名前にだって意味はある
「タチアナ?」
「例の『お嬢様』ですよ」
さて、この会話からわかることは何でしょうか。
一つには、タチアナさんが「お嬢様」と呼ばれていること。二つには、話し手その1は、「お嬢様」の名前がタチアナさんだと知らなかったこと。
しかし、これ以外にも、わかることがあります。それは、彼女が使えないと思われているということです。
「お嬢様」ということばのイメージを考えてみましょう。「お金持ちの家の娘」「かわいい」「世間知らず」「手間がかかる」などいろいろありますが、いずれも「デキル女」ではありません。おそらく、彼女は、若くて、かわいくて、役に立たないというか、単なるお飾りとして見られているのでしょう。
では、次の会話から考えてみましょう。
「タチアナ?」
「例の『ボインちゃん』ですよ」
今どき「ボイン」などということばが使われるかどうかはともかくとして、こちらからもいくつかわかることがあります。
一つめと二つめは「お嬢様」と同じです。タチアナさんが「ボインちゃん」と呼ばれていることと、話し手その1がそれを知らなかったということ。
では、三つめは? 彼女が男性から見て、非常に魅力的なお胸の持ち主であることですね。何しろ、それを特徴にした呼び名がついているわけですから。
そして、四つめには、タチアナさんの周囲にいるのがクズばかりであるということです。女性の体型や年齢を揶揄するような呼び方をするグループなんて、ロクなものじゃないです。私ならこんなセクハラ集団と、娘や妻を(いないですけれど)関わらせたくありません。
「あの、立穴部長」
「なんだね、裏地味る君」
清水義範の『永遠のジャック&ベティ』でも笑いのネタとなっていましたが、この会話はどことなく不自然なのがわかりますか? 「部長」で通じるのに、わざわざ、名前を呼び合う意味って何でしょう?
時々、名前を印象付けようとしてか、あるいは相手の名を自然に読者に知らせようとしてか、逆に不自然になっている会話をよく見ます。
登場人物の設定を考えることは大切です。それが、ちょい役であっても、ふくらみを出すために、背景を考えることには意味があります。
しかし、考えたすべての名前をフルで出すというのは、あるからといって、すべての材料を使いきって料理を作るようなものです。読む側は、ズラズラ出てくる名前に混乱します。誰に感情移入して読めば良いのか、わからなくなりますから。
ただし、名前を呼び合うのが不自然だということを逆手にとって、物語を作ることもできます。
「部長」
「なんだね」
というような会話が他ではされているのに、
「立穴部長」
「立穴だ。裏地味る君か?」
というようなやり取りが出てきたら、どうでしょうか? 何か「普通」ではない状況にあることが察せられますよね。少なくとも、相手を目の前にしているやり取りではありません。自分の名をわざわざ確認させていますから。
裏地味る君の呼びかけの変化でも、物語は作れます。
「部長」
「……立穴部長?」
「立穴!」
裏地味る君は呼びかけても反応がなかったので、くりかえし名前を呼んだのですね。不安から焦燥へと移りゆく、気持ちが伝わってくるでしょうか? 名前を呼び捨てにするところから、二人が友人か恋人か、どちらにしても親しい関係にあることがわかります。
「お嬢様、いやタチアナだったな」
これは、その、あれですね、「お嬢様」と相手をバカにしていたウラジミール君がようやく彼女を認めるシーンですね。少年マンガのラストで、ぜひ、見てみたいシーン。
ハッピーエンドなら、彼女は一瞬驚いたような顔をした後に、ニヤッと笑うことでしょう。それから、彼女はどうするでしょうか? ウラジミール君と軽く拳で語り合うのもカッコいいですし、手を振りながらも背を向けて去っていくのも捨てがたいですね。
バッドエンドなら、もう動かなくなった彼女にウラジミール君がこう呼びかけているところです。この後は、きっと彼女のまぶたを閉じさせて、自分の上着を羽織らせ、そっと抱き上げるのでしょう。それでもって、周りの人たちがその姿に無言で敬礼をするのです、きっと。『花の慶次』の「雪之丞死す」の場面が好きなもので、あんな感じで。
その人をどう呼ぶかというのは、とても大切なことです。その人のあり方を表すのですから。
「2番」「2号」
彼女がこう呼ばれている状況を想像してみてください。考えたくありませんけれど。
その人をどう呼ばせるかはその人のあり方だけでなく、その世界のあり方まで表すのです。
「私は、タチアナです」
「私が、タチアナです」
「タチアナって呼んで」
似たようなセリフですが、それぞれに使えるシーンが違います。今、彼女はどのような気持ちで、自分の名を名乗っているのでしょうか。
こめた思いを、すべての人が受け取ってくれるわけではありません。けれども、わかる人はわかる、わからない人にもそれなりに伝わる技術の一つとして、名前の呼び方、呼ばせ方を考えてみてください。
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以下、本の紹介となります。本文とそこそこ関係のある本の紹介ですが、読み飛ばしても大丈夫です。
★特徴的な呼び名と言ったら……
もちろん、「西部警察」「太陽にほえろ」。「おやっさん」だの「ジーパン」だの。
でも、印象的なのは、『水滸伝』。グインの説明を見たとき思った。これ、豹子頭林冲じゃん。
★立穴さんと裏地味る君
元ネタは川原泉の『銀のロマンティック…わはは』の登場人物につけられていた当て字。フィギュアスケートのマンガの先駆け。
★清水義範『永遠のジャック&ベティ』
おすすめは表題作と「スノーカントリー」。川端康成の『雪国』を読み返したら、結構エロくてちょっとびっくり。
★呼び方の変化と関係の変化
たとえば、ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』(小尾芙佐訳)が有名。
★『花の慶次 雲のかなたに』
隆慶一郎原案/原哲夫作画のコミック。前田慶次の名前を戦国時代の漢として、とどろかせた作品。原哲夫によると、笑わないケンシロウを描き続けてきたため、慶次の自然な笑顔を描けるようになるまで、時間がかかったとのこと。キャラクターとしては、捨丸が好き。
★名前をむりやり変える話。
わかりやすいものだと「千と千尋の神隠し」。名前を取り上げるということは、それまでの人生を否定することなので。
ムカムカする設定ではあるが、囚人を番号で呼ぶとか、後宮の女性たちを建物の名前(「藤壺」など)で呼ぶとかは、その人の扱いが変わったよということを伝えるには良い方法。『侍女の物語』(マーガレット・アトウッド作/斎藤英治訳)の「オブ○○」(○○の女)という呼び方も強烈。
★赤川次郎
確か女性キャラは下の名前で、男性キャラクターは名字で呼ぶという使い分けをしていた。参考までに。