第二話 その13
ユーキが安い挑発に乗ることは分かっていた。明らかに年下であるマリアに対して大人げなく力を振るったのだから,自尊心が高いのだと思った。
問題はそこではない。
「奪った才能を返せ」
「返すわけねーだろ」
ユーキに奪われた才能を,元通りに戻すことが出来るのかは別として,少なくともこの場にいる人間で,奴に立ち向かえるのは俺だけであった。ユーキは町の人間も襲いに行く可能性がある。それを止めることが出来るのは俺しかいないのだ。
マリア同様,自分には関係が無いと無視を決め込んでも,それを咎める者はこの異世界にはいないのかもしれない。だが,他人がそれを咎めないとしても,自らの良心がそれを咎めるであろうことは明らかだった。俺は正義感の強い人間ではない。今までに見過ごした善とは言えないものは数多くある。その悪への共犯とも言える行為を咎める者がいないことも分かっていた。時に,正義は多数に対しては悪となる。流れに逆らっても辛いだけだ。大人になるということは,規範をいかに上手く破るかである。赤信号をみんなで渡らなければ置いていかれる。置いていかれることを恐れ,信号を無視することを誰が咎めようか。しかし明らかなのは,それを咎めるのは他でもない自分だということだ。
もし仮にユーキの悪行を見逃せば,何をするにもその悪への手助けが顔を覗かせ,心は常に暗い影に蝕まれるに違いない。俺はそれを恐れた。その恐れこそが俺を奮い立たせた。
「Effort!――Effect on!」
全身に力が漲る。俺はそのまま距離を詰めるため走り出した。
俺の魔法が“努力”の具現化であることは明らかになった。問題は『努力した行為』にのみ発動するということだ。
努力経験のある行為の範囲でユーキを止めなくてはならない。さもなければ魔法が解けてしまう。ユーキを止めるにはまず自分のフィールドに,つまり剣道の間合いまで詰めなくてはならない。
魔法によって強化された筋力は常時と比にならない加速を可能にした。地面を蹴って進むというよりも,土に足を引っ掛けて掻き分けて行くようだ。
「Possibility!――Consume!」
前方から火炎が地面を焼き焦がしながら迫ってくる。俺は足を地に突き立て急停止した。土を抉って勢いを殺し,横っ飛びをする。火炎は横をかすめ,熱波が後からひりひりと頬に伝わった。続けざまに水流が飛んできた。俺は間合いを詰めるのを諦め,ユーキの攻撃から逃げるよう再び走り始めた。
魔法が解けることのデメリットはユーキの攻撃に対して無防備になることだ。
「逃げ回ってなにがしたいんだ?」
次第にユーキの魔法の精度が上がってきたのか,寸でのところでようやく躱すことが増えた。
「お前,“努力も才能”ってタイプか? 何で普通の魔法を使わない? どいつもこいつも火炎ぐらい出せるだろう。見せてみろよ」
攻撃の手が止んだかと思うと,ユーキはそんなことを聞いてきた。
「見せて何の意味がある?」
「才能の違いを教えてやるよ」
「お前のものじゃないだろう」
「もう俺のモンだ」
マリアとの戦いで見せていた余裕の無かった表情はすっかり自信満々なものへと変わっていた。俺はその顔を睨み返すだけだった。
火炎を出さずにいると,その意味を悟ったのか,ユーキはみるみる笑顔になり
「お前,“努力を選んだ”んじゃなくて,“努力しか選べなかった”のか? まさか! どんな奴だって“得意なこと”ぐらいあるだろ? ナードや引きこもりだってオタク知識くらい持ってるもんだ。それと同じだ。お前にはそういうものすら無いのか?」
才能も無ければ得意なこともない。人並みになるのに人一倍の努力を必要とした。何一つとして,人より秀でたものを持ったことはない。
「うっそだろ,お前!? あはは! 能無しどころかガイジかよ! ガイジのハッタショか? いや,ガイジじゃないなら余計ヒサンかもな!」
嘲笑。それは久しく忘れていた感情だった。誰もが俺の何も持たないのを冷笑した。慣れた筈の悲しみは,時間と共に深い奥底へ眠りに就いていた筈だが,ユーキの口慣れた罵りによって目覚め,再び俺を襲った。こんなにも大きいものだったろうか。俺は一瞬間,心が負けそうになった。
「違う!」
一際大きな声にハッとした。同時に心から何かが,驚き,去って行った気がした。
「努力は何も無くない!」
ハルは両の拳を固く握り,振り絞るように叫んでいた。その場の誰もがハルを見ていた。
「努力はいつだって,出来なくても諦めたことは無かった。何も無くなんかない。努力はいつだって才能のせいにしなかった!」
「ハッ! やっぱり何も出来ねぇんじゃねえか。才能のせいにしなかったんじゃなくて,出来なかったんだろ? もともとの才能が無いんだからな。
お前,こんなガキにかばってもらうなんてよっぽどじゃねぇか,ガチガイジ」
ユーキの顔はますます露悪的になっていった。
「Effort!――Effect on!」
俺は原点に立ち返るように叫んだ。
何も無いのは前提。そこから努力をして人並みになる。とっくにそう割り切っていたはずなのに,何を今更悲観することがある? 才能が一つもなくて,炎一つ出すことすら出来ないが,こうして“努力”の具現化は出来たではないか。ハルがそれを教えてくれた。何も無いわけではない。俺には確かに“努力”があった。
身を屈め,クラウチングスタートで一気に詰め寄った。
「ぐっ!」
ユーキは俺の行動が予想外だったのか,怯んだようによろけると慌てて右手を前に突き出してきた。しかし俺の方が早かった。
ユーキとの距離は二三歩というところだ。走り込んだ勢いのまま木刀を振るうことが出来ればよかったが,不器用な俺にはそれは出来ない。俺はわざわざ中段の構えを動作の間に挟まなくてはならなかった。それでも十分だった。突き出されたユーキの右手は,格好の「コテ」だった。
「コテぇ!」
染みつき,切り離せない声出しと共に,何千何万と打ってきた動きでユーキの手首を叩く。そうしてがら空きになった面も取りにいったが,今度はユーキの反撃が成功した。
俺はユーキの額を目掛けて木刀を振り下ろしたが,ユーキはそれを左腕で受けた。ユーキと戦う覚悟を決めたとは言え,他人に対してこのように暴力を振るうことには抵抗があった。そのため二回も人の体を打ったという手応えに怯み,動作は強張っていた。ユーキは涙目になりながらも右手から水流を出し,俺は吹き飛ばされた。
「ゲホッ! ゲホ!」
地面に這いつくばりながら,むせて乱れた呼吸を整える。
ユーキは右手首を押さえながら何か俯きながら呟いているが,それは小声のために聞こえなかった。と思うと突然顔を上げた。その目は涙が溢れんばかりに溜まっており,真っ赤に充血していた。
「許さん! あのメスガキは異世界人だからともかく,同じ転移者で,才能もない,グズの,ガイジの,マヌケの,カスのお前に負けるなんて絶対に許さない!」
俺が濡れた顔を拭った次の瞬間には,目の前に火炎が迫っていた。
「熱っ!?」
寸でのところで躱したつもりが,左腕が少し焼かれた。
「逃げるな!」
再び火炎がくる。さっきまでよりも大きく,火力も強い。まるでユーキの怒りを体現しているかのようだ。
左手にヒリヒリとした痛みを感じながら,乱れた呼吸のまま逃げ回った。
辺りの地面はすっかり焼け焦げ,青々としていた地面は黒と緑のまだら模様になっていた。焦げた苦い匂いがずっと肺を満たしている気がする。
「なんで避けるんだよ!」
ユーキは子供のような癇癪を起した。
「もうやめないか?」
俺はいくらか冷静になっていた。
「偉そうに言うな! ガイジのくせに!」
しかしユーキはそうではなかった。俺の心と反比例するように,どんどんと俺に腹を立てていくのが分かった。
俺が何を言ってもダメだと思ったから,アツシに仲裁を頼もうと後ろを振り返った。
「努力! 上!」
アツシの傍にいるハルが空に向けて指差している。俺はその指先を辿った。そこには空一面を覆ってしまう程の水が浮かんでいた。
「これなら逃げられないだろう」
ユーキの笑みには狂気があった。
俺はやめさせようとユーキに向かって走り出したが
「もう遅い!」
ユーキが掲げた腕を振り下ろすと,水は俺に目掛けて落下してきた。どうにも逃げられなかった。
強い衝撃があり,空気が失われた。大量の水を飲んだ。地に立ちながら溺れた。
「ガハッ! ゴホゴホ!」
全身は濡れて服も重くなった。四つん這いになり,喘ぎ喘ぎ息を吸う。ぼやけた視界に人影が見えた気がして無我夢中でそちらへ飛び掛かった。
その人影は右腕を突き出してきた。
「ぐあっ!?」
刹那に眩しくなったかと思うと,全身を強烈な痛みが襲った。ムチか何かで叩かれたような鋭い痛みで,熱くもあった。意識が飛んでは戻ってを一瞬間に繰り返した気がした。筋肉が勝手に動き,指先には痺れがあった。
「ぎゃはは! 感電してやがる! ぴくぴくしてやがる! そうか,水に濡れてるからか! 効果はバツグンだ! あはは!」
ユーキの言葉でようやく自分が電撃にやられたのだと理解した。
それからユーキは伸ばした手を,何か掴むかのようにすぼめた。地面が隆起し,俺に左右からかぶさった。俺は首と両手だけを出して土に捕らえられた。
「努力!」
「いかん!」
ハルが飛び出そうとしてアツシがそれを止めた。
ユーキは俺の目の前に立ちこちらを見下ろしていた。逆光の中,充血した目だけが怪しい光を帯びてそこにあった。
「お前は! 俺より! 下なんだ! この! クソガイジ!」
ユーキは俺を何度も殴った。だがそれは不慣れな暴力だった。柔らかい拳が,ただぶつかってきただけだった。
「ハア……ハア……」
ユーキは疲れたのか,息を切らせ殴るのを止めた。そして俺の手を握り
「ハッ! これでお前も魔法が使えなくなる。本当に何にもないクソ人間になる」
ユーキの手がオーラに包まれた。いよいよ敗北を覚悟した。




