世界の果て
寒さで目を覚ました。
いつの間か布団をはだけてしまったようだ。なんだかあまりよろしくない夢を見ていた覚えがあるので、そのせいだろうか。中学校の同級生が出てきていた気がする。大部分の人に久しく会っていないが、元気にしているだろうか。
「さむっ…」
僕は身震いしてから布団を引き寄せ、しっかりとくるまる。目は覚めてしまったので眠るつもりはないのだが、しばらく起き上がる気はおきそうにない。温かい布団は偉大である。
枕元に転がっている携帯電話を手に取ると、現在は四時二十七分であることがわかった。ついでに気温を見ると、1℃と表示されていた。さらについでに都心の気温を見てみれば、そこには7℃ほど高い気温が示されていた。一応同じ東京都内にも関わらずここまで差があることに行くあてのない憤りを感じるが、冷静になってみればもはや慣れたことであるし、僕一人が布団の中で憤ったからといってこの街の気温が上がるわけでもない。
はあ、と息をつき、適当にニュースサイトを見ることにした。
そうしてしばらく布団と親交を深めつつ、アルプスを越えるハンニバルはこんな温かい布団もなしにどうしていたのだろうなどと考え、そこから第二次ポエニ戦役の流れを思い出そうとしたがきちんと思い出せない自分の知識の乏しさを恥じたあたりで散歩に出ようと思い立った。
二十分後、僕は程よい肌寒さを感じつつ、近くの川沿いを歩いていた。常々この地の理不尽な寒さと都心へのアクセスの悪さなどに悪態をついている僕であるが、この川と、それを取り巻く雰囲気はとても気に入っている。日の出が遅いので辺りはまだ真っ暗なものの、しかし静かに朝へと向かっていることがなんとなく感じられる。ひっそりとした闇の中に響くのは水の流れる音だけで、心が落ち着く。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、か」
昔の人はよくもそんなことに気がつくものだ。ゆく時の流れは絶えずして、しかももとの時にあらず、なんてのはどうだろうと考えながら川辺の段差に腰を下ろし、たばこに火をつけた。
ここでこうしてぼんやりとしていると、なんだか頭の中のいろいろなことを、ゆく川の流れが運んで行ってくれるような気がする。だから余計なことを考えずに済み、落ち着くのかもしれない。
「やあ、悪いけど火を貸してもらえないかい」
聞きなれない声に振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。暗くてはっきりとはわからないが、三十代前半くらいであろうか。僕は承諾し、タバコを取り出してくわえた彼にライターの火を近づけた。
悪いね、と言いながら彼は消えないように手を添え、火をつける。
「これ、差し上げますよ。もうひとつありますから」
「そうかい?じゃあありがたく。隣、良いかい?」
「ええ、どうぞ」
彼は僕の左側に座り、ゆっくりと煙を吐き出した。
「早起きだね、若いのに。大学生かな?大学はこの辺なの?」
「ええ、まあ。目が覚めてしまったものですから。この辺りにお住まいの方ですか?」
本当のことを言うと面倒なのではぐらかし、僕も真似してゆっくりと煙を吐き出してみる。白くなった自分の息なのか煙なのかわからないそれは、すぐに闇の中へと溶けてゆく。
「いいや、さっき車で到着したばかりさ。この街に関するある噂を耳にしてね。君は…」
彼の声が川の音に消える。どんな言葉が続くのか、この地に住んでいる僕には予想がついている。確かに、初対面の相手に言うのは憚られる単語であろう。彼はふうっと息を吐き出すと、言葉の続きを声に出した。
「君は、世界の果て、という言葉に心当たりはあるかい」
長い長い物語が始まる予感が、した。