逆さ虹の森 最後のどんぐり
冬の童話祭2019参加作品です。取り急ぎクリスマスに間に合うように投稿しましたが、修正を入れてから出品しました。
その昔、ある森に大きな虹がかかりました。この虹は普通の虹と違って逆さまにかかる、とても珍しいものでした。この虹がかかった森は、いつしか皆から逆さ虹の森と呼ばれるようになりました。
さて、逆さ虹の森の中に生えている一本の木のうろに、リスの親子が住んでおりました。子どものリスはふさふさな尻尾が自慢のノール。お母さんリスはお日さまのような笑顔でノールのことを温かく見守っている、そんな親子でした。
ある夏の日、今日もノールは自慢の尻尾でいたずらをしていました。ノールはとにかくいたずらが大好きなのです。ある日は近所のカエルのおじさんに尻尾で土を振りまいたり、またある日はようやく掘り上げたモグラのおばさんのトンネルを埋めてしまったり・・・
「こらっ、ノール!またあんたかい。」
「またおまえか。このいたずら坊主が。」
ノールは森の皆から怒られてもへっちゃらです。ノールは飽きることなく森の中でいたずらをしていました。
「えっへん、ぼくのいたずらはすごいだろう!だれにもぼくのいたずらはじゃまさせないんだぞ。」
いつもいたずらをした後、ノールは自分のやったいたずらを得意気に自慢をしていました。
実はノールがいたずらを自慢している蔭で、お母さんがノールがいたずらをした人の家に出かけて謝りに行き、直せるものはお母さんが直したり、直らなかったものの代わりになる物を探したりしているのを知りませんでした。ノールはお母さんが毎日のように出かけて疲れて帰って来るのを何となくは知っておりましたが、お母さんが疲れている理由までは気付かなかったのです。
ある雨の日の夕方、お母さんは晩ごはんの支度をしていました。その日もノールがいたずらをした所へ謝りに行き、ノールが壊した物を直してきたので、お母さんは外で少し雨に濡れてしまってすっかり疲れてしまっていました。
けれども、外でたっぷり遊べなかったノールはまだまだ遊び足りません。部屋の中で尻尾をぶんぶんと振り回して遊んでおりました。
「ぶ~ん、ぶんぶんしっぽでぐるぐるだ~、え~いっ!」
ガシャン!
ノールの尻尾に何かが当たり、少しひやっと感じました。ノールが振り返ると、白い花瓶が床に落ちて割れていました。
「ノール、どうしたの?」
大きな音に気付いたお母さんがノールの傍までやって来ました。
「ノール、ケガはない?」
「うん、だいじょうぶ。」
「そう、それはよかった・・・」
その時、お母さんは床に落ちた花瓶を見てはっと驚くと、静かに目を閉じて涙を一粒こぼしました。
「おかあさん?」
お母さんはエプロンの端っこで涙を拭くと、静かにノールに向かって話し始めました。
「ノール、この花瓶はどうしてここで割れているのかしら?」
「え、えっと・・・」
「ノール・・・いいえ、お母さんが間違っていたのね。この花瓶はお母さんがとても大事にしていた物だってことをノールは知ってたかしら?」
「え?」
「ノールはやっぱり知らなかったのね。お母さんがもっと早くノールに伝えておけば良かったわ。それで、ノールは今までここで何をして遊んでいたの?」
「えっと・・・しっぽをぶんぶん・・・」
「ノール、元気に遊ぶことは大事だわ。それでも、人の大事な物を壊すような遊びやいたずらは良いものだと思う?」
「う~んと・・・お、おもわ・・・ない・・・。」
「そうね。それが分かっていてくれて安心したわ。ノール、ついでに聞きたいんだけど、今まであなたがしたいたずらで、誰かの大事な物を壊してしまったことはないかしら?」
「だいじな・・・もの?」
「大事な物っていうのは、ね。その人が持っている物だけではなくて、その人の心や身体も大事な物なのよ。」
「だいじ・・・」
ノールはこの間のいたずらを思い出した途端、お母さんのことを見ていられなくなって俯いてしまいました。そんなノールの様子を見たお母さんは、ノールの顔を見ながら静かに話し始めました。
「ノールは何か、人の大事な物を壊してしまったことがあるのね?」
「う、うん・・・。」
「そうだったの。お母さんにちゃんと教えてくれてありがとう。明日、お母さんと一緒にその人のところへ謝りに行きましょうね。ノールはちゃんと『ごめんなさい』って言えるかしら?」
「うっ・・・」
ノールは今まで自分のやったいたずらのあれこれを思い出して、言葉に詰まってしまいました。
「ノールは『ごめんなさい』って、言えない?」
お母さんにそう聞かれたノールはしばらく俯いたままでしたが、パッと顔を上げてお母さんの顔を見て言いました。
「・・・・・・い、いえるよっ!」
「それなら大丈夫ね。」
お母さんは微笑むと、ノールの顔の前で指を一本立てました。
「それからね、ノール。一つだけ、お母さんと約束してくれる?」
「やくそく?」
「ええ。今度からいたずらをする時は、みんなが笑顔になれるいたずらにしてね。」
「えがお?」
「そう。お母さんはノールのいたずらでみんなが笑ってくれると嬉しいわ。もちろん、いたずらする時に自分や人の大事な物は壊してはだめよ。」
「うん、わかった。ねぇ・・・おかあさん?」
「なあに?」
「あの・・・かびんをわってしまって・・・ごめんなさい。あのかびんって・・・おかあさんの、だいじ・・・だったんでしょ?」
「ええ、そうね。でも、ノールがちゃんと『ごめんなさい』ってお母さんに謝ってくれたから、割れてしまった花瓶は『今までありがとう』ってさよならするわ。さあ、お母さんの話はこれで終わりにして、晩ごはんにしましょうね。」
話が終わると、晩ごはんの前にお母さんは割れた花瓶を丁寧に片付けました。ノールは、自分が割った花瓶をお母さんが静かに片付けているのをじっと見ていました。その日食べた晩ごはんのスープは、いつもと同じスープのはずなのにいつもよりちょっとしょっぱい味がしました。
そして次の日から、ノールはお母さんと一緒に今までいたずらをした人の所へ「ごめんなさい」と謝りに行きました。ノールはものすごいいたずらっ子でしたから、もちろん一日では終わるわけがありません。ノールの「ごめんなさい」は何日も何日も続きました。
ある日、ノールがお母さんとネズミさんの家へ「ごめんなさい」を言いに行った帰り道、お母さんがノールに言いました。
「ノール、あなたの『ごめんなさい』もそろそろ終わるわね。」
「う、うん・・・。」
「秋になったら、ノールもそろそろひとり立ちをしないとね。」
「ひとりだち?」
「そう、ひとり立ちよ。ノールが十分大きくなったから、お母さんはそのうち新しいお家を探しに行くのよ。」
「ぼくも、あたらしいおうちにいくの?」
「いいえ、ノールはそのまま今のお家で暮らしていていいのよ。ノールがもっと大きくなったら、今のお家にはお母さんの寝るところが無くなってしまうもの。そうなる前に、お母さんは新しい自分のお家を探すのよ。」
「そのうち、っていつ?」
「そうねぇ・・・いつ、とはちゃんと言えないけれど、ノールの『ごめんなさい』が終わってからよ。ただ・・・ひとり立ちの決まりで、お母さんが新しいお家に行くときは、ノールに内緒で行かなければならないの。」
「どうして?」
「だって・・・内緒にしておかないと、ノールも寂しくなってお母さんと一緒に来てしまうでしょ。これは、リスの決まりなの。お母さんも、そうやってお母さんのお母さんからひとり立ちしたのよ。」
「そんなの・・・いやだよ。」
「最初は寂しいかもしれないけど、ノールにはお母さんだけではなくて逆さ虹の森のお友達がいるわ。ご飯の支度も自分でできるようになってきたから大丈夫よ。それに、ひとり立ちするということは、おとなの仲間入りをするということなのよ。」
「おとな?」
「ええ、そうよ。ノールも、もう少ししたらおとなの仲間入りをするの。楽しみね。」
「うん、そっかぁ~おとなのなかまいりかぁ~。」
その日は「ひとり立ち」についてぼんやりと聞いていたノールですが、一晩眠るとひとり立ちのことをすっかり忘れてしまいました。そして、ノールは次の日からもいつも通り、自分のやったいたずらで迷惑をかけた人の所にお母さんと一緒に「ごめんなさい」をしに行きました。
夏の暑さが和らいできた頃、ノールの「ごめんなさい」がようやく終わりました。
ノールは「やったー、これで明日からは毎日遊べるぞ」と喜びました。お母さんもノールのひとり立ちの前に、ノールのお母さんとしてやるべきことを無事に終えてほっとしました。
夏の終わりを惜しむように、ノールは友達と毎日外で遊びました。相変わらずノールはいたずらをしていましたが、あの日お母さんと約束した通り、人の大事な物を壊すようないたずらは一切しなくなりました。もちろん、自慢のふさふさとした尻尾でお友達をくすぐることはありますけれどね。お母さんも、そんなノールを微笑ましく眺めながらノールが遊びに出かけている間に、新しい自分の家を探しに出かけていました。しばらくしてお母さんの新しい家も無事に見つかりました。
夜風が心地良く月の光がとても明るい晩、すやすやと眠っているノールの寝顔を見てお母さんは「そろそろね。」と呟きました。
逆さ虹の森に秋がやって来ました。森の中には秋の実りが溢れています。秋に入ってからも、ノールとお母さんは相変わらず一緒に暮らしていました。
「おかあさん、ただいまーっ!」
その日もノールはいつものように元気よく家に帰って来ました。しかし、ノールの声に返事はありません。いつもは「おかえり、ノール。」とお母さんが優しく迎えてくれるのに。
「おかあさん?」
ノールは慌てて家の中を見回しました。お母さんがいません。よく見ると、出かける時にはあったはずのお母さんの荷物が部屋の中に何一つありませんでした。お母さんがいなくなったことに驚いて、ノールはしばらく部屋の真ん中でぼーっとしていました。しばらくして、自分しかいない家の中でノールはお母さんと「ひとりだち」の話をしたことをようやく思い出しました。
「そうか・・・。きょう、だったんだ・・・ね・・・。」
ノールはひとり立ちをしておとなの仲間入りができて嬉しいはずなのに、寂しくてたまりませんでした。毎日外から家に帰るたびに、今日はお母さんが家に帰って来ていないかな、早くお母さんが家に帰ってきますように、と思うようになりました。
冬眠を控えた逆さ虹の森のリスたちは、どんぐりを集めるのに大忙しです。そんな中、ノールはどんぐり集めもそこそこに一人どんぐり池までやって来ました。
どんぐり池にどんぐりを投げ入れると願い事が叶うと聞いたからです。
ノールは池の前で立ち止まると、頬袋に入れていたどんぐりを二つ取り出しました。そして一つのどんぐりを食べ、もう一つのどんぐりをぽいっと池に投げ入れました。
しばらくノールは池の前で何かを待っているかのように佇んでいましたが、池の周りは相変わらず静かに風が吹くだけでした。ノールは池から数歩離れるともう一度池を振り返り、池の水面に何も変化がないのを確かめると大急ぎで家へ帰って行きました。
次の日も、ノールはどんぐりを二つ持って池の前までやって来ました。そして持ってきたどんぐりの一つを食べ、残りの一つを池に静かに池の中に入れました。ノールはどんぐりが静かに池の底へ沈んで行くのを見守っていました。
ノールは池の縁から少し下がり池全体が良く見える所でしばらく待っていました。しかし、池の周りや池の中はどんぐりを入れる前と何も変わることなく、しんとしたままでした。ノールは何も起こらなかったことを確かめると、静かに家へ帰って行きました。
その次の日も、またその次の日も、ノールは自分のどんぐりを二つ持ってどんぐり池までやって来ました。どんぐり池の側でどんぐりの一つを食べ、残りの一つを池に投げ入れました。そして、池や池の周りが何も変わらないことを確かめると帰って行きました。
池の周りの木の葉がほとんど散ってなくなりかけたある日、ノールはいつもよりもゆっくりとした足取りでどんぐり池の前までやって来ました。ノールは大きくて丸いどんぐりを一つだけ大事そうに抱えています。このどんぐりはノールの大のお気に入りです。形はまん丸で、お日さまに当てると少し明るめの茶色がきらきらと輝くように見えるのがノールの自慢です。この秋ノールはどんぐり集めもそこそこに毎日どんぐり池に通っていたので、ノールの持っているどんぐりは、このお気に入りの一つだけになってしまったのです。
ノールは池の前で珍しく長い間どんぐりを抱えたまま立っていました。最後のどんぐりをどんぐり池に投げ入れるかどうか迷っていたのです。
どうしよう・・・
ノールがどんぐりを抱えたまま池の前で長い間立ち尽くしていると、木漏れ日の中から一筋の風が懐かしいにおいと共に、さっとノールの前を吹き抜けて行きました。
「おかあさん!」
ノールは慌てて池の周りや池の中を見ましたが、ずっと探していたお母さんの姿はありませんでした。それでも、お日さまのにおいのする風の中で、ノールは確かにお母さんに話しかけられたような気がしたのです。ノールはどんぐりを持ったまま、池の水面に向かって話しかけました。
「だいじょうぶだよ、おかあさん。ぼく、おかあさんのこえがきこえたよ。このどんぐりは、おかあさんのためじゃなくて、ぼくのためにつかうよ。もう、おかあさんがかえってきますようにって、どんぐり池にどんぐりはいれないよ。」
ノールは話し終わると、お気に入りのどんぐりを大事に抱えて家に帰りました。そして、家に帰ると家の中を片付けて、冬ごもりの支度を始めました。冬ごもりの準備が終わると、ノールは冬の眠りにつく前にお気に入りのどんぐりをちょっとだけ、大事に大事に食べました。どんぐりを食べたノールは自分の自慢の尻尾にくるまって、お母さんのことを思いながらうとうとし始めました。
そうしてノールが冬の眠りについた頃、逆さ虹の森にも厳しい冬がやって来たのです―――雪は幾重にも逆さ虹の森に降り積もりました。
厳しい冬もようやく終わり、逆さ虹の森にも春がやって来ました。雪もすっかり解けて、明るい春の花が森の中を華やかに彩ります。長い冬の間、眠っていた動物達も起き出してきました。目覚めて動き始めた動物達の中に、ノールの姿もありました。ノールはひどくやせ細っていましたが、お気に入りのどんぐりのおかげで何とか冬を越すことができたのです。
家から出てきたノールは、近くに生えていた木の芽を食べました。ああ、なんと木の芽がみずみずしくて美味しかったこと!それから、ノールはお日さまの光で自分の身体を温めました。お日さまの光も温かく、そのにおいも懐かしく感じます。ノールは身体が十分に温まると、家の近くに咲いていたきれいな花を一輪だけ摘みました。そして、摘んだ花をそっと両手に持ってどんぐり池まで静かに歩いて行きました。
どんぐり池の前まで来ると、ノールは持ってきたお花をそっと水面に浮かべました。そして、水面に浮かんだお花に向かって静かに話しかけました。
「おかあさん、ありがとう。ぼくは、もう、だいじょうぶだよ。おかあさんも、げんきでね。」
ノールは話し終わると後ろを向き、どんぐり池を二度と振り返ることなく走り去りました。ノールの浮かべた花は誰もいないどんぐり池の水面を、ただただ、静かに漂っていたのでした。
プロットが降りてきたので参加してみました。
カラーが異なる作品ですが、隔週で『天然の治療師は今日も育成中』を連載中です。こちらもよろしければご賞味下さいませ。