64話 EXP強壮薬
イートゥスの港に、ゆっくりと近付いて来る一隻の大型帆船。
真也はその様子を、埠頭にうず高く積み上げられた木箱の陰に隠れ、こっそりと覗き見ていた。
その頭に黒い布を巻きつけ顔を隠した出で立ちは、いかにもこれから何かしでかす犯罪者といった雰囲気である。
真也が動き出したのは、港に帆船が接岸するあと少しといったタイミングだ。
木箱の陰から飛び出し、埠頭にそびえる灯台の梯子を駆け上がり、その頂上から〈縄術〉を使ってロープを投げた。
見事に帆船のメインマスト最上部へと絡みついたロープ、その端にしがみつき、振り子の要領で帆船の甲板へと飛び移る。
音もなく着地した真也の周りには、突然の侵入者に驚く二十二人の第二期プレイヤー達。
彼らが何かアクションを起こす前に、真也は既に行動に出ていた。
素早くプレイヤー集団の合間を駆け抜け、すれ違いざまに数人を手で触れて〈ピックポケット〉を使用していく。
彼らは、新規の盗賊プレイヤー達に盗まれることを警戒してか、所持金と特典アイテムをストレージにしまっていた。
レベル一の盗賊が相手ならば、それでもう手出しは出来ないからだ。
だが、レベル三十八の盗賊が相手では、その程度の対策は何の障害にもならなかった。
アイテムがストレージの中にあろうと、また、どんなに盗まれることを警戒しようとも、圧倒的なレベル差の前では意味を成さない。
真也は楽々と、特典アイテムの〈第二期EXP強壮薬〉だけを盗んでいく。
「一之瀬か!? なんでこんなところに!?」
「ふざけんなよ、おい! それはお前には意味のないアイテムだろうが!!」
スリ盗られたプレイヤー達が怒鳴り声を上げているが、そんなものを一々相手になどしない。
その様子を見ていたプレイヤー達が逃げ出したため、即座に追いかけ回し、アイテムを次々と回収していく。
接岸もしていない船の上では逃げ場など限られ、更に、〈素早さ〉のステータスに大差のある真也から追われたのでは、新規プレイヤー達に逃げられる筈がなかった。
途中、破れかぶれになったプレイヤーや、彼らに助けを請われたのであろう屈強な水夫達が殴りかかって来たが、その場合はシャムシールで一太刀のもとに切り伏せ、問答無用で〈昏倒〉させていくのだった。
逃げ散ったプレイヤーから一通りアイテムを巻き上げた真也は、船から脱出するため再び甲板に戻って来ると、そこには、真也の理不尽な暴挙を見ても、どこか余裕のある態度を取り続ける四人の盗賊プレイヤーが残っていた。
その一人は柳田で、自分の企みが上手くいった、とでも言いたげに顔をニヤつかせている。
現状で黒幕が誰であるか他のプレイヤーに悟らせないため、柳田からもアイテムをスリ盗っていたが、約束通り後で返ってくると疑っていないようだ。
もう二人は、既に〈第二期EXP強壮薬〉を飲んでしまった盗賊達で、真也が財布は盗んでいないことに気付き、自分達に害はないと判断している様子だ。
恐らく、早期に〈ピックポケット〉のスキルレベルを上げて、他の新規プレイヤーの特典アイテムをストレージからスリ盗ろうと計画していたのだろう。
真也が特典アイテムを回収してしまうと、その計画はご破算になってしまうが、彼らの余裕のある表情からは、まだチャンスはあると考えていることが窺える。
そして、最後の一人は何故か真也に尊敬の視線を送っている。
「いやー、流石ですね! まさか船に乗り込んでくるなんて!」
その男は自分もアイテムを盗まれた被害者にも関わらず、興奮気味に賞賛の声を上げていた。
少し気になった真也だったが、今はこの場を離脱することが先決なので軽く無視をする。
船は既に岸壁近くまで進んでいたため、真也は再び〈縄術〉を駆使して埠頭へ飛び降り、イートゥスの街中へと姿を消して行ったのだった。
港から逃げ去った真也は、イートゥスの地下に広がるダンジョン、その表層部の奥地へとやって来ていた。
表層部から中層部に移り変わる狭間に足を踏み入れると、それまでは狭い通路でしかなかったダンジョンの様子が変わる。
そこは小さな部屋となっており、罠しかない表層部とモンスターの出る中層部とを区切る大きな扉が設置されている。
普通ならそこは石組みの寒々しい小部屋でしかないのだが、現在は家具などが運び込まれていて、どこか生活感の漂う空間となっていた。
「シンヤ、仕事は上手くいったのか?」
「上々だな」
真也が小部屋に入ると、すぐにカティが声をかけてきた。
カティは〈気配〉スキルを使って来訪者を確認して、この部屋の安全を確保する役割を担っているため、真也が近づいて来たことには当然気づいていたのだろう。
「じゃあ、そろそろ行くのか?」
「ああ、もうこの街を出てもいい頃合いだろう。二人には不便な生活をさせて悪かったな」
「アナタが悪い訳じゃないんだから、謝られると困っちゃうわよ」
工房から運び込んでいた錬金術の設備を手入れしていたリーサが、カティと真也の会話に口を挟んだ。
「確かに地下にこもりっぱなしじゃあ気も滅入るけど、王都に連れて行かれるよりもずっといい生活じゃない。アナタには、本当に感謝しているわ」
「そうか、それはよかった。だが、いくらジメジメとした地下にこもっているからと言って、発言まで湿っぽくなる必要はないんだぞ? カビでも生えてきそうだ」
未だに救出騒動のことを負い目に感じている様子のリーサを、真也は適当に茶化した。
「……お礼くらい素直に受け取ってよ、もう」
リーサが小声で拗ねるように不満を呟くが、真也は素知らぬ顔で聞こえない振りをするのだった。
「まあ暗い話なんて止めにしよう。なんせこれから行く街は辛気臭さとは無縁の場所だ」
「それで、いったいどこに行くつもりなんだ? ホントにリーサが隠れずに済む街があるのか?」
「あるだろう? 国家権力の及びづらい、ならず者達の街がな」
「……盗賊ギルドの本拠地に行くのか?」
「そうだ。これから向かう街は、〈賭博都市アーレア〉。胡散臭い街だが、そこである程度の地盤を築ければ、これから先リーサが捕まる可能性をかなり下げられるだろう。その為には盗賊ギルドで地位を得ることが一番早い。盗賊の人手は多いほど取れる選択肢が増えるだろうから、お前にも色々と協力してもらうぞ」
「ふん、言われなくてもそうするさ」
相変わらずな態度のカティに苦笑しつつ、真也は本題を切り出す。
「リーサ、至急作ってもらいたい物がある」
先程盗んできた〈第二期EXP強壮薬〉をストレージから取り出した真也は、リーサにとあるアイテムを作るように依頼するのだった。
その後、地下から出て来た真也は秀介と一緒にイートゥスの外門まで来ていた。
「そういえばレベルはいくつまで上がったんだ?」
「やっと三十になったところ。周りは二十代中盤くらいにはなってたかな?」
真也の何気ない問いかけに秀介が答えた。
周り、とは秀介の知り合いの実況者達である。
秀介はイートゥスに戻って来てから、穀倉地帯のフィールドで彼らと一緒にレベル上げをしていたらしい。
もちろん、その知り合い達は三澄に加担していなかったプレイヤー達だ。
三澄のグループに参加しなかった分彼らのレベルは低かったので、秀介がレベル上げの手伝いをすることで交友を深めていたのだろう。
いずれプレイヤー同士の連携が重要になるかも知れないため、協力出来る仲間を増やしているようだ。
真也の立ち位置では交友関係にないプレイヤーと信頼関係を築くことは難しいため、秀介がそういったことをしてくれるのはありがたかった。
真也がそんなことを考えていると、一人の男が近づいて来る。
「いやぁ、お待たせしてしまってスイマセンねえ」
全く悪びれた様子のない軽薄な口調で声をかけてきた男は柳田である。
今回この場に来ていた理由は、イートゥスを出る前に柳田のレベルを上げておくことを約束していた為であった。
「では、さっそくですが、例のモノをいただけますかねえ?」
「その前に確認しておきたい。盗賊ギルドでの活動に協力してくれるという話は、本当なんだな?」
「ええ、ええ、もちろんですよ」
「こちらの指示に従ってもらうことになるがいいんだな?」
「出来るだけ考慮はしましょう」
「……まあ、いいだろう。これからは協力関係だ。色々と思うところのある取引だったが、それはここで水に流そう」
「おお、それはありがたい話です」
「なに、こちらもちょうど盗賊の人手が欲しかったところだ」
真也はそう言って〈第二期EXP強壮薬〉を5本取り出し柳田に渡した。
「ははは、これで五十までは半分の経験値でレベルアップ出来る。一之瀬さんのレベルも、すぐに追い抜いてしまうかも知れませんねえ」
柳田は得意げに笑うと、小瓶に入った強壮薬を飲み干す。
「――っ!?」
その瞬間、得意げだった柳田の様子は一変し、青ざめた顔を苦しげに歪めた。
「おっと、どうかしたのか?」
「……な、何を、飲ませ、やがった!?」
「人聞きの悪いことをいうんじゃあない。お前が勝手に飲んだだけだろう?」
「ふ、ふざけん、じゃねえ……」
柳田に渡した〈第二期EXP強壮薬〉は、リーサに外見を似せて作らせ、真也が〈偽装〉を使いアイテム説明を偽った偽物であった。
それも、偽装する前のアイテムは対象に〈猛毒〉の状態異常を付与する劇薬である。
レベル一でしかない柳田に〈猛毒〉のダメージを耐え切る能力など、ある筈がなかった。
結果的には自分から劇薬を飲んだ形であるためPKとは判断されず、〈昏倒〉では済まないだろう。
「お前は馬鹿か? 脅しをかけてくるような奴を俺が仲間に迎え入れるなんて、本気で思っていたのか?」
「お、お前、さっき、水に流すとか、言ってたじゃあ、ねえか……」
「ああ、水に流してやるさ。どうせお前はここで消えるんだ。恨み続ける理由なんて、全くないだろう?」
「……」
倒れ伏した柳田からは、もう返事が返ってくることなどなかった。
「馬鹿な奴だ」
煙となって消えていく柳田を、真也は心底下らないものを見る目で見下ろすのであった。




