第百六十話 末姫様
「あれは──まさかッ!?」
歓喜混じりのカガリス様たちの叫びとは違い、ゾルボルトの発した叫びは、驚きと焦りが滲み出ていた。
「退くぞ!急げッ!!」
「ハァ!?何でよ!?」
「そうだよ、ゾルボルト!コッチが優勢なのにー!?」
ゾルボルトによる突然の撤退指示に、カーリリスとペナルシーが不満の声を上げた。
「お前たちは新参者だから知らないだろうが──アレは⋯あの女は、神滅のスキルを持つ神だ!」
ゾルボルトの灰色の髪が、ザワザワと逆立っていた。
「えっ、ウソ!あの女が、例の!?」
「神界最悪の闘神じゃん!!しかも、本体なんだろ!?」
カーリリスとペナルシーが同時に驚き、なぜか二人揃ってゾルボルトの左右の腕をそれぞれが掴んでいた。どんだけビビっとんねん!?
それに──神滅スキルに神界最悪の闘神って、一体なんですか!?
よく解らんが、三柱の神々がそろって恐怖を感じてるぐらいだから、多分、ものスゴい力の持ち主なんだろう。
「跳ぶぞ!!」
ゾルボルトの野太い声と共に、三柱の神々はその場から姿を消した。
⋯⋯なんか知らんが、助かった。ニーブさん⋯もとい、末姫様は何もしていないし、一言も発してないのに。
でも、神として本体で100%の力を出せるワケだから、劣化した力しか持たない憑依体であるゾルボルトたちが慌てて逃げ出すのも無理はない。
《末姫様!ようやく、ようやくっ!》
《末姫様っ!お久しゅうございます!》
カガリス様とヴァチュラー様は、ゾルボルトたちが消えるよりも先に、破片が散らばった部屋の床へと降りていた。そして、複雑な動きをしている羽衣を纏った女神を前に、二人揃って膝を折る。
「カガリス、そしてヴァチュラー。久しぶりだね。本当なら、もう少し早く立ち上がれたんだけれど⋯⋯」
キレイな上に優雅な美声ですなぁ!⋯⋯ん?立ち上がれた!?
《末姫様だけど、末姫様じゃない?》
《もしかして⋯⋯》
「そうだよ。これは身代わり人形なんだ。自律型から操作型に切り替えて、別の場所から遠隔操作で動かしているんだ」
なんと!!オレっちたちも使ってるあの人形なの!?あれ?でも、ゾルボルトたち、神力でわからなかったのかな?
《末姫様は、神気を感知させないスキルを持っておられる。それを知っていたんだろう。⋯って、んな事は、今はどーでもいい!!》
《しかし、なぜ人形を?》
「もともと、ニナベルタ⋯⋯エルフの半神の身代わりとしてここに寄こしたんだ。奴らに破壊させて、死んだと思わせるためにね。この人形は何度も再構成して使い回していたから、そろそろ限界だったんだけど⋯⋯それでも最後に私の姿を写し取る事ができてよかった」
《⋯⋯そうでしたか。では私たちは、末姫様の計画の邪魔をしてしまったのですね。申し訳ございません》
ヴァチュラー様が、頭を下げて謝罪していた。
「それはいい。それより、もう少し早く私の姿で再起動させたかったんだけど⋯⋯接続が遅くて、なかなか動かなかったんだ。すまない。ところで──私に訊きたいことがあるのだろう、カガリス、ヴァチュラー?》
《ハイ!それは、山のように!!》
《末姫様が迷惑でなければ、ぜひ!》
「それなら、サーバー湖へおいで。湖の中にある一番大きな島の一番高い木に、私の仮住ま⋯いの空間⋯が⋯あ⋯⋯る」
あれ?どうしたの!?ガガッて雑音が聴こえるんですけど!?
「コレ⋯壊れかけて⋯⋯限⋯界みた⋯⋯い────」
人形は、完全に停止してしまったようだった。瞳が開いたままなので、今にもまた動き出しそうな生気感があるが、キラキラした双眸の輝きと羽衣の方は消えてしまっていた。
《さすがは末姫様。この身代わり人形のような複雑な造りの神器を再構成して使い回しておられたとは!》
《でも、壊れたとは言っても末姫様のお姿のままでこのまま放置しておくのもね。とりあえず簡易空間に入れておくよ》
《だな。それより、サーバー湖へ急ぐぞ!》
そうか!ようやく、ニーブさ⋯じゃなく、末姫様に会えるんだな!!本当なら、そこでカガリス様たちの任務は終了するハズだけど⋯⋯この流れだとどうだろう?
それも心配だけど、ここの城主──陽の翼持ちの賢者さんの姿が見えないのも心配だな。無事に逃げてくれたんなら、それでいいけど。
◇◇◇◇◇
☆ 陽の賢者、イブリエルの混乱 ☆
「賢者様!これは⋯⋯一体!?」
天井が無くなった部屋を、駆けつけてきた女官たちが見上げている。
それに答える余裕もない私は、通路にへたり込んでいた。どうやら自力でここまで這い出たようだが、その記憶はない。ほぼ無意識だったのだろう。
まさか、会談中にニナベルタ様が殺害されるとは思わなかった。
そもそも、ニナベルタ様自身が、それより先に身の危険を明かしてはいたが、そのすぐ後にこんな事が起こるなんて。
『私は近い内に殺されるかもしれません。何故なら、私があの御方とは別の思惑で動いている事があちら側に知られてしまったからです。ここへ来たのは、その前にどうしても貴女に伝えたい事があって。けれど、それを告げると貴女は困るでしょうが⋯⋯いえ、それでも貴女に伝えましょう。真実を』
『ニナベルタ様?一体、何を⋯⋯』
エルフの半神、古き神々の時代から生き続けている目の前の紫銀の髪の女性は、内から煌めく紫水晶のような瞳を瞬きもせずに、私を見つめていた。
『その前に。今のブルタルニアの状況を──姉長も側近たちも、以前とは大きく変わってしまいました。皆、今ではあの御方の考えに共感して協力しているのではなく、狂信的な信仰者として行動しているのです』
『それは⋯⋯仕方がない事ではないのですか?だってあの御方は、我らの加護神よりも、もっと上位である方なのですから』
そんな事は、私などよりも半神たるこの方の方がよく解っている筈なのに。
『ええ。ですから永い間私たち姉妹は、あの御方に盲目的に従って参りました。姉長は今でもそうです。けれど⋯⋯私はもうあの方の命には従えません。あまりにも犠牲となる者の数が多すぎるからです』
『犠牲?あの⋯⋯それは、どういう意味ですの?』
何だか嫌な予感がする。
『そちらでは、人材派遣と称してあちらへ多くの加護人を送り出しているのでしょう?』
『ええ。あの御方のご命令通り、あちらで不足しているという労働力を補うために』
ただ、人間の国への派遣なので、外聞を気にして秘密裏にしているが。
けれど、あちらへと送っている者たちは、借金奴隷や大金を稼げる仕事を探している者たちばかりで、たいした問題では無い筈だ。
『実際は違います。あちらとはネーヴァではなく、リベルタニアなのです』
『リ⋯リベルタニア!?あの暗黒樹海大陸ですか!?』
リベルタニアは、古き神々の時代に禁忌とされていた、この星にあるもう一つの大陸だ。後の統一国時代に竜人たちによって再発見され、街が築かれたとは聞いていたが──
けれど、その竜人たちも海の呪いで竜の神々の加護を失い、唯の人間になってしまった筈。
竜体化の喪失によって大陸間の行き来ができなくなり、そこにとり残されてしまった元竜人たちのその後の事は、噂でさえ耳にした事はなかった。
『いいえ、本当の事です。しかも、私たちの神とは違う別の神々の為の憑依体──生け贄として。私たち姉妹と側近たちは、最初からそれを知っていました。知っていて送り出していたのです』
そんな!!だってあの方は、そんな事は一言も──ハッ!⋯⋯まさか⋯⋯ペナルシーの体も!?今まであちらへと送ってきた誰かの体なの!?私はてっきり、何らかの方法で得たものだとばかり思っていた。
では、憑依された者たちは⋯⋯どうなったのだろう。神の魂と共存できるのか、それとも──
私がそれをニナベルタ様に問おうとした瞬間、大きな──二メートル以上はあろうかという大柄の男が、突然室内に現れた。
『やはり、半神だな。人間の血が入ると裏切りやすくなる』
『⋯⋯!ゾルボルト!──ッ!』
ニナベルタ様にゾルボルトと呼ばれた男は、何の躊躇もなく、かの方の首を絞めて持ち上げた。
信じられない!!強い神力を持つはずのニナベルタ様が、こうも容易く暴行を受けるとは⋯!!
けれど、私の体は動かなかった。この目の前の男から放たれる桁違いの力に圧倒されたのだ。
魔力とは違うこの感じは──そう、神力だ。この男とは面識が無かったが、間違いない。『神』だ!
では、この男の体も──加護種たちの誰かの体なのか⋯⋯!
『あー、やっぱゾルボルトだ☆でも、なんでソレを持ち上げてんのさ?』
これまた突然現れたペナルシーが、その様子を面白そうに眺めていた。
ペナルシーのその表情を見た時、私は気づいた。我らが祖とは異なるこの神々にとっては、たとえ半神であろうとも特に思う所はないのだと。だとすれば、当然、私などもっとどうでもいい存在だろう⋯⋯
事実を目の前にして、ようやく私は目が覚めた。
その時だった。部屋の壁が壊されて、そこから二人の小獣人の子供が部屋に入ってきたのは。
小獣人!?しかも、子供!?
何が何だか解らぬうちにそこから戦闘が始まり、天井が崩れ、私は必死に降ってくる瓦礫を魔力で弾いた。
そこからはよく憶えていない。
駆けつけてきた女官たちに介抱された私は、未だに混乱している。けれど、以前程にはあの御方に盲目的に従う気にはなれない。
神は神でも我らの神ではないのだ、彼らは。それなのに、古き神々の加護種である我が民が犠牲になるのはおかしい。
遅ればせながら、ニナベルタ様の命を賭けた行動に応えるべきではないのか?
あ⋯⋯ニナベルタ様といえば──ご遺体は見当たらなかった。一体、何処へ運ばれてしまったのだろう。
そして、あの小獣人の子供たちは、何者だったのだろう?全てが謎で解らない事だらけだ。
とにかく、元老派閥の者たちを招集し、方針転換を指示しなければ──でも、その場合、私もニナベルタ様のように⋯⋯裏切り者として殺されるかもしれない。一体、どうすればいいのか⋯⋯
今さらながら痛感する。私には、それを相談できるような相手が居ないのだと──




