保管できるキューブの中に避難するしかない。なんせ神体を失ってしまったアタシたちには、戻る肉体が無いのだから。
そして今、アタシとこの子のデータを基にした、同調神器の開発、改良がかなり進んでいる。
その結果、最近では憑依体の老化スピードは遅くなり、大きな神力を使わない限りは、計算上、二十年以上も保たせる事が可能となった。
まあ、それも素体次第らしいから絶対ではないみたいだけどね。でも、元の体の持ち主との共存は、未だ果たせていない。
それがクリアできたらもっといいんだけど。
それでもいい仕事してるわ。さすがは神界最悪の変神だと言われた、オープステタス。
この下位世界のダンジョンからの魔物素材と、僅かに残った聖遺物だけで、ここまでの神器を造り出すとは。
⋯⋯そーいえば最新作は、召喚神術を簡素化できる神器だったわね。このタイミングで仲間を増やせるのは、心強いわ。




