悪役令嬢の激怒
喪が明けるまでロゼは干からびるほどに泣きに泣いて、ようやく学園に来られるようになった。
その間、キールは頼んでもいないのにロゼの様子を見に来てくれていた。
これまでの強制されていた面談とは違って、庭を歩いたりして本当に他愛ないことを話した。
ロゼの毒舌を飄々と躱し、時たま小さく笑いながらロゼをからかってくるキールとのその時間は楽しかった。
本当に、今までの面談が嘘のように楽しかった。
楽しいなんて、変な気持ちだった。
それに、彼も楽しそうに見えるだなんて何かがおかしかった。
ロゼは学園の門をくぐった。
並木道を歩き、建物内に入ってからは無駄のない動きで螺旋階段を登っていく。
キールと学部は違うが、校舎は同じだ。
すれ違うことはあるだろうか。遠目に見ることくらいはできるだろうか。
そんなことを思いながら、ロゼは教室に向かって真っすぐ歩いていた。
そして、思いを馳せていた真紅の髪色が中庭を挟んで向こうの廊下に現れた。
キールの赤い髪は遠目でも目立つ。
と、その隣に背の低い金色の髪が寄り添っているのにも気が付いた。
見たことのある令嬢だった。
裏でも表でも天使とか聖女とか言われている公爵令嬢、ソフィア・ライトライクだった。
可愛く純真な見た目と、その見た目通りの可愛らしい性格で有名な公爵令嬢。
毒舌悪魔のようなロゼとは正反対の女の子だ。
そのソフィアが、キールと仲良さそうに歩いていたのだった。
……男性はみんな、ああいう子が好きよね。
ロゼとは全く違うああいう女の子が。
これが、その時の感想だった。
他の感想は持っていない。
いや正直、2人はとてもお似合いだ、と思って少しだけ胸がズキンとしたので慌てて掻き消したのだけど、何とも思っていない、自分は何とも思わなかった。そういうことにしておいた。
爽快なスタートを切らせてもらえないまま扉を開けて教室の中に一歩足を踏み入れると、ロゼに視線が集まった。
皆の表情は色々だった。
だが一つ明らかなのは、ロゼの復帰を喜んだ人間はいないということだった。
「来たのか、悪役令嬢」
ボソッと、でも聞こえるように呟いたのは、椅子にもたれるようにして座る公爵令息のリードだった。
「ええ。貴方は私が戻ってくるのをずっと待っていてくれたのね。心配してくれてどうもありがとうございます」
明らかに嫌そうな顔をしているリードに、ロゼはヒヤリと笑いかけてやった。
リードはチッと舌打ちし、「そうだお前さ、キールのことそろそろ解放してやれよ」と言ってきた。
「お前の婚約者とかどう考えても可哀そうだろ、あいつ」
「あら、彼はもう2年は私の婚約者だけど、何故貴方は今更になってそんなことを言い出すのでしょう?私を糾弾する材料がもうそれくらいしか残ってないから、思い出したように彼を憐れんであげているのかしら?素晴らしい友情ですね」
「チッ。減らず口が。あのな、ソフィアがキールのこと好きって言ってるんだよ。でも、キールにお前みたいなクソ邪魔な婚約者がいるせいで何もできないんだろうが」
「……そう」
……何だ。
やっぱり親切な彼が笑ってくれたのは父親が死んだ可哀そうな名ばかり婚約者を励ます為で、本命にあの天使のような公爵令嬢がいるんじゃないか。
でもまあ、これが妥当か。
「婚約破棄、してやれよ。お前の親父も死んで、お前の家にキールを強制するだけの力ももうほとんどないだろ?」
「そうですね」
ロゼは完全に温度のない瞳でリードを一瞥した。
家の力関係などハナから関係ない。
わざわざ忠告してくれなくてもさっさと婚約破棄でもなんでもすればいい。
元々嫌われていて、今だって嫌われているという話なだけではないか。
何をそうがっかりすることがある。
もう用はないとばかりに午前の講義の準備に取り掛かったロゼの背中に、下品なザラザラ声でリードが再び話しかけてきた。
「あ、そうそう。娘はこんな風だし、侯爵の癖にスラム街まで行ってたらしいし、お前の親父、実は人身売買に関わってて内部抗争かなんかで殺されたって噂流れてるぞ」
……なんですって?
それを聞いたロゼは、ハッと目を見開いた。
「あり得ない。もう少しマシな噂を信じたほうがいいわよ。さもないと、貴方は野良犬以下の品位しかないなんて噂も流れかねないわ」
背筋を伸ばして席に着いたまま振り返り、ロゼは強い口調で言い放った。
そうでなくてもロゼは性格的にいつでも臨戦態勢なのに、亡くなった父について失礼なことを言われては絶対に黙ってはいられない。
「この俺に向かって犬だと?いいか、これはただの噂じゃない!現にお前のような悪役令嬢を育て上げる親が完全に善良だと誰が思う?!侯爵位を持っていながら自ら街に出てスラムの子供とやたら交流があったっていうところも怪しいだろ!」
「違うわ!父はひたすらに、恵まれない子供たちに何とか教育と将来を与えてあげたいと活動していただけ。それに、子供が親を選べないのと同じように、親も子供を選べないの。私のようなひねくれた娘が生まれたのにもかかわらず愛情をもってここまで育ててくれた私の両親を、賞賛するならまだしも批判するのは許せないわ!今すぐこの場で取り消しなさい!」
ロゼは思わず椅子から立ち上がった。
身を翻し、大男のリードと真っ向から対峙する。
女性のロゼの方が背は低いし細いが、その威圧は立ちはだかる大男にも負けてはいなかった。
「まっとうな両親だったら、お前みたいなひねくれた赤ん坊だったとしても、もう少しマシに教育できたんじゃねえのか!?」
「私の今のコレが一番マシに育てられた結果よ!私の両親でなかったらきっと、私は今頃殺人者にでもなっていたわ!」
「今お前は殺人者の素質があるって認めたな!やっぱりお前の家は犯罪者を輩出する家系じゃねえか!」
「今のは言葉の綾でしょう!出来の悪い思考回路をお持ちのようで、目も当てられないわね!それより、そんな不名誉な言葉、ダークヘイト家の清廉潔白な家系図を見てからでも言えるのかしら!」
「お前の親父とお前の代で犯罪者が出るかもしれねえだろ!古びた家系図なんかに意味はねえ!」
「証拠も根拠もなく、可能性でしかない話で相手を貶めることの愚かさが分からないのね!私は父を、家を侮辱する者を許せはしないわ。たとえ貴方のような噂に踊らされているだけの駄犬でも許さない!間違いを訂正しなさい!」
ロゼとリードの言い争いは殆ど騎士同士の一騎打ちのような激しい熱を帯び始めたので、法学部の生徒たちは皆教室の外に避難していた。
大きな扉の隙間から、ハラハラしながら中を覗き込んでいる。
明らかにおかしい法学部の教室に気が付いた他の学部の生徒たちも、何事かと集まり始めていた。
その中には、キールの姿もあった。
「俺は間違っていない!そもそも、大勢の女の子を泣かせたことはほとんど犯罪者じゃねえか!」
「あら、その言い分だと、何の魅力もなくて女の一人も泣かせたことが無い貴方は、永遠に犯罪者にはなれないわね、おめでとう!」
「おい、何してるんだ」
今にも取っ組み合いになりそうな緊張した空気の中で睨みあうロゼとリードの間に割って入った影が一つあった。
「キールか!」
嬉しそうに声を上げたのはリードだ。
そしてキールの後ろから、金色のフワフワとした影が教室内を駆けてきた。
たたたっとキールの隣にぴたりとくっつくその小さな影。
「キール、なんか危なそうな雰囲気だからそんなズカズカ入っていっちゃだめだって……」
心配そうな顔をしたソフィア・ライトライクだった。
キールを見上げて、教室に帰ろうと袖を小さく引っ張っている。
「お、そうだ丁度良い。キールもソフィアもいることだし、ここで悪役令嬢の婚約破棄断罪式と行こうぜ!」
キールとソフィアの登場に、援軍を得たとばかりににやりと笑ったリードは、大きく両手を掲げた。
そして、教室の外にまで聞こえるような大声で宣言する。
「……は?」
得心が言ったという顔のソフィアを無視し、怪訝な顔をしたのはキールだった。
「みんなの前で、パーッと派手に片付けてやれよ、キール!」
「ま、待て……」
ドンと背中を押され、キールはロゼの目の前に現れた。
「キールお前、嫌がってただろ、こんな女との婚約!それをここで盛大に破棄して、で、大勢の女の子泣かせた悪役令嬢と人身売買に絡んでたかもしれないその親父をここで断罪してやろうぜ!で、すっきりしたら、ソフィアとお前の婚約パーティでもすればいいな!」
リードが勝ちを確信した顔で笑っていた。
クッと苦虫を噛み潰したように、ロゼは顔を歪める。
リードは論点を微妙にずらして盛大な婚約破棄パフォーマンスでロゼを否定し、相対的に自らの正しさを印象付けるつもりなのだろう。
結局、悪役令嬢はどれだけ正しくても悪だ。まあ、自業自得なのかもしれないが。
「キール、もしかして私の気持ち知っててくれた……?やだ、こんな大勢の前で恥ずかしいよ。あっ、そんなことしたらいくら悪役令嬢でもロゼさんが可哀そうだよ」
奥歯を嚙んだロゼとは打って変わってソフィアの方は、頬を赤らめてもじもじと何か喋っていた。
キールに話しかけていたようだったが、彼は気づいていないようだった。
ソフィアの方などまるで見ず、リードを鋭い目で睨んでいる。
状況を理解したキールは怒っているようだった。
彼が何に怒っているのか分からなかったが、ロゼは冷静を装って口添えをした。
もうここまで来たら、悪役令嬢らしく潔く断罪されてやる。
「気を遣わず婚約破棄をしてもらって構わないわ。私がそれで落ち込んだりすることは絶対にないから」
「悪役令嬢殿もこう言ってるし?お言葉に甘えて婚約破棄宣言しとけよ。俺、お前ならソフィアとお似合いだと思うからさ、幸せになれよ。こんな悪役犯罪者令嬢なんてさっさと捨ててさ」
リードがキールの肩に親し気に腕を回したが、それは振り払われた。
それどころか、くるりと身を翻したキールはリードの胸ぐらを掴み上げて低い声で唸った。
「リード、お前が喚いていた得体の知れない噂話は事実無根だ。侯爵の生前に後ろ暗いところは何一つありはしない。それになにより、ロゼをそんな風に貶めることは許されない。そんなものは許さない。今すぐに訂正してロゼと侯爵に謝罪しろ」
普段冷静なキールの目が刃物のように鋭いことに驚いて息を呑み、リードはほとんど反射的に謝罪していた。
薄っぺらいリードの謝罪を軽蔑するように手を放したキールは、再びリードを押さえつけるように睨んだ。
リードは組み伏せられたかのように動けなくなる。
「それから、お前が勝手にお膳立てしてくれたこの婚約破棄の舞台だが」
方向転換して、キールはロゼの目の前まで静かに歩いてきた。
ダークでヘイトな家だけど清廉潔白なんだぜ……