クリム、絶体絶命
あたしは今、今までの人生の中で最もサイアクな状況に陥っている。一つは、あたしの体が思うように動かないせいで地面を這いずる事だけで精一杯だという事。二つ目は、杖を落としたせいで攻撃手段を一時的に失ってしまった事。
――そして三つ目は、ナラがディーオと呼ばれるイレギュラーによって外へ吹っ飛ばされてしまった事だ。
(はぁ、はぁ…。あたし、一体どうすればいいの?)
あたしはこの状況を受け入れる事が出来ず、ただただ恐怖を感じていた。自分が死んでしまうかもしれない恐怖。…だけど、一番怖いのはナラがあの後どうなったのかという事。あの高さから落ちていくんだから、ナラはきっと――。
(…いやいや、何をバカな事を考えているのよあたし。きっと仲間がナラの事に気づいて助けてくれるわ)
それでもあたしは、少しでも前向きに考えようとしていた。それは都合のいい考えかもしれない。でもナラは、どんな事があっても決して諦めないとよく言っていた。
…昔から無鉄砲な奴だと思っていたけれど、今はあいつの考えが少し分かる気がするわ。
『…次はお前だ、小娘』
ディーオがあたしの方へゆっくりと歩いてきた。奴は見下すようにあたしの事をじっと睨みつけている。
"――あいつから、逃げなきゃ"
それを見て、あたしはそう考えた。今のあたしではディーオに攻撃を与える事が出来ない。何故なら杖を床に落としてしまったから。
もしこのまま杖を取りに向かったとしても、相手はそれを許してはくれないだろう。…だったらどうするか?答えは簡単、逃げるしかない。
『…死ね』
ディーオの一声と共に、あたしに向けてパンチを繰り出す。あたしは咄嗟に転がり、奴の攻撃をかわした。
奴のパンチが地面に当たると、その衝撃で床が抉れる。殴っただけで地面があんなになるなんて…。ナラはこの攻撃をまともに食らったのかと考えただけでも恐ろしくなってくる。
『…ぬっ』
再びディーオがあたしに近づき、パンチを繰り出してくる。あたしはさっきと同じように転がりながら攻撃をかわしていった。
次に来た攻撃も、その次も、またその次も…。あたしはひたすらに転がって避け続ける。幸い奴のパンチはそこまで速くはなく、攻撃を避ける余裕は十分あった。
(――はっ!しめたわ、あそこにあたしの杖が!)
ふと、あたしは目の前に落とした杖がある事に気づく。転がっているうちにいつの間にか杖のある近くまで来たようだ。
杖を再び手に入れる事が出来れば、あいつに何かダメージを与える事が出来るかもしれない。あたしはその希望に賭け杖を拾おうとした。
『…さっさとやられろ』
ディーオは杖を拾わせまいとあたしの方に向かってくる。しかし、あたしが杖を取るスピードの方が速かった。残念だったわね、ディーオ!
「よし、掴んだわ!――『バリア』!」
あたしは杖を掴むと、咄嗟にバリアの魔法を唱える。あたしの周りにバリアが展開した。ディーオはあたしにパンチを食らわそうとするも、バリアのおかげで攻撃がはじき返される。
『…ぬっ!?』
ディーオは自分の攻撃が効かなかった事に動揺している様子だった。奴もこれには想定していなかったみたいね。――してやったりよ!
あたしはバリアに守られた状態でゆっくり立ち上がる。時間の経過で少しは痛みも引いたみたい。さーて、この後はどうやったらあいつにダメージを与えられるのか考えないとね…。
『…ぬううっ!!』
ディーオは連続でパンチを繰り出しバリアを壊そうとするも、バリアはほぼ傷がついていない。さすがのあいつもバリアを一撃で砕ける力までは持っていないようね。
とはいえ、バリアがいつまで持つかは分からない。恐らく時間はあまりないだろう。完全に壊れる前に何とか手を打っておかねば。
(でも、一体どんな魔法を使えばいけるのかしら…ん?待って)
あたしは一つ思いついた。ディーオにダメージを与えられる、たった一つの魔法。…それはナオトも使っていた『バースト』という魔法だ。
『バースト』は触れると大爆発を起こす赤い球が放たれるという物。大型の魔物ですら一撃で討伐できる超強力な魔法だが、それ故に扱うのは大変危険でもある。この魔法自体は魔術師なら誰でも唱える事は可能なんだけど、生半可な人間では制御するのは至難の業と言われているくらいだ。当然、それはあたしも例外ではない。
ナオトは『神の力』があったからこそ、あの魔法を簡単に操る事が出来た。だけどあたしはそんなの勿論あるワケがない。今のあたしが『バースト』を放てばただでは済まないだろう。しかし、他に方法はない。
"――ピシッ、ピシッ!"
バリアにヒビが入る音が聞こえてきた。今あたしがいる安全地帯もあと数秒で破壊されてしまう。…こうなったら、覚悟を決めるしかなさそうね。
奴に『バースト』をぶち込むチャンスはたったの一回。ディーオがバリアを破壊した直後に、あたしが『バースト』を唱える。失敗は絶対に許されない。
『…うおおおっ!!』
ディーオの雄叫びと共に、渾身の一撃が放たれる。今のでバリアは完全に破壊された。
(――来たわね、今よっ!)
あたしはすかさず、持ってる杖をディーオに向ける。そして――。
「『バースト』っ!!」
『…ぬっ!』
あたしがその魔法を唱えると、杖から小さな赤い球が放出する。赤い球はディーオの体に当たり、大爆発を起こした。
「――きゃあっ!」
爆発の衝撃であたしは壁の方に吹っ飛んでいく。爆発はナオトが放つ程の威力ではないものの、それでも反動が強い。『バースト』が生半可な魔術師じゃ自由に扱えないというワケが改めて理解したわ…。幸い、爆発の衝撃で建物が崩れる事はなかったけれど。
…それよりも、ディーオはあの後どうなったのかしら?
「や、奴はどうなったの…?」
爆発の時に出来た煙のせいで、前がよく見えない。でもあれだけの威力なんだからディーオも無事では済まないハズ。
煙は徐々に消えていき、視界が見えるようになっていく。あたしの目の前にディーオの姿はなかった。周りを見ても奴はどこにもいない。…もしかして、今ので倒せた?
(…!?あ、あれって…!)
ふと、あたしは外に何かが飛んでいるのに気づく。それは翼を生やした生き物だった。しかし、形は明らかに人の姿に似ている。それもさっきまで戦っていたあいつに…。
今の光景を見て、あたしの微かな期待は完全に打ち砕かれた。――そう、あいつの正体は翼を生やしたディーオだったのだ。まさか、あいつに翼を生やせる能力があったなんて。そんなの聞いてないわよ!
とにかく、ここから逃げなきゃ…あっ!
(待って、あたしの杖はどこいったの!?)
あたしは自分の杖がない事に気がつく。どうやらさっきの爆発のせいでどこかへ飛んで行ってしまったらしい。また杖を落とすなんて、本当に今日はサイアクな日ね…!あれ結構高かったのに!
そんな事を思いながら、あたしは杖を探すべくここから離れようとする。しかし、ディーオはそれを許しはしなかった。ディーオは全身を青黒く光らせ、猛スピードであたしの方へと向かってくる。
(マズいわ、これじゃあ逃げる余裕すらないじゃない…!)
ディーオは瞬く間にあたしの眼前まで迫ってきた。今の自分には杖がないので、何もする事が出来ない。ここまで来たら奴の攻撃を避ける事は不可能だろう。こんな時に誰かが都合よく助けてくれるなんて事はあり得ない。
…だけど。こんな奴に絶対負けたくない。負けたくないから、誰かあたしを助けて欲しい。この際ナオトでもいいから、あたしを守ってよ――!
「――『バリア』!」
あたしが恐怖のあまりに目をつぶったその時、突然誰かが魔法を唱える声が聞こえてきた。恐る恐る目を開けると、あたしの前に一人の人間が立っているのが見える。その人物は、あたしがよく知っているあいつだった。
そんな、まさかあいつが…?
「…よし、何とか間に合った!クリム、大丈夫か?」
あたしはそいつの姿を見て、色んな感情が湧き上がってきた。まさか、あたしを助けてくれたのがあいつだなんて。しかもあたしがやられそうな瞬間の時に駆けつけてくるなんて…。
――いくら何でもカッコつけすぎよ、フジサキナオト!
「おーい、クリム?聞こえてるか?」
「へ?…き、聞こえてるわよっ!二回も言わないで!」
「そ、そんなツンツンしなくてもいいだろ?…でもよかった、大丈夫そうで」
ナオトはあたしの顔を見て嬉しそうに笑う。ついさっきまであんなに暗い表情を見せていたのに、今はすっかりいつもの調子に戻っている。一体何が起きているの?…いや、それよりもあたしが一番気になるのは、ナオトが当然のように『バリア』の魔法を使っている事だ。あいつは能力を全て失っているから魔法は当然使えないはず。
…どうして?ワケが分からない。考えるだけで頭がおかしくなりそう。
「そうだ、今のうちに」
ナオトがそう言うと、あたしの肩に触れて『ヒーリング』と唱える。すると体中の痛みが一瞬のうちになくなっていく。やはり、他の魔法も使えるようになっているみたいね…。
「どう?動けるか?」
「え、ええ。もう全然痛くないわ。…でもあんた、どうして魔法が使えるの?」
「それについては話すと長くなるよ。今はあいつを倒すのを優先しなきゃ」
ナオトはバリアを解除し、目の前にいるディーオに向かって剣を構える。ナラが買ってきた新品の高価な剣だ。
「それにしても、こいつは一体何なんだ?クリム、あいつも神父が生み出したイレギュラーの一人か?」
「…ええ、そうよ。でもナオト、気を付けて!そいつに魔法をぶつけても全然効かないわ。例え『バースト』を使ったとしてもすぐに避けられてしまうわよ!」
「そう簡単にやられてくれる相手じゃないって事か。――だけど、ロゴスから貰った完全な『神の力』。この力さえあればどんな奴でも絶対に倒せるはずだ!」
ロゴスって、あんた…。あの神様に会ったって言うの!?それに完全な『神の力』を貰ったとか言ってるけど…。そう言えば、前に神父さんが「ナオトは神の祝福を完全に終えていない」と言ってたわね。でもさっきあいつはロゴスに会った事でその儀式?とやらを終わらせる事が出来たみたいだから、前よりも更に強くなっているのかしら。
『…ぬうっ、邪魔者め!先にお前から消えろっ!!』
ディーオは怒りをあらわにした声でナオトにそう言うと、再び全身を青黒く光らせる。それと同時に背中に生えている翼をピンと伸ばしてきた。
――マズいわ、これはまさか…!
『…ぬおおおおっ!!』
「うわっ!」
ディーオが雄叫びを上げながらナオトの方へ突っ込んでくる。奴はナオトを大きな両腕でがっしりと掴み、そのまま外の方へ飛んで行ってしまった。
「ナ、ナオトー!」
あたしは思わずナオトの名を叫ぶ。…さっきまであんなにあいつの事を嫌っていたのに。
それはともかく、二人が外へ出て行ってしまった以上ここからじゃ何が起きているのか分からない。あいつは『神の力』を再び手に入れたようだから、そう簡単にやられる事はないと思うけど…。というかあそこでやられてしまったら最高にダサいわよ、ナオト。
とりあえず、まずは杖を見つける事が優先ね。あれがないとどの道あたしが戦いに参加出来ないし。一体どこへ落としたのかしら…?
「――あっ、あそこにいるのクリム姉ちゃんだよね?」
「おっ、本当だ!クリムー!」
杖を探そうと立ち上がった時、向こうから皆の声が聞こえてきた。声がした方を見ると、そこにはナラを背負ったフリントにアルベルト、そして家で留守番してるはずのミントがいた。
「みんな…」
「クリム姉ちゃん、怪我はない?さっき上から凄い音がしたからビックリしたのよ」
「…ええ、あたしなら大丈夫よ。怪我はあいつが治してくれたわ」
「へへっ、そっか。ナオトの奴、ナラだけじゃなくてクリムの怪我も治してやったんだな。やっぱこういう時に回復担当がいてくれると助かるぜ」
…あたしも回復担当なんですけど。それより、ナラは大丈夫なのかしら?
「フリント、ナラの具合はどうなの?」
「ナラちゃんは大丈夫よ。気を失っているだけで命に別状はないってシャルル王子が言ってたわ」
そうだったのね。…ふぅ、よかったわ。さっきはナラが吹っ飛ばされてどうなってしまったのか不安だったけど、これで一安心ね。それにシャルル王子も駆けつけてくれたみたいだし、これで形勢が逆転できたら嬉しいわ。
あとはナオトがあいつを何とかしてくれれば…。絶対に負けないでよね、ナオト。
皆様、あけましておめでとうございます。更新がかなり遅れて本当にすみません…。
今年も頑張って連載を続けていきますので、よろしくお願いいたします。