第一話 その8
その後も何度か魔法に挑戦したが上手くいかなかった。イーサンが言うには,一度使えるようになった魔法はあっさりと習得して,いつでも使えるとのことだったが,どうやら俺にはその常識が当てはまらないらしい。しかし俺には,使えないことの方が当たり前のように思えた。さっきのはまぐれで,たまたま成功しただけ。一度出来るようになったら以後簡単に再現出来るなど,そんな都合の良い話があるわけがない。
しかしここは異世界,そのような道理がまかり通っているのであれば,努力という概念が存在しないことにも頷ける。俺はもう少し,異世界というものに柔軟にならなくてはいけないのかもしれない。
昼になり街に戻ると何やら人出が多くなった気がする。イーサンは何かを確信したように商館に向かっていった。俺はハルと共に飯屋に入った。
二人で飯を食っていると,イーサンが一人の,彼と同じくらいの背丈の,品の良い男を連れてやってきた。
「こいつがリリアンだ」
イーサンがそう言うと,男は,どうも,と言ってこちらに小さく手を振った。俺もハルも簡単な挨拶をし,四人でテーブルについた。
リリアンは気さくな人で,ハルはすぐに懐いた。柔和な態度と,女性言葉を好んで使うので,少し距離を掴めずにいると,そんな俺の様子に気が付いたのか,自ら,心は女よ,と教えてくれたので,俺はすっかり安心して打ち解けた。イーサンが嬉しそうに俺らのことを話すのには参った。
リリアンが街に来たということは,同時に商隊も到着したということを意味していた。今日一日をこの街で過ごし,明日の朝にはすぐ出発するらしい。俺らはイーサンと共にそれに帯同する。街の外は決して安全でない。それがどれほど危険なことかを知らないが,イーサンは,俺がいれば何の問題もない,と励ましてくれた。
昼食を済ますと,イーサンは俺を武具屋に連れて行った。
「自分の命を守るんだ。慎重に選べよ」
いつまでもイーサンと旅を続けることは出来ない。有事の際は,戦わなければならない。それは未だ現実味のないことであったが,イーサンの目は,厳しく,ややもすれば俺の目の奥まで貫く様に睨んでいるようで,俺はようやく覚悟に近いものを胸元に感じた。店内に並ぶ武器は,見慣れない為に,飾りのように思えていたが,イーサンの眼,自身の覚悟を通して見ると,途端に物騒な,恐ろしく物々しい殺気を帯びてそこにあるような気がした。どれも命を奪うために作られた。その事実に戸惑い,また,それらを振り回す自分の姿を想像し,怖くなった。
一本の剣を手に取った。磨かれた刃に顔が映る。ずっしりと重く,それが厳かにあって,身を竦ませた。
イーサンは何も言わない。
もし何か選ぶと言えば剣である。しかし真剣はどうにも使いたくなかった。
俺は,心臓が高まるのを感じた。逃げたかった。しかし出発は明日の朝で,道中何があるか分からない。武器は確かに必要なものであった。
武器を選ぶでもなく,狭まった視界の中,何かないかと店内をぐるぐるしていると,足に何かが当たった。驚いてそれを見ると,なんと木刀であった。それを拾い上げると,店主が
「ああ,それね。それ,誰だか知らないけどうちに忘れていったみたいでね。しまっておいたはずなんだけど,そんなとこに置いたかなあ?」
と言った。俺はこの木刀が手に馴染むのを感じた。
「すいません! これを下さい!」
俺は跳ねるように店主の元へ向かった。
「そりゃあ構わないよ。金も要らないさ」
「本当にそれでいいのか?」
低く唸る声でイーサンは言った。
「本当にそれで守れるのか?」
それは,命のやり取りの厳しさを知る人間の言葉だった。圧し潰すような威圧を感じる。
「守る為ならこれで良い。俺は,命を奪う為には戦えない。武器に殺気があったら,俺はそれを,使うことを,躊躇ってしまうと思う」
「……分かった」
イーサンは不服そうに店を出た。店主が不安げにこちらを見ている。
「これ,貰いますね」
そう言って,俺は木刀をベルトに差し込んだ。
夜が明け,日が昇りはじめる頃,馬の嘶きや荷造りの音が静寂の中をたゆたっていた。俺は早くに目が覚めて,木刀で素振りをしていた。少し経ってイーサンがやってきた。
「調子はどうだ?」
「だいぶ,いいよ」
「そうか。飯を食ったら,すぐ出るぞ」
「わかった」
それだけ言って,イーサンは宿屋へ戻った。俺は素振りを終え,少しだけ荷造りを手伝ってから食堂へ向かった。
旅程は五六日である。野営と,途中宿場町に寄り,そうやって山を越えるらしい。
商隊長が挨拶に来た。イーサンはリリアンと共に商隊長と話した後,俺らのことを話した。
「何も心配はいらない。イーサンもリリアンも名の知れた達人だ。道も山賊がまれに出るくらいで,それも彼らの名前を聞けば飛んで逃げ出すような取るに足らない連中さ」
そう言って俺らがついていくことを快く受け入れてくれた。ハルは飴玉を貰っていた。他にも雇われの戦士が二人いた。荷馬車はそれなりの数があるように思われたが,商隊長の言う通り,危険の少ない旅なのかもしれない。ハルから飴玉を貰った。慣れない味だった。




