8話 連れ合い
リーサから受けた素材収集の依頼は、〈シープウルフの牙〉20本の納品、というものだった。
シープウルフとは〈港湾都市イートゥス〉の東側にある〈白夢の森〉の奥地に生息しているモンスターらしく、それを狩れば牙を落とすという話である。
20程度の数量しか頼まれなかったのは恐らく小手調べという意味であり、これを達成すればまた別の依頼をくれるのだろう。
そんな予想をしながら、真也は街の中央広場へと足を運んでいた。
そこはこの街有数の大通り二本が交差する大きな広場で、通行人や馬車などが忙しなく行き交っており、憩いの場と言うよりも繁華街の交差点と言った空気が醸し出されている。
そんな風景を流し見ながら、真也は広場沿いにあるこの街で一番大きな酒場へと入っていく。
強烈な酒の臭いと古びた木造建築特有の臭いが混ざりあった独特の空気、昼間から酒を飲む男達の騒ぎ声、木製の椅子やテーブルが並び、壁際には酒樽が積まれている。
広さは大きめのファミレス程もあり、カウンターも設置されていて、厳ついがどこか洒落ている酒場の主人らしき男が食器を拭いている。
店の奥へと進むが誰もこちらを気にしない。
そんなことを一々気にしてられない程、人の出入りが多いということだろう。
真也はバーカウンターの隣にある大きな掲示板の前で足を止め、所狭しと貼り付けられた依頼書を眺めた。
このゲームに冒険者ギルドなどといったものは無く、酒場にある掲示板を見ることで冒険者への依頼を探すというシステムがあるのみだ。
冒険者の定義はこういった依頼の報酬やモンスター素材などの売却益で生計を立てる根無し草、といったところである。
もちろんそのような者達に信用性など無く、依頼書にあるのは信用の必要ない素材の収集依頼や緊急性の無い有害モンスターの駆除依頼ばかりだ。
一通り軽く目を通した後、バーカウンターの向かいにいる酒場の主人に声を掛ける。
「アルコール以外で何か一杯貰えます?」
「コーヒーでいいな? 20ゴールドだ」
「それでお願いします」
主人から話を聞くための必要経費として代金を払う。
酒場でコーヒーというのも変な話だが、この世界では酒場も喫茶店も似たようなものなのだろう。
白い陶磁器のカップで出されたコーヒーの見た目は現実世界のものと大差無く、一口飲むと挽きたてのような芳醇な香りが鼻を抜け、酸味の少ないすっきりとした苦味が口に広がる。
かなり美味しい。
確実にお高い豆を使っていることが分かり絶賛しそうになったが、言葉が出る寸前で止めておいた。
ここはゲームの中だ。現実世界の基準でものを語ると痛い目を見るかもしれない。
そもそもコーヒーに拘る酒場なんて滅多に無さそうだ。
むしろこれがこの世界の普通の味だという方が可能性は高い。
恐らくゲームの中の食べ物の味を現実世界の高級品の味で再現するよう設定されている、と言ったところだろう。
取り合えずはコーヒーの味を楽しみ、それから主人に話しかける。
「少しお話を聞きたいんですが?」
酒場の主人は無言で頷き続きを促す。
「最近素材の相場が上がっているそうですが、何かあったんですか?」
「なんだ、そんなことか。最近、モンスター達の動きが活発でな、この街周辺にある狩場も難易度が上がっている。だから、この街のかけ出し冒険者達は安全を重視して狩場の外縁でしか狩りをしない。狩場の奥へと行かなきゃ取れない素材は品薄になって値が上がるって訳だ」
「なるほど。モンスターが活発化した理由は分かってないんですか?」
「まだだな」
「狩場の奥に入っていける方達も居るんですよね? 彼らからの情報は?」
「ああ、ある程度は居るが何せ狩場はどこも広い。まだ何も分かっちゃいないさ」
「この街の騎士団は調査したりしないんですか?」
「騎士団は街や周辺街道を守るのが専門だ。狩場になんざ行く訳がない」
現状は把握した。
これは中々難しい問題と言えるだろうが、解決できない問題でもない。
なので、問題を解決するための一手をここで打っておく。
「そうですか……では、一つ依頼を出したいのですが……」
「依頼を出すには冒険者に出す成功報酬の他に、依頼書の掲示料と依頼解決時の謝礼金をウチの店が貰うことになるが、それでもいいか?」
そんな業務確認をする主人に了承の言葉を返すと、直ぐに依頼書を作成して掲示板に貼り付けた。
これで現状の問題は解決へと向かう筈だ。
掲示された自分の依頼書を見て頷く真也。
『急募! シープウルフの牙 20本』
真也は自分の受けた依頼を下請けに出したのだった。
「よしっ」
「よし、じゃねーよっ!!」
「痛っ!?」
真後ろから蹴りを受けてふらつく真也。
振り返るとそこには、予想通りこちらを睨み付けるカティの姿があった。
「何してんだよ、お前」
「何してんだよ、はこっちのセリフだろ!!」
「ただ依頼を出しただけだが、何か問題でも?」
心底不思議そうに、何言ってんだお前? といった視線を送ると、カティは更に怒り出す。
「問題大有りだろうがっ!? それはオマエが受けた依頼だろ!? なんで人任せにしてんだよ!!」
「あのなぁカティ、仕事を外注に出すことは別に悪いことじゃないだろう? こちらにはカネがあっても時間はない、相手は時間があってカネが欲しい。完璧な組合せじゃないか」
真也のレベルはまだ7なので、狩場の奥へは行かず外縁部でレベル上げをしたかったのだ。
ゆえに、外縁部でレベルを上げている間に依頼の素材まで手に入る、という非常に効率的な行動を取ったのである。
真也は更にカティへと語りかける。
「いいか、よく聞けカティ。カネで解決出来ることは、カネで解決すればいい」
「……」
「基本的なことだぞ、勉強になったな」
「……オマエ、やなヤツだな」
「そんなことはない。ちゃんとカネで買えないものがある、ときもあること位は分かっているさ」
カネで人の心は買える。
一昔前、そんな事を言った有名人がいたが、それは一部間違いだ。
人の心はカネに出来るが、カネで人の心を買うのは難しい。
カネで買った心ほど離れやすいものはないからだ。
カネで買った心など所詮はイミテーションなのだ。
ただし、カネは使い方さえ間違えなければ万能のアイテムである。
少しだけ遠回りしてカネで買ったと思われないやり方さえすれば、本物の人の心もカネで買えるのだ。
今回は残念ながら、カティがリーサに報告することは明白なので、前提条件が崩れてしまった。
「ああもうっ! ごちゃごちゃとうるさいんだよ!! リーサはオマエの実力を確かめる為にこの依頼を出したんだよ!!」
「ああ、知ってた。だがカネの力でも力は力だ」
「うっさいっ!! 自分で行け!!」
カティは掲示板に近寄ると癇癪を起こしたように真也の依頼書を破り捨てた。
「ああっ! 何すんだよ掲示料が無駄になっただろ」
そんな真也の言葉を無視して、カティは一方的にまくし立てる。
「いいかっ!! オマエがしっかり自分で行くかアタシが見てるからな!! さっさと行くぞ!!」
そう言うとカティは真也の手を掴み、グイグイと引っ張ってきた。
恐らく初めから付いてくるつもりだったのだろう。
リーサに言われて自分のことを調べに来た可能性が高い。
だがまあいいか、と仕方なく真也はカティの引く方向へと歩き出すのだった。
「それで、ここまで来たけど大丈夫なの?」
カティに手を引かれ、ついに街の外の草原まで来てしまった真也が問う。
「なにが?」
「いや、カティは戦えんの? って話?」
「ふんっ! アタシは盗賊だぜ。逃げるに決まってるだろ」
「足手まといか……」
「バカにすんなっ! 戦い以外で役に立つさ。ほらっ! 向こうにモンスターがいるぞ」
カティは草原の一方向を懸命に指さした。
もちろん見える範囲にモンスターはいない。
「……へーそう」
「ウソじゃねーし!! いいから行ってみろよ!」
「あーはいはい、行きますよ」
必死で言い募るカティの様子に渋々とそちらへ向かう真也。
真也のスキル〈気配lv1〉は反応していなかったので、ほとんど信じていなかったのだが、
「……ん?」
しばらく低い草の茂る丘陵を歩くと、真也の〈気配〉が反応を示してモンスターのいる方向を知らせる。
その方向はカティが示した方向と同じだった。
「カティって、〈気配〉のレベルいくつだ?」
「まだ1だ」
「……ああ、装備か」
スキル〈気配〉は〈技術〉と〈精神力〉のステータスに依存していたことを思い出し、カティの薄汚れたクリーム色のローブを眺める。
「……それ、いいな」
「……っ!? やんねーぞっ!!」
「ははっ、流石に盗らねえよ」
こちらを睨み付け、自分を抱き締めるかのようにしてローブを必死で掴むカティの様子は少し面白かった。
〈技術〉に+50の補正値は非常に魅力的だが、サイズが合っていない装備では補正値は無効になってしまうので真也には意味のない装備だった。
「全体のレベルは?」
「まだ5だよ、わりぃか?」
「いいや、モンスターと戦ってない割には高いんじゃないか?」
「……ふんっ」
そんな話をしながら歩いているとモンスターが見えてきた。
相変わらずのアングリーチキンだ。
真也はまだ試していなかったことを試すために〈気配lv1〉を発動させて走り出す。
スキル〈気配〉は気配を探る方でも隠す方でも使えて大変有用だった。
「コァ~?」
アングリーチキンが間抜けな声を上げたとき、もう既に真也は敵の側を駆け抜けていた。
その手には〈アングリーチキンの羽根〉が握られている。
すれ違い様に相手に触れて〈ピックポケット〉を使ったのだ。
敵は怒って突進してくるが難なく躱す。
その際〈ピックポケット〉を使うのも忘れない。
レベル1のときよりも格段に〈技術〉と〈素早さ〉が上がっているため随分と余裕だ。
そんな行動を繰り返し、何も盗めなくなったのを確認してから切り捨てる。
ぐえ~と最後まで間抜けな声を上げるアングリーチキンを見送ると、その場には何も残らなかった。
「……何も落とさないのかよ」
「何言ってんだよ。全部オマエが盗んじまったんだから当たり前じゃねーか」
「……え? 盗んだらドロップアイテム減るの?」
「常識だろ? そんなこと」
「マジか……」
この仕様は真也にとってとても残念だった。
「モンスターから盗む意味ないじゃん」
「経験値が入るだろ。それに盗んで逃げればいいじゃんか」
「……あー。まあ、そうだな。盗賊だもんな……」
声のトーンが分かりやすく下がった真也は〈ピックポケット〉の仕様に落胆していたが、どんなものでも重要なのは使いようだ。
何か有効な活用法があるだろうと思い直し、別口で気になったことを考える。
「昼の会合でこの仕様を教えてくれるヤツは誰一人としていなかったのか……使えない連中だ」
「……へ? なんの話だ?」
不思議そうな顔でこちらを窺うカティを眺めながら、盗賊協定の無意味さを再認識する真也だった。