第三話 その19
サシリーノと呼ばれた男は,丈の長いコートを着てコウモリのようだ。
「一体,なんでこんな所で会うんだろうなあ」
サシリーノはウォーレンへと詰め寄った。それに合わせて子供達はそっとウォーレンの元を離れ,俺やマリアの後ろに隠れた。
ウォーレンは何も言わずにうつむいた。サシリーノは品定めをするようにゆっくりとウォーレンの周りを歩き出した。それから
「お前,生活費が足りないって言って俺から金,借りたよなあ?」
ぐるりと一周し,元の位置に戻ると,俯くウォーレンの顔を覗き込み
「なあ!」
と威嚇するように声を張り上げた。
「なんで生活費のない筈のお前らが遊戯場にいるんだ!」
ウォーレンは,孤児院の経営は上手くいっていないと言っていた。そうであれば,借金をしているというのも,想像が及ぶべきだった。そうして今,ウォーレンがサシリーノから金を借りているということが確かな事実であることを,俺は理解した。サシリーノがその金の返済を迫っている,その現場に立ち会わせている以上,彼らの立場関係も分かった。だが,サシリーノの態度が,快いものでないのも確かだった。
「生活が出来ないと泣きついてきたお前に,俺は生活費を貸してやった。それは生活の為に使われるべきであって,遊ぶ為な訳,ないよなあ? 明日のパンも買えないような奴が,満月焼きを食えるなんて,ないよなあ?」
ウォーレンは何とも答えなかった。子供達は(悲しいことに,)一人として怯える素振りも見せない。遊戯場の人々が異様な雰囲気を感じ取ったのか,片付けの手を止めてちらちらとこちらを窺っている。
「俺が言いたいこと,分かるか?」
「それは……」
ウォーレンは答えに窮し口を噤んだ。
「なんで金のないやつがここにいられるんだって言ってんだよ!」
サシリーノは吐き捨てるように言い,続けて
「貧乏人は貧乏人らしくしてろ」
と舌打ちまじりに言った。
その言葉は俺の心を恐ろしく不愉快にした。不愉快は,より正確には,言いようのない怒りと,「貧乏人は貧乏人らしくしてろ」という言葉の本意を掴みかねるもどかしさから来るらしかった。貧乏人という直接的な侮蔑が気に食わないのか,それとも貧乏人らしくするという言葉の持つ妙な気持ち悪さが胸につかえるのか。そうして俺は貧乏人という語を聞いて連想するイメージの多くがネガティブなものであることに,今更のように気付き驚いた。そしてそのイメージは,不幸や,不自由というものだった。ここまで考えてある疑問が浮かんできた。
(貧乏人は不幸でいなくてはならないのか? 貧乏人は不自由でなくてはならないのか?)
疑問は頭よりも胸から湧いてくるようだった。その疑問はぐるぐると回って熱を発し,総身を熱くさせた。そうして「貧乏人は貧乏人らしくしてろ」という言葉の,身勝手な醜さにようやく気が付いて悪寒が走った。
サシリーノはウォーレンに詰め寄ると襟元を掴み
「早く返せよ。遊ぶ金あんなら持ってるよなあ!」
今にも噛みつかんばかりの剣幕で叫んだ。
「俺はなあ,貧乏人は貧乏人らしく苦しんでいるべきだと思うんだよなあ。こんなところでへらへら笑う余裕なんてなくてよお,必死に借りた金返すのが筋ってもんじゃねーの? お前は俺の金でなに遊んでんの? 返す気あんのか?」
サシリーノはウォーレンを突き飛ばし,よろけたウォーレンは尻もちをついた。そこに追い打ちをかけるように,サシリーノはウォーレンの胸元に足を載せた。
余りの暴挙に,数瞬理解が追い付かなかった。理解してからは,それまであくまで二人の問題だとして首を突っ込むべきではないのかもしれないとしていた自制心の留め金が怒りで外れ,声を上げようとしたが,それは空間を切るような凛とした声の為に中絶された。
「さっきから,気分が悪いわ」
マリアはそう言いサシリーノに詰め寄った。その表情を読み取るのは難しいが,全身からは得も言われぬ怒りが滲んでいた。
「ウォーレンから足をどけなさい」
しかし,サシリーノはじっとマリアを見ただけで身じろぎ一つしない。マリアもまたサシリーノの目をひと時も離さずに睨んでいた。
沈黙が流れ,ようやくサシリーノが口を開いた。
「お前が誰だか知らないが,これは俺とこいつとの問題だ。関係ない奴は失せろ」
「アンタとウォーレンの関係は知らない。私には関係ないわ。私はアンタの存在が気に入らないのよ」
マリアの啖呵にサシリーノが眉をひそめた。
「俺の何が気に入らない?」
「態度」
「態度つったって,悪いのはこいつだぜ。人から「生活が苦しい」と嘘ついて借りた金で遊んでいやがるんだから仕方ねえだろう。俺がそれを咎めるのに何の問題がある?」
「はあ。そもそもウォーレンはそんなことしてない。仮にしてたとしてもアンタにはそこまでの権利はないわ」
マリアはサシリーノの足を蹴飛ばした。サシリーノはバランスを崩してよろけ,ウォーレンは圧迫から急に解放されてむせ込んだ。サシリーノはマリアを睨みつけ,
「てめえ,何がしてぇんだよ。このままじゃてめぇもタダじゃおかねえぞ」
と唸るように言った。
「要するにお金が欲しいんでしょ? さっきから金金言って,そんなに欲しいなら恵んであげるわ」
と,マリアは憮然として言った。どうやらマリアはウォーレンの借金を肩代わりするつもりらしい。しかしそれを聞いたサシリーノは不敵に笑い出した。
「金が欲しい? 違うね。俺は許せねえのよ。貧乏人が笑ってやがることが。苦しんでないことが。金は二の次さ」
今度はマリアが眉をひそめた。
「金は,そいつからしか受け取らねえ」
サシリーノはウォーレンを指差した。
「貧乏人が人権なんてあると思うなよ」
サシリーノは露悪的な笑みを浮かべた。
マリアが動揺しているのを,俺は初めて見た。賢いマリアのことだからこそ,サシリーノの歪んだ価値観を理解出来ないのだろう。
サシリーノとアリアのやり取りを見ているうちに,俺はいくらか冷静さを取り戻していた。そうしてサシリーノの言う「貧乏人は苦しむべき」という価値観を,自身の道徳観からは完全に否定しきれないことが分かると,暗い感情が唾液に混じり口内を苦くした。確かに,金を借りたのなら,それを懸命に返そうと努めるべきだと思う。金を借りる後ろ暗さもあるだろう。借りた金は,他の金よりも価値が重く感じるだろう。だが,そうかといって,人間的なものを全て捧げて返済に献身しなくてはならないか,と言えば,そうは思わない。サシリーノの「貧乏人らしい」生き方という表現に感じた違和感は,つまりここにある。奴の言葉は過剰なんだ。金が無くても,笑って良いし,遊んでも良い。必ずしもその責を感じ続け常に苦しむことはない。そうした権利までも奪うのは間違っている。
一度取り戻した冷静さは,さながらマグマの表面のようなもので,実際は内側でぐつぐつと熱を保っていた。
俺はベルトに結んだ革袋を掴んだ。
「ねえ」
ハルはいつでも俺の心を見透かしたような目で見てくる。今も,俺がサシリーノに対峙しようと決意したのを知っていたかのように,俺の手を掴んできた。
「大丈夫?」
「おう」
手を強く握り返す。
「ただ,」
俺は出来るだけハルに不安を感じて欲しくなくて
「今日,宿なしになったらごめんな」
と茶化して言うと,ハルはハの字に下がった眉を戻して,
「ううん,努力となら,どこでも平気だよ」
と言った。
俺は全財産の入った革袋を持ってサシリーノへと近づいた。
サシリーノは俺に気付くと,露骨に嫌な顔をし,「またか」と言い,
「また関係ないバカがやってきた」
と,地面を蹴った。土がえぐれて,それは俺のズボンを叩いた。
俺は革袋を突き出し,「やるよ」と一言だけ加えた。サシリーノは呆れたようにため息をついた。
「なんだよ?」
「金」
「はあ,お前もあのガキと同じタチか? 金があれば良いって問題じゃねえって言ってんだろ。俺はそいつが返す金じゃなきゃ――」
「その,金」
サシリーノはようやくこちらを見た。
「この金は,ウォーレンが命懸けで得た金だ」
そう言うとサシリーノはみるみる顔を歪め,感情は俺に対する不審から苛立ちへと変わったらしい。
「ドリョクさん! それは――」
ウォーレンが言葉を発しようとするのを,手で制した。心は痛むが,今はウォーレンには黙っていてもらわなければならない。
「ウォーレンが稼いだ金なら文句ないんだろう」
俺はそう言うと,発散しきれずにいた怒りが行き場を求めた結果,革袋をサシリーノの胸にどんと押し付けた。
サシリーノは呆然としていた。しかし次第に思い出したように,不気味にニヤニヤとしだした。
「おいおい。一体何を言ってんだお前は。なあ。喧嘩売ってんのか? え?」
サシリーノは革袋を払いのけた。俺は再び突き付けた。奴の顔から笑みが消えた。
「てめえ……,舐めたマネしてんじゃねぇぞ!」
「これはウォーレンの金だ。それなら文句ないんだろう」
俺は襟首を掴まれた。
「だったらなんだ! 証拠でもあんのか,こいつの金だって!?」
「ある」
周りからどよめきが起きた。今や俺たちのやり取りは見世物のようになっていた。露店商人たちはみな手を止め遠巻きにこちらを眺めている。
「なら証拠とやらを見せてみろよ!」
サシリーノは吼えるように言った。
「今,ギルドの人達が森へ向かっている。そこで魔物の死骸がたくさん見つかるはずだ。それがウォーレンが命懸けで戦った結果だ」
「ウソをつけ。そいつにそんな力があるわけないだろ!」
確かにウォーレンには魔物を倒す力は無かった。しかし,魔物達の急襲から子供達を守る為に戦ったのは事実だ。
「ウォーレンは魔物と戦った。――そうだろう,マリア」
俺はマリアに大声で呼びかけた。マリアなら,俺の考えていることが伝わるだろうというある種の信頼があった。マリアは少し間を置いてから言った。
「そうね。確かに,ウォーレンが魔物たちと戦ったのを見たわ」
「ドリョクさん,マリアさん……」
ウォーレンは困惑の表情を浮かべている。
「お前らまさか,口裏合わせて――」
サシリーノが言う前に,子供らが堰を切ったように
「ウォーレンが僕たちを守ってくれた!」
「そうよ! ウォーレンが助けてくれた!」
と口々に訴えだした。周囲の人々も
「これは子供達の方が本当じゃねえか?」
「全員が嘘をついてるかもしれん」
「いやいや,いくらなんでもこんな小さな子供がみんな嘘を言うとは思えん」
場の空気はサシリーノには分の悪い方へと変化していた。そうしてサシリーノもそれを認められないほどの愚か者でもなかった。
「ぐっ……」
と,歯ぎしりをし,わなわなと震えたかと思うと,非難がましい声が溢れ出した遊戯場を切断するように叫んだ。
「うるさい! 黙れ!」
怒気のこもった声は周囲を黙らせた。それから
「こんなもの!」
と,俺が突き付けていた袋をひっぱたき,不意を突かれた俺の手から革袋が地面へ落ちた。口の開いた袋から,金貨や銀貨が飛び出し,地面に跳ねてはチリリンと金属の叫びをあげた。サシリーノはそれらを指差し,
「俺はな,こういう散らばった金を必死に集めるのが貧乏人の役割だと思っている! 俺は,貧乏人が! 金を! 無様に集める姿が見たいんだ! なのにお前ら,下らねえことしやがって!――
そうだ……。本当にそいつが魔物と戦ったんだったら,今でもやろうと思えば出来るよなあ! 俺が襲い掛かっても,そんな大金稼げるくらい強いなら問題ないよなあ!」
言うが早いか,サシリーノは懐に手を忍ばせた。翻ったコートの中,ぬらりと光沢を放つナイフが見えた。
「これで――」
サシリーノがナイフに手を掛けた瞬間,
「そこまでにしな!」
と,迫力のある声が,その場の全てを中絶した。みなの視線が,自然と一所に集まり,そこには恰幅の良い中年の女性が立っていた。頭巾を被り,前掛けをしている。観衆からざわめきが起きた。名の知れている人のようだ。
衆目を集めながら,彼女はゆっくりとこちらへ近づいてきた。次第に誰もが声をひそめ,彼女の次の言葉を待った。
「サシリーノさん」
名を呼ばれたサシリーノはびくりと身をすくませた。彼女の声は少し嗄れていたが,芯の通ったようなしっかりとしたものだった。
「金貸しはいなきゃ街は回らないからね。アンタの世話になっている人も,ここにはたくさんいる」
サシリーノは面罵されるものと思っていたのか,そうでない彼女の語り始めに少し緊張を緩めたように見えた。
「でもね,時々聞くんだよ。アンタの取り立てが度を越しているみたいな話をさ。そりゃあアンタにも立場がある。けどそれを利用して弱い者いじめなんてしなさんな。今までのやり取り見せてもらったけど,流石に見過ごせないやね」
彼女は大きくため息を吐いた。サシリーノは俯いて,隠すように舌打ちした。
「サシリーノさん,アンタの全てを否定はしないさ。誰でも金は要るもんだ。だけどあんな追い込みはダメさ」
「だが俺にも立場がある。金は無限じゃねえ。返ってこなきゃ俺が生きていけない,そうでしょ?」
「確かに人から借りたもんは返さなきゃいけないね」
彼女はウォーレンをちらと見た。しかしその目には非難めいたものは無い。そうして次に落ちた革袋を見て,
「その金は返すためにあるんだろう。アンタがそれを受け取ればそれで良いじゃないか」
「ダメだ。その金はそいつのものかどうか決まった訳じゃねえ」
サシリーノはウォーレンを指差す。
「でも子供達もそこの子も,ウォーレンさんのものと言ってるよ」
「信じられるか」
彼女は困ったような顔をしながら続けた。
「サシリーノさん。そこまで疑っちゃあいけないよ。アンタだって返って来ると信じているから貸すんだろう? 訳はどうあれ,返ってきてはいるじゃないか。ねえ,これで手打ちにしてはくれないかい?」
サシリーノはしばらく黙ったままだったが,
「分かった。良いだろう。貧乏人はいつ持ち逃げするか分からねえからな。これで手打ちにしてやるよ」
と言った。周囲から安堵の嘆息が聞こえた。サシリーノはのろのろと革袋に近付き,手を伸ばし,逡巡したように動きを止めると,何を思ったのか袋をいきなり蹴飛ばした。袋から更に金や銀が舞った。周囲から悲鳴が上がった。辺り一面に金貨,銀貨が散らばった。それでも袋には十分な金が残っているようだった。サシリーノはそれを掴んで身を翻しその場を去ろうとした。俺は思わず声を掛けていた。
「おい。拾っていけよ」
「バカが。そんなのは貧乏人のすることなんだよ」
「……金,受け取ったんだから,もう二度とウォーレンに関わんなよ」
「それはそいつ次第だ」
サシリーノはウォーレンを指差して笑った。
「どうせ貧乏人は貧乏人のままなんだ。またそいつは俺に金を借りに来るのかもしれないぜ」
俺は散らばった金がもったいないと思い,身を屈めそれらを拾うことにした。すると,
「おい,見ろよ! やっぱり金を拾ってる人間てのは惨めなもんだろう!?」
サシリーノは周囲に呼びかけるように言った。だがそれに対する返事は一つも無かった。あるのはカチャリカチャリと硬貨の擦れながら集まっていく音だけだった。




