公爵令息とナイラ【ナイラ】(三学期~)
ナイラの話。
私は、二学期中ウエストレペンス伯爵家が怖くて下手に動けないでいた。
でも、あの事件以降、ウエストレペンスからは何かを要求されることもなく、いないものとして扱われた。
ウエストレペンスからの復讐が何もないことを確認して、三学期になったのを機にレペンス学園に舞い戻った。
ぶっちゃけ出席日数が足りなくなってきたのだ。
手を打てない間に攻略対象者は、大体カップルが完成していた。
決して一人では終わらない。
私はまず公爵令息のディアスに接近した。
「迷惑だ」
「そんな。わたくしとあなたの仲ですのに」
目に涙を浮かべ、そっと顔を伏せる。 ちなみに今は昼休みでここは学園の廊下だ。
ディアスは不快そうな顔をしつつも、回りの視線を気にしている。
「私を遠ざけたければもっと上を紹介してくださらない」
◇
私たちは校舎裏に移動した。
「勝手に王太子に会わせられるわけがないだろう」
「では出会いを提供してくれるだけでも。
あなたが私に付きまとわれて、マリー様はきっと悲しんでいますよ」
「どの口がそれを言う。平民がどうのこうのというつもりはないが、あまり伯爵家の力を過信するな。
伯爵の子息に嫁いだのはあなたではなく、あなたの妹なのだからな」
そうだ。ちょっと休んでいる間に、レイ・ラハードとライラ、弟夫妻の結婚式がそれなりの規模で行われた。ウエストレペンスは普段さほど付き合いのない貴族にまで結婚式の招待状を送ったようだ。
理由の一つは、アレス・ラハードから次代伯爵の紹介。もう一つはタルジェ家のついた嘘を修正すること。
それなりの規模で行われた結婚式に、さして王都から離れているわけでもないのに肝心のタルジェ家の人が誰も呼ばれていない。
第一、もしあの『ライラ・タルジェ』が結婚するなら、あらかじめ学園に報告があり、そこそこ噂になっているはず。
あまりに唐突な結婚話に学生は驚き、ウエストレペンスでの五月のお披露目を知っている者には「結婚って姉のナイラとでしょ?」と芋づる式にばれて、それなりの騒ぎになっていたそうだ。
おかげで私の噂に『嘘つきナイラ』というのが加わってしまった。
「お望みなら、大事なマリー様にあることないこと吹き込んで差し上げますけれど?」
一応乙女ゲームをやっている身だ。
ちょっと手間だけれど誰かヒロインぽい子を仕立てて、マリーに正しい配役を振り分けてあげるのもいい。
ぎりっと苦々しい顔のまま、彼は結局折れた。
彼なら、穏便に済ますだろうと思っていた。
去年ドリルの取り巻きが暴走して、公爵令息の隣の席の女子を自殺未遂に追い込んだ。
当然、その取り巻き数人は退学。
公爵令息とドリルはそろって、退学願いを出したが校長に止められて一ヶ月の自主停学になった。
ゲームでは、被害にあったのは第二王子の隣の子だったけれど。
ちなみに第二王子は停学しないどころか、「俺を巻き込むな」って完全無視したうえ、一年経ったゲーム開始時にはそんな事件もすっかり忘れていた。
そんなわけで、私に強く出られない。下手して、私が死んでしまったら、今度こそ学園内では片付けられないだろうから。
「警備の関係もあるからな。参加予定の夜会があれば当日に君に合図を送る」
「合図?」
「俺は君を嫌っている。それさえわかっていればすぐに気づくだろう。 招待状は自分の伝手で用意しろ」
怖い顔していたディアスの口の端が不自然にひくついた。
「それはそうと、顔に『おもらしやろー』って書かれているぞ。さっき見たとき付いてなかったのにな」
「はぁ? 何言っているの」
「一応忠告しておくが、はやく手洗いに行ったほうがいいぞ」
まさかと思いながら、私は一番近い手洗いに向かった。 途中すれ違った下級生が下を向いて笑いをかみ殺していた。
さすがに何かが、変だ。手洗いまで待てなくて手鏡で自分の顔を確認する。
「な、なんなのこれはっ!?」
私の顔には『おもらしやろー』と本当に書かれていた。午前中お花畑に行ったときはこんなことにはなっていなかった。
廊下は当然走ってはならない。早歩きで駆け込むと私は顔を洗った。
何度洗っても、顔を痛いほど擦っても落ちない。
「落ちない」
もー、本当にこれどういうことよ!
りんこんかんこん。
とチャイムが鳴る。
二学期の間はテストだけは別室で受けていた。学校の成績は上位に入るのだが……
いくら儀式に参加しなければならない王族用に必要出席日数が少なめに設定されているとはいえ、三ヶ月近く休んだ私には、もう後がないと言い渡されている。
このまま早退するか考えながら隅っこのベンチでずる休みしていたら、ゆっくり文字が薄くなっていき、一時間後にはすっかり消えた。
◇
「なんなのよ!」
家に帰り着くと玄関に通学鞄を投げ捨てた。
「どうしたんだ」
まさかレペンス学園に戻って三日で問題が発生するとは思っていなかったのだろう。
父が驚いた顔で出迎えてくれる。
「顔に変な文字が出たのよ。悪口がっ!」
「『聖痕』としては使えないのかい?」
父は心配するふりをしながらも、どうやって商売の種にしようかと考えているのが透けて見えた。
「使えるわけないでしょ!」
手鏡に映った自分の顔を思い返して怒りがこみ上げてきた。
「今は何もないが?」
「一時間くらいしたら消えたわ」
父はちょっと残念そうだ。その態度にさらに苛立ちが増す。
「とりあえず招待状よ。ライラに伯爵家にあるだけの招待状を送るように依頼して」
父の目が見る見る見開かれる。
「私がお願いしても送ってはこないでしょう」
「ナイラ『私の父ちゃんでべそ』って出てるけれど、これが聖痕なのか?」
「はあ?」
なんて、なんて低レベルな悪口。
「さすがに、もう少し神秘的じゃないと使えないな」
むきーっ! ちょっとは娘を心配しろ!
それもごしごし洗っても落ちないが、一時間後には跡形もなく消えた。
◇
いつあの聖痕が出るかひやひやしながら、学園に通っていたが、数日は特に異常はなかった。
貴族が自分に送られてきた招待状を親類に渡して、表面上は代理を頼む形をとりつつ、のし上がるチャンスを与えるのはままあることだ。
品性のない親族が夜会で暴れようものなら、招待状を回した伯爵家まで品性を疑われることになるが。
妹は父に言われてしぶしぶ招待状を実家に送ってきた。
「どうでもいいところだけ送ってきたのかしら。 それとも、伯爵家に送られてくる招待状自体が少ないのかしらね」
妹もちょっとは頭が回るようになったようで、
『拝啓
時下、ますますご清栄のこととお慶び申し上げると思っているんですか。
お願いだからウエストレペンスの名を貶めるようなことはしないでください。アレス様を怒らせると怖いですよ。レイに迷惑かけないでください。私の体調をちょっとでも気遣ってくれるなら余計なことはしないでーー』
という妹にしては珍しく長い忠告の手紙を添えていた。
「なに? 自分が妊娠中で、幸せいっぱいって自慢したいわけ?
ウエストレペンスの評判なんか私が何もしなくても、すでに地を這っているでしょうに」
長ったらしい手紙を最後まで読む気になれず、暖炉に捨てた。
「私が王子を落とすことは我が家のためになるっていうのに。
あとは次期公爵の合図を待つだけね」
「お嬢様、庭先にこれが……」
黄色いカーネーションが添えられ、黒いリボンで飾られた白い箱。
あまり見ない取り合わせのプレゼントだ。贈り主の名はない。
「お嬢様、中身を確認しても?」
中に入っていたのは……
Gの屍骸である。
……公爵家にもいるんだ。G。
「まあ、素敵なプレゼントね」
ふふふと笑い出した私の後ろでは侍女たちが「壊れた?」「神経ずぶと」なんて言っている。
あんたら減給だからね。
「お嬢様、お顔に『性格ブス』と出ていますが……」
サ・イ・ア・ク。
◇
舞妓のように顔を真っ白に塗りたくるわけにはいかない。
「宗教上の理由」としてベールで顔を隠すことにしたが、次は髪や手にまで浮き上がってきた。
肌に出るときは黒文字なのに、髪に出るときは白文字だ。
それも、書かれる内容はスリーサイズやバストサイズ(ご丁寧にハーフAって書き添えられている)、体重、商会の裏帳簿の一部、最悪だったのが『○秘 三日目』だった。
何の嫌がらせだ。こんなことしやがったやつは、神様だろうと殺す。
休み時間には、
「……嵩増ししてるんだって」
「あれで?」
くすくす笑う女生徒の声が耳につく。
失礼な! 寄せて上げているだけよ。
結局、私は「太陽光に当たると湿疹が出る病気」と言い訳して、ベールを頭からすっぽりかぶり、手袋や長めの靴下で肌を隠すことになった。
◇◇◇
ウエストレペンス城。
「あーははは、けっこうぱかすか発動しているみたいだね」
ノートにずらずら並ぶ『正』の文字。
「どうしたんですか?」
ライラがオレンジを一房食べながらイリアに尋ねる。
「魔法の練習。俺らで考えた悪口の他に、周囲からナイラに関わる情報を自動的に集めて、彼女にとって不都合な情報をばらすってやつ。ちょっと凝ったものだったから、うまくいくか不安だったけれど」
「手紙にはそんなこと一言も書いていませんでしたけれど」
ライラは首をかしげるとオレンジをもう一房口に放り込んだ。
「開放直後に発動したら、犯人が俺らだって気づかれるかもしれない。年が明けてからって条件で悪巧みしたら発動するように調整したんだ。くくくっ。ちょっとくらいおとなしくなればいいんだがな」
新年明け早々に送られて来た手紙にレイとイリアは「やっぱり」「全然懲りてねーこいつ」って呆れていたので、彼らもナイラがずっと大人しくしているとは思っていなかったのだろう。
「まあ、もうこれ以上厄介ごとに持ち込まないでくれたら嬉しいね」
レイがオレンジを一房食べながら言う。
あれが姉からの手紙だったら破り捨てていただろう。
だが父からの依頼である以上、伯爵の判断を仰がなければならなかった。
当然、手紙を破り捨ててくれるだろうと思っていたのに、伯爵は「どうせゴミ箱に捨てるものだ」と言って快く数通の招待状をライラに渡したのだ。
トラブルの種になることはわかりきっているのに。
厄介ごとを持ち込んだ側のライラはレイの言葉に何も答えることができなかった。
魔法による罰。
悪巧みをしたらbotのように適当に罵詈雑言が浮き出ると。
ええ、100パターンぐらい。一時間くらいで元に戻りますけれど。
元は窃盗などを繰り返す人用の罰ですね。こっちは再犯したら消えないですけれど。
妹から姉への手紙がビジネス文書化しています……。
悪阻中にライラさんが三回くらい書いて、ゴミ箱にポイしたバージョンがこちらです。
『拝啓
時下、ますますご清栄のこととお慶び申し上げると思っているんですか。ゴルァ』
最初にずさんな身代わり計画立てたナイラがそんなヒロインと悪役令嬢を仕立てるとか、複雑な計画無理です。
なんでばれないと思っていたんだろうな。まったくあきらめていない。
黄色のカーネーション……花言葉 軽蔑
体重やスリーサイズはさすがにどうなの?ですが、デリカシーのない男が術使っていますので。
マリー・ライトは、自分が悪役令嬢ぽいことちょっと気にしています。周りの取り巻き令嬢からはこっそり「姉御」と呼ばれているとか呼ばれていないとか……。
一年生のときの事件は、マリーと公爵令息のファンの数人が暴走してしまいました。
ライラが食べているのはみかんの近縁種。オレンジとみかんの間くらいの厚さの皮で、手で皮がむけます。




