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第二話 その2

 明くる日,再び転移者のもとを訪れると,今度は中年の男が出てきた。自らをアツシと名乗り,そして彼こそが転移者であった。

 同じ転移者として話を聞きに来た,そう目的を伝えようとすると,アツシはにやりと口元を歪ませ,

「君も転移者だね?」

とこちらを制してきた。

「それもまだ異世界に来て間もない……」

よく見るとアツシの身体が緑色の光に包まれている。魔法を使っているようだ。

「警戒して悪かった。さあ,入って」

俺とハルは促されるまま,昨日見た木造の建物へ入った。

 通されたのは校長室のような応接間だった。向かい合って置かれたソファとその間に鎮座する品の良いテーブル。さらに大きな窓を背に質素な椅子と仕事机が置いてある。

 ソファに腰かけると,アツシが紅茶を淹れてくれた。ハルは迷わず砂糖を,砂遊びのごとく何度もティーカップへ運んだ。

「そうか。ドリョク君は異世界に来てまだ一か月も経ってないのか」

アツシはどこか懐かしさを感じているような目を見せた。

「それではまだ慣れないことばかりだろう?」

「はい。ですが色んな人に助けてもらって,なんとか生きてます」

「ハルもいっぱい手伝ったよ」

財布を落としたのは誰だったかな?

「アツシさんはいつこの世界に来たんですか?」

「もうかれこれ五,六年になるかな」

俺は安直に質問したことを後悔した。帰ってきた答えは気軽に聞いて流せるようなものではなかった。高校生であった俺には,五,六年という年月は途方もないものに思えた。思わず絶句してしまった。

「住めば都というか,最初こそ戸惑うが,慣れてしまえば元の世界よりよっぽど良い」

穏やかな笑みを向けられ,とっさに笑って返したがきっとうまく笑えてはいなかっただろう。もう聞いてしまおうか。元の世界には戻れないのですか? と。喉元につかえた怯えた感情を流し込もうとティーカップに手を伸ばすと,手が震えているのが分かった。思わず空いた手でそれを抑えたが,

「不安なのかい? それとも――」

彼は同じ転移者だ。きっと俺と同じことを考えたことがあるに違いない。こういう考えが俺の背を押した。

「……アツシさん。やはり,元の世界には,……帰れないのでしょうか?」

俺は彼の顔を見た。その顔は哀しげにも見えたし,同情するような顔にも見えた。

「ああ。現状こちらから元の世界に戻る方法はない」

苦々しく告げられた言葉に,全身を凍え切った水面に打ち付けられたような感覚を覚える。胃がぐっと縮み,指先が冷え,冷や汗が噴き出す。元の世界には戻れない。一縷の希望が断たれた。目頭がぎゅうと熱くなり,鼻っ柱が殴られたみたいに痛くなる。人前で泣くのは情けない,そう思い天井を見上げては,滲み,歪んでいく模様を眺めた。

「……私も昔同じ気持ちになったよ。もちろん若い君の方が私よりずっと辛いだろう。

 なんの慰めにもならないかもしれないが,大丈夫だ。他にも転移者は沢山いる。それに私の話を聞けば,君もきっと安心する」

「……ありがとうございます」

俺は酸っぱくなった口を潤そうと紅茶に口をつけた。

「甘っ」

驚くほど甘い。アツシは苦笑しながらハルを見た。その視線を追いかけ俺もハルを見ると,ハルは目を逸らした。大方甘くしすぎて飲めなくなったのをこっそり入れ替えたのだろう。

「ハル?」

呼んでも答えない。

「甘いんだけど?」

「……知らない」

それでやりきれると思っているのだろうか。バカらしくなって鼻から笑うと,同時に肩の力が抜けた。

「あーあ。やっぱりダメかあ」

背もたれへ身を投げる。じわじわと浸食しようとしていた悲しみを,ドロドロの甘さが蹴り返した。

 出来ないは前提。俺の信条はいつもこういう時に現れるものだった。切り替えの早さがちょっぴり自慢で,そうでもなければ海野“努力”は続かない。

「この世界について教えてください」

余った紅茶を飲み干し,俺は改に生きていく覚悟を決めた。


 アツシの語りは見事であった。元の世界では会社員をしていたらしいが,その口調に淀みはなく,勉強の苦手な俺にも理解がしやすかった。この異世界では,今いる“学校のようなもの”を建て,それなりに活躍しているらしい。異世界に馴染むとはこういうことかもしれない。

「この異世界には魔法が存在している。これが何よりも,私らのいた世界との違いだ。逆に言えばそれ以外のものはおおよそ似通っている。生活様式や習慣,食事もそうだ。

 私も含め何人かの転移者で研究して分かったことを君にも話そう。研究と言ってもそんなに真面目なものではないけどね。

 まずは何と言っても魔法だ。この異世界では誰でも魔法を使うことが出来る。我々転移者もその例外ではない。魔力に程度の差こそあれ,息をするのと同じように,この異世界においては平等に与えられた能力だと考えられる」

アツシは人差し指を立て,指先に光を集めて小さな花を一本作って見せた。

「そしてこの魔法は文明さえも生み出した」

そう言うとアツシはティーポットを手に取り,二つのティーカップをテーブルに並べた。見てごらんと言い,

「熱く」

とティーポットに向かって言い,そのままティーカップへと中身を注ぎ込んだ。カップからは湯気が立っている。

「冷たく」

今度はそう言って別のカップへ注ぐ。すると湯気が出ていない。

「これがまさに“魔法瓶”! なんちゃって!」

うわ。本場のオヤジギャグのなんたるパンチ力。アツシは気分よく笑っている。

「こほん。

 さて,魔法が生活に応用されているのは分かっただろうけど,魔法がどこまでも便利な代物でもないということを知る必要がある。今のティーポットにしても,使用者である人間の魔力を必要とするんだ。そして「熱く」や「冷たく」というのもただ言うだけではいけない。実際に中身が変化することをイメージしなければならない。

 大事なのはイメージすること。この異世界では想像することが魔法を使うにあたって最も重要なことなんだ」

俺はイーサンの話とすり合わせながら話を聞いていた。おおよそ似た話をしている。

「元いた世界での電力に近い役割をしているようにも見えるが,その実個人の魔力や想像力を必要とするところは不便なところだな。逆に想像力さえあればなんにでも応用が利くのが良いところだ。ここまでは大体わかったかい?」

俺は頷いて先を促す。

「想像力が大事なのはもう一つ,この異世界においては概念の要領が重要視されているからなんだ。概念はざっくり言えば目に見えない事象だ。それを具現化する。それが魔法の基本だ。

 一般的には才能を媒介に魔法とする。足の速い人間は“敏捷性”を魔力によって表出し,高速移動を可能にする。頭の良い人間はその建設的な思考を“計画性”なんかに定義して物を作ったりしている。ちなみに私は“洞察力”に自信がある。相手を見極めるのによく使う

 この概念が具体的であれば――つまり強くイメージできれば,それだけ強く表出する。自分の能力をしっかりと把握するのも大事なことなんだ」

転移者の眼を通した見解は要領を得やすかった。学習も復習が大事であるから,改めて話を聞けたのは結果として良かった。

「それからドリョク君,気付いたかい? この異世界には“文字”が無いんだ」

言われてはっとした。確かに看板に絵や図などは見たが,文字は見ていない。

「文字は概念さえも表現してしまう為,それ自体が力を持ってしまうとして,遠い昔に禁じられたようなんだ。古いおとぎ話みたいな話だが,その昔,炎と書かれた紙が燃え出して村を消したとか。そんな話があるくらいだから異世界の人々は文字を使わないらしい。この風習が厄介でね。文献なんかもないわけだから,私らの研究はなかなか捗らない」

アツシは肩を落として笑った。異世界に対して理解する暇がなかったとはいえ,自分の発見に対する感覚の鈍さが嫌になる。

 まだ話の続きそうな気配があり,俺もそれに応えるつもりでいたが,唐突にドアがノックされ,一人の子供が入ってきた。

「センセイ,授業の時間だよ」

「ああ,もうこんな時間か。分かった,今行くよ」

アツシは腰をあげ

「すまない。話の続きはおあずけだ

 そうだ。もしよければ授業を見ていかないか? その方が話も早いと思う」

俺は一瞬どうしようか悩んだが,

「授業見たい! 行こうよ努力!」

とハルが言うので見ていくことにした。


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