ベイル村【レイ】(九年後春)
「ここも来年には、ウエストレペンス領になるのか」
レイたちはベイル村に足を踏み入れた。
ウエストレペンスとベイル村の合併は一年の準備期間を置いて行われる。
ウエストレペンスとベイル村、それぞれに意見箱が置かれて、住民の不満を汲み取り、法を微調整する。
一年後、ウエストレペンスとベイル村は合併に賛成か反対かの住民投票が行われ、それで賛成多数であれば正式に合併する予定だ。
ウエストレペンスとベイル村で賛成と反対が別れた場合は、もう一度合併するかの協議に逆戻りになる。
今は双方にとってのお試し期間だ。
先月からは、ウエストレペンス・ベイル村間の馬車の増便が行われている。
住民税さえ納めれば教育、医療、その他もろもろに関して、ウエストレペンスとほとんど同じ待遇を受けられる。
ロセウム人の難民問題を十年近くかけてなんとか道筋をつけたウエストレペンスだ。
逆戻りになろうが、そのうちいい方向に向かうだろう。
◇
レイは幼いころ住んでいた家を見上げた。薄霞のかかった記憶が、徐々に色をつけて蘇りはじめた。
昔は大きく感じたが、今見れば随分こじんまりしている。
それでも、村長の家を除けば、村では一番か二番の大きさだったはずだが。
ライラにベイル村行きを提案されたときは、よりによって、なぜベイル村と怒ってしまった。
彼女が、簡単に離婚を交渉材料に使ってきたのも許せなかった。
イリアの執務室で、ベイル村行きを命ぜられてから、何度も話し合った。
他の村なら、おそらく少々渋っても反対はしなかったろう。
実際、このベイル村に立ってみたが、昔に感じた痛みは今はそれほど感じられなかった。
レイにとって、あまり良い思い出は無かったが、やはり久々の故郷はどこか懐かしさを感じさせる。
もう、二十年近く経っているのだ。この村の人もここに誰が住んでいたかなんてほとんど覚えていないだろう。
ここは頭を切り替えて、一から始めよう。
「この家に四人で住むの?」
上の子は家のあまりの小ささに、目を丸くする。
「これでも、ちょっとは増築してもらったんだぞ。慣れりゃ、気にならないさ」
縁側はよく父母が月を眺めていた。
薬草を引っこ抜いて父に叱られた薬草畑は今は草むらと見わけがつかないが、柵の名残の杭だけは残っていた。
◇
「本日ウエストレペンスからこちらへ越してきました、レイ・フォレストと申します。よろしくお願いします。」
『ラハード』はウエストレペンス王家の姓だ。父が伯爵になるときに王家にあやかってその姓を使ったにすぎない。
引越しに当たって父の旧姓に戻すことにした。万一にも、ラハードを名乗ったらスパイと感づかれてしまう可能性がある。
引越しの細かい手続きや、寸法を測るのは、ほとんどライラと侍女がやってくれている。
そのときに村長への挨拶はすでに済ませてくれたそうだが、
当時、村長だった人の息子かもしれない。なにしろ幼い頃のことなのでほとんど顔も覚えていない。アレスとほぼ同年代で、今は少し白髪が混じっている。
「偉いお医者様なのに、本当にあんな村のはずれでいいのかい? 森に近いから前住んでいた家族が出て行ってからは誰も住んでなくてね」
「まだ新米の医者ですが……村長お久しぶりです」
レイは村長に手を差し伸べる。
その言葉に首を傾げた村長が目を見開きレイをまじまじ見つめた。
「本当に……大きくなって。ご両親は?」
「ここにいた時よりも数百倍元気にしていますよ」
村長が追い出したわけではないが、少しくらい嫌味を言ってもバチは当たらないだろう。
「私のほうは孫が連れて行かれてしまってね。……本当に、戻って来てくれてありがとう」
村長はレイの手を両手で握り、彼の帰還を喜んだ。
◇
村長と旧交を温めるつもりもなかったし、ぐずぐずしているとすぐ日が暮れてしまう。
家に戻ったレイは、ライラと娘と共に大量の本やら、薬のビンやらを家に運び入れ、少しさび付いてしまった扉に昔のように鈴をつけた。
下の子が物珍しそうに狭い家の中を見て回り、飼い猫がその側で守るように寄り添っている。
それを見た姉が「遊んでないで自分の荷物片付けなさい」と注意する。
ライラが来客に気づいて、レイに紹介した。
「この方、家を修繕してくださった方のお母さまで……」
「あなたアレスの息子の……」
「レイです」
レイの硬い表情でライラは大体を察したようだった。
「すみませんね。まだ片づけが終わっていないので、また後ほどご挨拶に……」
どう見ても二人の会話が弾みそうにないのを見て取ったライラは頭を下げて、来客にやんわりお帰り願ったのだが……。
薬品の運び入れがひと段落して、やっとお客と話す余裕ができた。
あまりうれしい客ではないが、父から伝言を預かっている。
「すみません、ばたばたしていて。お茶を出そうにも、茶器がどこだったか」
もっとも、茶器が揃っていても、お茶など出す気はないが。
片付いてから、挨拶にお伺いすると言っても、ぼーっとレイたちの様子を眺めているので、仕方なく家に招いた。
あまり、社交界には出なかったが、笑顔を貼り付けることだけは覚えた。
室内をざっと見回した彼女は顔を青ざめさせた。
かなり置いてきたが、荷物や家具はほとんど入れ替えが完了している。
レイが一歳か二歳の頃、一度家を拡張しているとはいえ、やはり高級家具を置くには少し手狭だ。
妻の嫁入り道具で足りない(サイズの合わない)ものは城で使わなくなった中古の家具で代用した。
それでも、十分立派な物に見えるのだろう。
別に見せびらかすつもりはないのだが、長い城生活で少し人様と感覚がずれてしまったのかもしれない。
目の前の女性は、大工のおばさんだ。名前は忘れたが、そう呼んでいたのは覚えている。
……この人には嫌われていたのは良く覚えている。
確か、イリアがレイの本当の兄弟じゃないと親切に教えてくれたのはこの人だ。
患者を診る時は個人の好悪を抜きにしなければならない。
レイは改めて、戒めを心に刻んだ。
「なぜ戻って来る気になったの?」
家の中を見せるのはまずかったろうか?
一応、妻の親が大事な娘のためにそろえた品だ。
村医者に分不相応と分かっていてもできるだけ持って来たかったのだ。
でも、一度焼き討ちされたことがあるらしいので、この村の人間のことをどうも信用できない。
ほとんどの貴金属は城の金庫で今も保管しているけれど、勘違いされて強盗に入られても困る。
笑顔を崩さず、内心は警戒を怠らない。
「医者が足りないって聞いたから」
医学書を本棚にしまいながら、困ったように微笑む。
「本当は、少し迷いました。子供時分でもさすがにウチの家が、ちょっと遠巻きに見られていることぐらいはわかりましたから。……それでもここが僕の故郷なんで」
もう、はっきり嫌いだと言えたら楽なのだろうが。
いろいろやらかした父の方に問題があったのはわかるが、この歳になっても割り切れないものは確かにある。
「父からの伝言です。『思い出せなくて悪かった』って言ってました」
レイは、一冊の本を渡した。
表紙には『湖の妖精』というタイトルと、湖の上を舞う可愛らしい妖精の絵が描かれていた。
「孫に……この子達に『湖の妖精』を読み聞かせて、思い出したそうです」
レイは母親の後ろでこちらの様子を伺っている子供をなでる。
アレスも孫達の頭をよくなでていた。
父からは詳しいことは聞いていない。ただ、伝言を頼まれただけだ。
「お父様は?」
「……二年前に流行病で」
その一言で、『大工のおばさん』の頬に涙が伝った。
「本当はもっと早く戻ってくるべきだったのですけれど……。
もしその本を読みたいのでしたら、僕が文字をお教えします」
「人に頼むんじゃなくて、自分で手渡しに来なさいよぉ!」
◇
「続きは明日にしましょう。ろうそく代ももったいないですし」
ろうそくぼんぼん使えて、イリアに魔法で光を灯してもらう生活に慣れきってしまったようだ。
「うん、わかった。これを飾ったら寝よう」
診療所は明日から開業を予定している。
居間に飾る絵の微調整を済ませたら、さっさと寝てしまおう。
「サラさん、あれ完全に誤解していますよ」
子供達にしっと人差し指で合図を送っていた時点で、ライラも同罪だ。
「二年前にはやり病で引退を決意して、一年前に伯爵を無事退職、老後を楽しんでいます」が正しい。
「今日のあなたってわりと人間味があって良かったですよ」
絵師が三日前に描きあげてくれた家族がそろった絵を飾る。
イリアの息子はイリアに抱き上げられ、スズのお腹もわずかに膨らんでいる。幼い頃から家族のように面倒を見てくれた侍女頭とその息子は伯爵家の一家の側に寄り添っている。
同じ物は王城にもあるし、レイの妹リリーも持っている。
待合室には小さいものだがウエストレペンスの風景画を飾っている。
「ふーん。どういったところが」
絵を飾り終えたレイはライラに近づいて、彼女の目を覗き込んだ。
ライラの目に自分は聖人君子に映っているのだろうか。
「黒い……じゃなかった、別の面が見れたというか。ち、近いですよ」
ライラは逃げ場を探すようにきょときょと目を左右に動かす。
やがてあきらめて微笑んだ。




