南の悪魔【ライラ】
南の悪魔。
バルバスでの呼び名は『マリード』。
たまたまバルバスにいたラインハルトがいち早く、異変を知らせてくれた。
『南の悪魔が海峡を越えて北大陸沿岸の町を襲っている』と。
念のため資料を添えて。
奥さんと娘さんは先に帰して、自分はもう少し南の悪魔について資料を集めてくれるらしい。
備えるように言われても、正直何の手がかりもない病気だ。
ベリルシュタインにセト王子宛の手紙を託す。
年、二三度のやり取りだが、今でも文通は続いている。
なんとか、南の悪魔について正確な情報をかき集めないとならない。
私も、侍女のシグニも物心ついた頃にレペンス王国で暮らしていて、詳しいことは知らない。
頼りたくないが、実際『南の悪魔』を経験している可能性の高い父や商会の使用人に話を聞きに行った。
馬車の中では明日以降の予定を詰める。日持ちする食料の在庫。医薬品をすばやく全国に流す流通網。
ラインハルトの連絡を受けてレイス家が王家に収穫祭中止と検疫の進言を行っているはずだ。
だが、タイミングとしてはもう遅いのかもしれない。
「始めまして、レイ・ラハードと申します」
実際に父と夫が顔を合わせたのは、これが初めてだ。
「今日はお願いがあって参りました」
「孫を一度も見せにこないで、お願い、か」
そう言えば、実家には往復一日もかからないのに、結婚した年以降一度も帰っていない。
覚えることが多すぎて、というのは言い訳だ。避けていたのだと思う。
親子の確執に孫が巻き込まれるのは、確かに違うような気がする。
父にとっては初孫だ。いろいろ片付いたら……
「この件が片付きましたら、必ず連れて来ます。南の悪魔について、経験者から情報をいただきたいのです」
「それは、種になるか?」
父の言葉にレイは怪訝そうな顔をする。
でも、私には十分意味が伝わった。 『商売の種』だ。
「ふざけないで!」
「随分言葉遣いが荒くなったな」
父は私の怒鳴り声も冷ややかに返した。
「南の悪魔に関することをお話いただけましたら――」
レイと私の後ろに控えていた護衛がずっしりとした袋を父の前に置いた。
「それは、喉から手が出るほど欲しい情報か?」
それをこれっぽっちの金で、という声が聞こえてきそうだ。
「今なら行商人が来ています。彼らに直接聞きます」
「わかった。答えられることは答えよう」
「それは助かります。できれば、バルバス語を母国語とし、バルバス語とレペンス語の読み書きができる方を紹介いただけますか?」
レペンス人の学者がバルバス語を翻訳するより、日常的にバルバス語を使っていた人に内容を教えてもらったほうが速い。
そこで、部屋の奥からナイラが現れた。
「もしかして、南の悪魔……かしら?」
子供二人を生んで、二の腕とおなか周りにしっかり肉が付いている私には現実味がない細さだ。
コルセットでしっかり締めているのだろう。コルセットとか存在自体忘れていたわ~。あれ、内臓大丈夫だろうか。できれば、私の送ったウエストレペンスのダメージの少ない物を使って欲しいのだけれど。
がっつり開いたドレスじゃ紐が見えるか。
答えられないで彼女を見つめていると、彼女が赤い唇を開いた。
「まだ報告はあがっていないけれど、来るとしたら、今更騒いでも遅いわよ。今年の冬は大変なことになるわ」
祭礼を一週間後に控えて、王都は徐々に活気を増し、外国の珍しい品を携えた行商人が王都に流れ込みだしている。
王都から始まるレペンス王国のフェスタを順々に回っていくつもりなのだろう。
「何度も警告したでしょ。もう終わりよ。
良かったわね。私とあなたの夫と子供だけは安全が確保されているのよ。もっとも私に子はいないけれど」
夫もいなかったはずだが……。
確かに変な手紙はもらっていたけれど、あれで察しろというほうが無理がある。
ナイラは勝ち誇るでもなく、あざ笑うようでいて、どこかさびしそうな、苛立ちをわずかににじませた、つらそうな瞳をした。
◇
その後、関係省庁に、南の悪魔についてわかっていることを伝えて、さて帰ろうというところで、人に捕まった。
「まさか、王に会うことになるとは」
舞踏会の類は弟に任せていたのだ。イリアが仮病を使った一、二度舞踏会に行った程度だ。(姉関係の)トラブルを避けるため、パートナーは私ではなく基本スズだったし。
わざわざ自分から売り込むはずがないので、王様がご臨席なさっても遠くから軽い会釈するだけだろう。
まさか、王様に呼ばれると思っていなかった。
「できれば出直したいのですが……」
私はただの医者として来ているのだ。とても、謁見できる姿じゃない。私が着ているのはうざったいドレスじゃなくてただのワンピース。すごく庶民な服だ。 雑に髪結んで、化粧控えめにしてしている姿はただのおばさんだ。 ……久々に実家に里帰りする姿としても微妙な気がするが。
唯一のアクセサリーはあの紫水晶のペンダントだ。
「すぐ、お連れするようにと」
のー。一時間……いや、三十分でいいから身支度整えさせて。自力で仕立てたワンピースで王様に会うとか……。縫い目がそろっていないし、結び目は汚い団子だし。 姉のを借りることができなくても、どっかで服買わせて。
よく考えれば、呼ばれたのはレイのほうだ。
「ちょっと、ここでお待ちしていて良いですか?」
「僕だって一人で王様に会うなんて嫌だよ」
「護衛貸し出しますから」
「俺だって王様の前なんか行きたくないですよ」
譲り合い精神を丸出しにしていると、偉そうな人がちょっと苛立ちながら言った。
「王様をいつまでお待たせするつもりですか」
◇
「……随分大きくなったな」
目を細めているのが不気味だ。
レイは眉をひそめる。たぶん会った事はほとんどないはずだ。
昔から積み重なった因縁を考えるとフレンドリーな態度で接してくるわけがないというのはただの先入観だったのだろうか。
「今更、建国祭を中止にはできない。 それよりもこの申請書について説明を求めたいのだが?」
ウエストレペンスを追い出されたら、難民たちはどこに向かうか。引き返すのではなく、当然、一番近い王都に向かうだろう。
そのまま貧民街に紛れ込まれたら、人数の把握さえ難しくなる。
引き受けてくれるというのなら、見逃す。
そういう暗黙の取り決めから大きく逸脱している。
「市民を守るための措置です。私どもから申し上げるのは順当に処理がなされることです」
つまり、永遠に処理されなくても別にかまわないということだ。
難民問題はできれば触れたくない問題。
今回は後回しにしてもらえば、してもらえるだけこちらが助かる。
「難民申請でもなく、居留資格申請でもなく、なぜこれなのだ」
それは、審議に時間がかかるから。審議期間中に強制送還は難しい。
こちらも審査が通るとは思っていない。
朝から一番の便で最初の申請書類を送った。
「それは、申請理由にあるように、我が領に貢献したからです」
「ウエストレペンスの産業に貢献したから……おかげで、ウエストレペンスは異国街を手に入れました」
難民の流入よりも転出が上回った三年前から試験的に十番街も観光地として開放を始めた。
昔は北大陸の文化の中心と言われ、今は政情が不安定なロセウム国の服や工芸品、菓子などが手軽に手に入るのだ。
十番街はそこそこの賑わいを見せている。
「彼らは労働力として捉えるなら、優秀です」
こういう言い方は使わずに放り出した国への非難にも取られかねない。
何より尽くしてくれた”領民”を便利な労働力扱いするのは納得いかない。
でも、王はその説明で一応の納得をして、私たちを解放してくれた。
◇
王都での仕事を片付けた後、私たちはその日のうちにウエストレペンスに戻った。
翌日は、十番街でのお手伝いだ。
ウエストレペンスはロセウム人に市民権は与えても帰化を許可してなかった。
二世は通常のレペンス語の教育に加えロセウム語の教育を徹底、十番街から外への夜間の外出の禁止、他、レペンス人との婚姻を禁止にし、特に罰則を設けた。
ロセウムが安定すれば、一人残らずロセウムに帰すつもりだと。
領の許容量が足りなければ、いつでも追い出せるように。
その方針は幾度となく十番街の住民に説明されていた。
それなのに、三ヶ月だけ帰化申請を認めた。
申請を認めただけで、実際に許可するのは国だ。おそらく、ほとんどの者が却下されるだろう。
その代わり、新たな難民の受け入れを中止したが。
ロセウム国内も随分落ち着いたようで、最近は来ても、月に一、二家族。
実際、ロセウムに帰って行く者のほうが多い。
『帰化申請が通っても、そしてここに残ったとしても永遠に完璧なレペンス人にはなれない。
一度、レペンス人になったものはロセウムに戻ってもよそ者だ。 それでも良ければ申請しなさい』
アンリと数名の元貴族が十番街のロセウム語で説明を続けている。
どんな説明をしているかはわからないが。
これで地に足をつけられると本来なら喜ばしいことのはずだが、180度の方針転換に皆、微妙に不審な顔をする。
私はレペンス語はしゃべれるが読み書きが不自由な人の補助をする。
「この国のためにやったこと……ですか?」
申請のための貢献実績の欄がどうしても埋められない人が多い。
「良いことは町の建設に従事されたことも含まれますよ。
もちろんこの十番街を観光客を呼べるまで発展させてくださったことも」
たとえ、建設現場にお茶を運ぶだけでも、十分ウエストレペンスで役に立っている。
十番街の建設と書かなければいいだけだ。
後は、伯爵がいくらでも話を盛ってくれる。
南の悪魔の主な症状は熱と咳だそうで、南の悪魔の襲来に備えて、マスク等の製造を急いでいるが『南の悪魔』の研究は芳しくない。父の話ではバルバスでも特効薬がないそうだ。
昨日、実家を去り際、父は「もし、特効薬ができたら大もうけできたろうに」とこぼしていた。
ラインハルトの手紙は検疫にかかる直前にすり抜けられたけれど、タルジェの情報網は現在検疫に引っかかっている状態です。
王太子のほうは、『南の悪魔』の例年の被害はひどくはない、という情報を鵜呑みにして、特に急がず真剣にも調べなかったわ。
ナイラは動かない王太子にいらいらしている状態。
ナイラの中の何度も……①首吊り事件 ②妹への手紙 ③王太子への直訴
プラセンテ(バルバスの対岸の国)は検疫失敗(自国の失態)を隠そうとしています。
南大陸の対岸の国は他にもありますので、「自分が失敗したわけじゃない。他が失敗したんだ」という心理も働いています。




