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ラインハルトとプリムラ

プリムラは一人称、ラインハルトは三人称寄りになっています。

◇◇



『俺、他に用事があって遅れるから、君を待たせるわけにはいかない』


 今回、男爵位を叙勲されたシャムロー・レイス様は元は平民出の養子でありながら、農業革命を起こした。 

 農業革命によって私の領は新しい作物の栽培、それらによる収穫率のアップ等。父母とも王都から少し遠い土地に住んでいる以上、私は領を代表してそのお礼を言いに行く必要がある。


 彼の恩恵を受けている領は多いので、私のように直接、お礼を言いたいという人はたくさんいるだろう。


 そう思って、普段の会場入りの時間より遅く、約束の時間よりも少し早く会場を訪れた。


 シャムロー・レイス様を探していると婚約者を見つけた。


 早く来ることができたようだ。


 私は、会場入り口付近に設置されている姿見の前でざっと自分の姿を確認し婚約者。


 目の前の光景に目を疑った。


 彼はーー


 見知らぬ女性……いや見知らぬ女と楽しげに踊っていた。


 ぼろぼろと涙がこぼれはじめる。

 止まらない涙を隠そうと柱の陰に隠れた。



◇◇


 ラインハルト・レイスは首をかしげた。


 本日は、おじさんが男爵位の叙勲を受けたお祝いのパーティーだ。

 祖父の弟の子供なので正確には『おじ』ではないのだが。


「これは……ちょっと多いよね」


 良くないものが憑いてしまったら問題だ。

 憑くほどのモノは少ないとしても、可能性はゼロではない。


 なんで祝い事のはずなのに、会場のところどころに灰色の霞がかかっているのだろう。


 だから、こういう場は苦手なのだ。


 全部は対応できないにしても一つくらいは何とかしないと。とりあえずは手近なものから。


 すぐ近くの柱のもやが気になったので、柱の陰を覗き込むと女の子が声を殺して泣いていた。


「どうしたの?」


「ここれは、見苦しいところを」


 いや。せっかくのおじさんのパーティーに来てくれたからには、おじさんの叙勲を喜んでほしいってだけ。

 謝るより笑ってほしい。


「どうしたの?」


 再度同じ質問をする。


「こ、婚約者が」


 完璧に暗記した貴族名鑑の絵姿に一致する女性がいた。 プリムラ・コーニッシュ。

 瞬時にその婚約者も出てきた。


「ウォーターフィールド?」


 つい口からこぼれてしまった名に彼女が顔をゆがめる。


 たしか先ほど見かけたような。

 会場を見渡すと、確かにいた。


 派手な赤いドレスを着た黒髪の女の子と楽しげに踊っている。


(あの女の子、どっかで見たような)


 まだ、夜会は始まったばかり、パートナーがいるものは普通最初のダンスくらいはパートナーと踊るものだと思っていたのだが……。


「会場にいたくないのなら付いて来て」



◇◇


 見知らぬ人の前でぐしゃぐしゃに泣いてしまった。


 甘いミルクティーが目の前に出され、ついで窓際に飾られているぬいぐるみを手渡される。


「女の子こういうもの好きでしょ」


 男の子は無表情をその一瞬だけ崩して、微笑んだ。


 さすがの子供扱いに、涙も一旦引っ込む。


「たまに入っていることがあるからあまり乱暴には扱わないでね」


 そう言ってテーブルの上にハンカチを置くと、名も知らぬ彼は部屋を出て行った。


 熊のぬいぐるみ。


「入っているって、綿?」


 ぬいぐるみの手をもみもみする。


 少し落ち着いたが、それでも独りになると、涙がこぼれてしまう。


 しばらく泣いて、やっと涙は引っ込んだ。


 婚約者も思ったより早く用事が終わって、私を待っている間手持ち無沙汰になってしまっただけなのかもしれない。


 泣いてばかりではいけない。

 まだ本来の目的を終えていない。


 使わせてもらったハンカチは丁寧にたたんでテーブルに置き、涙を吸った熊のぬいぐるみをちょこんと椅子に座らせる。


 「ありがとうね」



◇◇


 ラインハルトはぱたぱたと会場を歩き回っていた。

 挨拶をして回ったり、困っていそうな人に声をかけたり。


 友人の顔を見つけたのだが、友人達になんか灰のもやがかかっている。

 ウオーターフィールドが先ほどの黒髪の女の子を引き連れて、因縁をつけているようだ。


 今、あの男は黒髪の女の子のことを「私の花」とか言ってなかったか。

 婚約者でもない女の子への呼び方じゃない。


 そういえば、その友人はパーティーに参加する予定ではなかった。


「ああ、弟さんか。ほんとよく似ている。悪い雰囲気はさっさとぶち壊すに限るよね」


 そう結論付けたラインハルトは一歩踏み出して……


 ぶるりと震える。

 わりと強いどろりとした視線だ。


 王子だ。 その視線の先には友人の弟くん。


 王子様が清廉潔白では務まらないのはわかっているが、人の家のパーティーで怨念めいたものをぶちまけないで欲しい。

 

 (王子様って、そういうの綺麗に隠す技術を身につけているものだと思っていたけれど。

 ていうか、王子様がなんでたかが男爵のパーティーに来ているの?)


 このままでは友人のかわいい弟くんが、王子様にいじめられるかもしれない。 


 肉の串を持って、友人の弟たちの輪に加わり、


 「肉食べる?」


 場の雰囲気を蹴散らす。


 黒髪の女の子が友人の嫁にちょっと似ていて驚いたが、違ったみたいだ。


 強い視線を感じる。

 またか、とあきれながらちらりと確認したら、先ほどの令嬢がウォーターフィールドを見つめていた。

 さっきの「私の花」発言を聞いたのかもしれない。それでなくても黒髪の女の子がしっかり婚約者の腕に手を絡めているのだ。


 ちょっとはウォーターフィールドに釘を刺しといたほうがいいかもしれない。 

 ちょうどいいタイミングだ。


「ああ、ウォーターフィールド殿。本日のパートナーは彼女なのですね」


 もともと揉めていて、注目されていたところに忠告された彼は顔を真っ赤にした。

 さらに衆目を集める。


 ここでウォーターフィールドが婚約者の存在を思い出して、彼女の元に駆けつけたのなら別に放っておいても良かったんだけれど、ぶつぶつ文句を言うだけで駆けつけてはくれなかった。


 どちらにしろ、ここでのラインハルトの用事は大体片付いた。


「僕、男の子と女の子が困っていたら、女の子のほうを助けるように習ったから。仕事してくる」


 まあ、王子様の陰湿な視線も消えた。きれいなお姉さん達に囲まれて忙しいのだろう。


 (あとは自分らでなんとかして)


 

 プリムラ嬢のところに向かいながら、おじさんのいる辺りを確認する。

 本当はホストであるシャムローおじさんにプリムラ嬢を紹介して、おじさんと踊ってもらったら良いのだろうけれど……。

 残念ながら、おじさんはまだまだたくさんの人に囲まれている。それも伯爵や侯爵やその縁者。

 割って入って子爵令嬢を紹介するのもどうかと思う。


「仕方がない」



 ◇◇


「僕は主催者側だから、招待客が泣いたままなのを放置するのはダメ。もし良ければ僕と踊ってくれる? ……それともやけ食いに付き合ったほうがいい?」


 最初にホスト側の接待だときっぱり言われたうえ、最後のほうは明らかにレディに対する言葉ではなかった。


 ホストと踊るのなら大した問題にならないはずだ。

 もう最初のダンスは踊り終えている時間帯だし、婚約者以外の、それもホスト側の誘いを受けていてもおかしくはない。


 曲が緩やかに流れ始める。

 彼の手をとり、ふと彼の名を聞いていないことを思い出した。


「お名前をー、っ!?」


 突然後ろから肩をつかまれた。

 名前も知らない熊のぬいぐるみの人は、バランスを崩す私を転ばないようにしっかり支えてくれた。

 振り返るとウォーターフィールドがいた。

 

「俺の婚約者に何しているんだ!」


「何って……。差し出がましいことを」


 ぬいぐるみの人は一瞬眉をひそめるが、反論を呑み込んで頭を下げ、壁際に寄った。


「君の相手は俺だろう! 」


 婚約者に怒鳴られて身がすくむ。


 だが、ウォーターフィールドはそんなことはまったく気にせず私の手を取り踊り始めた。

 

 前回のパーティーでウォーターフィールドと踊ったときはあんなに楽しかったのに、今夜はちっとも楽しくない。


 婚約者は曲が終わると、義務も終わったとばかりに、ふんと鼻を鳴らして突き飛ばすように手を放した。

 それを少し離れた壁から見ていたぬいぐるみの人は、目を見開いて一歩踏み出したが、当然間に合うような距離ではない。


 たたらを踏んで、踏みとどまる。無様にこけたくない。


 ウォーターフィールドが離れると、ぬいぐるみの男の子はすぐに近づいてきてくれた。



「君は婚約者の義務を果たした。さっきのハンカチは?」


 先ほど渡されたハンカチはテーブルに置いてきた。

 私が首を横に振ると親切な男の子はハンカチを手渡して、そっと会場の出口のほうに視線を逸らした。

 

 涙を見ないでいてくれているのか。

 いや、この少年にそんな気遣いはない。

 さっきは柱の陰に隠れていたのに、しっかり泣き顔を見ていた。


 では、純粋に「帰っていい」ということなのだろう。


「あ――」


「拭き終わったのなら、ハンカチ返して」


 洗ってお返ししますという言葉は先に封じられてしまった。 


「お互い無駄な手間でしょ?」


 つまりは、この親切は一度きりということだ。

 


 馬車に乗り込む前に、ここに来た本来の目的を果たさなければならない。


「せっかくご招待くださいましたのに、シャムロー・レイス様にご挨拶をせず申し訳ございません」 


 会場を出る前に挨拶だけでもと思ったが、予想通りシャムロー・レイス様の回りには人だかりができていて、それも話の内容は自分の領で研究してくれ、いや私の所で、研究に出資しようという内容で、とても小娘が挨拶できるような雰囲気ではなかった。


「いいよ。おじさんには僕からプリムラ嬢のこと伝えとくから」


「では、『このたびの叙勲おめでとうございます。シャムロー様のご尽力により我が領の収穫量は倍になりました』と。あの、ぬいぐるみを汚してしまって申し訳ありません」


 シミになってたら、どうしよう。


「君、謝ってばかりだね」


「ごめ、」


「汚れていないけれど。 気になるのならあげる」


「え?」


 その意を受けた女性の使用人が瞬く間にぬいぐるみを持ってきた。

 くまには先ほどは着いていなかったピンクのリボンが首に蝶々結びに結ばれていた。


 それを手渡された少年は目を瞬かせ、「いや、僕に渡されても」と呟く。

 使用人は笑顔のままだ。

 少年はため息をついてぬいぐるみを私に手渡した。


「あの?」

「我が家にはたくさんあるから」


 私は手渡されたぬいぐるみをどう扱っていいかわからず、ぼーっとしていると、鈴の音が聞こえた。

 車寄せには次の馬車が着ていた。伯爵家の馬車だ。その馬車の御者らしき人が鈴を鳴らしたようだ。


 その馬車の主だろう紳士と貴婦人が玄関に現れた。


 紳士の方は微笑ましそうに私たちを見ていたが、貴婦人がこそこそと耳打ちすると、複雑そうな顔に変わった。 貴婦人は先ほどの騒動を見ていたのかもしれない。

 そう思ったら、顔から火が出た。


「ありがとうございました」


 お礼もそこそこに、急き立てられるように馬車に乗り込んだ。



 馬車がレイス家を出て、膝に置いたぬいぐるみの目をしばらく見ていたが、 


「どうしよう」


 主催者側と言っていた。 


 お礼状を書くにしても名前を知らない。


 レイス家の者はそのほとんどがなんの爵位も持っていない研究者だ。

 貴族名鑑を調べても載っていない可能性がある。


「シャムロー・レイス様のことをおじさんって……」


 なら、たどり着けるかもしれない。


 

◇◇


「あのさ、カテリナ。後ろつっかえているのに、僕にくまを渡させる必要性ってあったの?」


「わずかな時間のロスです。それに、このままではレイスの血が絶えてしまうからです」

 

「彼女婚約者がいるんだけれど」


 絶えたら絶えたで、優秀な養子の誰かが家を継いでいけばいいとラインハルトは思っているのだがーー

 

「まあそこはそれ」


渋い顔をするラインハルトの隣で長年レイス家に仕えるカテリナは、今後ウォーターフィールドが流すだろう噂にどう脚色するか思いを巡らせた。



◇◇


 私はレペンス学園の寮に戻ると、使い込んでぼろぼろになった貴族名鑑を開いた。

 学園では彼を見かけたことはない。

 貴族名鑑にはそれらしい人物は載っておらず、後ほど調べた範囲ではシャムロー・レイス様に”甥”はいないことが判明した。


 結局、散々悩んだ末、礼状の宛名に『ぬいぐるみの君様へ』と書いてレイス家に送った。


 返事が私の手元にたどり着く前に、『噂』で彼の名前を知ったのだけれど……。


 

カテリナ……レイス家侍女。『ラインハルトがプリムラに贈り物をした』『部屋で二人っきりになった』などの噂を流す。


どこかの伯爵夫妻……ラインハルトたちの様子を他のパーティーでポロリとこぼす。


レペンス学園……寮有り。門限もあるが、パーティー等申告すれば門限を越えても可。


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