宝石箱(思い出)
革命勃発から四年経ち、私は十四歳になった。
その頃には、教師や通訳の仕事の合間に、ウエストレペンス伯爵の秘書のようなことも始めていた。
「王と伯爵では随分違うだろうが、もしもの時、役に立つかもしれない」
「もしもの時なんて来ないですよ」
私は笑いながら伯爵に書類を渡した。
結構な機密事項も含まれているだろうに、他国の人間の元王族を秘書に据えるのはどうなんだろう。
「さすがに本当にやばいのは見せない」と伯爵は言うが、『警備費』という名の軍事費の内訳まで見せるのはいかがなものだろうか。
この『警備費』、表向きは観光客の安全確保のためとはなっているが、ここ数年の農業への力の入れようから見て、王都から村三つしか離れていないウエストレペンスは現在ぎりぎりレペンス王都に攻め込めるだけの軍事力を有してることになる。
実際は、我が祖国ロセウムの対外戦争に巻き込まれたときの備えだろう。
「父上のことは残念だったな」
「父に会ったことがあるんですか?」
「小国の一領主がお会いする機会があるわけないだろう。君のご家族だからお悔やみ申し上げているんだ」
どう答えていいかわからず、ただ頭を下げた。
◇
その日の夕方、久々に十番街をぶらぶら歩くことにした。
パン屋の看板にはパンの絵に加え、ロセウム語とレペンス語で店名が書かれている。
子供達が石蹴りや縄跳びをしている。
学校で教えている生徒達の中には、すでにロセウムのことを覚えていない者も多い。
故国は遠くなっている。
先日はついにロセウムの国王が処刑されたと話題になっていた。
父が、兄弟が殺されようと遠い世界のことのように感じていた。
そんな日々を過ごしていた頃、ウエストレペンスの隣の町に別宅を構えている母から手紙が届いた。
◇
「元気していた?」
ウエストレペンス土産のバラ水とバラの香りがする便箋を母に手渡した。
宝石はパトロンが腐るほど渡していることだろう。
ついでにウエストレペンスのりんごもいくつか買ってきた。
ウエストレペンスにたどり着いた日のことを思い出してほしくて。たぶん気が付かないだろうけれど。
「今、仲間を集めているの」
サロンやパトロンの話を時折相槌を打ちながら聞き流していたら、母に突然そう切り出された。
「恐怖政治に嫌気がさしている人たちが増えているのよ。王家のほうがましだって人たちが、ね。その人たちと力を合わせていつかロセウムに帰れるようにするわ」
「まあ、うまく行ったら報告してよ」
私は笑って軽く流した。 まったくもって現実味のある話には思えなかったのだ。
ウエストレペンスはロセウム人を永遠に住まわす気はないと難民に説明している。
ロセウムが安定したら送り返すと。
そんな日は永遠に来ないのかもしれない。
そう思いながら、母と思い出話を聞いたり、近況を報告したり、小一時間ほど話して、私はウエストレペンスに帰った。
まさか、これが母との最期の別れになるとも思わずに。
◇
その日も伯爵の執務室で仕事の手伝いをしていたら、先輩秘書が飛び込んできた。
「ロセウムから使者がお越しです」
「面会の予定は入っていなかったはずだが」
伯爵は眉をひそめ、私は急いでスケジュールを確認する。
今日伯爵は一日丸々机仕事のはずだ。
「すまない。急いでお知らせしたいことがあり参りました」
ロセウムの軍服に身を包んだ男が二人、部屋の主の許可もなく入ってきた。
「わざわざ他国の一領主にお知らせしたいこととはなんだ。国内が安定したという話かな」
伯爵が社交辞令も何もなくばっさり切り捨てるその横で、私と先輩は大慌てで机の上の書類を片付ける。
先輩秘書が「ここはいいから」という視線を投げかけた。自分の出自を告白したことはないが、普段のしぐさやわずかな訛、伯爵の特別な配慮で亡命貴族であることくらいは気づいていたのだろう。
気遣いはありがたいが、今理由もなく部屋を出て行くのは不自然だ。
多くのロセウム難民を抱えるウエストレペンス伯爵は一年に一度ほどロセウムの使者を呼びつけてロセウムの現状報告をさせている。どちらかというとロセウムに対する愚痴を吐き出すのが主な目的と化しているが。
そう言った場合、私は鉢合わせを避けるため、学院で一般生徒として過ごしている。
あそこなら、教師も外国人が多いし、留学生も珍しくないので、目立たない。
「ベリー夫人を捕まえました」
捕まった? 母が……
嘘だ。
そんなことは記事に載ってなかった。
「ほう。結構な大物を捕らえたな。で?」
取り乱すより先に伯爵の楽しげな声に我に帰った。
伯爵は新たな娯楽に飛びつく民衆と同じように興味深げに先を促した。
母はロセウム国王の公の恋人として国内外で有名だった。
「彼女はレペンス王国から入国したことが判明しました。しかし捕まえたとき息子は側にいなかった。
レペンス王国にいたのなら、国境のウォーターフィールドか、人の多い王都か、難民街のあるウエストレペンスを拠点にしていた可能性が高い。もしこちらにいるのでしたら引き渡していただきたい」
つまり情報を制限して、一番に伯爵にゴシップネタを運んだのは、私の逃亡を怖れてということか。
「四年前から今までいくらの難民が流れてきたと思っているんだ。いちいちチェックなんぞしているわけなかろう。
どうしても調べたいって言うなら、十番街を案内するが? ただし、武器の類は預からせてもらうし、脅迫等で無理に情報を聞き出すのは控えてもらおう。 それに税金払っている以上は領民だから、見つけたとしても勝手に連れて行くのはなしだ」
たった二人の使者で、今現在400人近くいる十番街の住民を調べるのは骨が折れるだろう。
伯爵は笑顔で難民に対する不満をちくちくと使者に漏らしながら、使者の返事も聞かず立ち上がった。
どうやら本当に『散歩』に行くようだ。
ちょうど朝から書類仕事ばかりでいらいらしていた頃合だし、実際は目の前に宝があるのに見逃している使者が滑稽なのだろう。
十番街(難民街)の現状をロセウム側に確認させるいい機会でもある。
口で告げるよりも『お前らロセウムはこの四年なにをやっていたんだ』という強いメッセージになるだろう。
「イリアかレイにちょっと出かけると伝えてくれ」
息子二人への伝言を頼まれて私と先輩は頭を下げた。
一瞬、使者が私のほうを見た気がした。 扉が閉まる音が聞こえる。
私は伯爵の演技に助けられたのだ。
◇
私たちが追い出された後のロセウムでは急進派が力を持ち、多くの王族、貴族、穏健他派まで捕らえられて処刑された。
反乱の機運が高まったのを見て取った母はロセウムに戻り、革命派に捕まって処刑された。
戻った理由を聞かれた母は「王様からいただいた首飾りを取りに戻った」だった。
実際は、私を王位につけるため、動いたのだろう。
クーデターを待てば、まだ芽があったのかもしれないが、そもそも私は王になるつもりはない。
母は泣き叫んで、愚かな女を演じた。
私を王位につけようとしたなんて、死んでも口にしなかった。
すべてが終わって――
伯爵家の一文官のレイ・フォレストとして母の財産を処分して回った。
レイ・フォレストは伯爵家長子のレイ・ラハードの旧姓だ。『レイ』も『フォレスト』もレペンス王国ではありふれた名前だ。
『アンリ』よりもずっと動きやすいから、ウエストレペンスから出るときは伯爵の子息の旧姓を使わせてもらっている。
王統派や革命派の関係者に見つかる危険もあったが、パトロンへ『フランポワーズ夫人』の死亡通知の送付、贈り物の返還要請の対応、不用品の買取り等、表だって動いてくれたのはレイス家だった。
三つあった屋敷のうち一つは、パトロンに返還され、一つは建築様式が特殊だとかでレイス家が買い取ってくれた。手元に残ったのは、母と最期に会った屋敷とパトロンが所有権を放棄し、レイス家が興味を示さなかった食器や家具、宝石、香水瓶など。
「母の宝石箱か」
虚栄を引き剥がしたら、部屋は清清しい静けさが残った。
残ったものの寄せ集めのはずなのに以前よりもずっと統一感がある。
ここに残ったものはたぶん本当に母が好きだったものだろう。
本物のレイが訪ねてくれた。
「なかなか帰ってこないから」
「もうほとんど終わりました。レイス家を紹介して下さりありがとうございました」
「うん。それはいいんだけれど……」
レイさんは歯切れ悪く言葉を濁し、そっと箱と手紙をテーブルに置いた。
「君の母上が最期につけていた首飾りだよ」
私と母宛に送られた手紙や荷物はウエストレペンスによって中身が改められることになっている。
勝手に祖国と連絡を取り合ってウエストレペンスでロセウム臨時政府を作られたら困るから。
いくつかは処分されているかもしれない。
「中身は?」
その箱と手紙をじっと見つめながら、レイにたずねた。
「アメジストがちりばめられた金の首飾り」
確かに母はその首飾りを大事にしていた。
父から贈られたという首飾り。
それは確かに亡命時に持ち出し、家具や宝飾品のほとんどを没収されても、手放さなかった首飾り。
その箱に手を伸ばそうとするが、レイは箱の上に手を置き阻んだ。
「競売にかけられていたのを王党派が入手したらしい。手入れもせずに送られてきた」
血がこびりついたまま。私の怒りを煽るために送られてきたもの。
「手紙と一緒にそちらで処分してください」
「母君の形見だ。手入れのつもりでレイス家に預けてみたらどうだ」
レイス家は学者の家系で、世にあるありとあらゆるものを研究しているらしい。
彼らの多くが今注目しているのが『ロセウム』だ。亡命貴族が持ち込んだ家具や食器、宝飾品を集めて研究している。
亡命したときに取り上げられたものは一年後半数が返礼金と共に返され、半数はこちらの言い値でレイス家に買い取られた。
「処分してください」
本当は母の宝箱の中にその首飾りをしまうべきなんだろうが……
母は思い出の首飾りを息子を守るための偽りに使い、王統派は復讐の道具にした。
きれいなものの中に偽りと血に塗れたそれを納めるのはどうしても嫌だった。
私はその首飾りを欠いたまま、きれいなものの詰まった『母の宝箱』に鍵をかけた。
それから半年もしないうちに急進派は勢いを失い粛清された。
あと半年待っていたら母は死なずに済んだのだ。




