9話 白夢の森
〈港湾都市イートゥス〉周辺から北東へと進むと〈白夢の森〉は見えてくる。
草原にポツポツと木が確認出来るようになり、その奥へと進むほど樹木の密度は少しずつ増していく。
見た目は普通の森にしか見えないが、そこには中々厄介なモンスター達が潜んでいるそうだ。
それを考えると森が急に不気味なものに見えてくるから不思議である。
真也は今、カティを連れながら〈白夢の森〉の外縁部であろう林の中を歩いていた。
低かった下草は徐々に背丈を高め、既に膝上まで達している。
それを避けるため、何者かに踏み慣らされた獣道を進んでいく。
「……まって」
後ろを付いて歩いていたカティが真也の外套の裾を掴んだ。
カティの〈気配〉スキルに反応があったようだ。
「モンスターと……人がいるみたいだ」
「人? 冒険者か?」
「たぶん。複数人いるしな」
「見に行くとするか。この道沿いの先か?」
「ああ、うん」
〈気配lv1〉を使用して気配を消し、警戒しながら慎重に進んで行くと、武器を振り回す風切り音や怒鳴り声、交戦中と分かる独特の喧騒が聞こえてきた。
「1匹つって来たぞ!」
「よくやった! 囲め囲め! ビビんな! 大して食らわねえんだぞ!」
獣道を逸れて生い茂った草に隠れながら声の方向へ近付き、木の影に身を潜めながら様子を窺う。
そこだけ木の無い空間で、下草も低く戦闘に適しているのだろう小さな広場で冒険者達がモンスターと戦っていた。
冒険者は5人おり、1匹の羊型モンスターを囲んでいる。
少し慎重過ぎる気もしたが、命が掛かっていることを考えれば当然のことなのだろう。
冒険者達がジリジリと距離を詰め始めると、羊は包囲を破ろうと捨て身で突進をしかけた。
狙われた一人は剣を振り応戦するが、斬りつけられても止まらなかった羊は頭突き決める。
突き飛ばされてしまった冒険者はそのまま倒れ込み、動かなくなってしまった。
その直後、飛び掛かった残りの冒険者達4人の刃が羊に突き立つ。
「ホラな、楽勝じゃねーか」
「行けるぞこれは!」
羊が煙となり消えて行ったのを確認して、冒険者達は勝利の余韻に浸っている。
そんな様子を見た真也は一人で木の影から飛び出す。
「大丈夫ですか!?」
そして倒れている男に駆け寄り、手を当て生死を確認した。
問題なく脈はある。
「おい、なんだお前? 俺らの戦闘でも窺ってたのか?」
「そうです! 戦いの様子を見させて貰いました!」
戦闘と言うより単なるリンチに見えたが言わないでおく。
「もっと仲間を心配すべきなんじゃないですか?」
「ハンッ、お前そんな良いナリしてモグリかよ、どこのボンボンだ? さっきのモンスターはなぁ、ブラッドシープってヤツで頭突きされると寝ちまうんだよ。そんなことぐらいこの森に来るなら知っとけよアホが」
もちろん真也も知っている。
酒場で依頼書を作っている間、酒場の主人から〈白夢の森〉の情報を得ていたからだ。
「おい、いつまで寝てんだ、さっさと起きろ」
「っ!? 痛っ!? ……?」
冒険者達のリーダーと思われる人物が倒れている男を蹴り起こすと、飛び起きた男は状況がよく分かっていないようで辺りをキョロキョロと確認している。
「……そうでしたか。私の早とちりだったようですね……」
「余計なお世話だってんだ。さっさとどっか行け! ここは俺たちの狩場、縄張りだ!」
「……安心して下さい、先に進む為にここを通りたかっただけですから」
「お前みたいなヤツがこの先に行っても何も出来ずに死ぬだけだ。あーあ、御大層な装備がもったいねえなあ」
嘆くような口調で煽ってくるリーダーの肩を押し退け、広場の先の獣道へとさっさと進んだ。
しばらくゆっくり歩いていると大回りして来たのであろうカティが合流した。
「おい、何だよさっきの猿芝居は?」
「どう見ても格下に見えたからな、ちょうど試してみたかったところだったんだ」
「……何の話だよ?」
「二人で8000ゴールド弱、ショボいな。まあ、駆け出し相手ならこんなもんだろう」
〈ピックポケットlv5〉で追加された効果、手で触れた他人のアイテムストレージから物を拝借する効果を試したのだ。
リーダーの男からは財布を貰い、寝ていた男からはストレージの中身全てを頂いた。
成功率は低い筈だがリーダーは完全に油断していたし、寝ていた男は意識がなかった為か問題なく全て成功したようだ。
「お、ナイフがあった。予備の武器だろうな」
戦利品を確認すると、モンスターの素材や低級ポーションなどのアイテムがそこそこ手に入っていて真也は大変満足であった。
「……オマエ」
カティが小さく呟く。
「……中々やるなぁ!」
呆れられるかと思ったが、感心されてしまった。
なんて悪い子供だろうか。
だがカティも盗賊なのだ。それも仕方がないことだろう。
真也はそう納得して、〈ピックポケットlv5〉の大量使用で減ってしまったSPを、盗んだ低級SPポーションで回復させつつ先へと進む。
疎らにしかモンスターがいなかった〈白夢の森〉外縁部を通り抜けて、本格的に内部へ入るとその様相は激変した。
モンスターの影が極端に濃くなったのだ。
だがそれも真也にとっては好都合だった。
危険はあるが、レベル上げの効率自体は期待出来るであろう。
そして、今回はその危険を緩和出来るカードがある。
「そっちに一匹でいるヤツがいるぞ」
そう言ってカティが前方を指差す。
カティの敵探知機としての性能はピカイチだ。
真也も〈技術〉が高いので結構な探知精度を誇るが、森のような障害物が多いフィールドでは探知範囲が極端に狭くなってしまう。
カティの場合、破格の装備で〈技術〉が+50も補正されているお陰で十分な範囲を探知出来るのだ。
一匹でいるモンスターの場所をカティに教えてもらい、奇襲を仕掛ければ武器の攻撃力もあり安全に倒せるだろう。
そしてその思惑は当たっていた。
カティの指示に従い森を進むと、木の影の向こうにモンスターを見つけることが出来た。
白いモコモコの体に黒い顔、目は異常なほど充血しており瞳は血のようにどす黒い。
普通の羊のようでそうでない存在。
頭突きで獲物を眠らせて、その後ゆっくり肉を食む、実にタチの悪いモンスター。
家畜の羊に混ざり甚大な被害を出すこともあるらしい超有害生物、ブラッドシープだ。
いつも通り〈気配lv1〉を発動して慎重に、尚且つ素早く接近する。
ブラッドシープとの間にある木に隠れつつ、敵がそっぽを向いたタイミングを計り奇襲をかける。
木の影から躍り出た真也。即座に敵の首筋を切り払う。
ブラッドシープは最期まで此方に気付かなかった。
『レベルが上がりました』
システムメッセージを聞き真也は満足げに頷く。
「やるじゃねーか」
「お前のお陰もあるよ」
「ふんっ、分かってりゃいいさ」
軽くお互いを褒め合ってから、レベルアップによる取得可能スキルを確認する。
いつも通り〈ピックポケット〉のレベルを上げようか、それとも新しいスキルでも取得しようか、と悩んでいると今回初めて見るスキルを発見した。
真也のレベルは現在8で、〈ピックポケット〉のスキルレベルは5だ。このどちらかが解放条件だったのだろう。
〈テイクソウルlv1〉
〈技術〉と〈素早さ〉と〈魔力〉に依存するスキル。
相手から経験値を盗む。対象に直接手を触れて発動させることで盗むことが可能となる。
相手が盗まれることを警戒していなかったり、何かに気をとられている場合に特に有効。
意識のない対象に使用することは出来ない。
面白そうだ。
直感的にそう思った真也は、すぐさま〈テイクソウルlv1〉を取得した。
新しいものは直ぐに使いたくなるもので、カティのナビに従いさっさと次のモンスターのところへ向かった。
生い茂った草木をかき分けた先にいたのは、再びのブラッドシープ。
このモンスターには楽に勝てることがある程度分かっていたため、試してみることにした。
気配を消して手早く駆け寄り、モフモフした体に手を触れた。
とても柔らかくスベスベした手触り。
なんだ、コイツ結構可愛いじゃん。
と、思いつつも容赦なく首を刈っ切る。
倒す敵を選り好みなどしていられないのだ。
ドロップアイテムを拾ってからログを確認すると、やはり前に倒したブラッドシープよりも経験値が少なかった。
総経験値の5分の1ほど低く、その分〈テイクソウル〉をしたときに取得していた。
ブラッドシープ相手なら、5回ほどこれを使えば経験値を完全に絞り切ることが出来そうだ。
更に、盗みを働いたことによるボーナス経験値も入るため、そちらの方が得とも言える。
モンスターを倒さずにアイテムや経験値を盗むだけでゲームを進められそうだが、現状は敵を切り捨てた方が確実に速い。
そう判断して、その後は経験値の為に〈ピックポケット〉と〈テイクソウル〉を出来るだけ使ってブラッドシープを一匹ずつ駆逐していった。
カティとひたすら狩り続けた結果、現在のレベルは15まで上昇した。
レベル10までは直ぐに上がったが、それ以降は中々上がらずにかなりの数の羊を狩ることとなった。
恐らくそういう調整がされているのだろう。
大分レベルも上がったため、少しだけ森の奥へと進んでみる。
ブラッドシープが集まるエリアを抜けると敵の数は大分落ち着いたものとなる。
「あっちにいるみたいだ」
小慣れた様子で方向を示すカティに誘導されると少し開けた広場に出た。
その広場の中央付近に一匹のモンスターが佇んでいる。
何も考えて無さそうなつぶらな瞳、象のようにに長い鼻、白と黒のぶち模様の体、現実世界のバクという動物に似た変な生き物が何もせずただそこに居た。
ミストバクと呼ばれるモンスターだ。
真也は〈気配lv1〉を使いながら真っ直ぐに突っ込む。
だが、広場に入った瞬間に真也はミストバクに気付かれてしまっていた。
向かって来る真也を見たバクは鼻から白い霧状のモヤを噴出して迎え撃つ。
このモヤを吸ってしまうと眠ってしまうということは予め分かっていた。
なので真也は目の前に広がったモヤに突っ込む訳にはいかず、バクの後ろに回り込むように進路を変える。
だが既にそこにも白いモヤがバラ撒かれていて、真也は途方に暮れてしまう。
ミストバクは元の位置から一歩も動かずただ立っているだけだ。
モヤは次第に薄れていったので真也は範囲外からそれを見守ったのだが、正にそれがいけなかった。
瞼が重い。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
恐らく、モヤの有効範囲が思ったよりも広く、状態異常への抵抗力を示す〈精神力〉のステータス値が低過ぎたせいで、薄いモヤでも効果を発揮したのだろう。
そういう感覚的な情報は、実際に戦って見なくては知り得ない情報である。
大失態だ。
真也は聞いた情報だけで全てを知った気になってしまっていたようだ。
薄れゆく意識の中、ミストバクがニヤけた気がした。
このまま殺されるのであろう。
「っ!?」
だがしかし、真也の意識は再び覚醒する。
後頭部に激痛が走ったのだ。
何が起きたのか即座に理解した真也は、一歩、すぐさま踏み込みシャムシールを突き出す。
ニヤけ顔を驚愕に染めたミストバクの眉間には、シャムシールの切っ先がしっかりと食い込んでいた。
ミストバクが消え去ったのを確認して、真也はその場に座り込む。
「……悪い、本当に助かった」
後ろから近付いて来た人物に礼を言う。
「……油断しすぎだ」
カティがぶっきらぼうに言う。
その手には石の礫が弄ばれていた。
真也は何も言い返せない。
少し調子に乗っていたのだ。
これからは気を引き締めなくては生き残れないだろう。
「本当にありがとな」
「ふんっ、仲間なんだから助け合うことは当然じゃねーか」
真也の本心からの礼に少しだけ頬を染めたカティがそう言った。
「……仲間か、そうだな」
コイツのことなら本気で信頼してもいいかな? などと、柄ではないことを少しだけ考えてしまった真也だった。