手紙と月下の怪盗【ライラ】
ライラ視点。
私は、夜の温室で一人ぼんやりとしていた。
約束の満月の夜。それは花泥棒の予告の日でもあった。
その花泥棒は新種の薔薇の枝だけを狙って犯行に及ぶらしい。
予告時刻は過ぎた。 捕まえたという連絡は入っていない。
お花業界を騒がせるこの騒動に私もほんの少しだけ巻き込まれた。
数週間前、私が図書館で調べ物をしていたら、文字が切り取られている本を見つけたのだ。
私をレイの婚約者と知る司書さんは「規則ですので」と申し訳なさそうに身体検査をしていた。
数日後、本を切り抜いて作ったと思われる謎の予告状が届いた。
そこまでは、レイと私の予定に変更はなかったのだが……
伯爵はいたずら扱いし「いいじゃないか。枝の一本や二本。それよりも本の賠償を」と失言。
薔薇はうまくいけば枝の二、三本からでも接木などで増やすことができるそうで――
→庭師と育種家と農学部の生徒に伯爵一時間くらい説教食らう→伯爵ぶちぎれる→「俺らで怪盗を捕まえればいいんだろう」→息子二人巻き込まれる→警備増員&城内ホテルの追加予約中止→ホテルに補償金を支払わなければならない→身内の警備ケチる、という流れになってしまった。
私の警備はいつも付いてくれるベテランさんではなくて、私よりも年下の新人君だ。
デートの日をずらせれば良かったのだが、その花は一年に一度、今夜しか咲かない花らしいので、時間をずらすことにした。
一応、人的被害は今までなかったらしいが、今回もそうとは限らない。
すでに予約を入れているお客様に城下のホテルをご案内し、『設備点検』の名目で夜間の外出を控えるように宿泊中のお客様に通知したり、ここ数日すごくどたばたした。
唯一の救いは『レペンス学園』を最後に団体客が途切れていたことだ。
お客様の安全第一だということはわかるし、お花も今夜しか咲かないこともわかるがーー
ため息が漏れる。
で、なぜ今そんなことを思い出しているのかというと、目の前にいるのだ。不審者が。
「こちらはバラ栽培用の温室ではありませんよ」
あちらは業務・研究用で、こちらは観賞用。遠い外国の草花を中心に育てられていて、昼なら一般の人でも見学できる。
警備の人の制服ではない。
目は仮面で隠されていて、袖や襟、肩にラインストーンが付いた燕尾服が月明かりできらきら光っている。
すごくとっても超怪しいが、今の私に悲鳴を上げる気力はない。疲れた。
もう一度、ため息がもれてしまった。
「おや。君は」
「たがう」
男の登場から少し遅れて闇の中から白い髪の少女が現れる。
「ふーん。そうかい」
男はテーブルに広げたままの手紙を読んだ。
「ああ、この前は……」
私はぼんやりした頭で会釈をする。 少女のほうは覚えている。
もう二ヶ月も滞在していただいているお客様だ。
男のほうはよく覚えていないが、少女といた男性だろう。
こちらに嫁いできたころに彼女達とたった一度庭で言葉を交わしたことがある。
少女は髪と目とついでにちょっと変わった言葉遣いをしていて、印象に残っていた。その後もたまに庭で見かけた。
短い手紙を読み終えた謎の紳士は、私を見た。
「君は戦わないのかね」
「言っている意味がわからない」
だって、手紙には『今すぐ帰ってくるように』ということしか書かれていない。
正式に結婚するにあたり手続きを進めるために一旦戻れって、それだけの意味だ。
「本当に?」
「……どの鳥かごも同じよ」
仮面越しにこちらを見据える目に耐えかね、目を逸らして言った。
アレス様はいつか鳥かごから羽ばたくなら、力を貸すと言ってくれた。
「与えられた鳥かごで満足するか」
「だって、特に戦いたい理由も……ない」
もし、私の予感が現実になったとしても……
レイのことは嫌いではないが、離れがたいと必死になる必要はない。
「なら、我らが鳥かごを用意しよう。君にふさわしいものをだ」
◇
「昨日のことは本当に悪かった。こっちから誘ったのに遅刻して」
昨夜は、約束の時間から三十分遅れてレイは現れた。
彼が見せたかった『月花』は息を呑むほど美しかったが、月夜のデートという気分ではなかったので、「もう遅いから」と言ってさっさと切り上げてしまった。
レイは自分が遅刻したせいで私が機嫌を損ねてしまったと勘違いしてくれているようだ。
もともとテスト明けのデートが決まっていたのに、アレス様の失言で余計な仕事が増えてしまっただけだ。事前に「少し遅れるかも」と聞いていたので、別に怒ってはいない。
ただ、今日になって突然「実家に帰る」なんて私が言い出したので、レイは焦ってしまったようだ。
不審者の情報は結局レイには伝えなかった。
男のほうはともかく、少女のほうは目立つ容姿だ。調べれば彼らの身元はすぐに割れただろう。
けれど、特に盗られたものもなかったし、私は傷ひとつ負っていない。
鳥かごを用意してくれるというなら、状況がどう動くかわからない今の状態で、わざわざお断りする必要はない。
服が派手すぎてほかの事があまり記憶に残らなかったが、あの怪盗にどことなく親しみを覚えた。
姉とどちらが信じられるかと言ったら、申し訳ないけれど謎の怪盗のほうが信じられるような気がしたのだ。
ただ、一つ条件を出された。
月下の花盗人に頼まれたのは『御伽噺』の持ち出し。
アレス様が貴族の子供の誕生祝いに絵本にして贈っているもので、一部の収集家にはかなり人気なのだそうだ。
最初の頃の作品は捨てられて、どんな話だったかさえわからなくなったものも多いそうで、未発表作品もしくは、その原本となると相当な価値があるらしい。
そんな貴重な本とは知らなかった。
一応、『里帰り』の名目だから、すべてを私が持ち出すわけにはいかないが、もともと入れ替わるときは数冊の本と手書きのレシピ帳に彼からのプレゼントのいくつかは思い出として持っていこうと思っていた。
たとえ、ナイラに渡さなければならないにしても、少しだけがんばった私の努力の証は手元に残しておきたかった。
「ちょっと、結婚の時期を早める許可をもらうだけだから」
「それにしては、随分浮かない顔をしているな」
彼とこれっきりになるのか。
「そういうわけじゃ。やっと慣れたところだったから。向こうでサボっている間に勉強したことぽろぽろ零れ落ちてしまわないかなって」
きっと本当に結婚の手続きを進めるだけだ。
「テスト勉強で詰め込んだものは、そりゃぽろぽろ落ちてしまうさ。 落ちてももう一回覚えなおせばいい。いくら近いといっても正式に結婚したら、里帰りは年に何度もできなくなるんだから、楽しんでくるといいよ」
◇
戻れって言われた数日後、私は我が家に帰った。
彼との仲はそこそこ良好なことを改めて伝えたら、姉は満面の笑みで私の将来を祝福してくれた。
「ふーん。そうなんだ。良かった」
疑って悪かった。家の離れでは永遠に手に入れられなかったものが手に届くところにある。
「うん」
姉の温かい言葉に素直に頷いた。ほっとした。彼を好きって思っていいんだ。
自分でもこんなに嬉しい気持ちになるなんて思っても見なかった。
嬉しすぎて目の端に涙が溜まる。
きっと、修学旅行のときは心配して様子を見に来てくれたんだ。なら会ってくれればよかったのに。
「じゃあ、そっち頂戴よ」
「え? その、好きな人ができて結婚するんですよね」
「うーん。でも熱も冷めちゃったし、そっちの方が数段条件よさそうだから、こっちをあんたにあげる」
「そっ……」
「これだけそっくりなんだから、ばれないって。それとも、もう私のものに手をつけちゃったわけ?」
びくりと震えてしまった。
「でも、あんたちょっと太ったんじゃない? 私のフリするなら体型維持しといてよね。こっちが苦労するじゃない」
最近までラインハルト君の食べ歩きに付き合っていたせいだろう。
ちょうどいい娘を見つけたからって私はお払い箱になった。
こんなことになるのなら、もう少し食べておけばよかった。
「最後の報告をしなさい。彼とはどんな話したの?」
月花は月下美人を参考に書いています。
ラインハルトは少食だけれどいろんなものを食べたい派ですので、半分食べてくれる食べ友を募集中。ライラが来るまでは、レイとルチルが無理やり付き合わされていました。
追加:第五話に『花嫁(五月下旬)【ライラ】』(6/18)




