思い出【ライラ】(十月初旬)
あの日から、寵姫様は、お茶持参で私の元に訪れるようになった。
と言っても狭苦しい使用人部屋の上、薬の類が置いてある私の部屋に案内するわけにもいかない。
なので、セト様にお願いして客間をお借りし、彼女とクーさんと私で、二時間近くしゃべる。寵姫様も私も暇なのだ。
ハーレムに来てからの私の仕事は王子様の寝かしつけ係で、王子様の起きている間は別の人がお世話をする。
就寝時間や昼寝時間以外はひたすら暇だ。たまに寵姫様が遊びに来るけれど、他はバルバス語の勉強に当てる。
異国から来た使用人のために後宮には学習場はあるが、ただ彼らは沿岸諸国周辺から攫われてきた、もしくは売られてきた女性がほとんどだ。さすがに、レペンス語がわかる教師はいない。
なので、この後宮で唯一レペンス語がわかるクーさんにバルバス語を習うのだが、すぐわき道にそれてついつい雑談をしてしまう。
「でも、彼女達も攫われてきて、ただ嘆くだけではないわ。ここに入ったからには上り詰めるしかない。中にはわざと攫われて寵姫になって母国と内通しているものもいたわよ~。で、ちゃっかり母后になっちゃったり」
「はー、すごいですね」
私にはとても無理な話だ。母国にどうやって、情報を送っていたのだろう。
「実家に手紙って送れるんですか?」
実家に何も言わずにここに来てしまった。連絡は入れておいてくれるとルビアは言っていた。でも無事に着いたことくらいは伝えたいのだけれど。
「当然無理よ~。ルビアちゃんから説明なかった~?」
やっぱり、クーさんとルビアって関係あるのね。
「説明なかった~?」って聞かれても、そもそもハーレムに行くこと自体聞かされてなかった。
くいくいとセト様が私の服を引っ張る。ああ、つい話し込んでしまった。
「(レペンス語教えて)」
「王子様はレペンス語を覚える前に、まずバルバス語を覚えてください」
「(そうですよ。王子様には他にも学ばなければならないことがーー)」
「(出られなければ、意味ないじゃないか!)」
王子様は急に怒り出して、走っていってしまった。
邪険にしたつもりはない。異国語は、しっかり母国語を覚えてからでも遅くない。
私なんて、レペンス国に行ってすっかり母国語を忘れてしまったのだから。
それにしても、なんであんなに急に怒ったのだろう。
クーさんは何も言わず、ちょっと困ったような笑顔を私に向けた。
◇
「王子様、レディの部屋に入ってはいけません!」
ちょっと目を放した隙にセト様は応急処置用の小道具やら薬袋やらを勝手に弄り回していた。
「口に入れたら危険なものばかりです。刃物もあるのですよ」
本当はさほど危険なハーブを持ち込んでいないが、ものによっては妊婦や幼児への使用を控えないとならないものもある。
特にこんな後宮だとそんなものを持っているというだけであらぬ疑いをかけられかねない。
「(お前もこの部屋も僕のものだ!)」
そういう問題ではない。
「紳士になりたいのなら、勝手に女性の部屋を漁ってはいけません」
もう一度言うが王子様は黙りこくって、謝る気配はない。
「この後宮は足の引っ張り合いだと王子様は言っていましたよね。
これらの中には使いようによっては人が死んでしまうものもあります」
今朝も、なんたら姫の侍女が城のお堀に浮いていたとか、噂話に上がっていた。
セト様の宮の前にある噴水に人が浮いていたら、できる限りの救命措置をとるだろうが、他の宮まででしゃばるつもりはない。私なんかよりも経験のある侍医がたくさんいるだろうし。
「(ではなぜ持っているのだ?)」
「これは特別に許可されたものです。思い出として持っているだけで、使う気はありません。次に王子様が勝手に入ったら、思い出の品は燃やして捨てます」
王子様がくしゃりと顔をゆがめた。今にも泣き出しそうだ。
薬や刃物を子供に触らせてはならない。でも、それより何より私は思い出に勝手に触れられるのが嫌だったのだ。
「(こ、この部屋のものは全部僕の……)」
普段は六歳児とは思えない聞き分けの良い子なのだが、今日ばかりは少し違うようだ。
「たとえば、薬の粉末ですが、多少手に触れたところで、どうと言う事のないものです」
「(なら)」
「子供が勝手に弄り回して、手に粉が付着したまま果物を手づかみで食べてしまうとどうなると思います?」
「(さっき大丈夫と……)」
「ええ、大人ならですね。多少体調を崩すかもしれませんが、死ぬことはありません。 ただ子供は少しの量で危機にさらされます。危険だからこの部屋は特別に鍵をかけてもらって、この薬箱も長持ながもちの一番奥にしまいこんだのです」
「(こんなに種があるのに植えないのか?)」
勝手に持ち出して植えようとしていたのか。
「ええ」
「(どんな花か見てみたい)」
「種だけでも危険なものはたくさんあります。実はおいしく食べられるものも種は危険だというものもあります」
さっきセト様が見ていたのは、縞模様の種だった。
「草花についてはちゃんと教えますよ。危険さえなければ。ですが、人は知識を、道具を持っていたら人は試してみたくなるものです」
セト様はぶんむくれて、謝る気配はない。
「今夜は『ショーショー宝物庫』のお話をしましょう」
「(呪われた宝石とかか?)」
「いえ、外国の珍しい品を納めた中にはー」
「(中には……)」
「今日のお昼寝は終わりましたので、続きは夜ですね」
もったいぶった言葉にセト様はがっくりと、肩を落とした。
「……なぜ私の部屋に入ったのですか」
「(……知りたかったから)」
「何をですか? 言ってくれましたらーー」
「(お前の前の夫の……)」
またか。
寵姫様も期待に満ちた目で、彼のことを根堀葉堀聞いてくるのだ。
「夫といってもたった二ヶ月いただけです。 私も彼がどういう人だったかよく知りません。 そして、たぶんこのまま忘れるでしょう」
「……」
私の言葉にセト様は何か言おうとして、でも何も言えず唇を噛んで下を向いてしまった。
「でも植物に興味を持つのはいいことです。
きれいな絵の植物図鑑を持っていたんですけれど、人にあげてしまったので」
まだ種を握っている王子様の手に私は手を重ねて、
「これは信頼の証です。これはとてもきれいな花が咲きます。植えるのもダメですし、人に使ってはいけませんよ」
「(それじゃあ、意味がないじゃないか)」
種の見た目もちょっと変わった縞模様で、子供でも育てやすい花だ。
元は西大陸の花で、この国では珍しいが、北大陸では普通に家畜の飼料として使われる植物で、どんな使い方をしても大きな副作用はないはずだ。
めいいっぱい鮮やかな黄色の花は眺めているだけで元気をもらえる。
「分別が付いたころ、この種の事を思い出したら植えてください。きっとびっくりしますよ」
「(怖くないのか?)」
「ええ、でも植えるには時期が遅すぎます。植え時は夏の初めです」
「(じゃあ、来年一緒に植えよう)」
「王子様が望まれるのでしたら」
◇
「(たまには難しかったり、怖かったりする話でもいいぞ)」
王子様は、あの「ショーショー宝物庫の消えた毒」の話を聞いてから、普通のおとぎ話では物足りなくなったようだ。
「では、次は悲劇の女性『イチ姫』のお話を。
この異邦人の島がたくさんの国に分かれて争っていた頃のお話です」
この本は年長向けに戦の話なども載っている。
「(また女の話か)」
おとぎ話を伝えたのが女性のせいか、どうしても、少女向けのお話に偏っているのは仕方がない。
でも、これは……
しばらく読み進めて、直前で気づいた。ちょっとゆっくり目に読み進める。
「今日はもう遅いですし」
「(ちょうど面白くなってきたところだ)」
「……金杯にして」
ちょっと夜中に読むべきじゃないとは思いつつも、最後まで読み終えた。
「(その「アーサイ」とやらが妻と妻の兄を裏切らなければ良かったのだ)」
親の時代からの義理とかに押し流されて……。
「そうですね。裏切り者を許せない時代だったのでしょう。……お姫様と三人の娘達、また「ノブナガ」の運命もまだ続くのです。続きはまた明日」
いつかは部下に裏切られ炎に消える「ノブナガ」をどう思うか。
裏切った部下もあっけない最期を遂げ、残された姫たちの運命も決して平穏ではなく……。
答えは私もわからない。でも……
王子様が後宮で生きていくためには厳しさも必要だけれど、優しい心も育って欲しい。
母国と内通していた寵姫で母后まで上りつめた人……サフィエ・スルタンとヌール・バヌを参考にしました。わざと攫われたわけではないはず。
お茶会……通訳挟んでいるので、実際は一時間くらいしゃべっている感じ。
某ぼんやりさんは単純に寵姫様が暇なんだと思っていますが、寵姫様的には打算あり。
珍しい異国の話をたくさん聞ける。大国母様とお近づきになりたい。もし、陛下の目にとまらなくても、第十皇子の後見に滑り込める。
単純に恋愛話を聞きたいのが一番ですが。
冶葛……毒。正倉院にある。収められていたのは16kgだったはずなのに、現存するのはそのうち数パーセント。 何に使われたかは不明。 現在も毒性は残っているらしい。
黄色の花の咲く縞々の種……皆様も良く知るあの花がモデルですが、ファンタジー世界の別の花と言う事で……。人間も食べられるけれど、油を搾った後は家畜の餌扱い。
今は、物語的にも種を蒔いているので、もうちょっと待って下さい。




