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どんぐりと教師(九年後冬)

隠居直後のアレスたち。

「いいか。せーのっだぞ」


 彼より背の低い子供たちが真剣な顔でこくりと頷く。


 「本当にいいのかな」


 一人だけ不安そうな顔でぽそりと呟いた以外には。

 彼らは一斉に眼下の壮年の男にどんぐりを投げた。



アレス、イリーナ、そして使用人のサーウェイは今日から我が家になる家の門をくぐった。


サーウェイは母を流行り病で亡くした後、前伯爵の孫達の学友としてしばらく城に暮らしていたが、レイ一家が引っ越すことになった。本来は城を出なければならなかったところを隠居を決めた前伯爵夫妻に使用人の名目で引き取られたのだ。

 伯爵も親を二人だけで住まわすのは不安だったようで、引き取ってもらえただけでもありがたいのに、十かそこらの子供に給料まで出してもらえることとなった。


 精一杯お仕えしようと決意するサーウェイの横で、


「20年ぶりくらいか」


 アレスがぽつりと呟く。

  

 城の修繕が終わるまでの数ヶ月住んでいただけでその後、15年は夫婦に貸していた。

 その夫婦も息子夫婦と一緒に暮らすとかで、もうそろそろ隠居を考え始めていた頃に、流行病が国を襲った。


 主が去ったあとは、隣接する孤児院に無償で貸し出していたが、二年経って、子供たちの半数近くがそれぞれの家に引き取られたという報告を受けて、こちらに移ることになった。


 元々、老後のために今まで手放さずにおいていたものだ。

 一時期、レイたちが住むつもりでいたようだが、息子はベイル村へ移ることを決めた。


「大工さんが、あまり傷んででなかったって言ってました。大事に使われていたのね」


 かすかに残る真新しい柱の(きず)が、確かに子供達がここにいたのだと教えてくれる。


 突然、ばらばらと何か硬くて小さいものが、アレスめがけて振ってくる。


 「いっ、った! つうっ」


 アレスは溜まらず、頭を抱えて、その場でうずくまる。


 隣の孤児院に生えている木の上から投げられているようだ。


「どんぐり?」


「こら! お前ら、すぐやめろ!」


 サーウェイの怒鳴った直後、最後とばかりにバケツをひっくり返したようなどんぐりの雨がアレスめがけて降って来た。


「アレス大丈夫?」「アレス様!?」

「だ、大丈夫だ」


 アレスの無事を確認したサーウェイが木の上のほうを見上げて怒鳴った。


「伯爵様になんてことするんだ!!」


 隣から聞こえてくる声に、イリーナは天を仰いだ。

 無理に隠す必要はないが、前伯爵ということを極力言わないように事前に約束していたのに。


 木の隙間からブリキのバケツが鈍く光っていた。



 サーウェイは生垣を強引に飛び越えると隣に行って、孤児院の女性を連れてきた。


「ここのガキどもが伯爵様にどんぐりを投げたんだ」


「は?」

「伯爵?」


「隣の人が引越しって聞いていたけれど。って、まさか……」


 嘘だ。わざわざ伯爵夫妻がこんな孤児院の裏に住むはずがない。


 子供たちがとりあえず一番優しそうな女性の後ろに隠れてしまっている。


 オレンジの髪の女性はどう対応したらよいか少し困ったふうだったが、


「子供のしたことですし。気にしていませんよ」と言ってくれた。


 『伯爵』については否定してくれなかった。


「あんた達! 何した!」


「どんぐりが勝手に落ちたんだよ」


 孤児院の職員が一ヶ月前から何度もため息を吐いて確認した『退去命令』には、アレス・フォレストとなっていた。


 伯爵の姓は確か『ラハード』であって、フォレストではない。

 どちらにしろ、誠心誠意、謝らなければならない。


 冗談としかいいようがないが、平民の服を着たその壮年の男は金髪に碧眼の……前伯爵に良く似ていた。

 たしか、以前孤児院の慰問に訪れた前伯爵夫人のイリーナ・ラハードは目の前の女性と同じできれいなオレンジの髪だったはずだ。



 即効、年若い孤児院の職員が土下座をした。


「申し訳ありません!」


 大きな声で謝る。謝罪の言葉を聴いた途端、アレスは一気に気分が悪くなった。


「お前、誰の許可を得てここに入ってきている」


 到着早々、とっても不愉快な思いをしているときに年若い女性が勝手に敷地内に入って金切り声で叫ばれているのだ。

 子供達はどうでもいいが、今すぐ、女性職員を蹴飛ばして、絞め殺したい衝動に駆られた。

 せっかく女と関わらない老後を手に入れられると思ったら。


「男の職員を呼んで来い。お前じゃ話にならん。サーウェイお前はこんなゴミを二度と敷地内に入れるな」


 イリーナが困った顔で、補足説明する。

 ここで、説明をしくじれば、今後の人間関係に悪影響を及ぼすのはわかっている。 


「あの、いろいろ駄目な発言をしているけれど、女性を軽んじているとかそんなんじゃなくて、見知らぬ女性が側にいると体調を崩してしまう体質でね。申し訳ないけれど、後三歩下がってくれません?」


 前伯爵が女性嫌いだということは有名な話だ。

 案の定、年若い職員の顔はみるみる蒼白になっていく。


「あの、本当に伯爵様で?」


 アレスは深く息を吐いて、少し落ち着きを取り戻した。


「前伯爵だ。挨拶が遅れて申し訳ない。あまり騒がれるのは好まないので、子供たちによく言い聞かせてくれ。それとあんたはうちの敷地を二度とまたがんでくれ」


 次いで、イリーナが自己紹介をする。


「イリーナ・フォレストと申します。夫のほうは、アレス・フォレストです。もう隠居していますので、気にしないでください」


 イリーナが、フォレストの名を強調したのは、肩書きなど関係なくご近所づきあいをしたかったからだ。

 いろいろ手遅れのようだが。


 子供達が罰としてサーウェイの指揮下の元、引越しの手伝いをさせられている。といっても、重いものは孤児院の男性職員が手伝っているのだが。


「二度このようなことはさせませんので」


 とりあえず、夫の気が立っている今は女性職員だけでも一旦帰してもらおうと思ったイリーナは長年社交会で培ってきた笑顔を向けた。


 「私たちのほうこそ謝らないと。申し訳ありません。女の人が自分のテリトリーに入られると過剰に反応してしまうので。 環境に慣れていないだけで、明日になったら落ち着くと思うから。

彼のことはそれから判断していただけると助かるわ」


 本当によく社交界を渡ってこれたと思う。



 こどもの口には戸は立てられない。

 

 翌日には――


「本物か?」「伯爵様と不仲なのかね」「城を追い出されたんですって」「子供が」「あんないい人に怒鳴るなんて」


 当の前伯爵は庭の一角を掘り返し小さな畑を作ってる。

 近くの住人が家のひそひそ声もどこ吹く風だ。

 それこそ前伯爵への不満や噂なんて腐るほど聞きなれているのだから。


「その、本当に申し訳ございません」


 子供たちから話は広まってしまったようだ。 


「で、なんであの子達は、どんぐりなんか投げたんですか?」


 散々な言葉を浴びせてしまった職員さんはめげずに来てくれた。


 イリーナはどんぐり団子を職員さんに勧めながらたずねる。


 灰汁抜きをして、団子にしてみたのだが、ひさびさに作ったわりには結構いける。

 あとで城に持っていこう。


「その。お風呂が無いんです。孤児院には。こちらの家をお借りするまでは、週に二度、一般開放の日と、孤児院に割り当てられた日にしか風呂に入れることができなかったので」


 孤児院に割り当てられている日も時間は決まっているからいつでものんびりというわけには行かない。


 風呂付のこの家を貸していた二年間は手間さえかければいつでも風呂に入れた。

 汚れたらすぐ、洗えるというのはやはり便利だろう。


「アレス、イリアに言ったら予算組んでもらえるかしら?」

「前伯爵の一声でほいほい金を出すわけにはいかない。俺は打ち出の小槌になるつもりは無い」


「悪いことじゃないんだから、ね?」

「えーまー。伯爵様、ちょっと休憩してください」


 イリーナがサーウェイに同意を求める。

 下手したら、孤児院に行っていたかもしれないサーウェイは茶菓子の載った盆を運びながら曖昧に頷き、職員さんが座っているテーブルにアレスは近づかないだろうと踏んで、縁側に茶菓子を置いた。

 ちゃんと手ぬぐいを添えるのも忘れていない。


「どうせ、三人暮らしだ。使いたいときは言ってくれたらいい。俺にではなく妻にな」


 縁側に座って、サーウェイの運んできた茶をすすりながら言う。


「本当にいいのですか?」


 アレスはぷっとそっぽを向いた。

 別に女好きになれとは言わないが、もう少しましな対応をして欲しい。

 でも、女性にとったら、お風呂がいつでも使えるのはうれしいことだろう。


「うるさいのは嫌いだ。畑を荒らしたら、どんぐりの木に吊るすがな」


 アレスはそこだけはしっかり釘を刺した。 



 一ヵ月後。


 女性職員は子供達が遊びにくるときは、伯爵夫人と茶を飲みながら談笑している。


 伯爵夫人は毎回手作りのお菓子を用意してくれる。

 最初は職員も恐縮していたのだが、伯爵夫人は


「最近の市場の物価とか教えてもらっているから。 わかっているつもりでも、やっぱりちょっと感覚がずれてしまっていたから、マーサさんに買い物を付き合ってもらっているから助かるわ」


 とほわんと言いながら目を細めて子供達を見守っている。


 前伯爵はというと孫に本を読んでいた。下の男の子は食い入るように張り付いているが、上の女の子は男の子に混じって泥合戦をしている。


 恐れを知らない孤児院の子供達は勝手に本を取り出して、前伯爵に読み聞かせをせがむ。

 伯爵の所蔵している絵本や花の図鑑は本来孤児院の子供が手に取れないほど高価な物のはずなのだが少々ページが折り曲がろうとも「物は丁寧に扱え」と注意はするが特に怒る風ではなかった。


 それどころか、一番下は年少向け、下から二番目は年長向けと上に行くほど難しい本になるようにわざわざ本の配置を換えた。

 本当に貴重な書籍は子供の手の届かない一番上の棚に並べられているらしいが、一度悪ガキが椅子を使って一番上の本を取ろうとしたことがあったので、伯爵は「言えば見せてやるから」と条件つきの許可を出した。


 と、女の子が前伯爵と孫との時間に割り込んできた。


「はくちゃくちゃまよんでぇ!」


 お気に入りのアレス様の膝に見知らぬ男の子(アレス様の孫)が乗っているのが許せないのだ。


「今日は、年長の勉強の日だから、そのあとにな」


 前伯爵も年若い女性が苦手なだけなようで、小さな女の子に手を上げるようなことはない。

 前伯爵の膝をゆすっていた子供がぷぅっと頬を膨らませた。


「はくちゃくがいーい」


 ねだりすぎだ。 今日を最後にアレス様の息子一家はベイル村に引っ越すのだ。


「伯爵様は分裂できないんだから、俺が読んでやるよ」


 サーウェイが女の子の頭をなでて言ったが、女の子はべぇーっと走っていってしまった。


 なぜか子供達は伯爵を非常に気に入っている。


 約束ごとは形骸化し、子供達は遠慮なく家の中を走り回っているが、伯爵は特に嫌がっている様子も見えない。

 むしろ、請われれば、読み聞かせをして、暇さえあれば年長の子に文字まで教えている。


 いつの間にか子供達一人ひとりに専用のコップが用意され、机に置かれた菓子の山を子供達が食べるのが日常になった。



 サーウェイは城にいた頃に伯爵と瞳の色が似ていたせいでさんざんな疑いをかけられた上、時々見かけた伯爵様は怖い印象があった。伯爵のことははっきり言って『嫌い』の分類に入っていた。

 伯爵から「雇いたい」と話があったときには本当に最後まで迷った。


 今では引き取られて良かったと思っている。


  一緒に暮らしてからアレス様の印象は随分変わった。

 いつも眉間に皺を寄せたような難しい顔だが、ほんの少し穏やかな顔を垣間見せるようになった。


 引っ越した当初は子供達を追い出すことに躍起になっていたサーウェイだったが、サーウェイと子供達のおっかけっこを見ていたイリーナが、


 「本当は薬師でも、伯爵でもなく教師になりたかったのよ」


 とこっそり教えてくれてからは放置気味だ。

 

 

「お前ら、伯爵様の背中に乗るな」


 伯爵の背中によじ登ろうとする子供をサーウェイが抱き上げた。



アレス・ラハード/アレス・フォレスト……女嫌い。伯爵位を息子に譲った後は、旧姓に戻り城下町で隠居。

孤児院の子供達に読み書きを教えて過ごす。子供の頃は父と同じ教師になることが夢だった。


サーウェイ・ランチェスター……十歳前後。母アリア・ランチェスターがはやり病で亡くなった後、城で面倒を見てもらっていたが、アレスが城下に引っ越すのに伴って、使用人として雇われる。(実際はアレスたちに引き取られた) ウエストレペンス城との連絡係。

小遣いに色をつけた程度だが、一応給料も出ている。


新居……二十数年前、アレスがベイル村から引っ越したとき、ウエストレペンス城の改修が終わるまで住んでいた家。非常に安い値段で売りに出されていた。孤児院と隣接していて始終子供達の声が聞こえるため安かった。


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