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第三話 その15

 孤児院に着いた。泥だらけだったので風呂を貸してもらった。身体を洗おうにも右手しか使えず,傷口は沁みるで思うようにいかず,風呂を出る頃にはすっかりのぼせてしまった。

 夕食の準備は既に済んでいた。席に着くと隣にミリカが座った。

「お兄ちゃん,腕,大丈夫?」

「ああ,大丈夫」

本当は,全然大丈夫じゃない。じっとしているだけで脂汗が流れるほどの痛みだし,どう処置して良いか分からずにだらんとさせているのも良くはないだろう。だが努めてそんなことは感じさせないよう明るく答えた。彼女に暗い記憶を抱えさせたくなかった。

「腕,治る?」

「うん,治す」

ミリカは小さく笑った。

 夕食にはキノコのポタージュが出た。右手が使える分,スプーンがあれば食べるのに苦労はしなかった。隣でミリカがハラハラとしながら見てくるので,何も問題は無いよ,とアピールするように食べ進んでいたのだが,一つ問題が起きた。パンがちぎれない。どうしたものかとテーブルにパンを擦りつけたりしててこずっていると,ミリカは途端に活き活きとしだした。俺からパンを取り,それをちぎって俺の口元まで近づけてくる。今度はスプーンでポタージュをすくい,それを俺の口元まで持ってくる。どうやらミリカは世話を焼きたかったらしい。「自分で食べられるよ」と言っても,「無理しちゃダメなの!」と一喝されてしまった。ミリカの猛烈な介護を受けていると,エドが凄い形相でこちらを睨んでいた。ミリカはそんなことにはちっとも気付かず,嬉々として世話をしてくる。俺は断りきれず,恥ずかしさに耐えながら食事の終わりを待った。

 ウォーレンから安静にしているよう言われベッドへ向かった。挫いた足も痛み,部屋まで大した距離でもないのに辿り着く頃には全身に汗をかいていた。腕に響かないようにゆっくりとベッドに腰掛ける。部屋はランプの明かりでほのかに満たされている。

 不意にドアが開いた。ハルがやってきた。

「腕,大丈夫?」

ハルはそう言いながらゆっくりと近付いてきた。手には包帯を持っている。

「あのね,,みんな,怪我したら包帯で巻くでしょ? だから努力にも包帯を巻こうと思って」

ハルは笑顔でそう言った。俺はハルの知識が間違っているのに気付いていた。確かに包帯は骨折や出血の時に用いるが,その多くが他の処置を済ませた上で固定のためなどに使われている。怪我をしたから包帯を巻くのではない。あくまで治療の一環だ。

 だがハルは包帯を薬の一つみたいに捉えていた。だから

「ハル,包帯巻くね」

そう言い,ゆっくりゆっくり慎重に,左腕に包帯を巻き始めた。包帯は巻くというよりのっかるみたいに優しく腕に重なっていく。ハルはいたって真剣な表情でいて,それを見た時,胸の辺りがぽっと暖かくなるのを感じた。きっとハルは腕をきつく締めて固定しようなどと,微塵も考えていない。きつくしたら俺が痛がるだろうとか,そんなことを考えているに違いなかった。

「ハル」

呼んだのはマリアだった。マリアはいつの間にかドアのところにいた。

「もう寝なさい。みんなベッドに就いたわよ」

暗がりで表情は見えなかったが,その声は優しく聞こえた。

「でも……」

ハルはマリアと手元の包帯とを交互に見遣った。

「私がやっとくから」

マリアがそう言うと,ハルはこちらを心配そうに見た。

「大丈夫だよ」

俺は安心させるために顔を取り繕った。ハルはやや不安そうなままゆっくりとドアまで行き,「おやすみ」と言って去って行った。

 入れ替わるようにマリアが入ってきた。マリアは左腕に緩く巻かれた包帯を見て微かに笑うと,少し逡巡して,「直すわよ?」と言ってきた。俺は少し間を置いて「分かった」と答えた。マリアは素早く包帯を外すと,手際よくぐるぐると巻き直し始めた。ぎゅっと強く巻かれていく包帯に,思わず声が出る。

「我慢しなさい」

きつく締められた包帯は適度に腕を圧迫し,そのために心なしか痛みが少し和らいだ気がする。

「ありがとう」

「別に」

マリアは包帯を巻き終え短く答えるとドアまで歩いていき,それから思い出したように戻ってきて

「アンタさ――」

と,何か言い掛けた。

「何?」

俺はその先を待った。しかし

「やっぱなんでもない」

そう言ってマリアは部屋を出た。

 俺はベッドに横になった。腕は心臓の鼓動に合わせてじんじんと痛んでいるようだった。目を閉じると,痛みが今日のことを思い起こさせる。俺は化け物と対峙した。恐怖もあったが,それ以上に何かが俺を突き動かした。何故ハルとエドを連れて,意地でも逃げるという選択をしなかったのだろう。一時の興奮とはいえ,俺自身の中に戦うことを選ぶ自分がいたことに驚いた。それから自分の戦いを回想した。窮地に陥った中で持てる力を全て使ったが,結果は惨敗で,マリアが来なければ命を落としていてもおかしくなかった。魔法が使えるようになったことで油断が生まれた気がする。なんでも出来るような気になっていたのかもしれない。実際は,相変らず不器用な戦いだった。魔法による身体の強化と,剣道の動きに制限された攻撃方法。この異世界で生き残るにはあまりに不十分な戦い方だろう。この先似たような危機に襲われたとして,今のままで良いのだろうか?

 俺は今後どうすべきかを考えて,答えの出ないうちに眠りに落ちていた。

 浅い眠りだった。痛みに何度か目を覚ました。何度目の目覚めか分からないが,気付いた時には白い朝日が窓から染み入るように差し込んで,部屋はぼんやりと輪郭を取り戻していた。

 ぼやける視界の隅に,きらきらと何かが金色の光を発していた。そっとそれに手を伸ばし触れた時,滑らかな絹のような柔らかさが指についた。指を少し滑らせると,今度は毛筆の先に触れたようなこそばゆさが指を舐めた。

 徐々に日が部屋を満たしてゆき,金色はその輝きを増して胎動している。

「一体いつからそこにいたんだ――」

俺は誰に向けるでもなく,そう自然に口を衝いたのを疑問に思わなかった。

「ハル」

 ベッドに凭れ,静かに眠るその妖精を,俺は痛みも忘れ長いこと眺めていた。


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