第二話 その10
翌朝,日課として町中を走っているとジェロに出会った。声を掛けると驚いてどこか落ち着かない様子だった。時々辺りを見回して何かを恐れているようにも見えた。理由を尋ねるとなんでもない,と言ったが,沈黙の後,実は魔法が出ないか試していたという。昨日学校の朋輩たちが魔法を使っているのを見て,もう一度使えるようにならないかこっそりと朝のうちに試したらしい。しかし魔法は出なかった。魔法を唱えようとすると暴走したときを思い出してしまって,どうしても唱えられなくなってしまうという。俺は正直に言うと安心した。昨日みんなが魔法を使っているのを見て,ジェロが負い目に感じていないか不安だった。もし自信を無くしてしまったら? そういう不安もあった。だがジェロは強かった。自分の悩みに,一人で立ち向かおうとしていたのだ。
「やるじゃないか,ジェロ」
「え?」
「みんなが魔法を使っているのを見て,自分も頑張ろうって思えたんだろう? 立派なことだ。その心があれば,きっとまた魔法が使えるようになるさ」
俺が肩を叩くと,ジェロの顔が赤くなった気がした。それは朝日のためかも分からない。学校で会う約束をしてから別れた。
朝食を済ませ学校に行こうとすると,何故かマリアが付いてくる。理由を聞いても無視を決め込まれているから放っておくことにした。
教場には誰もおらず,裏に回るとアツシと子供たちがいた。今日は午前から魔法を使う授業らしい。ところが一人の子供が手を挙げ,「折角だから,一人ずつ魔法を見せてどれ程強くなったか,競いませんか」と提案し,それが通った。提案したのはジェロの弟だった。子供たちは普段と違う“競争”にすっかり気が乗ってしまい,アツシはそれを却下できなくなった。
この提案は通すべきでなかった。俺は後になって,ジェロの弟の真意に気付いた。
子供達は誰もが我先にと魔法を披露したがった。競って手を挙げ,自信と希望に満ちた目が並んでいる様は竹が青々と天に向かい伸びていく姿を連想させた。
一人,また一人と魔法を披露する。火炎が空を焼き,水流がとぐろを巻き,大盾や剣がずらりと並び,風が吹き荒び,地が隆起した。みな俺よりずっと幼い。背も俺の腰のほどである。彼らがこれほどの力を,当たり前のように使っているという事実に,少しずつ驚かなくなっている自分がいた。だが,これらの魔法が彼らの持つ若い才能だと思うと,自分には異世界に来ても才能には恵まれないのだと改めて宣告されたような,うら寂しい気持ちになった。
ハルは一人一人の見せる魔法に驚き,「すごいすごい!」と跳ねて喜んだ。褒められた子は一様に嬉しがり,照れたり自信に胸を反らせる様は年相応で可愛らしい。
マリアはどれも退屈そうに眺めては,「まだまだね」と寸評を下していた。
殆どの子が披露をし終え,最後の一人がおもむろにみんなの前へ歩み出た。ジェロの弟だ。彼が右手を突き出すと,小さな雷がバチバチと鳴りながら右腕を取り巻く様に現れた。雷使いの家系が使える魔法なのだろう。彼はぐっと右腕を引き,再び前へ腕を突き出すと,ズドンという音と共に紫の閃光が空を切り裂いた。それを見た何人かの子は拍手をした。つられて皆が拍手をしだした。確かに見事なものだと思った。それでもマリアは退屈そうであったが。
「よし,これで全員だな」
アツシが生徒を集め総評をしようとした時だ。
「まだですよ,センセイ」
ジェロの弟の一言はどこか人を寄せつけないような嫌味があった。何か不吉な予感がする。
「まだ一人残っているじゃないですか」
彼はそう言ってジェロを見た。ジェロは誰の目も見たくないという風に,咄嗟にうつむいた。
「だが,ジェロは……」
アツシは言い淀んだ。ジェロは魔法を使えない。これがどれほどジェロを傷付けているか,事情を知っているもので分からない者はいない。
「そいつも生徒なんだから,やるべきでしょう」
「そうだよ。ジェロもやりなよ」
他の子供達からもジェロの弟に賛同する声が上がった。恐らくだが,学校に来ないジェロを贔屓にするのを気に入らない子もいるのだろう。アツシは困ったように宥めようとしたが,徐々に子供らの声は大きくなり,とても無視できないものとなった。
ジェロはしばらく黙って俯いていたが,突然顔を上げて,肩をいからせながら皆の前に立った。ちらと見た横顔は苦しそうだった。
ジェロは弟同様右手を前へ突き出したが,何かが起こる気配はない。腕を伸ばしたまま,そのまま彼だけがそこに取り残されたように固まっていた。時間だけが過ぎた。永遠のような永い時間に思われた。ジェロの弟は数人とクスクス笑いあっている。他の子も,中には失笑したり,欠伸をしたり,手元に小さく魔法を起こしたりと,集中を欠いて退屈そうにしている。アツシはジェロにやめるようにも言えず,その立場に苦しんでいるように見える。ジェロは苦悶の表情を浮かべ,今にも泣きだしそうだった。その辛さ,孤独感を理解出来る筈の俺は,その重たい沈黙を前に,一体どうやって声を掛けて良いか分からなくなっていた。似たような境遇は幾度となく経験したはずなのに,傍に寄り添う言葉を知らなかった。
そしてこれこそ,ジェロの弟が狙ったもの,つまり兄を晒し物にしてやろうという魂胆であった。
ひたすらに沈黙と静寂が続き,それは地層のように堆積してはどんどん重く動かすことが出来なくなっていった。とうとうジェロの弟も飽いて笑わなくなった頃,静寂を破ったのは全くの,見ず知らずの男だった。
「やあやあ。どうも皆さん,ごきげんよう」
男は林から突如として現れると,子供たちの手を次々に取って握手をしながら,各々に「君の才能は素晴らしい」と言ってぶんぶんと握った手を振った。「君の火炎は見事だ」「随分と美しい水を扱うね。才色兼備だねえ」等と言われて,子供らは困惑と照れの間に揺れていた。
「おい。何者だ」
そう言ったアツシの声には怒気が含まれていた。
「これは失礼。あなたが噂のアツシ先生ですね。私,ロード帝国の宰相より任命され,若い才能を探して旅をしている,ユーキという者です。以後お見知りおきを」
ユーキは足を揃えてお辞儀した。ロード帝国という名が出た時,子供達からざわめきが起こった。「ロード帝国からスカウトしに来たってこと?」こうした声に「ええ,そうですとも」とユーキは笑顔で答えると子供達はますます色めき立ってざわめいた。
しかしアツシは険しい顔を崩さなかった。
「私にはお前の言葉は信用できん」
「なぜです? ロード帝国ですよ?」
「言動,振る舞い,それらが怪しいというんだ。これでも私は目利きに自信がある」
「そんなけったいな」
ユーキは言いながらジェロの弟と握手を交わしていた。そしてジェロを一瞥すると手を引っ込めた。魔法の使えなかったジェロには用無しということだろうか。
「ドリョク君,どう思う?」
アツシはそっと聞いてきた。彼の嫌疑の眼差しは猛禽の如くユーキから一度たりとも離れない。俺は改めてユーキを観察した。ロード帝国がどうこうは知らないが,確かに服装は奢侈で華美に装飾されている。おろしたてのようなパリッとしたスーツだが,草陰から出てきたためか肩に葉が乗って少し品格がない。靴も泥で汚れて――そこで俺は違和感を覚えた。その靴はスニーカーだった。それも異世界にはそぐわない見慣れたブランドのものだ。
「転移者か?」
俺が聞くと
「ああ,君も転移者か。アツシ先生だけかと思っていたが。それじゃあ隣の君も?」
ユーキはマリアを指差した。しかしマリアは首を横に振り
「胡散臭いアンタと一緒にしないで」
と吐き捨てるように言った。
「やはりお前は怪しい。転移者がロード帝国にいきなり重用されるとは考えにくい」
「こう見えても実力者なんですよ」
「とにかく怪しい。私の魔法で確かめるからこっちに来い」
「……良いでしょう」
アツシは俺が初めて会った時のように緑色の魔力に包まれた右手を差し出した。ユーキは応えるように右手を伸ばし,アツシの右手を掴んだ瞬間,アツシを殴り飛ばした。
突然のことに驚き,誰もがその場に固まった。
「こいつは敵だ! 離れろ!」
アツシの声でようやく皆が弾かれたようにユーキから距離を取る。
「フッ,ハハ!」
笑っているユーキに向かって手を伸ばしたアツシが愕然とした表情で言った。
「魔法が……使えない!?」
その言葉を聞き,子供達も自らの手を見たり,振ったりしながら口々に「魔法がでない!」と叫んでいる。誰もが混乱とする中,ユーキは一人不敵な笑みを浮かべていた。




