第一話 その6
俺はイーサンの話を反芻していた。魔力の存在。魔法の仕組み。そして今起こった出来事を自分に当てはめて,いかに心躍ることか再認した。
「まあ,まずは簡単なところからだ。これはこの世界の常識だ」
イーサンから再びネックレスを渡される。
「そいつは魔石。魔力に反応する特別な石だ。魔力の暴走を抑えたり,身を守ったりする」
首に掛け,次の言葉を待つ。
「魔法はイメージの具現化だ。分かりやすいのは,やっぱり炎だ。炎はそのまま個人の魔力の放出にもってこいだ。やってみな。炎をイメージして,魔力をそこへ,流し込む」
彼の説明は要領を得なかった。それだけこの世界では共通認識として完成されたものなのかもしれない。
俺は掌を上に向けて開き,その上に,炎をイメージした。魔力を流し込む。これは未知の感覚であるために,容易にはいかれないかと思われた。しかし,幼いころに見た少年漫画のアニメが空想をよぎり,それがイメージを可能にした。
首にかけたネックレスから熱を感じる。ゆらゆらと揺れて,赤い石が燃えているように見える。イーサンの顔を見ると,微笑したまま俺の視線に気付き頷いた。俺はこの石の赤い炎を手の上に移動させようと思った。胸の辺りを始まりとし,首元へ上がり,脇を通り,腕を包み,掌へ,窪んだ地に水が流れ込むように,魔力が流れていくイメージを持った。
熱が掌に集まっている。俺は魔力の存在を予感した。そうして再び炎を想った。目の前に掌を種として燃え盛る炎を。燃えろ。そう思い,ぐっと力を込めた。
ボンと爆ぜる音と共に,見事な炎が起こった,俺の後頭部に。
「あっつい!」
空気を燃やす音と,髪の焼ける匂いがする。
「わー!」
ハルとイーサンは同時に声を上げた。ハルはどたばたと駆け回った。イーサンは両手を胸の前に広げ,ぎゅっと押し込むようにした。見えない何かがそれに反発しているようであった。俄かに,そこに大きな水球が現れた。それを放り投げるように,こちらへ差し向けた。俺は頭からいっぺんにずぶ濡れになった。炎はチリチリになった髪と黒煙を残し,ジュワという音をたて消えた。三人で呆然として顔を見合わせた。沈黙を破ったのはイーサンだった。
「ダメだな,こりゃ。魔法が使えねぇ奴ぁ初めて見た。ほれ,魔石を返してくれ」
俺は認めたくなかった。そんな筈はない。柄にもなく食い下がった。
「待ってくれ。まだ一回しかやってない」
「これは誰でも出来るもんだ。魔力の確認として子供がやることだ。誰もこんな失敗はしねぇ」
イーサンは魔石の返却を促してくる。俺は少し,イーサンに憎しみを感じた。そんな簡単に諦められるものではない。
そして俺は衝撃的なことを知る。
「まだ初めて一回やっただけだ。あと何回か,練習とか努力すれば出来るかもしれないだろう」
俺の人生はそうして紡がれてきた。ここで否定されては,全てを否定されてしまう。しかしイーサンは相手にもしない様子でこう言った。
「何回やっても同じさ,無駄なことだ」
さらに続けて
「大体,レンシュウってなんだ? 知らない言葉だ。それにドリョク。お前ぇの名前がこれとなんの関係がある?」
俺は驚くことさえ忘れた。理解が遠のき,霞にぼやけていく気がした。数瞬遅れ,次の言葉を紡がなければいけないという意識が俺を呼び戻した。
それから俺は,努力という言葉の説明を始めた。諦観,根性,不屈,そういう言葉と共に説明しても一向に理解を得ず,それどころか,努力に付随する観念そのものが欠落しているようだった。イーサンが無知であることを疑った。俺は言葉を噛み砕いて,例えを持ち出し,出来得る限りわかりやすくしようと試みた。イーサンは俺の必死な様子から,途中真剣に耳を傾けだしたが,ついには集中が途切れたようで,聞くことをやめてしまった。何を言っているのか分からない,と言った。彼の言葉が真であることを,その表情が証明していた。
スコールが降り出した。
「ちょうどいい。この話はやめだ。風呂にでも入ろう」
俺はネックレスをイーサンに返し,黙って後に続いた。街は雨に打たれ,白く烟っている。人々はみなこの雨を楽しむように天を仰いでいた。
大きな,立派な造りの建物に来た。どうやら大衆浴場であるようだ。中は銭湯を思わせる造りである。
見事な内装に,広い浴場。シャボン玉のような球体が並んでおり,中には水蒸気が発生して,サウナとなっているようだ。壁からは湯が延々と流れ出ている。また,大きな浴槽があり,様々な水流を生み出してそこにある。自然に思われるこれらの光景のほとんどに,魔法が使われていることは明らかであった。
俺はハルの髪を洗ってやった。ハルは無邪気に喜んだ。それから一緒に身体を洗い,湯に浸かった。イーサンは少し遅れて俺のそばに来た。
しばらくして,もう一度,話の続きをした。しかし反応は同様であった。腑に落ちずにいると,イーサンは気を遣ってか,近くにいた老人に,努力の概念について尋ねてくれた。しかし,老人にも理解が得られず,俺はついに確信した。この世界には努力の概念が無い。代わりに,才能や生まれ持った資質などが個人を決定づけている。イーサンは“力の素質”があった為に戦士となった。老人は長いこと質屋を営んでいるらしい。“ものを見る才能”があったのだ。そして彼らは,初めて炎を出した際に,失敗などはしなかったという。俺は長いため息を吐いた。ハルがこちらを見ていたが,目を見る気にはなれなかった。
老人は俺の話に興味を持ったらしい。努力について,説明を求めてきた。俺はイーサンにしたものと同じように教えた。
きっかけは老人の一言であった。要領を得ないから,実際にやってみてくれ。そう言われ,俺は困惑した。努力をやって見せるというのはおかしな話に思えた。出来ないと答えた。すると,何故出来ないと聞かれた。俺は湯にのぼせ始めていたから,出来ない理由を説明するのが億劫になった。だから投げやりに,分かった,やってやると答えた。実際努力の証明はシンプルな筈であった。炎を掌の上で制御してみせれば良いのだ。そのためには魔石がいる。イーサンの方を見ると,難色を示した。
「ダメだ。魔石は高いんだ。ずっと貸してやることはできねぇ」
努力には多くの時間が伴う。商売道具であるのだから,イーサンの断りはもっともである。魔石さえあれば,出来るまでやってやると思っていたが,そんな気持ちも現実を前には立ち行かなかった。
すると老人が
「ところでお嬢ちゃん。そのペンダントは,なかなか綺麗だね。ちっと,見せてくれんか」
ハルの胸に下がる,青色の石を指差した。確かに美しい輝きを放っている。ハルはそっと老人に見せてやる。
「こりゃあ,すごい。随分立派な石だい。一体どこで手に入れたんだい?」
ハルはもじもじとして答えなかったが,老人は一向に気にしていない調子であった。
「これ,魔石じゃねぇのか? こんな美しいものは見たことがねぇ」
俺はぎょっとして,ハルを見た。そしてハルもまた驚いた顔でこちらを見た。思わぬところから光明が差した。
風呂屋から出ると,スコールはやみ,雨の匂いを残し,石畳は濡れて,辺りにガス灯の光をまき散らしていた。宿で夕食をとると,俺とハルは噴水のある広場へ向かうことにした。イーサンは努力の概念を信じていなかった為,やめておけとだけ言って部屋に帰ってしまった。
広場は閑散としていた。俺はハルからペンダントを受け取った。風呂屋では,老人に渡すのを躊躇ったように見えたため,あっさりと手渡されたことは意外であった。
「いいのか?」
「うん。ハルも応援するからね!」
それから俺は,炎を出すことに執心した。何度やっても炎は後頭部から出た。その度に噴水に頭を突っ込んだ。集中力が足りないと考えてじっくり時間を掛けたり,力んでいるとも考え,あえて寝転んでみたりもした。
次第に夜も更けて,びしょ濡れの身体は冷えにより弱っていくのが分かった。暖が欲しい。そんな感情からより強く炎を意識した。すると今度は後頭部ではなく,首から火が出た。大きな変化である。そうしてより精密な炎をイメージした。揺らめき,性質,色,温度など,それらを掌に起こそうと思った。次第に炎は体のあちこちから出るようになった。背中,膝,尻,へそ,肘,手首。
空が白み始めていた。ハルは疲れて眠そうにしている。ずっとそばで励ましてくれたのだ。俺もまた,意識がぼんやりとしてきた。魔力をすり減らしているのだから当然である。これほど疲れたことはない。子供の頃,一人自転車に乗れず,暗くなるまで母を連れ練習したことを不意に思い出した。幼い頃より不器用で,人一倍努力を必要とする人生であった。過去の,そうした記憶を思い返し,改めて意識を現在に向けると,不思議と力が湧いてきた。
目を閉じ,集中する。静寂が味方して,俺は見事に燃える炎をイメージした。そんな想いに応えるように,ハルのペンダントは美しい輝きを放ち始めた。根拠のない自信が全身を満たした。掌を一度閉じ,もう一度開いた。ポンと軽い音をたて,百円ライターで起こしたような火が姿を現した。まだ暗い街に,小さな小さな火が一つ,俺の掌に灯った。ハルは目を見開き,それからこちらに飛び込んできた。
「やったよ! 本当にできたんだ!」
疲れて,もつれるように二人で倒れた。そして二人で笑いあった。
宿に帰ると,ハルはイーサンを叩き起こした。イーサンは眠たそうに瞼をこすり,ぼんやりとこちらに歩いてきて,止まった。
俺はイーサンの目の前で,小さな火をパチリと指を鳴らし灯した。するとイーサンはみるみる表情を変え,信じられないものを見るような目で,火と俺とを見合わせた。
「どうなってやがる……。一体何をした?」
俺とハルは顔を見合わせにやりと笑った。それから声を合わせてこう言った。
「努力した」




