コーニッシュ侯爵領【ナイラ】
私は縁側でぼんやり紅葉した楓を眺めている。
日本の楓よりも随分葉は大きいが、木のサイズはまだ可愛らしい。
対で植えた桜の苗は実どころかまだ花を咲かせていない。
日本庭園に似せて造った庭……というにはあまりにも貧相だ。
私の中の和の庭のイメージなんて、松とか椿とかシシオドシくらいだ。
椿姫は海外の小説なのよね。内容はぜんぜん知らないけれど。
なら、このヨーロッパぽい世界にも椿はあるのだろうか。
「--王妃様がおいでになりました」
私は永い夢から覚めたように顔を上げた。
「王妃様。連絡いただければこちらから伺いましたのに」
傾国の美姫、インカナムの毒婦、インカナムの妖婦。
先代王の悪評をさらに地に貶めた女性だ。本人はまったく望んでなかったろうけれど。
私が物心ついた時はほとんど公の場に姿を見せることはなくなっていた。
インカナムの妖婦がどんなものか期待していたけれど、実際会ってみて拍子抜けした。
人並み以上の美しさはあるが、それだけだ。想像していた妖艶さは無かった。
年を召されているが、今もひそやかに咲く清楚な花のようだ。
王家は三十年前、噂の積極的な火消しはしなかったと聞いている。
死霊王子の呪いとインカナムの毒婦を作らなければ、王家が持たなかったのだろう。
「変わった茶器ね。バルバス式? もう一客あるかしら?」
普通に湯飲みだ。陶器は分厚いが西洋式のティーカップに慣れている王妃様が持つとやけどしてしまうかもしれない。
「あの、持ち手がないですから」
一応忠告したが、王妃様は微笑むだけだ。
「お座布団と、茶菓子と……少しぬるめでお茶を用意して」
少し寒くなってきているし、さすがに藁で編んだだけの円座に王妃様を座らせるわけにはいかない。
「中に入りませんか?」
部屋の中には、椅子も机もある。
「いえ、ここがいいわ」
正座は無理だろうから、崩して座ってもらうか、今の私のように縁側の淵に腰掛けてもらうしかないのだが。
……結局縁側に腰掛けてしまわれた。
和菓子ぽいものは案外バルバスの菓子の材料でどうにかなった。
紅葉を模した菓子が王妃様の前に置かれる。
「きれいね。それに可愛らしい」
「本物はもっときれいですよ」
テレビの旅行番組かなにかで、和菓子の作り方を見ていただけだ。
何度か失敗したけれど……そのうち菓子職人たちが勝手に興味を持って真似し始めた。
この離宮に移って、子供が生まれて王太子の訪れがすっかり少なくなってから、無性に故郷が懐かしくなったのだ。
「これはタルジェの店で売っているのかしら」
「それは私だけのものです」
きつい物言いをしてしまった。
王妃様は少々驚いた風だったが、特に気にした様子ではなかった。
いちいち口止めしていないし、和菓子ぽくなったのは菓子職人の努力の結果だから、退職後は勝手に広めてくれてかまわない。
ただ貴族達のなかで積極的に流行らすつもりはない。
「私がいただいて良かったのかしら」
「これはこの部屋に訪れた方に召し上がっていただくための菓子ですから」
王妃様が来なかったら、メイドと二人で食べていた。
「私のわがままにつき合わなくてもいいのよ。心配したあの子が勝手に決めたことだから」
「いえ。決定したことですから」
茶菓子を一口食べる。
庭同様この部屋だけは和風に似せて作っている。
ただ、畳の作り方なんて知らないし、生えている本物のイグサを見たことはない。
藁で編んだ敷物が部屋の半分に敷かれているだけだ。
「では、一つ条件が」
「私に叶えられることならいいのだけれど」
王妃様は和菓子を鑑賞しながら、穏やかに答えた。
「王様が王太子様に王位をお譲りになって、王妃様の元に来られるまで元気でいてください」
王様が王妃様の隠居を許したのなら、王様も田舎に引っ込む算段が付いたのだろう。
「ええ。わかったわ」
王妃様は目に涙を浮かべながら頷いてくださった。
◇
離宮に、来客が訪れた。
プリムラ・レイスと、お付きの執事っぽい男性。それなりに美形だ。
ウォーターフィールド領の中にあるコーニッシュ子爵領。
もともとウォーターフィールドの何代か前の次男だか三男だかに分割贈与された土地で、村が二つ程度の小さな領だ。
前当主はプリムラ・コーニッシュ。ラインハルト・コーニッシュの妻であった女性だ。
長男を失ったウォーターフィールドがプリムラ・コーニッシュに夫の喪が明けきらないうちに次男との縁談を進めようとした結果、プリムラは『もともとそちら様の土地ですので』とウォーターフィールドに土地を返上しようとした。
話がまとまりかけていたところに王家が横槍を入れ、『もめているんなら王家がもらう』となった。
プリムラ・コーニッシュは娘と共に居をレイス家に移し、コーニッシュ子爵家は一度王領に組み込まれた後、私へ年金として払い下げられた。
それと同時に村がたった二つの小さな領は侯爵領に格上げされ、私の息子は、ウォーターフィールドとの隠し子ということになった。
コーニッシュ侯爵 アスラン・ウォーターフィールド。
もちろん、ある程度の年齢になるまで、私が事実上の女侯爵として、領を治めることになるのだが……
すごく語呂が悪い。
バルバス風の名前をつけた私にも悪かったのだけれど。
ウォーターフィールドはアスランが生まれる一年以上前に、あの世に逝っているので、アスランが王太子の息子であることは国中の者が知っている。
引継ぎにあたって、プリムラ・コーニッシュ改めプリムラ・レイスと何度か話し合い、いくつか条件を詰めた。
料理研究家なら和菓子に興味を持つかも知れない。そう思って和菓子を出したら、初回は始終和菓子についての質問攻めで、話し合いにはならなかったけれど。
おまけにプリムラが直接職人にお礼を言いたいと言ったら、料理人、菓子職人とも勢ぞろいして、本にサインを求めていた。
よほど和菓子を気に入ったのか、彼女は毎回じっくり和菓子を観察して、「色合いが美しい」とか「今の季節にぴったりですね」とか、一言二言、必ず感想を述べていた。
最後に「次回も楽しみにしてます」と付け加えるのも忘れない。
菓子職人たちも訪問客に褒められるとやる気が出るようで、菓子一つに毎回綿密な作戦会議が行われた。菓子の品評会じゃないのだけれど。
本日は話し合いの最終日。
プリムラはいつも話し合いの席にクマのぬいぐるみを連れてきて、たまにうなずいている。
ラインハルトは確か幽霊を見て、話せる特技があったはずだ。
「最後だから聞くのですけれど、それ中に入っています?」
そんなこと言われるとは思っていなかったのだろう。
プリムラは目をぱちくりさせたが、すぐ微笑みを浮かべた。
「翻訳してもらうことはありましたが、私はさっぱり。でも、聞こえる気がするんです。
……私もほとんど領地をほっぽっていた身ですので、大きなことを言えませんが、私の民をよろしくお願いします」
そう言ってプリムラは丁寧に頭を下げた。婚約者を奪った女にだ。
「あなた、私に何か思うところはないの?」
「亡くなった人を悪く言いたくはないのですけれど、早めに彼の本性がわかって、逆にあなたに感謝しているくらいです。でも、本当に独身貴族のまま亡くなってしまうなんて」
南の悪魔が国を襲う少し前に彼に『王太子の愛人なんていつまでも続くわけじゃない。愛人なんてやめて俺と結婚しないか?』って言われて冗談じゃないって断ったけれど……
「まさか、私の息子がウォーターフィールドを名乗るなんてね」
プリムラはほんの少し首をかしげた後「そうですね」と微笑んだ。
家令を残してもらえたのはありがたかった。 領地運営など、私にとっても初めてだ。
コーニッシュ家の家令が残っていなかったら、タルジェの者に丸投げしていたはずだ。
「お嬢様をあの眠そうな男に預けたのは失敗でした。まさか、異国の地で勝手に眠るとは。 次のお嬢様はびしばし鍛えます」
ちょっと期待していた家令は私よりか十歳も上だった。ちっ。攻略対象にもなりゃしない。
「心の声が聞こえた気がするのだけれど」
私もあんたの声が聞こえるんだけれど。
「ほ。厄介な男を押し付けることができた。あとはよろしく。あでゅ~」と言っている。
なんだかおかしくなってお互い微笑みあう。
もう彼女は婚約者を取られてただ泣くだけの少女ではなかった。
「じゃあ、本当にコーニッシュ領のことよろしくお願いします」
私ではなく家令に言うあたりが、私のことを信じてはいないのだろう。
「は、かしこまりました。このお嬢様をお嬢様以上の立派な領主にいたします」
こら、そこの家令。私のことを勝手に『お嬢様』とか言うんじゃない。背中がかゆくなる。
そして、ほのかなスパルタの予感。
◇
別れの挨拶はあっさりしたものだ。
「永の勤めご苦労だった」
それだけ告げると、王太子は用は終わったとばかりに、私たちが顔を上げるのも待たずに背を向けた。
「東窓の一番端」
顔を上げる直前、王妃様がささやいた。
顔を上げざま、そこを見ると、王太子妃が扇で口元を隠しながら私たちを見下ろしていた。
実際にこの王宮にいたのはたったの二年半。
私は息子と王妃様と共に王宮を去った。
◇
どこまでもつづく草原。牛や馬が草を食んでいる。
初めて、こののどかな草原に立って夕日を見たとき、なぜか泣いてしまった。
和室・日本庭園……元ネタはマリー・アントワネットの「王妃の村里」。
栄華を極めたなら、こういう方向に行くかなと。
マリーアントワネットが離宮に農村のようなものを造ったみたいに。
コーニッシュ子爵領(のち侯爵領)……元ネタはアルナック・ポンパドゥール。相続争いが起こっているところ王家が横取りしてポンパトゥール侯爵夫人に下げ渡した。
あれー、王妃様の世話を押し付けられて(話し相手が主で、ほかの事は侍女がやってくれるんでしょうが)、さびしい田舎暮らしをする予定が変なのがくっついてきた。
プリムラはこの後、レイス家の支援を受けて、料理文化研究家として世界中飛び回ることになります。
家令……実際は、33歳。家令としては若いため、ちょっと年齢盛っています。ついでに万が一にも元側室に目をつけられないように。
王妃……王太子妃の生国とはあまり仲が良くない国の元王女。
王太子妃……王妃の生国とはあまり仲が良くない国の出身。王太子妃の祖国は、前王妃(故人)の祖国でもあります。




