婚約者は悪役令嬢が嫌い
「この間、また君の言動について話を聞かされた」
無表情でずっと黙って、ただロゼとの時間が過ぎるのを待っているだけのようだった婚約者が口を開いた。
今日は例の、一か月に一回の婚約者と過ごす日だった。
今日はダークヘイト家の応接室に婚約者を招いている。
この、ロゼの婚約者の名前はキール・グレイアッシュという。
真っ赤な髪が印象的で、令嬢たちに人気のあるキリッとした美形だ。
こんな見るからに婚約者も恋人も選り取り見取りであろう男が、何故悪役令嬢なロゼの婚約者でいるのかというと、彼の母がロゼの母と物凄く仲が良いからに他ならない。
ロゼの母に相談を持ち掛けられたキールの母が、「婚約なんて学園のみんなしてるでしょ?とりあえずしておいて、嫌になったら解消すればいいよ」と興味などまるでなさげなキールを丸め込んだのだと聞いた。
まあ、この婚約はロゼの友人作りの派生であるので、将来の約束にはなり得ない。
キールもその辺は理解しているだろうし、ロゼも理解している。
「君はまた令嬢を泣かせたらしいな」
「へえ、どの令嬢のことを言っているの?彼女たち、皆とっても泣き虫だから私が泣かせなくてもいつも勝手に泣いてるわよ」
申し訳ないが、ロゼの高飛車な物言いはもう何があっても直りそうにない。
彼はロゼの反応を見て、小さく眉をしかめた。
他の可愛い令嬢なら顔を青くして弁解してくるはずなのに、相変わらずこの女は救えないと思っているに違いない。
「そういう君のもの言いだろう。彼女たちは君にきついことを言われて傷ついたと言っていた」
「きついことを言われただけで泣けるなんて、感受性が豊かで羨ましいわ」
ロゼの返事を聞いたキールはウンザリとした顔をしていた。
「それから昨日、エリーという令嬢に、自分には好きな人がいて一生懸命頑張っているのに君に馬鹿にされたと目の前で泣かれた。思い詰めていたようだったけど、君はそんな子にも容赦なくきついことを言ったんだろう」
「馬鹿になんてしてないわ。真摯に、心の底からその男は諦めた方がいいと思ったからそれを言ったの。貴方は、叶わない恋をする自分の背中を無責任に誰かに押してもらいたい?」
「それが正しい主張だったとしても、伝え方は正しくなかったんじゃないか」
「そうかもしれないわね。でも残念。私、生まれてこの方誰に対してもこんな言い回ししかしてこなかったの。突然特定の誰かに対してだけ優しく語りかけたら差別だって怒られちゃうわ。私、誰に対しても平等なの」
ロゼは負けを知らない高慢な者の顔をして笑った。
一方のキールは長い足を組みなおし、小さくため息をついた。
「はあ……君と話してもやっぱり埒が明かないな。いい加減うんざりだ」
「あら貴方、今やっとうんざりしたの?貴方はとうの昔にうんざりしたと思ってたけど」
軽くロゼを睨んだキールはもう何も言わなかった。
何も言わず、ロゼの方をもう見ることもせず、ただ帰ることのできる時刻になることを待つことにしたらしい。
キールは派手な赤い髪と、整っていて人目を惹く容姿とはうらはらに、真面目で忍耐強く、心優しい性格をしている。
大抵の貴族令息はロゼとこんな話をすれば怒ってテーブルを叩くか、立ち上がって即帰ったりするのに、キールだけはロゼと同じ空間に留まることを我慢してくれている。
それどころか、忍耐強くロゼの改善を願ってくれて、もう一年以上もロゼの婚約者という役を我慢してくれている。
さっさと婚約破棄すればいいのに、彼は本当に義理堅くて損な性格をしている、とロゼは思っていた。
「じゃあ時間だ。帰るよ」
「時間なんて律儀に守らなくてもいいのに。話すことなんてなかったんだから、さっさと帰ればよかったのよ」
長い沈黙を経てようやく時刻になったので立ち上がったキールを見送るため、ロゼも立ち上がった。
ロゼとキールは、こんな不毛で何の生産性もない一か月に一度の時間を過ごしている。
キールはロゼにウンザリしているだろうに、よく一か月に一度会いに来れるものだ。きっと、前日にはストレスで胃が痛いだろうに。
まあ、一度した約束は不本意でも胃が痛くても守り通そうとする、義理堅いキールらしいと言えばそうではあるが。
婚約者との月に一度の面会や、たまに呼ばれる茶会などのイベントを除いて、ロゼの毎日のほとんどは学園と家の往復で過ぎていく。
ロゼは、学園では法学を専攻していた。
これは、成績上位者しか専攻を許されない学部である。
他人に偉そうな口しか叩けない自分が勉強ができない馬鹿なのは格好が悪いと思ったロゼが、陰で必死に勉強した成果だ。
しかし実際には、ロゼの頭の良さは裏目に出てしまっている。
法学に明るい悪役令嬢なんて、ラスボス感が出ただけだ。
「貴方たち、人が出入りする場所でたむろしないでくれる?人の迷惑も考えない、品位のないご令嬢に熱い視線を送られるあの男性も可哀そうね」
ドア付近で中を覗き込みながら、教室内にいる想い人に熱い視線を送っていた令嬢たちが、背後から放たれたロゼの言葉に固まった。
そして、ロゼの小さな溜息に我に返ったように身を震わせて、令嬢たちは蜘蛛の子を散らしたようにべそをかきながら逃げていった。
「あんな言い方しなくたっていいのに」
「あの人、ほんとに意地が悪いわ」
「あの人にいじめられて、寝込んだ子もいるって噂の悪役令嬢だもの」
「…………私、いじめなんてしてないわよ」
彼らのささやきが聞こえたロゼは小さく呟いたが、それは悪意を持ってきついことを言っているわけではないというだけのことである。
いじめられたと相手が傷つけば、いじめてなんてないと主張することはまかり通らない。
分かっている。悪意が無くても、ロゼの物言いは酷い。
この酷い物言いに傷付けられて、本当に寝込んでしまった子もいるのかもしれない。いや、流石にそれは噂だけだと信じたいが。
たむろしていた令嬢たちがいなくなったので無事に教室内に入ることができたロゼは、自分の席に着いた。
次の講義の準備をし終わり、席について待っていると、教室に帰ってきた一人のクラスメイトが珍しくロゼと目を合わせてきた。
「さっきさ、あんたに泣かされた女の子達とすれ違ったけど、ほんとその性格どーにかした方がいいよ」
そう言ってロゼを睨みながら脇を通り過ぎていったのは、リーダー気質で目立つことが好きなアーゼルト公爵令息だった。
たしか名前をリードと言ったか。
「あら。どーにか、だなんて随分曖昧なアドバイスありがとうございます。とっても為になりますわ」
美しい姿勢で座ったまま全く動じないロゼは、冷ややかに微笑んで返事をした。
最近では、ロゼに直接文句を言う人間は減ってきていた。
皆、陰険な陰口ばかりである。
だから、直接文句を言える人間には好感が持てる……が、だからと言ってロゼの物言いが穏やかになることは無かった。
「……っ」
ロゼのその余裕のある態度が彼の癇に障ったのか、一度自分の席に着いたリードはロゼの席まで大股で戻ってきた。
そして、机を挟んでロゼの正面に立つ。
彼は中々の大男で、武芸も嗜んでいるというから、至近距離で凄まれると中々に迫力がある。
まあ、ロゼは冷めた目と小馬鹿にしたような笑顔を顔に張り付けて、微動だにしなかったのだけれど。
「お前、クソ性格悪すぎだろ。みんな思ってるよ。なんでいつもそんな上からな態度な訳?すげー苛つくんだよね。やめてくれない」
リードは自分がまるで正義の味方かのような顔をしてロゼに注意をしてきた。
悪役令嬢ロゼを皆に代わって断罪しているのだから、もしかしたら他のクラスメイトの目には本当に彼が英雄のように映っているかもしれない。
だが、ロゼは滑稽だと笑うばかりだ。
「上からでした?どのあたりが?もしかしてクソとかすげーとか言ってしまう貴方には、私が敬語を使っていたことが分かりませんでした?」
「……お前っ!そういうところだよ!自分がヤバいってことくらい普通にわかるだろ!」
「あら。そういうところとかヤバいとかいう抽象的な説明で人を説得しようと試みる貴方こそがおかしいのでは?貴方、仮にも法学を学ぶ生徒でしょう?クラスメイトとして恥ずかしいから、これからはもう少し頭を使って話してくださいね」
バン!!!
ロゼに冷笑を浴びせられたリードは、もう言葉よりも先に手を出していた。
ロゼの机を思いっきり両手で叩き、噛みつかんばかりの勢いで睨んで、ブンッと踵を返して教室を出ていってしまった。
その怒る背中を自分の席で見送りながら、ロゼは微かに目を伏せた。
……やっぱりこんな私は悪役令嬢の汚名がお似合いよね。