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××の時


 天井からぶら下がっている縄と椅子。

 首吊りにおあつらえ向きの長さである。


 執務室には伯爵とイリアが待っていた。


「ただのオブジェだ。気にするな」


 ラハード伯爵は血も滴る笑みを向ける。


「で、何か言いたいことは?」


 言いたいことって言われても、ぽかんと開いたまま固まってしまった。

 レイは動けないでいる私を心配げに見た。よし、なんだかわからないが彼にすがれば何とかーー


「君、ローズマリーの薬効は?」


「えー、あー」


 レイにすがり付こうとしたら急に質問されて慌てた。


「肉の臭み消し」


 お肉のパックに入っているの見たことはある。


「そうだね。他には?」


「他?  ごめんちょっと忘れちゃったみたい。それより別の部屋に移らない? ここじゃ落ち着いて話せないわ」


 視界に、物騒な縄が見えている状態で話せるほど私は神経図太くない。

 でも、伯爵の部屋にこんなのあったら、妹が一言言っているか手紙に書いているかしているはず。


 いくら妹からの手紙を斜め読みしたり、侍女に朗読させたりしていたといっても、こんな奇妙なことが書かれていたら覚えているはずだ。


「……そう。残念だよ」


 何か回答をミスった? ちょっと間違えただけじゃない! なんでそんな疑うような目をするの?

 そう反撃の言葉が口を付いて出そうになる。

 ライラなら青い顔のまま、ひたすら嵐が去るのを待つはずだ。


 まだ、一時間も経っていないのになんでこんな雲行きが怪しいのよ。

 でもまだ、チャンスは残っているはず。


  私は、口を真一文字に結んで、レイの次の言葉を待った。


「忘れることは確かにあるね。でも彼女なら、『すみません。本をとってきていいでしょうか? 確認したいので』というと思うよ」


「……ご期待に沿えず申し訳ありません。なんのことかわかりませんが、人間常に同じ行動をとるとは限りませんよ……今、すぐ確認してきます、ね」


 弱々しく微笑んでみせる。

 とりあえず、この場から一時撤退した後、状況を整理しよう。

 植物図鑑は荷物の底に置いてある。


 レイがため息を漏らした。


「君が、ナイラじゃないのはわかっている」


「私がナイラよ」


 かっとなってしまったが、それでもまだ取り繕える。


「そうか。僕が彼女に贈ったのは確かに君と同じデザインのペンダントだが石は紫の石だったよ。 赤いのは友人に送ったって言っていた」


 でも、帰ってきたライラが見せたのは、確かにルビーのペンダントだった。なぜ?


 「そうか」


 答えに至って、思わず呟いてしまったが、口内で声をとどめることができた。

 学生が気楽に買えるお土産品だ。後からいくらでも買い足せる。


 つまり、私を嵌める意思をもって、ライラはルビーのペンダントをわざわざ追加で買って、それを私に見せたってこと?


 いつから、()めるつもりだったのよ。あの子。


「後から買い足したものです。もう一つ欲しくなって」


 まだ……まだごまかせる。 

 そこで、私とレイのやり取りを黙ってみていた伯爵が口を開いた。


「鈴はどうした?」

「す……ず?」


 伯爵の問いに鸚鵡返しに答えた。


「歩き方が違った。それと、彼女は最初のころは鈴を腕に巻きつけていたのだが、一度だけ付け忘れたことがあってな。 付け忘れた翌日には、侍女と一緒に手持ちの服に鈴を縫い付けていた。後から針子が手直ししたようだが」


 そんなことライラもライラにつけていた侍女も言っていなかった。


「鈴」


 そうだ。最初の頃の手紙に「鈴を渡された。伯爵家の飼い猫と同じ鈴で嫌だ」って零されたことがあった。


「ああ、私が女嫌いだということは知っているな。有名だからな。

 女性が近づいたらすぐわかるよう、我が家は家族や使用人の女性に鈴の着用を義務付けているんだ。

 本当は城に出入りするすべての人につけていて欲しいが、来城客に強要はできないから、記念品として渡すだけにしている」


 そう言えば修学旅行のときに来場記念とかなんとか言われて、鈴を渡された。


「……すみません。新しくー」


「『新しく買い足したので鈴を付け忘れた』と言い逃れをするつもりか。俺らは『ナイラ・タルジュ』が二人いることを知っているぞ」


 伯爵の隣に控えていたイリアが、ゆっくり近づいてくる。


「いくら俺らが世情に関心がないって言っても、『ナイラ・タルジュ』のことは当然調べた。他国の戦争や革命、不作を言い当てて、奇跡の子と言われていた。親は多少のことにも目をつぶっていた。

 一次調査でわかったのはそこまで」


 ゲーム知識でちょっと出来事をぽろぽろ口にするだけで、親は何でも言うことを聞いてくれた。

 時が経つごとに私の知っているゲームの世界と少しずつ違っていってしまったが、親の関心を妹からごっそり奪うのに十分役に立った。 


 「実際に嫁いできた娘はおとなしい女性で、そんなすごい力を持っているようにも見えなかった。

 調査の内容と随分違ったけれど、父も兄も彼女のことを気に入っていたから、『ま、いいか』ってことになった。そのままおとなしくしていてくれたら長生きできたのにね」


 今、物騒な単語を笑顔で口にした。やばい。


「婚約と前後して、次は『ライラ・タルジェ』という女の噂が流れ始めた。

 兄が必要ないって言うから二次調査は控えていたんだけれど……。

 シャムロー・レイスの受勲パーティーに出ていたよね、君。

 ウエストレペンスは社交界にはほとんど顔を出さないからかち合わないと踏んでたんだろうけれど、俺らが他人の空似で済ますと思っていたの?」


 ばれている。ばれてる。バレてる。 

 私はその場にくずおれた。


「私、止めたんです」


「ほう」


 伯爵はぴくりと眉を跳ね上げた。


「妹は、貴族の暮らしにあこがれていました。ですが、この国では良い縁談を許されない第二夫人の娘。私かわいそうになって……。でも、貴族の暮らしは思っていたのと違っていて、逆にいつ、嘘がばれるかという重圧が妹の心をじわじわと押し潰していって……。私、止めたんです。いまさら入れ替わるなんて。でもあの子……どうしてもイヤだって……」


 これで、妹の儚い夢を叶えようとした優しく愚かな姉を演じれば、悪いようにはされないだろう。


「僕は伯爵位を継がない」

「は?」


 レイの一言に嘘泣きもとまりましたよ。


「継ぐのはイリアのほうだ」


「なん」


「まあ、ある意味詐欺に当たるから、僕や父は彼女に何度も意思を確認した。

 重圧に耐えかねたという話が本当なら婚約を有利に解消する機会はいくらでもあった。不実を働いていたのは我々の方なのだから」


「だって貴族名鑑に名前が」


「弟が継いでしばらくしたら、子爵位も返上する。 もし弟が死んだとしても、他の適格者が伯爵になる。僕に伯爵の位が回ってくることはほぼゼロだ。 数年すれば嫌でも貴族ではなくなる」


「そんな、そんなこと一言も……!」


「つまり、君は雑魚だと思っていた女にはめられたということだ」



 伯爵の言葉に呆然となる。 私はライラに負けたのだ。たかがゲームのキャラに。


 ペンダントのくだりから、そうだとは思っていたが、ライラはこの日のために小さな罠を仕掛け続けていた。悔しい。

 本当に陰湿な女だ。あんなのは私の知っているゲームのヒロインじゃない。


「あの、息子の嫁を雑魚扱いしないで」


 レイが控えめに抗議する声も遠い。


 悔しさが怒りに変わる。


「あなた達もはめられたのは同じなのでしょう。

 妹は私への復讐が成功しさえすれば、あなた達のことなんてどうでも良かったのよ! あなた達は妹のささやかな復讐に利用されたのよ」


「もちろん、そんなくだらないことに利用されたのは腹立たしく思う。彼女にも罰を受けてもらう。でも……」


 彼は真摯な目を私に向けた。


「ナイラさん。あなたが彼女の道を妨げようとしなければ、彼女はあなたを嵌めることは無かったはずだ。あなたが何もしなければ。妹の信頼を裏切ったのはあなただ」


「何もしなかったら、あなた達はそもそもあの子に出会うことも無かったのよ」


 だから見逃せ。



「……あなたが『ナイラ』を名乗ろうが『ライラ』を名乗ろうが僕らに関わりのないこと。 ただ、妻の名前は妻に返してもらうよ。お義姉さん」


「あの娘のどこがいいの? ヒロイン補正?」


「ヒロインかどうかはわからないけれど。彼女にとって訳のわからないお願いも文句一つ言わずに、叶えてくれた。婚約前に噂はある程度仕入れていたから、目的も言わずに彼女が僕の妻にふさわしいか試させて貰ったんだ。

 本当は『本当のこと』を言って欲しかったけれど、 こちらも本当のことを隠していたから聞けなった。彼女には悪いことをした」


 彼は淡々とした口調だったが、拳は強く握り締められていた。


「言いたいことは言い終わったか」


 伯爵がそう告げる。


「だから、私は妹のわがままを聞いただけで!」


「君には二つの選択肢がある。自らその縄に首をかけて魔の森に捨てられるか、生きたまま森に捨てられて狼に食べられるか。 どちらにしろ、その髪は目立つから、身元がばれないように素っ裸の上、髪は丸刈りにするがな」


 生きたまま狼に食べられる、もしくは死体を狼に食べられる。

 どちらも最悪だ。


「それどこの変死体? そういうの見つかっちゃうと観光に影響してしまうよ」


 今日のメインディッシュを肉にするか魚にするかの軽い口調で楽しげにイリアが話す。


「じゃあ、埋めたほうがいいか」


「君に他の選択肢を渡してあげてもいい。 彼女はどこにいる? 実家か?」


 レイが笑顔で救いの手を差し伸べるが、


「……ど、どこ?」


 喉が張り付いて言葉が出ない。

 他の選択肢って、助けてくれると確約もしていないし、さらに禄でもない選択肢を用意しているのかも知れない。

 どこかのやもめ伯爵の後妻とは聞いたけれど……確かにその伯爵の名前を聞いたはずなのに、出てこない。


「ちょっと待って、確認するから」


「つまり実家にはいないってことでいいかな?」


 冷ややかな笑顔。カフェでのレイとはぜんぜん違う。


「せ、せめて、卒業まで待ってよ。こんなところでエンドなんて、普通は卒業パーティーで婚約破棄でしょ?」


「なんで、君の卒業まで処罰を待たないといけないんだ? それに大勢の前で処罰を下す理由がわからない。僕らは君にまともな裁きを受けさせる気は微塵もないのに」


「卒業までばれないって」


 卒業までに彼の心を手に入れれば、私はライラに成り代われるって、伯爵夫人になれるって……なのに、伯爵夫人どころか、平民? 卒業を待たずに退場?


「君の代わりに彼女に罰を与えてあげるって言うんだ。遠慮なく妹を売ればいい」


 恐ろしく整った笑みが、地獄の淵を見せる。


 こわい。怖い。コワイ。


 私は、妹はこの男のどこを見ていたんだろう。

 例え知っていてもこんな残虐な笑みをする男に妹の居場所を教えるべきではない。


 

 私が絶望のどん底に突き落とされたとき、扉が開いた。

 もしかして救いの手?


「大変だ! あ、おじさんこんにちわ。あ、ニセモノさんこんにちわ」


 息せき切らして現れたのはラインハルト・レイス。  


「こんにちは。こちらでの生活に慣れたか?」

「おかげさまで。ここすっごく空気良くって、毎日楽しいです。今はなんかこの部屋だけどろどろですけれど」


「それは良かった。で、大変とは?」


「あっ、そうだ。レイ大変だ! ルチルのおとーさんとナイラちゃんが結婚しちゃう!! 」


「「「は?」」」 





「たぶん、レイのほうにもすぐ鳩便が届くと思うよ」


「ちょっと待て。ベリルシュタイン伯爵が再婚するからって、あいつ実家に帰ったんだよな?」


「これってお祝いの品送っちゃって良かったの?」



 扉が開いているうちに逃げるのよ。私は這うようにして外に出ようとしたが、伯爵に気づかれた。


「ああ、お嬢さん、残念ながら最後の選択肢は消えた」

 

 振り返った私にそう告げると、わざわざ身体をずらして、首吊り台が良く見えるようにしてくれた。 


審判の時でした。

「婚約を破棄する」の言葉を入れ忘れた。


ミステリーの死体のごとく悪役令嬢系で一番最初に転がさなければいけないシーンなのに、長らくお待たせしました。主人公埋められてジョギングの人に発見されなければいいですが……。

すみません。説明に三人がかりで、誰が誰だか。

長かったけれど、書くのが一番楽しかったシーンです。エグいか生ぬるいかは読者の皆様の判断に委ねるとして、物語はもう少し続きます。



伯爵は身内の足音なら聞き分けられます。

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