11話 夕暮れの街
〈白夢の森〉から帰還すると、〈港湾都市イートゥス〉の街並みにはもう夕陽が差していた。
あれだけ多くの通行人が居た大通りは見る影もなく、宿を探しているのだろう人達が疎らに通る程度である。
灯りのコストが安くないこの世界の夜は、現実世界よりも大部早いようだ。
「暗くなる前に帰って来れてよかったな」
「ああ、夜になると〈気配〉であんまり敵を見つけられねーからな」
こちらの探知範囲は狭まるが、シープウルフの索敵能力は落ちない。
シープウルフはスキルではなく、自慢の鼻を使って索敵しているからだ。
それを考えるとこのタイミングでの帰還は丁度よいものだったであろう。
「そう言えば、一つ聞きたいことがあるんだが」
「なんだよ?」
郷愁の念を誘う紅に染まった街を眺めながら、真也はずっと気になっていたことを尋ねる。
「カティはどうして俺に付いて来ようと思ったんだ? ああ、動機じゃなくて心情的にって意味な」
「は? 意味分かんねー」
指示を受けているのか自発的になのかは分からないが、カティがリーサの為に動いていたのは分かりきっているので聞く必要がない。
「いやさ、普通、よく知らない人間と危険な場所に行こうなんて思わないだろ?」
「……ああ、そういうことか」
カティは納得顔になった後、少し決まりの悪そうな表情になった。
「……べ、別に、大した訳はねえよ」
言いにくいから言いたくない、といったことがよく分かる態度だ。
「そうか、ならいい」
追及はしない。
ただ少し気になったから聞いただけだ。
どうしても必要な場合を除いて他人の心には無闇に踏み込むべきじゃない。
そう考えながら黄昏に染まる通りを歩いていると、
「……信頼するって、……言われたからだよ」
「ん?」
「……だから、オマエがアタシのことを信頼するって言ったからだよ!」
「……ああ、リーサのところに案内させたときの話ね」
言う必要などないのに、カティは唐突にそんなことを言ってくる。
言いにくいから言いたくない、言いにくいけど知って欲しい、そんな微妙な気持ちだったのだろう。
「……アタシみたいなコソドロに信頼なんてことを言うのはリーサしかいなかったのに、オマエはアタシに命まで預けた。だから、アタシもちょっとくらい信用してやってもいい、そう思っただけだ」
「へー、そう、信用してくれてるのか、そりゃ嬉しいねえ、ははっ」
「笑ってんじゃねー!! ちょっとだ! ちょっとくらいだぞ! 調子に乗るなよ!」
「……ふーん。裏切られても泣くなよ、あのときみたいにな」
「はっ!? 泣いてねーし! テキトウ言ってんじゃねー!」
「はいはい、ソーデスネ、そういうことになったんデシタネ」
カティは唸り声を上げて睨み付けてくるが軽くあしらう。
カティはただ知って欲しかっただけ、ということは明らかなので、真也は茶化してさっさと話題を変えてやる。
「カティはこれからどうすんの? 家に帰るのか?」
「……ふんっ、アタシに家なんてねーよ」
「あー……そうか。じゃあリーサの家にでも泊めて貰ってるのか?」
「……そういう日もある」
「そういう日も、ってことは違う日もあるのか……。まさか路上で?」
「……」
黙り込んでしまったカティに、真也は少し呆れてしまう。
「……毎日リーサの所に行きゃあいいだろうに。断られる程薄い関係じゃないんだろ?」
「……そりゃ、断られないだろうけど……」
「けど、何だ?」
「……迷惑、かも知れねーじゃねーか……」
「何で遠慮なんてしてんだよ、バカ。お前、盗賊だろ? 柄でもないこと言ってないでもっと図太く生きろよ」
「うっせー! アタシには頼れるヤツなんてリーサしかいねーんだよ! だからアタシは、リーサにだけは嫌われたくねーんだ!」
人とどう接すればいいのか分かっておらず、人付き合いにおける適切な距離を掴むのが苦手なのだろう。
相手に近付きたいのに近付くことを恐れている、そんな様子だ。
このタイプの人間は、こちらからアプローチを掛けなければ仲良くはなれない。
それを考えると、先程の信頼がどうたらの話はカティの精一杯の勇気の結果だったのだろう。
「あのなぁカティ、それが仲間内の話なら、借りなんてもんは借りれるだけ借りればいいんだよ。相手が貸してくれる限りな」
「……」
「そんでもって返せるときは返せるだけ返せばいい話だろう?」
「………返しきれなかったら?」
「踏み倒せ」
「おい!」
「それが許されるのが友達ってもんだろ?」
「……オマエ、友達少ないだろ?」
「よく分かったな」
カティにジト目で見られてしまったが、その様なことは気にしない。
仕事関係の交友は広い方がいいが、個人的な友人は狭く深くでいい、そう考えているからだ。
「さて、じゃあ俺は今、仲間から借りた借りを返せるだけ返しておこう。飯代と宿代くらいは出してやる」
ミストバク戦のときに助けられた借りと、文句も言わずブラッドシープ狩りに付き合ってくれた借りの話だ。
「ふんっ、命の恩人に対してそれだけしかしないのか? 返済が足りてないぜ。残りは踏み倒す気か?」
「バカを言え、もともとはお前が俺を無理矢理危険地帯に連れていったせいだろう? それを考えれば、これでも返し過ぎだ」
そんな軽口を叩きつつ、今日の宿を探して夕暮れの街を歩く。
「おっと、そう言えば、仲間っていうのはお前が言うところの頼れるヤツって意味だろう? なんだ、よかったじゃないかカティ。お前にはリーサ以外にもそんな物好きが居るみたいだ」
「……ふんっ、どうだか」
その言葉こそ素っ気ないものだったが、頬を染めてそっぽを向くカティの姿は見ていてとても微笑ましいものだった。
カティと友好関係を築き、今後も狩りに付き合って貰いたい、という打算で言った言葉だったが、それはカティの能力だけを見てのことではなく、彼女本人の人間性を鑑みた真也の本心からの気持ちである。
全く気を使わないカティとの関係は、真也にとって随分と心地よいものだったのだ。
夕暮れ時の宿場街を歩く真也達は、一軒の大きな宿屋の前で足を止めた。
ハーフティンバーの小洒落た外見を見るに中々グレードの高い宿だと簡単に予想がつく。
本日の宿としてここを選んだのは、真也がカティにお勧めされたからだ。
地元民の情報なら間違い無いだろうと思い、ノコノコとここまで連れられて来てしまったのだ。
「……おいお前、リーサには遠慮するのに、俺にはしないのな」
「ははっ、なんの話だか分かんねーな」
堂々とすっとぼけるカティに溜め息が漏れる。
先程、真也がからかったことに対する意趣返しといったところだろう。
「いやまあ、いいけどさ」
金に困っている訳ではないため文句は控える。
この程度のイタズラなら可愛いものだ。
したり顔のカティを放置して宿の中へと入る。
宿の中はまずロビーのみの空間となっていて、この宿のグレードを示す高そうな調度品が並べられている。
「いらっしゃいませ、おや? 当宿のご利用は初めてでいらっしゃいますか?」
「そうです。二部屋で。夕食もこちらで取れます?」
「……はい、食堂がございますのでそちらでお取り下さい」
フロントに立つ身なりの整った男とやり取りをしていると、薄汚れた格好のカティを目にした男の表情に僅かな疑問の色が読み取れた。
「……ところで、当宿は主に商人のお客様をお迎えしている宿でして、少々宿泊料が張りますが、宜しいでしょうか?」
「大丈夫です。長旅の疲れを癒したくて良い宿を探していたら、この街の方からこの宿を紹介してもらいまして。大変素晴らしい宿だそうで、期待させて貰っています」
長旅の後だから薄汚れていることは見逃してくれ、と暗に伝えてからこの宿のことを少し誉めておく。
フロントマンは少しだけ真也の服装に視線を向けて、更に腰に帯びているタルジュ・シャムシールを見ると納得したように頷いた。
宿代を払えそうか確認でもしたのだろう。
「左様で御座いましたか。冒険者の方々は実力のある方々でも色々と苦労は多いと聞きます。当宿でごゆっくり旅の疲れをお取り下さい」
無事に宿を確保することが出来て真也は一安心する。
盗賊だとバレたら泊まれなかった可能性が高いが、フロントマンが商人ではなかったのか、もしくは真也とレベル差があったため〈鑑定〉が使えなかったか、そのどちらかの理由でバレないで済んだようだ。
カティの薄汚れた格好はどうにかしないと不味いな、と思いつつ二人分の宿代を支払い、まずは食堂へと向かった。
「いらしゃいませー」
木製のシックな内装にランプの暖かい灯りが揺らめく、なんともお洒落な食堂を訪れた二人は、そんな可愛らしい声で迎えられた。
「お好きな席にどうぞ……って、あれっ?」
「ん?」
エプロンドレスのような服で給仕をしている少女は、見たことのある子だ。
肩口で切り揃えられたつやつやの髪と、くりっとした大きな瞳は、青みがかった色に変わっており前見たときと少々印象が違うが、そのあどけなく可愛らしい顔立ちには見覚えがあった。
「お隣のお兄さんですよね。あ、わたしのこと覚えてますか?」
おじさんではなくお兄さんと呼んでくれた。
たったそれだけのことだが、真也にとってはかなりの好印象だった。
この子は気遣いの出来るいい子だ、と確信する。
「隣のポットに居た車椅子の子だよね? 髪と目の色が青くなってたから少し驚いたよ」
「あはは、ごめんなさい、似合わないですか?」
「いやいや、似合ってる似合ってる。可愛いんだから自信を持っていいと思うよ」
「ホント!? ありがとう!」
心から嬉しそうに笑う少女の純粋そうな様子に自然と柔らかい笑みが漏れる真也。
「ああ、夕食休憩のログアウト時間が近いから、直ぐに出せるものを何か頼むよ」
「あっ! ごめんなさい、わたし、お仕事中でしたね。かしこまりました、お勧めを用意します!」
少女はそう言うと、慌てた様子で厨房の方へと向かって行った。
すると、今まで黙り込んでいたカティが口を開いた。
「……知り合いか?」
「ほんの少しだけな」
「……なんか、アタシのときと態度が違くねーか、オマエ」
「気のせいだろう」
「……ふんっ」
不満げに鼻を鳴らすカティを見ながら、生意気なヤツと純粋な子では対応が変わるのは当然だろう、と心の中で思うのだった。




