第一話 その7
朝食を摂る間,イーサンはずっと興奮していた。やたらと話を聞いてくるのであった。
俺もハルも疲労が溜まっていた。パンの味がぼんやりとして,噛んで飲み込むことすら億劫であった。ハルは眠気から舟をこぎ,バナナを三本,皮をむいては並べ,四本目に手を出していた。すぐにでも部屋に帰り眠りたかったが,イーサンがそれを許さなかった。イーサンは自分の分の食事が終わると,昨日の開けた場所まで俺らを連れて行った。
再び火を出すよう言ってきた。素直に従うと,感心したように頷いた。少し待ってろと言い,彼は林の中へ入っていった。ハルは草の上に眠っている。並んで横になるとまどろみに包まれ,瞼はひどく重くなった。暖かな日差しは烈しくなく,昼寝をするにはちょうど良かった。
しばらくしてイーサンは長く立派な木の棒を持って帰ってきた。受け取ると,重みといい,手に馴染む感じといい,日頃握ってきた竹刀を思い出した。良い枝ぶりである。
「これからちゃんとした魔法を教える。この先自衛の術が必要だ」
この世界は決して安全でない。イーサンの職も然り,治安は良くないだろう。また,人ならざるもの,魔物も存在するという。俺はもはやその程度の新知識では驚かなくなった。そういった危険から身を守るために,今から新しい魔法を教えてもらえるようだ。
「昨日見せた俺の魔法を覚えているか?」
イーサンの言う魔法とは,彼の持つ力の財産を,魔力によって具現化し,あまつさえ斧の能力すら高めたことだ。
「魔法が使えなきゃこの世界では生きていけねぇ。みんな何かしら自分の得意なこと,才能を見出して,魔力で形にする。そうやって生きている。
この後妖精女王のところへ行くんだろ? 道中どんなことがあるかわからねぇ。お前ももう一人前の歳なんだから,一つ,ちゃんとした魔法が使えなきゃいけねぇ」
炎を出すのは通過点に過ぎない。必要なのは個性を持った魔法である。
「ドリョク。お前の得意なことはなんだ? 人に負けないようなものはなんだ? まずはそれをイメージしな」
これが問題である。俺には何の才能もなかった。恵まれたものは何も持たず,人並みになるのですら苦労を要するのだから,得意なものなど存在しないのである。
イーサンは自らのパワーを具現化した。彼は確かに大柄で,上背もあり,ずんぐりと熊のようである。身体的特徴も,才能と言えないこともない。一方俺は,決して恵まれた体躯は有していない。身長は百七十八センチメートルで,剣道によって多少は肉付きは良いが,力自慢できるほどの筋力は無い。勉学の才があれば質の良い魔法が使えるとイーサンは言うが,生憎俺は勉強も苦手である。
概念の具現化とはなかなか要領を得なかった。個人の持つ才能や個性,特性,能力などというものは確かに形容しがたいものである。例えばスポーツ選手などは,まさしく才能の世界(そこに鍛錬が加わることは差し置いて)と言えるかもしれないが,一体何をもって才能と呼び,それを体現することが出来ても,存在を顕現させることは,少なくとも俺の人生では経験が無い。
力持ちも才能。足が速いのも才能。記憶力も人によるから才能。こうも才能才能と連呼すると,僻みに聞こえるかもしれない。しかしこの世界では,それらを自認し,魔法とするのだから,多少屁理屈のようになっても仕方ないだろう。
そうは言っても,人一倍不器用に生まれてきたのだ。そのことがこの世界でいかに不利にはたらくかは,はっきりしている。今まで残酷な運命としてなりをひそめていたものが,改めて立ち塞がった。ともすると思考は暗闇の中へ閉ざされていき,感情もろとも沈んでゆくのであった。俺にはない。何もない。
そんな暗闇から俺を掬い上げたのは,ハルであった。
「もう! なんで気付かないの? 努力には,誰にも負けないものがあるでしょ」
うつむいた視線の先に,こちらを真っ直ぐに射抜くような眼があった。
「ハル,知ってるんだから! 努力が誰よりも頑張ってきたこと
努力は,誰よりも努力が出来るんだよ!」
俺は,努力できるのも才能,という言葉が嫌いであった。故に自らの人生に対しても,そのように考えたことは無い。何の慰めにもならないからである。ハルの言葉には,やはり,多少腹立たしいものがあった。しかし,意外にもイーサンがハルに賛同した。
「そうだ。お前ぇ火を出したのだってドリョクだって言ったじゃねえか。おい。ちょっと試してみろ」
努力も概念と言えばそうである。努力を具現化する,魔法を発動する。なんだか途端にバカらしく思えてきた。
「具現化するには,まずしっかりイメージすることだ。概念を示す出来事なんかを思い出して,強くするんだ」
努力をしたこと,それは俺にとっては人生の回顧と同様であった。足が遅いのを,本を読み,必死に走り克服したこと。九九を覚えようと,風呂でのぼせて目を回したこと。長く苦しめていたものが,いつのまにか自らの血肉となって今を形作っている。俺はそれが人よりも長かった。
俺は木の棒を構えた。毎日続けた素振りが自然とそうさせた。閉じていた目を開くと,世界が広く見えた。心臓の鼓動が高まるのを感じる。胸の辺りが,湯が湧き出ているかのように,温かく,くすぐったい。
「今だ! 魔法を唱えろ!」
唱えろと言われても何を言うべきか知らない。頭は見慣れた単語帳を繰っている。そして口は自然と動いた。
「Effort――」
全身を紫色のオーラが包む。遠くの風の音すら聞こえてくる。心は静謐に,凪いでいる。寒いような暑いような,どっちとも言えない感覚が皮膚を覆っている。
「Effect――on!」
上段に構えた棒を振り下ろした。瞬間,肺に大量の空気が入ってきたかの如く,胸が大きく膨らみ,また押し戻されたように収縮した。頭に水の塊が落ちてきたかのような衝撃があり,爪の先まで煮えた血が通った気がした。全身の筋肉が膨張し,同時に内側に引っ張られるような感覚がある。
少しでも身体を動かせば軋むような気がする。
「おい! 本当にやっちまったのか!?」
イーサンの目は見開かれている。
全身にははっきりとした重み――重力感と,それを跳ね返しても余りあると思われるほどの力感があった。
「これが努力の魔法……!」
「俺ぁまた出来ねぇと思ってた!」
俺も,まさか上手くいくとは思っていなかった。それほど,努力とは自分には馴染みのあるものであると言えなくもないが,これはいわゆる僥倖というものであろう。ほとんど偶然だ。しかし慣れないためにコントロールが効かない。次第に息が切れてきた。持続の仕方が分からない。このままでは魔法が発現したのみで,一体意味あるものか分からない。
イーサンは呆気に取られていたが,ハッとして
「試してみるか?」
と言い,斧を構えた。俺はなんとか返事をし,イーサンの方へ向き直った。それから真っ直ぐ上から下へ棒を振り下ろした。イーサンはそれを垂直に斧の柄で受け止めた。
「ぐう……!」
棒は折れることなく斧を,イーサンの怪力を抑えつけている。信じられないことだ。力自慢の大男を,俺の力が圧倒している。紛れもなく魔法の効力である。
「Power!」
イーサンは叫び,木の棒を弾き飛ばした。それをきっかけに俺の集中も切れ,電線が断線したかのように紫の光がバチリと鳴って消えた。
お互い息を切らしながら見合わせ,自然と微笑に変わると
「やったー!」
とハルが両手を挙げて喜んだ。俺は再び,この世に生を受けたような気がした。




