第6話 前編 公園競演☆ザ・ラストバトル
前編があるからって、後編があるとは限らないんだぜ?
俺はそんな言葉を知っている。
光の届かぬ闇の奥深く。
茫漠と浮かび上がる影があった。
1人は男。仮面とマントにより正体を隠している。
そしてもう1人は女。こちらは普通の制服姿だった。
男の名は、ミスター・ノワール。
ダークサイダーの騎士と名乗る存在。
女の名は、白石ハルカ。
ダークサイダーに協力し、ダークネスガールと呼ばれる存在である。
ミスター・ノワールは白石ハルカに向かって、何かを差し出した。
棒状のそれは、一見してゴテゴテしたバトンのように見える。
「これを使え」
「何よこれ?」
「こいつは剣だ。柄の部分になるな」
それは剣の柄だった。
刃は無く、豪奢な作りの柄だけがそこにある。
柄だけあって何の役に立つと言うのか?
不思議そうな顔でミスター・ノワール見返すダークネスガール。
ミスター・ノワールは無言でそれを手渡した。
手渡された柄を見てあたしはしげしげと眺めた。
刀身はどこにも無い。無骨で悪趣味な造形の柄。
飾りにもならないそれを一通り眺めた後、あたしはミスター・ノワールに視線を向けた。
あたしの視線に促されるように、ミスター・ノワールはあたしの手の中にある物の説明を始める。
「幻想の刃。ダークサイダーの誇る伝説の剣だ」
刃をイメージしてみろと言われたあたしは、とにかく言われるままに想像してみる。
剣、剣……。ぼんやりとしたイメージしか浮かばなかったけれど、柄の先から光る刀身が現れた。
光る刀身を呆然と見ながら、軽く振ってみる。
重さは全く感じなかった。
「それは我々最強の剣だ。ただし幻想の刃は諸刃の剣。使い所を誤れば、貴様自身にも刃を向くだろう」
「つまり……どういうことなの?」
諸刃の剣、という言葉に説明を求める。
そんなあたしに、ミスター・ノワールが空虚な瞳を向けて来た。
思わず身震いするあたしだったが、ミスター・ノワールはあたしの様子など気にも留めずに幻想の刃の問題点を語り出した。
「うむ。刃の部分が幻で出来てるから、幻を見破られると剣の柄だけ振り回す痛い人になるのだ。カメラやビデオにも刀身が映らんな」
「絶対にビデオには撮らないでよね!」
先日の事を思い出しながらあたしは叫ぶ。
剣の柄だけを振り回すとか、痛いを通り越して沈痛のレベルだ。
きっとしかるべき病院を紹介されてしまうだろう。
そんなあたしの姿をイメージして、別の意味で震えが止まらなかった。
「コンビニの監視カメラにも気を付ける事だ。前に試してみたが全然映らんぞ」
「……せいぜい気を付けるわよ」
ミスター・ノワールの忠告に力無く答えるあたし。
とりあえずブンブンと柄を振り回してみた。
幻の刃が軽やかに空中を舞う。
そりゃ重さを感じないわけだわ……オモチャより性質が悪い。
「幻覚の剣なんかに意味があるの?」
若干呆れながら聞くあたし。
そんなあたしに、ミスター・ノワールは予想外の事を言ってきた。
「幻が無力だと思うか? 人は、幻でも死ぬぞ」
「まさか、そんな……」
馬鹿馬鹿しい、と言い返そうとする。
しかしミスター・ノワールは視線であたしを押し留めると、真剣な口調で語り出した。
「ショック死と言う奴だ。幻想の刃はファントム・ペインを与える。人は痛みに敏感だからな」
ショック死。確かにそれは、ありえるかもしれない。
ごくりと唾を飲み込む。
この幻の刃で斬れば、本当に斬られたような痛みを与えるというのか。
さっきまでオモチャに見えていたそれが、今ではドス黒い凶器に見えていた。
幻想の刃を恐々とした面持ちで見つめるあたし。
そんなあたしに、ミスター・ノワールは面白がるような口調で言った。
「ククッ、貴様に選ばせてやろう。男の欲望を叶えるか、幻想の刃を使って人々の夢を奪うか。そのどちらかを」
あたしは押し黙りながらミスター・ノワールを見返す。
そんなあたしを嘲笑うように見つめてくるミスター・ノワール。
沈黙するあたしに、皮肉げな調子で聞いて来る。
「俺はどっちでも構わんぞ? ダークネスガール」
ただし、と前置きしてからミスター・ノワールは続けた。
「幻想の刃は、『誰かに痛みを与える』という貴様の欲望を叶える。その代償はいただくが、な」
まるで不吉な予言者のようなミスター・ノワールの姿に。
あたしは怯える自分を隠せないままでいた。
某所にあるアパートの1室。
だらりと寝転ぶ人影があった。
1人は女。Tシャツにジャージを着ている。
もう1人は魔法の国の妖精。猫のような外見をしていた。
女の名は、皆口キョーコ。
魔法の国から選ばれし魔法少女である。
妖精の名は、ペコ丸。
寝転ぶキョーコから猫じゃらしを突きつけられる存在である。
キョーコはペコ丸の眼前で猫じゃらしを揺らす。
目の前で揺れる猫じゃらしを見ながら、ペコ丸は拳を握り締めて震えていた。
「あれー? ペコ丸、猫じゃらしは嫌い?」
「キョーコ……! キョーコがボクをどういう風に見ているかは、よっく分かったペコ……!」
拳を握り締め、プルプルと体を震わせるペコ丸。
あれー? 何か怒ってる?
私は猫じゃらしを手放し、寝転んだままの姿勢でペコ丸を見た。
そんな私に、ペコ丸はキッと鋭い視線を向けて言った。
「それにしても、この前のあれは酷いペコ!」
「何の事?」
「日比谷くんの事ペコ!」
日比谷? と首を傾げる私。
誰の事だったっけ? あんまり聞き覚えの無い名前だ。
顔を思い出せない私に、ペコ丸が説明するように付け足した。
「パンツを覗いた少年の事ペコ」
ああ、あれか。私はようやく思い出した。
この前、パンツを覗いてイジメに遭ってた子の相談に乗ったのだ。
正直、顔を思い出すと鳥肌が立つので記憶を封印していたみたい。
「パンツくんがどうかしたの?」
なるべくパンツくんの顔を思い出さないように、私は言った。
「パンツ道って一体どういう意味ペコ!?」
パンツ道。パンツくんのイジメ相談に対し、私が言ったセリフだ。
パンツ道。それは、人々に嫌われながらパンツを覗き続けるという修羅道だ。
人としての幸せを捨て、パンツに全てを賭ける求道の道である。
「それはパンツくんが歩む道だよ。パンツくんは、もはや只人としての幸せを諦めるしか無いんだよ……!」
ただの人間としての幸せや夢など、もはやパンツくんには叶わない。
パンツの狩人として第2の人生を歩むのだ。
力強く語る私。何故だろう、ペコ丸は納得出来ないとでも言うように反論してきた。
「それじゃ、日比谷くんの夢はどうなるペコ!?」
「夢?」
「白い家に、可愛い奥さんと暮らすという夢ペコ! キョーコは皆の夢を守る使命があるペコ!」
「夢なんて失えばいいじゃん」
「キョーーーコーーー!? 頼むからその考え方は止めて欲しいペコ!」
滝のように滂沱しながら私に懇願してくるペコ丸。
しかし、私にも譲れない思いというのがあるのだ。
苦吟するように瞳を閉じ、様々な思いを巡らす。
私は目を開くと同時に、胸に去来する思いを語った。
「大体、女の子のパンツ覗くような人が可愛い奥さんなんて貰えるわけないじゃん」
「そこはそっとして上げて欲しいペコ!」
「パンツ覗かれた女の子の気持ちも考えようよ」
「あうあ!?」
痛い所を突かれた!
そんな感じでガックリと膝をつき、悄然としながら畳を見つめるペコ丸。
もう、しょうがないなぁ。
私は使命と現実の狭間で苦悩するペコ丸に、諭すように言葉をかけた。
「例え夢を失ってもね、」
膝をつき、両手を畳みにつける土下座のような姿勢を取るペコ丸が顔を上げる。
ウルウルとした瞳で私を見つめ返すペコ丸。
まるでそれは、答えが分からなくなった子供の姿のようだった。
正しい道を模索するペコ丸に、私は優しく告げる。
「また、新しい夢を見つければ良いんだよ」
優しく微笑みながら私は言った。
何度でも、何度でも。人は夢を見れるのだから。
失くした物を探し続ければ、人はいつまでも前に進めない。
諦めるのは悲しい事だけれど、それでもまた、人は夢を見れるのだ。
私の言葉を聞いたペコ丸は、黙って瞳を閉じた。
瞑目するように。私の言葉の持つ意味を確かめるように。
やがて眉間に深い皺を作りながら、呻くように漏らした。
「ぐぬぬ……! なんだか適当に良い事言って、誤魔化そうとしている気がするペコ……!」
ちぇっ、見抜かれたか。
私はゴロンと寝返りを打つと、近くにあった雑誌を手に取った。
「とにかく! 今日は夕方に保志くんが来るから、改めて反省会を開くペコ」
そんなペコ丸の言葉に、「はいはーい」と適当に返事を返す私なのであった。
アパートの1階にある喫茶店。
安いだけが取り得の店だが、それ以外にもセールスポイントを模索中だ。
最近ではマスターが考えた哲学が貼り出されている。
私はテーブルの上に飾られた格言をチラリと見た。
『ゴミは甦る。分別、それが小さな一歩』
私は注文したカフェオレを飲みながら思う。
……一体マスターは何を目指しているんだろうか?
こんな言葉を考える前に、料理と飲み物をまともにして欲しい。
4人掛けのテーブルについた私とペコ丸と保志くん。
ペコ丸は開口一番、私に説教をしてきた。
「キョーコのあれは酷いペコ! 日比谷くんの新しい夢がパンツを見て暮らす事なんて、あんまりペコ!」
ドン、とテーブルに拳をぶつけながらペコ丸が絶叫した。
同じ説教を繰り返すなよなー。そういうの一番キライなんだよなー。
私は半眼になりながらペコ丸の姿を見つめた。
パンツくん擁護派の保志少年がいるんで強気になっているんだろう。
数の暴力を期待するペコ丸に、辟易とした視線を向ける。
ちぇー。なんだよ人が折角解決してあげたのにさー。
むくれる私。それを気遣うように、保志くんがペコ丸を宥めている。
「ははっ、まあまあペコ丸さん。日比谷さんも学校に通えるようになったみたいですし」
「やり方も大事だペコ! 下手したら、日比谷くんは再起不能だったペコ!」
なおも私への説教を続けるペコ丸。
私はそれを、カフェオレを飲みながら聞き流していた。
「保志くんみたいに優しくなって欲しいペコ! 人は優しくなれるペコ!」
「ふーんだ、どうせ私は冷たい女ですよーだ」
明後日の方向を向きながら私は言った。
どうやらペコ丸は私の性格を変えたいらしい。
人権擁護のスローガンみたいなセリフを熱く語っている。
ねえ保志くん、そうだよね! なんてペコ丸が言い募り、そんなペコ丸に対して保志少年は柔和な笑顔で適当に相槌を打っている。
朗らかな表情でペコ丸の相手をする保志くんだったが、不意に、どこか陰のある顔になる。彼が何気無く呟いたその一言は、突き刺さるナイフのような鋭さを持ってその場に響いた。
「僕は、優しくなんか無いですよ」
シーンと静まり返るテーブル。
ただの謙遜のセリフにも聞こえるその言葉。
しかし何故だろう、私達は言葉を発せなくなった。
どこか影が濃くなったかのように見える保志少年。
そんな保志くんに、ペコ丸が慌てた様子で話を振った。
「ほ、保志くんは気になる事件とか無いペコ!? 最近変な行動を取ってる子とか!」
むむっ? まるでムリヤリ話題を変えたように見える。
この2人、何かを私に隠して無い?
怪しむ私の前で、保志くんが思い出したかのように言った。
「実は、1つ気になる事があるんです」
「どんな事ー?」
聞き返す私に、保志くんは少し口ごもりながら言った。
「以前この喫茶店にも来た女の子なんですが……」
ああ、あの娘かな?
保志くんにビンタした娘。
以前この喫茶店で、保志くんは同級生っぽい女の子から平手打ちされたのだ。
確かあれ、浮気したのは彼女の方だったっけ?
中々に複雑な青春を送る少年は、少し困ったような表情で説明した。
「何だか、良くない人と付き合ってるみたいなんです」
「ふーん。相手がどんな人か知ってるの?」
私は敏腕刑事になったつもりで問い質した。
浮気が原因と思われた事件。その裏には、隠された陰惨な過去があったのだ!
お偉いさんでは気付けないそれを、私は見抜いている!
そしてその事件は私にしか解決できないのだ。司法の正義は私が守る!
何故かエリート刑事と対立する叩き上げの刑事の気持ちになる私。
ギラリと瞳を輝かせながら、保志くんの次の言葉を待った。
保志くんは少し話すのを躊躇った後、たどたどしく語り出す。
「いえ……分かりません。でも、妙な格好をして道端で大蛇と絡んでたりするんです。何だか……尋常じゃないっていうか」
それは事件だ。間違いないよ。
相手は南米出身の線が濃厚だ。大いなるアマゾンの息吹が聞こえる。
対アナコンダ戦に向けて思わず立ち上がりかける私。
その時突然、喫茶店の正面ドアが勢い良く開かれた。
轟音と共に開かれるドア。
バッと視線を向けた私達が見たのは、立ち竦む1人の女性だった。
むむむ? あの人は確かアパートの住人で、子持ちの若奥さんだ。
奥さんは店内にマスターの姿を見つけると、縋るように助けを求めた。
「ま、マスターさん! 私、どうしたらいいか……!」
「どうかしたんですかぃ?」
滅多に喋らないマスターが、カウンターでグラスを磨きながら若奥さんに返事をする。
パンチパーマにサングラスをかけてたマスターは、一見その筋の人に見える。
しかし二回目に見た時には安心する。何故なら、あまりにもボディが貧弱だからだ。
そんなパチモンヤクザなマスターに向かって、若奥さんは必死に訴えかけた。
「公園に変質者が居るんです! 2人も!」
「へ、変質者!? し、しかし、あっしも店を空けるわけには……!」
しどろもどろ答えるマスター。
どうせ客いないんだからいいじゃん? と思う私の正面で、保志くんが立ち上がる。
立ち上がった保志くんは奥さんの方を向いて叫んだ。
「僕が行きます! 奥さん、案内して下さい!」
「キョーコ! ボク達も行くペコ!」
若奥さんを連れて走り出す保志くんを、追いかけるようにペコ丸も駆け出した。
バタバタとした足音が遠ざかっていき、お店のドアにつけられたベルがカランカラン……と物悲しい音を立てる。
店内に残された私は、同じくカウンターに佇むマスターにチラリと視線を向けた。
「マスターはどうするの?」
私の言葉に対し、マスターは静かにグラスを磨きながら答えた。
「あっしは……不器用ですから」
「器用さは関係無いと思うけど?」
「ふふっ、嬢ちゃんにはまだ分からねえ事です」
マスターは遠くを見るように、窓の外を見つめている。
お客のいない喫茶店の中心で。彼は今日も哲学を考えているようだった。
アスファルトで固められた道を走り抜ける。
歩道に書かれた白線。電柱に張られた広告。
駆け抜ける僕らの目に流れては消えていく。
僕らは息を切らせて走っていた。
途中からバテた奥さんの右手を引きながら。僕は焦燥感を抱えながら言った。
「奥さん! こっちで合ってますか!?」
「はぁ、はぁ、そんなに強く引っ張られたら……わたし……!」
妙に顔を赤く染めながら呟く奥さん。
しまった、少し走る速度が速すぎただろうか?
ペースを落とすべきかどうか迷う僕に、奥さんは慌てたように叫んだ。
「あっ! すみません、そこです! そこ!」
奥さんの指差す先には、公園の入り口が見えた。
入り口に設置された車止めのための鉄柱を潜り抜ける。
ようやく公園に着いた僕たちが見たのは、変質者と痴女だった。
黒い衣服を身に纏った男と、露出の多い若い女がいる。
黒衣の男は仮面を纏い素顔が分からない。
そして若い女の方は……僕が心配していた少女であるハルカだった。
「ハルカ……一体何を……?」
「見ないで! こんな私を見ないで!」
他にかける言葉も見つからず、呆然としながら僕は言った。
大人のファンも多い幼児向けアニメの悪役のコスチュームを身に纏い。
変わり果てた姿のハルカがそこに居た。
ハルカは5才くらいの男の子を抱きかかえていた。
その直ぐ近くには、やはり5才くらいの女の子が立っている。
女の子は涙目になりながらハルカに訴えていた。
「セイヤくんを返して! セイヤくん! そんな女から離れなさいよ!」
「うう……ボクは……ボクは……!」
幼き身を欲望に焦がす少年。
恋人に叱責されながらも、ハルカの抱擁に抗えないでいるようだ。
コスプレ姿のハルカと、幼馴染らしい少女の間で葛藤に揺れている。
一体これは何なんだ!? ハルカ……君は一体、どこへ行こうと言うんだ!?
答えを探す僕は、元凶であろう黒衣の男の方へと目を向けた。
黒衣の男は砂場に立ち、砂場で座り込んでいる少年を見下ろしていた。
どうやら少年は砂場で城を作っており、男はそれを睥睨しているようだ。
少年が必死に何かを叫んでいる。そんな少年を前にして、黒衣の男は愉悦に満ちた声を出した。
「ほう? これが貴様の夢の城というわけか。ていっ」
「うわあ! 止めてよ~! ボクの城を踏むな~!」
「クックック。ああ、壊れてしまったな? 貴様の夢」
「うう……ぐすっ」
泣き出す子供を愉快そうに見下ろす黒い男。
哀れにも自作の城を壊されてしまった少年は、零れる涙を止められずにいた。
子供の悲痛な泣き声と、男の高笑いが唱和している。
事件だ。何かは分からないけど、これは確実に事件だった。
「何をやりたいのかよく分からないけど……とにかく止めるんだ!」
僕の声に反応し、「あわわ!」と言いながら子供を手放すハルカ。
ハルカから解放された子供は何故だか真っ白に燃え尽きていた。
一体彼の中でどんな苦悩が展開されていたのだろうか?
セイヤくん! と叫ぶ女の子の前で、静かに横たわっている。
一方で、黒衣に身を包んだ男は無言で僕を見据えていた。
その足元には潰された砂の城。未だにグリグリと足で踏みつけている。
不気味な男だった。僕は背筋に走る緊張を覚えた。
全身を黒で纏い、さらにはマントさえ付けている。
そして仮面。一見して、即座にしかるべき所に届け出るべきだろうと思えた。
黒衣の男は、泣き叫ぶ子供を気にするでも無く、執拗に砂の城を壊していた。
やがて僕から視線を外すと、今度はハルカの方を見た。仮面の下から男の声が聞こえる。
「ダークネスガール、何故止める? 作戦は続行中だぞ」
「もう嫌よ! 知り合いの前でこんな事出来るわけないじゃない!」
絶叫するハルカ。
出来れば、知り合いの前で無くてもやらないで欲しい……!
ハルカの友人として、僕は強くそう願った。
イヤイヤと首を降るハルカに対し、男はしばし無言で佇んでいた。
壊した砂の城を踏む足を止め、ジッとハルカを見つめる。
そしてポツリと呟いた。深く深く、沈んだ声で。
「俺達を裏切るのか? ダークネスガール」
ゾッとする声だった。
黒衣の男の発した声に、思わず身を竦める僕。
一瞬ハルカと目が合う。その目はかつてと同じ色を見せていた。
昔、彼女が一人ぼっちで助けを求めていた時と、同じ色を。
僕を見た瞬間、ハルカは何を思ったのだろう?
そんな事を僕が考える時間も無いまま、ハルカは再び黒い男に視線を向けて言った。
「う、裏切ったら何だって言うのよ!」
「別に。構わんさ。俺は裏切り者が嫌いでは無いからな。ただ――、」
チラリと僕を見る黒衣の男。
何だ――? 奴は、一体何を考えているんだ?
仮面に隠された双眸。
見えるはずの無いその目が、何故だか意味ありげに細められたように感じた。
「どっちみち、貴様はココで消えてもらう」
「ひっ!?」
黒衣の男の宣言と共に、ハルカの短い悲鳴が聞こえた。
慌ててハルカに視線を向ける。僕がそこに見たのは、奇妙に歪んでいく空間だった。
ハルカを中心とた景色が歪んで見える。
湾曲し、うねり、多色刷りな不思議な文様になったかと思うと、今度は逆回し再生のように空間が元の姿へと戻っていく。
そんな不可思議な光景は一瞬で過ぎ去り、後には何も残らなかった。光も、湾曲も、うねりも。
ハルカの姿さえも。
「ハルカ!? ハルカに何をした!?」
ハルカが消された――奇術のように。
2人の格好を思えば、ただの公開マジックショーの線もあった。
しかし。ハルカが僕に見せたあの顔が、胸をざわつかせた。
救いを求めるような、あの目が。
ドクドクと――心臓が嫌な鼓動を打つ。
一瞬前の縋るようなハルカの視線が、頭の中で別の記憶と共に甦った。
一人で涙を流すハルカ。その姿に、一人で泣いていただろう妹の姿を幻視する。
ボクハ、スクエナカッタ――?
考えるな、そう命令しても思考は止まってくれない。
ボクハ、『マタ』ミゴロシニシタ――?
何もかもを罵ってしまいたかった。目の前の男を。間向けな自分を。
叫び出しそうな気持ちを抑えながら、黒衣の男を睨みつける。
そんな僕の姿をどう見ているのだろうか?
黒衣の男は、仮面の下に嘲笑を貼り付けながら言った。
「ククッ、慌てなくても良い。時間と空間を『騙した』だけだ。奴ならまだココに居るよ。貴様に辿り着けるなら、な」
「ペコ丸!?」
キョーコさんが叫んだ。
その叫びに反応するように、ペコ丸さんが黒衣の男の行為を説明する。
「高度な時空間魔法ペコ! アイツは簡単に言ってるけど、ハルカちゃんは異空間に閉じ込められてるペコ!」
異空間!? なんだよそれ!!
焦りが僕を毒吐かせる。
そんな僕とは対照的に、黒衣の男は相変わらず悠然とした態度だった。
「異空間? それは違うな、魔法使いの妖精くん。我々にそこまでの力は無い」
「あんな事言ってるよ!?」
再びペコ丸さんに問うキョーコさん。
ペコ丸さんは焦りを滲ませた声で叫んだ。
「詳しい説明は後ペコ! とにかく、アイツを倒さないとハルカちゃんを救えないペコ!」
その言葉に反応し、キョーコさんが黒衣の男に対してステッキを構えた。
ジワリと広がる戦いの気配。
だがそんな緊迫した場面の中にあって、やはり黒衣の男だけは何も感じていないようだった。
両手を広げ「やれやれ」と肩を竦めると、つまらなさそうに言った。
「俺は貴様達と戦う気は無い。特に、そのステッキは痛そうだしな」
「こっちには貴方と戦う理由があります……!」
目の前の男にジリジリと近付きながら僕は言った。
いつでも飛び込めるよう、両足に力を入れる。
黒衣の男は、相変わらずおどけた調子でそこに佇んでいる。
「奴を救うだけなら、俺と戦う必要は無いぞ。方法は簡単だ」
ペコ丸さんの言葉を否定するのが楽しいのだろうか?
黒衣の男はどこか愉快そうに語った。
「俺達の魔法は、ただの幻覚。幻だ。強い心があれば容易く打ち破れる。欲望を超えるほどの想いがあれば、な」
「本当ですか!?」
目の前の男が信じられない僕は、視線を向けないままペコ丸さんに問いただした。
体は常に男に飛びかかれる体勢を取っている。
いつでも掴みかかれるように。もう二度と、見殺しにしないために。
そんな僕の耳に、ペコ丸さんの声が響いた。
「嘘だペコ! 仮想形成された異空間座標が分からなければ、奴の魔法は破れないペコっ!」
やはり嘘を吐いていたのか。
怒りと共に踏み出そうとした僕を牽制するかのように。
黒衣の男は、絶妙なタイミングで言葉を発した。
「おっと、そうか。忘れてたな。そら、座標空間はこれさ。受け取るがいい、魔法使いくん」
黒い皮の手袋に包まれた男の手から、複雑な文字の螺旋が円形になって飛び上がった。
光輝く円形がペコ丸さんへと届く。
ペコ丸さんはどこか呆然とした様子で言った。
「なんでそんなに簡単に教えるペコ……?」
「いやなに、あの女が言っていた事を思い出したのさ。『あたしを本当に必要とする人』だったか」
そこで言葉を切ると、黒衣の男は僕へと視線を向ける。
ジッと、試すかのように僕を観察した後、面白がるような口調で呟いた。
「そんな奴が本当に居るのかと思って、な」
歪んだ笑みを――仮面越しからでも分かるほどのそれを浮かべながら。
黒衣の男は嘲笑っている。
――アノ女ハ、誰カラモ必要トサレテイナイ。
――オマエモ、アノ女ヲ必要トシテイナイ。
そんな言葉が、目の前の男から無言のまま聞こえてくるようだった。
「あの女を本当に必要とするなら、貴様達は容易く辿り着けるだろう。ただし、当然の事だが生半可な気持ちでは無理だぞ? 欲望を超えるくらいで無いとな。俺達がそう呼ぶのは……まあいい。それは俺達が語るべき言葉では無いからな。魔法使いの妖精くんに聞けばいいだろう」
やがて黒衣の男は嘲笑すらも消した。
全てに興味を失ったかのようにこちらに背を向けると、思い出したように言葉を付け加えた。
「まあ結果がどっちでも、俺は構わんしな」
その言葉を最後に、黒い男は霞のように消えて行った。
まるで最初からそこに居なかったかのように。
呆然と立ち竦む僕の耳にキョーコさんの声が聞こえてきた。
「ペコ丸!? また消えたよ!?」
慌てたように叫ぶキョーコさん。
僕もまたペコ丸さんを見る。ペコ丸さんは、ジッと男が消えた後を見つめていた。
「……もしかしたら、奴は本体じゃ無かったかもしれないペコ」
「分身って事ですか? 魔法って、そんな事も出来るんですか?」
尋ねる僕に、ペコ丸さんは首を振った。
「普通は無理ペコ。少なくとも、魔法の国の扱う魔法では無理ペコ」
そして、消え入るような声で呟いた。
「奴は……化け物ペコ……!」
どこか怯えるように。
ペコ丸さんは、黒衣の男の消えた後を見つめ続けている。
二度とあの男が現れない事を祈るように。
僕はハルカの事を想った。
ペコ丸さんが恐れる程の魔法の使い手から、僕は彼女を救い出せるのだろうか?
忸怩たる思いを抱えながら。
時間だけは、無常に過ぎていった。
予告
――思へばこの世は常の住み家にあらず
――草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
須弥山の麓に広がる世界。
その遥か上空に広がるさまざまな天。
欲天と呼ばれるそこに、他化自在天は在る。
――金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる
――1度生を享け、滅せぬもののあるべきか
第六天、天魔。第六天の魔王。
六欲天の最高位にして、天上界の第六天にある。
一万六千年と、千六百年の夜を過ごして見るのは暁の夢。
――夢幻の如くなり
人の想いは儚い。
誰がために想うべきか?
誰がために、想うべきか。
ならぬ世の中に絶えぬれば、夢幻の如くなり
絶望を。諦観を。
キョーコは救う。彼女の意思で。優しい空を見上げるように。
魔法少女キョーコ(20才)、後半へ続く!
ちょっと頭良さそうな予告を狙った結果がコレだよ!
評判悪かったら、予告を削りますぅ。