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セトその後

 今は四月の上旬。

 入念な計画を立てて出発したのは二月の末。


 


 可愛らしいベルの音が鳴って、二人の子供が扉から顔を出した。


「セトくんゴメンね。とーさんとかーさん急用ができちゃって。せっかく来てくれたのに、初恋の人がいなくて」


 第一印象は『ずけずけ物を言う娘』だ。


 十五歳に成長したセトは、レペンス王国に来た。

 あらかじめ連絡はしていたし、小麦色の肌を見て、一発でわかったのだろう。


  確かに、この子供のいうとおり少し残念だ。感動的な再会を少しは期待していた。


「そんな。ただ昔優しくしてもらっただけで……。急患?」


 くすんだオレンジ色の髪、薄紫色の瞳。

 文通仲間のライラの娘、ルゥルゥが人懐っこくこちらを見て口を開いた。 

   

「ちょっと、叔母さん……お母さんのお姉さんに呼ばれて」


 やっとこちらに来れた。


 数年前のはやり病でバルバスの王子はかなり減った。国王はそのまま回復せず逝去した。


 今までは後宮の隅で細々と生きてきたが、的が少なくなってセトも狙われ始めた。

 今こそ好機と思った人たちの仕業だろう。


 その戦いを無事生き延びたとしても、王太子以外の王子は『黄金の鳥かご』という離宮で暮らさないとならない。

 第三や第四王子がいるからとはやり病で死んだことにして見逃してもらえた。

 あと、父の遺言が後押しになったらしい。内容を確認したことはないが。


「王子様。中入る?」


 バルバス人には少し寒いし、この村では外国人が珍しいのか、家の近くを通り過ぎようとした女性が立ち止まってちらちらとこちらを見ていた。

 にっこり笑ったら、目を逸らして足早に去っていったが。


「今日の夕方には噂が広まるね。あんまり変化がない村だから外の人に敏感なのよ」


「ぼんやりしていないで、中に入ってちょうだい」


 セトの後ろで両腕をさすりながらそう言った女性はセトの保護者だ。


「えーとペリドットさん?」


「ファリダットよ」



「お国柄で食べられないものはないんだよね? 一応、貴族様が嫌がるタニシは入れなかったけれど」


 ルゥルゥがスープを出す。


「大丈夫だし、必要なら改宗するよ」


 セトはそう言いながら、一応危険物がないかとスプーンで中身をこっそり確認する。

 横のファリダットはタニシと聞いて、スプーンを持ったまま固まった。


「うちの神様たちは異国の神様を追い出すほど心の狭い神様じゃないよ」


 ルゥルゥの機嫌を少し損ねたようだ。


『で、どう? 初めて見る婚約者は?』


 ファリダットがこそこそとバルバス語で聞いてくる。


 婚約者というのは入国審査や居留許可を楽にするための措置だ。


「互いに気に入れば」という話で未来は確定していないのだが。


『何度も言うけれどまずは自分の生活をちゃんと立てるのが先だから。 

 大体、ぎりぎり崖っぷちのおばさんに心配されたくない』


『あんたねぇ!』


 まだ、こちらのお嬢さんは八歳かそこらだし、セト自身はまだ十五歳だ。結婚可能年齢がレペンス王国より早いバルバスでもまだ無理だ。

 ファリダットは後宮で十年以上無駄に過ごしたが、十分若く美しい。これは知性という面の美しさも含まれる。 

 ただ、義理の息子の将来に対する無駄なおせっかいとすぐ頭に血が上る点が欠点だが。


 変なことを言い出すから反撃をされるのだ。


 彼らは春からは、ウエストレペンス学院でバルバス語を教える予定だ。

 使用人部屋を貸してもらえる約束だから、出費は抑えられるだろう。

 (実際は他国の王族を目の届かないところに置いておきたくないというウエストレペンスの思惑もあるのだろうが)


 学びたいという人が三人いれば、教師を揃えるのが、ウエストレペンス学院の方針だそうだ。

 ちょうど、バルバス語の教師を探していたらしいので渡りに船だった。


 ウエストレペンス学院の教師になれば、生徒としての授業料がほぼ免除される。

 給料をもらえる上、授業料が安くなるなら結構お得だ。


 十五歳の少年が最初から一人で授業を受け持つわけではない。

 初級の授業をファリダットと共に受け持つことになっている。


 人気が出れば、それぞれに講座を持たせてくれるらしい。


 ルゥルゥたちは早口でまくし立てられたバルバス語はあまり聞き取れないようだ。

 セトたちのやりとりをにこにこしながら聞き流している。


「何もお山に残雪が残っている時期に来なくても。体調は? 追っ手は振り切れた?」


 追っ手の話は気づいた時点でライラに報告していた。


 第三と第四王子の追っ手はセトたちが雪山に入った頃に引き返して行ったようだ。

 セトたちも実際は雪山は登らずペンションで雪が完全に溶けるまで待機していたのだが。


「これよりも後だったら、それこそ体を慣れさせる前に冬が来てしまうよ」


 本格的な冬を経験する前に、一度慣れておきたかったのだ。

 ルゥルゥの弟があったかい紅茶を出してくれる。

 ファリダットが紅茶を一口飲んで、ほっと一息ついた。


「さすがに山を越え海を越えて砂漠のど真ん中まで嫁を追いかけたあなたの父ほどには根性がなかったようよ。雪山を見て引き返したのよ。それよりお母様の知り合いで、いい人紹介してくれないかしら? 王子様とか。もちろん美形で」


 セトは保護者の『知性』の部分に若干の修正を加える。


「恋は自分の生活にめどがついてからにしてくれ。

最初から玉の輿狙うな。都合よく王子様が転がっているわけないだろう」


 王子だらけの後宮にいたから感覚がずれているのだろうか。


「宝石類売り飛ばせば結構な額になるでしょ?」


「あのなぁ」


「本当にぎりぎりなのよ!」


 義母は王族に対する敬いの言葉もなく声を上げる。


「せっかく王子様なのに、なんでこんなところに来ちゃったの? 」


 セト達のやりとりを黙って見ていたルゥルゥは首を傾げた。

  セト達は名を変え、身分を捨てここに来た。


 血で血を洗う争いが続く王宮から逃げてしまったのだ。

 二度と故郷の地を踏めない。国を超えた瞬間、自分は国を裏切ったのだから。


「王宮で一生過ごすよりも、こっちの方が母国のためになると思ったから」 


 レペンス語はまだちょっと拙いが、日常会話には不自由ないほどにはなった。

 こんな離れた国の人がバルバスのことを知りたいと言ってくれているのは嬉しいことだ。

 それが半分。


 半分はここで、彼らと縁を結んでおけば、死者蘇生の秘術や本物の魔法使いの血が手に入る、ってバルバスの思惑が働いていたからなんだけれど。


 昔は、ジン使いもいたらしいが今は伝説の彼方だ。


「あとは魔法を見てみたいと思った、からかな」


 さすがにむけむけに言うつもりはなかったが、しっかり意図は伝わってしまったようでルゥルゥはちょっとむっとした顔になった。

 ただ、隠して近づくよりも今のうちにはっきり言っておくほうがいいだろう。


「そのうち時代が追い抜くだろうってじーちゃんが言っていたよ」


 じーちゃんとは前ウエストレペンス伯爵、アレス・ラハード殿のことだろう。


「僕もご挨拶しないとね。なんにしてもよろしく。婚約者殿」


「よろしく。セト君」



 二日後、セトとファリダットはライラと共にウエストレペンスに来ていた。



 ウエストレペンス城を覆う(つる)薔薇はつぼみの先がほんのり色づき始めていた。


 当然、レペンス王国では身分を隠すが、ウエストレペンスの口うるさい重臣数人には、セトの存在を知らせなければならない。それで非公式の謁見が行われることとなった。


 謁見の相手はライラの夫の弟であるウエストレペンス伯爵。

 追跡者の情報は伝え、あらかじめ打ち合わせはしていた。


 隣国の貴族を抱え込むより、名も知らぬ異国の王子を抱え込むほうがましらしいが、通過儀礼は受けておかなければならない。

 重臣たちはじろじろ警戒もあらわにセトを見る。

 ファリダットがにっこり微笑むとすぐそのぶしつけな視線を逸らしたが。


「『頼む』、か……」


 ウエストレペンス伯爵が手紙に視線を落とし呟いた。


 送り主も宛名も書かれていない。ただ一言。

 そしてそれはすぐにろうそくの火に燃やされた。


「病気で後継ぐ人、少ない。分かる?」


 ルゥルゥとスムーズに話せたのは彼女が意図を汲んでくれていたところが大きい。

 さすがにばりばり警戒や嫌悪の視線が渦巻く中うまくレペンス語が使えるわけがない。


「バルバス?」「南の悪魔の」「迷惑なことだ」「また病気を持ってきたのではないか?」


 重臣達がひそひそと言葉を交わしている。 マリードの被害の記憶がまだ新しいのだろう。

 そこですかさずライラが補足する。


「えー、結構後継者争いが激しいようでして。今まで、後継者の数が多かったもので、彼が標的になることはありませんでした」


「が、先の流行病で半端に数が減ってしまって、標的になる可能性が増えたか……。追跡者は?」


 ウエストレペンス伯爵もセトたちの身の上を哀れと思っても、領に火の粉が降りかかるのはなんとしても避けなければならないだろう。


「さすがに海を越えて北の山奥まで探しに来なかったようです」


「山を越え海を越えて砂漠のど真ん中まで嫁を追いかけた男もいたのにバルバスの男は存外根性がない」


 そう言った市議長は、一応味方らしい。

 それに同意するように品のない忍び笑いが臣下数人から漏れる。


「だが、女子供だけでどうやって生活するのだ。 それも、そちらの女性はほとんど話せないようだし」


 セトは不安そうにちらりと隣に通訳として控えるライラに視線を向ける。


「『生きる。お金。必要。仕事。言葉。分かる。ない。仕事。ない。』」


 ライラも、バルバス語を日常的に使っているわけではない。ここ十年ですっかり鈍ってしまったようだ。王子と側にいるファリダットに単語で伝える。

 わざわざ訳してもらわなくても、セトもファリダットも日常会話に困らないほどのレペンス語は身に付けている。特にファリダットは一度興味を持ったものへの習得力はすごい。


 逆にライラに下手に翻訳してもらうとわかりずらくなる。

 

「失礼しました。あまりに凛々しいお方でしたので、胸が詰まってしまって……言葉も出なかったのです」


 ファリダットはきゅっと豊かな胸に手を当てて、ほぅーとため息をついた。

 蜜のように甘くなめらかな声は、重臣たちの警戒心をとろかすには十分すぎるほどだったようだ。

 後宮で身に着けた技は今まで使う機会はなかったが。


 ライラが伯爵をぎろっと睨んで何事か声に出さずに呟いた。


 打ち合わせの内だとしても、宦官にしようとか笑いながら言っていた女の笑顔にころっと騙されるのはいただけない。


 咳払いしたウエストレペンス伯爵がセトに視線を向ける。


「仕事を紹介しよう。バルバス語を学院で教えてもらえないか?」 


「私の国、言葉。教える?」


 この問いも打ち合わせの通りだ。


「遠く離れた国へ商売に行きたいと望む者はいる。

 誰かの踏んで汚れた場所よりも、真っ白な雪の上に最初の一歩を踏み出したいと思う者だ。

レペンスからすれば バルバスの物は珍しいし、レペンスの物は高値で売れるだろう。 

 城の一室に君達の部屋を用意しよう。 君が適任だ」


「雪? 見たい」


 山で見たきらきら光る雪を思い出して、素直にこの言葉が出る。移動時は不思議がる余裕もなかった。


「レペンスは飽きるほど雪が降るぞ」


 伯爵の朗らかな声で謁見は締めくくられた。


 その後、廊下に出たセトたちに(ファリダットに)重臣たちがパトロンになると申し出ていた。


「何か困ったことがあったらー」


「お部屋に案内しますので、失礼してもよろしいでしょうか?」


 ライラが笑顔で割り込んだ。


「それと使用人たちの耳は小さな声も拾い、口は楽しげに歌います。 お気をつけあそばせ」



 ウエストレペンスはセトとファリダットそれぞれに部屋を用意してくれた。


「隣がロセウムの元貴族でね」

「さすがにロセウム語はわからない」

「大丈夫。あなたより小さいときに移り住んで、もう十二、三年だから、レペンス語はぺらぺらよ。ウエストレペンス学院の教師でもあるしね。困ったら頼ってもいい人よ」


 そう言って彼女はセトの部屋の隣の扉を叩く。


「ライラさん、帰っていたんですか? ベイル村には慣れました?」


 扉から出てきたのはファリダットの好みどんぴしゃの男だった。

 そういえば、ファリダットこっちに来る前からライラにいろいろ注文をつけていた。


「うーん。ぼちぼち」


 男はファリダットと同年代。二十歳を少し過ぎた頃だ。

 青い瞳が印象的な男だ。 服の上からでもそれなりに鍛えるのはわかる。


 男はセトたちに視線を向ける。


「彼ら隣に越してきたファリダットとセト」


「よろしく。南大陸の人?」


「は、はい」


 ファリダットはすでにハートマークだ。

 ライラはよくファリダットのわがままを聞く気になったなと思う。


「ロセウム文化やロセウム語を担当してくださっているアンリ・アイリス先生」


 ライラはアンリをセトたちに紹介したあとアンリに向き直った。


「バルバスのちょっと訳ありの人。よろしくお願いね。学院でバルバス語教える予定だから」


 それで十分伝わったのかアンリはうなづいた。


「ウエストレペンス学院でロセウム語を教えているアンリです。お隣さん」


「ファリダットです。こちらはおとー」


「息子のセトです」


「こんな大きな息子さんがいらっしゃるとは、てっきり弟さんかと」

「養子です」


 ファリダットはセトの踏みつけながら答える。

 どうでもいいがアンリはさりげにそこにも視線を走らせている。


「城の案内とかお願いしていい?」


「ええ、今日は授業もありませんし。もうそろそろ昼食ですね。食堂の使い方を教えます。それとも外で食べますか?」


 セトでもわかりやすいようゆっくり単語を区切り気味にはっきり発音してくれる。


「あなたが連れて行ってくださるところならどちらでも」


 ファリダットはふわふわして使い物にならない。


「あとはよろしく~」


 ライラは全部セトとアンリに押し付けるとさっさと帰ってしまった。

 それを見送った後、アンリに「じゃあ行こうか」と先導されて、セトたちは歩き出した。


『すっごいきれいなプラチナブロンド。目も青の宝石のようだし』


 ファリダットが興奮気味で話しかけてくる。

 いや、わかったからかんべんしてほしい。もし聞かれていたら恥ずかし……


「あなたの瞳もペリドットのようでとても美しいですよ」


 涼やかな声が聞こえて、セトは聞き返した。


「バルバス語がわかるんですか?」


「南大陸共通語なら少し」


 遠い南大陸の言葉を習える環境にいたということは、この男は貴族のなかでも相当高い地位にいたことになる。


 ライラがわざわざセトたちをその男の隣に住まわすのだから、敵ではないのだろうが、気をつけていたほうがいいのかもしれない。


 ◇


 

「こんにちは」


 生徒がこんにちはと唱和する。


「私 名前セト」


「子供が先生?」


 生徒達がくくくっと笑ったり、きゃーかわいいとかはしゃいでいる。


「はい。先生。でも、みんな私の先生。よろしく」


 

 セトたちのウエストレペンスでの生活が始まった。



ルゥルゥ……ライラの娘。セトの婚約者


市議長……レイにバルバスへの旅費を支援した人。今回はサクラ。


アンリ……隣国ロセウムの亡命貴族。


レペンスの宗教……多神教国家。国教は一応あるけれど、強制ではありません。超ゆるゆる。

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